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【動画レポート】スターダンサーズ・バレエ団「緑のテーブル」リハーサル&ダンサーインタビュー

バレエチャンネル

Videographer: Kenji Hirano, Kazuki Yamakura

ドイツの振付家クルト・ヨースによる歴史的名作『緑のテーブル』
初演は1932年。第一次世界大戦後、ヒトラー率いるナチスが日増しに勢力を大きくしていた時代に、ヨースは“戦争を起こす人間”に対する激しい抗議として、この作品を振付けました。

ドイツ人振付家、クルト・ヨース(1901-1979)。彼は同じくドイツが生んだ天才的振付家ピナ・バウシュの師としても知られる。この写真は「緑のテーブル」の稽古をするヨース(左)とバウシュ(右)

平和会議のモチーフである緑のテーブル。それを囲んで議論をしているのは、マスクを付けた黒服の紳士たちです。彼らはただ会議のテーブルにいて戦争を起こすだけ。実際に戦争で苦しみ、犠牲となっていくのは、罪なき人々ーー例えば老いた母親は静かに死を迎え、パルチザンの女性は処刑され、兵士たちは戦場で死んでいくーー。そうした光景が、8つの場面で描かれていきます。

日本ではスターダンサーズ・バレエ団が1977年に初演。そして2019年に14年ぶりの再演を果たし、大きな話題を呼びました。
その反響の大きさに、2020年3月13〜15日アンコール上演が予定されていましたが、コロナウィルス感染拡大防止のために、残念ながら中止が決定。
しかし、この作品が問いかけてくる永遠のテーマを私たちに伝えるべく、ダンサーたちはぎりぎりまでリハーサルを続け、作品を磨き上げていました。

そのリハーサルの様子(上の動画)と、この作品にかけるダンサーたちの心からの言葉を、ここにお届けします。

Rehearsal photos: Ballet Channel

Interview 1:池田武志(死)

――リハーサルを見ていて気がついたのですが、「死」は踊っているあいだ絶対に口を開いてはいけないのでしょうか?

池田 基本的に表情を崩してはいけないんです。「『死』は、つねに目を開けて一点を見つめる。口は閉じ、断固たる決意で」という指定されたイメージがあって、これは最初のリハーサルから厳しく言われています。

――踊っているときは鼻だけで息をするような感じですよね。

池田 おそらく傍目から見えている以上に踊っている本人は苦しくて、極限の状態で踊っています。クラシック・バレエとは違った緊張感がありますね。

――池田さんは「死」という役を、どんなことを考え、感じながら踊っているのでしょうか?

池田 例えばクラシック・バレエ作品なら、大事なのは「どう演じるか」ですよね。しかしこの作品に関しては、「死」は“そこに存在すること”がいちばん大事なのです。舞台に立っているあいだ、僕は「死」としてアクションを起こし、起こることに対してリアクションするだけ。“演じる”というよりも、“返信”しているような感覚です。

――「死」は“演じる”というより“存在する”……難しいですね。

池田 「死」は“役”というよりも、ひとつの“概念”でしかないのです。だから出演者それぞれが「死」と聞いて、何を思うかが大切だと思っています。僕自身にも、主役だから中心に立ってみんなを引っ張る、というような意識はありません。「死」という概念として僕がそこに確立していれば、みんながその姿を見て何かを感じ、踊ってくれる。『緑のテーブル』は、そうやってお互いのキャラクターが化学反応を起こし合うことで生まれていく作品でもあります。

――池田さんがこの作品においていちばん難しいと思うところは?

