ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。
“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。
美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。
「欧州就職活動の旅〜ドイツ編」
2011年2月。いまから9年前のこの季節、私は極寒のヨーロッパに就職活動旅にでかけました。
海外の劇場で働きたいと具体的に思うようになったのは、バレエピアノを弾き始めて10年ほど経った頃でした。その頃、海外のダンサーや振付家、指導者、指揮者と働くことが増えてきたことで視野が広がり、バレエの本場を自分の目で見てみたい、そこに身を置いてみたい、という気持ちがふくらんできました。プライベートで人生の岐路に立っていたことも、理由のひとつでした。
バレエの本場を見てみたい、そして芸術のことだけを考えて生きていきたい
前回のバレエチャンネルで書いたように、私は10代でアメリカ留学を寸前にやめた経緯があり、また、20代でも何度か海外のオペラハウスとご縁が生まれそうな気配もありながら(これはバレエではなくオペラ)見送ってきたのですが、海外志向は心のどこかにずっとあった気がします。
この先、日本社会で働いていくことへの不安もありました。芸術のことだけを考えて生活していきたい。それが欧州の劇場に行けば叶うと考えたのです。
「人からお金を出してもらうのではなく、向こうで働いてきなさい」
劇場の社員として働くのか、もしくは奨学金や助成金をもらって留学するのか?
考えはまとまらず、新国立劇場他でお世話になっていた大原永子先生に文化庁在外派遣についてご相談しました。
返ってきた答えはこうでした。
「人からお金を出してもらおうなんて甘い考えは捨てて、向こうで働いてきなさい。できるはずよ」
きっと大原先生は、私を理解してそう言ってくださったのではないかと思います。
背中を押していただき、私は欧州の劇場に就職活動しにいこうと決意しました。思い立ってから旅立つまで10ヶ月。いま思えば、何かに突き動かされるような想いであり、行動だったと思います。
気持ちが決まると道は開けるものです。当時の私の人生は谷底期だったのですが、前向きでいる限り、人生は最善なのでしょうか。助けてくれる方も現れました。仕事関係の方々に各劇場をご紹介いただき、ドレスデン、ベルリン、ウィーン、リンツの劇場を訪れることになりました。はじめての欧州ひとり旅です。
2週間の旅のお供は、機内持ち込みできるサイズのトランクひとつ
まずやってきたのは、ドレスデン。フランクフルト空港での乗り継ぎにさっそく失敗し(笑)、深夜0時過ぎにドレスデンに到着しました。
ドレスデンにて欧州の洗礼を受ける
ドレスデン州立歌劇場(ゼンパーオーパー)
ドレスデンでは、この旅で唯一、朝のクラスを弾かせていただくアポイントが取れていたので、到着した次の日から気合いを入れて仕事です。
1曲めを弾いたとき、ダンサーの誰かが拍手をしてくれたことが忘れられません。この瞬間、私は欧州の洗礼を受けた気がしたのです。ああ、なんて自由で朗らかで素敵なカンパニーなんだろう!
ドレスデンでは『春の祭典』のリハーサル、バランシンの『コッペリア』公演、オペラ『サロメ』公演を観ました。2日間劇場に通って、私はこのカンパニーが大好きに。その時点ではピアニストの空きがなく、あれ以来ドレスデンには行けていないけれど、欧州で初めて訪れたバレエ団がここだったことを幸せに思います。
ベルリンでマラーホフ氏に出逢う
さて、次にやってきたのはベルリン。ベルリン国立バレエです!
当時、劇場建替工事中だった楽屋口
ここでは朝のクラスを見学させてもらう予定でした。マラーホフ監督、ポリーナ・セミオノワ、ヤーナ・サレンコなど、洗練されたスター達が黒基調の稽古場で踊っている様子が、まるで映画の1シーンのようで。クラスの後、初めてお会いするマラーホフ監督にご挨拶したら、とってもポップで可愛い監督部屋(!)に通していただき、「せっかく来たんだったら、君のピアノを聴きたかったよ。明日から僕はスロヴァキアに行かなきゃいけないんだけど、もし君が希望するなら、来週もう一度ベルリンに弾きにこない?」とおっしゃってくださったのです!!!
なんということでしょう。彼が指定した日は、ウィーンからパリに飛ぶ予定の日。フライトの変更は簡単ではありません。だけど、こんな天から降ってきたチャンスを逃すなんてできない。
結局、大金を払ってフライトを変更してベルリンを再訪することに。
芸術の神様が旅についてきてくれた
さて、その後日談です。こうして翌週、ウィーンからベルリンに飛び、朝のクラスを弾きに行ったわけですが、なんとマラーホフ監督のフライトがキャンセルになり、結局彼には聴いてもらえずに終わりました……。
残念な気持ちに、少しホッとした気持ちが混ざっていました。なぜなら、心の中はもうウィーン一色に染められてしまっていたから……。いまとなってみると、マラーホフ監督に再会できなかったのも、定められた運命だったように思います。
ベルリンでは、「マラーホフ&フレンズ」公演、そしてサイモン・ラトル指揮のベルリンフィル定期演奏会を鑑賞。ベルリンフィルは、当日券売り場で長蛇の列に並んでいたら「友人が来られなくなったから」と団員のご家族の方がお声をかけてくださり、ご招待券をいただいたのです。なぜたまたま私に声をかけてくれたのでしょう……。この旅には芸術の神様がついてきてくれたのでしょうか。
ベルリンを後にして次に向かうのは、この旅の最大目的地、ウィーン。
ここでの出逢いが、人生を変えるものとなったわけですが、就活の旅・ウィーン編は次回に。
今月の1曲
今月の1曲は、先月ウィーンで上演していた『オネーギン』より、第2幕最終場のレンスキーのヴェリエーションを。
ヤコブ・ファイフェルリックのレンスキー
『オネーギン』は、全曲チャイコフスキーの楽曲で構成されています。楽曲の麗しさもさることながら、編曲も神がかっていて、すみずみまで美意識の高い作品だと感じます。レンスキーのソロの原曲はピアノ曲『四季』の「10月」ですが、前後の曲と調和するよう移調してあります。死をも覚悟したレンスキーの張りつめた悲痛な想いが、より深く伝わってきて、稽古で弾いていても胸打たれてしまいます。
2020年2月20日 滝澤志野
★次回更新は2020年3月20日(金)の予定です
New Release!
ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス3
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野
ドラマティック・バレエの名曲に加え、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲や、ひたむきに稽古するダンサーたちにインスパイアされた曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわりました。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)
★詳細はこちらをご覧ください
- ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2 滝澤志野 Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
- バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。バー、センター、ポアント、アレグロなど、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
- ●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)