池田 “正解にたどり着いている感覚がないところ”です。達成感というのは、自分が満足できて、お客様が納得する演技を披露できたときに味わうもの。けれどもこの作品は、いくらトライしても満足しきれないんです。前回出演したときはもう無我夢中だったので、今回はもっと理解を深めながら再挑戦していますが……クルト・ヨースさんがどういう意図で一つひとつの動きを振付けたのか、どんなに考えても正解にたどり着けない。答えを探し求める過程はつらいのですが、楽しくもあります。ダンサーというのは皆、探求者ですから。

――ダンサー人生においてこの作品を踊れるというのは、素晴らしいことですね。

池田 本当にそう思います。人生で1回でも巡り逢えたらラッキーと言える作品に、こうして1年後にまた挑戦できるなんて、ダンサー冥利に尽きます。自分のバレエ人生のためにも、しっかりと踊ろうと思っています。

Interview 2:林田翔平(旗手)

――林田さんが演じる「旗手」とはどのような役ですか?

林田 「旗手」は先陣を切ってみんなを戦場に引っ張っていく役どころです。

――作中で難しいと感じる場面は?

林田 最初に「旗手」が旗を持って登場するところです。あの場面は「さあ、行くぜ!」と、さわやかに演じるわけにはいかない。彼には複雑な思いがあるはずで、それは「もう戦うしか道はない……」という気持ちかもしれないし、「ずっと戦いたかったんだ、やっと戦える!」かもしれない。テクニックよりも解釈や表現といった部分が難しいですね。

――旗はすごく象徴的な存在になっていますね。人々を先導するものでもあるし、彼らの運命を表しているようにも見えます。

林田 ステージではセットがなく照明だけなので、旗はすごく目立ちます。旗の扱いにも細かい指示があって、これも難しい。指示通りにやっているつもりでも「全然違う」と言われてしまうんです。振付指導のジャネット・ヴォンデルサールさんに、「旗の動きひとつにも明確な意味がある」と教えていただいたので、すべての意味を早く理解できるように努力しています。

――林田さんにとって胸に響くシーンはどこでしょうか?

林田 最後のほうで、兵士や勇敢に戦った人たちが「死」に連れられて歩くシーンがあります。そこへ何も知らずに登場する「旗手」は、ここでも「お前ら戦うぞ!」なんて言っているけれど、結果的には「死」の行進に加わっていくんですね。

ところがそんなシーンのあと、紳士たちがテーブルで会議をしている最初の風景に戻るんです。「ダメだったな」「じゃあ今度はどうする?」とでも話しているかのように。

その直前までの壮絶な場面と、このテーブルシーンとのギャップが、僕はいちばん心に来ます。僕も紳士のなかのひとりを演じているのですが、演じながら、腹が立つんですよ。「旗手」を演じたあとだけに、とても複雑な気持ちになる。舞台が終わっても、胸には何かモヤモヤとした、後味の良くないものが残ってしまう。

『緑のテーブル』は演じる側も考えさせられてしまう、一筋縄ではいかない作品です。

お客様には、芸術作品としてはもちろん、「もしも現実にこれが起こったら」という視点でも見ていただけるとうれしいです。

Interview 3:佐藤万里絵(老母)・フルフォード佳林(女)・荒蒔礼子(若い娘)

――みなさんが演じる3人の女性は、多くの観客がシンパシーを感じるような、大切な存在ですね。

佐藤 私は「老母」役で、戦争に行く息子を、お嫁さんである「女」と共に送り出します。家を失って避難民となり、自分の土地から新たな場所、つまり自分の新しい場所を求めて旅をするという役どころです。

佐藤万里絵(老母)

フルフォード 私は「女」という役を演じます。夫が戦地へ赴くときは悲しみとつらい思いでいっぱいです。しかしそのあと民間兵として立ち上がり、自ら戦いに身を投じるという、演技に強い意志を求められる役でもあります。とくに「パルチザン」というソロは、曲も力強くてジャンプも多く、熱量のある踊りなのですが、そのなかに女性らしさというか、不安や悲しみの表現も盛り込まれています。強い部分のなかに弱い部分が顔を出す、そんなところを見ていただけたらと思います。

フルフォード佳林(女)

荒蒔 私の役は「若い娘」です。婚約者を戦争に送り出したあと、自分たちの故郷が焼かれてしまい、避難民となってさまよいます。その道中「戦争利得者」に出会って、売春宿に売られてしまうのです。登場人物のなかでいちばん若くて、女性で、ひとりで生きていくにはまだ難しい年ごろの「若い娘」。戦争に翻弄されながら、まだ将来があるなかで「死」と対面し、最期は「死ぬことで最も楽になれる」という悲しい結末を迎えます。

荒蒔礼子(若い娘)

――観ているこちらの感情がかき立てられるような役どころで、演じているみなさんも胸に悲しみがこみ上げているようには見えるのですが、表情はあくまでも静かであるのが印象的です。

フルフォード 振付が雄弁に語ってくれていますので、逆に表情は強くしないほうがお客様に伝わりやすいのでは、と考えています。
佐藤 表面を取りつくろった演技ではなくて、自分のなかから湧いてくる感情でイメージを作って踊っているので、表情が派手に変わることはないかもしれないですね。

――ご自身の胸にとくにずしんと響く場面があれば教えてください。

佐藤 やはり「老母」が死を受け入れるところです。自分はもう年老いていて、死が近いということは分かっている。だけどやっぱり生きたい、死から逃れたいという葛藤。でも最後には「死」を受け入れて安らかに死んでいく。そんな場面です。「死」の役の池田武志さんとふたりで踊るこのシーンは、空気が張り詰めていて、感情も強く入ります。

フルフォード 私も「老母」の死のシーンですね。自分の出番前で緊張しているのに、舞台袖から見入ってしまいます。死を受け入れかけている「老母」に対して、「死」がとても優しいんですよ。最後に「老母」が「死」とともに去っていくところは、胸にぐっとくるものがあります。

それからグリーンテーブルのシーンも好きです。抽象的ではありますが、初めてこの作品に触れたときから、コミカルで面白いなと感じました。

荒蒔 「若い娘」に「死」が近づいてくる最期のシーンです。始めはもっと生きたいと思っているし、死ぬことへの恐怖に怯えているのですが、「死」はそれをゆっくりと迎え入れてくれます。そして「若い娘」は「死」とともに「次の世界」へ行くことで、いままでのつらい出来事から離れ、楽になる。ここを演じているときの感覚は、いままで踊った作品では得たことがないものです。

Interview 4:渡辺大地(兵士たち)

――ご自身の役どころについて教えてください。

渡辺 兵士には「旗手」や「若い兵士」、「老兵士」などたくさんいるのですが、僕はそのなかの“普通の兵士”です。戦争によって死んでいく人々にもそれぞれの人生がある。そういう人物の一人ひとりという意味で「兵士たち」という役があるのではないか、と考えています。

――渡辺さんはグリーンテーブルの紳士のなかのひとりも演じていますが、あの紳士たちもそれぞれキャラクターが決まっているそうですね。

渡辺 決まっています。マスクをつけて演じるのですが、その顔も全員違います。僕が演じている紳士は、戦争を決める会議中なのに酔っぱらっているんです。新聞を小脇にはさんで全員で歩くところでは、ひとりだけ足取りが違います。ここは皮肉が効いているなと感じます。

――とくに印象深く感じているシーンはありますか?

渡辺 やはり、最初と最後のテーブルシーンです。僕は、ここと戦争に行くシーンとで、いわば“対照的な立場の役”を演じています。そこが面白いんです。

手前は振付指導のジャネット・ヴォンデルサールさん

渡辺 『緑のテーブル』は1932年、不安な世界情勢のなかで作られた作品ですが、いま踊っていてもまったく古さを感じないことに驚きます。動きの一つひとつが明確な意味を持ち、ああ、舞踊でここまで表現できるんだ、と衝撃を受けました。

日本は、第二次世界大戦以降ずっと平和だったけれど、世界を見ると、そろそろ考えなくてはいけないことがあるのではないか?と思います。ですからいま、この作品を表現できることに感謝しています。観る人によって、きっとそれぞれに違う見方や感じ方があると思う。観客のみなさんからも、いろいろな感想や意見が出てきたら面白いだろうなと思っています。

スターダンサーズ・バレエ団のみなさん、いつかあらためて上演が実現することを楽しみにしています。ありがとうございました!

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