ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。
“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。
美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。
モナコのプリンセス・グレース・アカデミーのバレエピアニスト、真家香代子さんと対談しました
世界に名だたるモナコの名門バレエ学校、プリンセス・グレース・アカデミー。
ここで、日本人ピアニストの真家香代子(まいえ・かよこ)さんが働いていらっしゃいます。ピアニストから見た名門バレエ学校は、どのようなものであり、どんな想いで日々ピアノを弾かれているのでしょうか。また、同じバレエピアニストと言っても、バレエ学校とバレエ団では視点も仕事内容も違うのでしょう。私にとっても未知の世界で興味深く、今回、ご縁あって真家さんをお迎えして対談する機会をいただきました。
真家香代子さん
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滝澤 バレエピアニストを志したきっかけを教えてください。
真家 大学を卒業する時、バレエピアニスト募集の張り紙を大学で見つけ、未経験で応募しました。不合格でしたが、オーディションで自分の演奏でダンサーが踊る、という体験をし、その道に興味がわきました。自分は王道のピアノ演奏の道には進めないけれど、一から勉強ができるジャンルならできるのではないかと。それから知り合いのつてでバレエ団を見学させてもらい、カルチャーセンターの子どものクラスを弾くようになり、オープンクラスを弾くようになり、と人脈で広がっていった感じです。
滝澤 人脈で広がっていくのは王道な感じがしますね。私は都内の全バレエ団に電話する、という当たって砕けろ方式でした(笑)。プロのバレエ団で弾くまでにどれくらいかかりましたか?
真家 3〜4年くらいでしょうか? アルバイトを掛け持ちしつつ、演奏の仕事を増やしていき、バレエピアノだけで食べていけるようになったのは30過ぎです。
滝澤 なるほど。それで7年前にモナコに就職するまでに、どんな経緯があったのでしょうか。
真家 東京での仕事は軌道に乗っていたのですが、自分のピアノはダンサーには踊りにくいのでは、と気づかされることがあり、もがいていました。そんな時に交通事故に遭い、東日本大震災も起こり、迷走の日々を過ごしましたが、自分を立て直すためにも、きちんと自分のピアノを理論的に確立させて納得した上で弾きたいと思いました。そんな時にモナコの募集が目に入り、年齢的にも環境を変えるのもいいかと思い、受けに行きました。
滝澤 環境が大きく変わる時って、その少し前から自分の居場所に違和感を覚えたりしますよね。そして、タイミングが整い、ご縁が実る。香代子さんのお話を伺っていると、ちゃんと点が線になって道ができていて、最善のタイミングで動かされたという感じがします。
ご自宅近くの風景
プロフェッショナルを育てる
滝澤 学校についてお聞かせいただけますか?
真家 プリンセス・グレース・アカデミーは、プロフェッショナルのダンサーを育てる学校です。コンクールで入賞したり、オーディションに合格した人のみが入学でき、少人数制です。女子が4クラス、男子が2クラス、全部で6クラスで、少ない時は3人のクラスなどもあります。年齢ではなく実力でクラスが決まります。大体12歳から15歳の生徒が入学してきます。
滝澤 日本からも毎年留学生が来ていますよね?
真家 はい。YAGPやローザンヌのコンクールで、ルカ・マサラ校長に声をかけられたり、サマーコースに来たのがきっかけ、という人が多いですね。全寮制で学校のすぐ隣に住みます。
滝澤 それだと親御さんも安心という面はありますね。とても厳しい学校生活だとも聞いています。プロフェッショナルを育てるとのことですが、全員バレエ団に就職していますか?
真家 私が勤めてから7年、卒業生は全員どこかのカンパニーに就職しています。
滝澤 素晴らしいですね。しかも、皆、有名バレエ団ですよね。そのような優秀な生徒を長年にわたって育て上げるのは凄いことですよね。流派はあるのでしょうか?
真家 いま現在、流派はいろいろです。マリカ先生の時代からのロシア系メソッドの先生もいるし、フランス系、アメリカ系も。ルカ・マサラ校長の統率力も凄いと思います。自分の学校を一流にするというビジョンがすごくあり、エネルギーが大きいです。
滝澤 そうなんですね。森下洋子さん、篠原聖一さん、上野水香さんも留学されていて、ここを出られた方はバレエ界で大出世するイメージがあります。最近ではなんといっても、マリインスキー・バレエのファーストソリストになられた永久メイさん。彼女のことを聞かせていただけますか?
真家 とてもストイックで、選りすぐりの子たちのなかでも、ずば抜けて光っていました。踊りが上手なのはもちろん、考え方、生活、バレエに取り組む姿勢が素晴らしかった。自分の実力に驕らず、常に努力をし続ける生徒でした。謙虚で、自分に厳しい。
滝澤 若い時から、いろんなことがクリアで、すでに一流、プロフェッショナルだったんですね。凄いですね。芸術を究めるためには誠実であることが大事と教えられますね。
プリンセス・グレース・アカデミー
バレエ学校での仕事
滝澤 バレエ学校での香代子さんのお仕事内容を教えてください。
真家 午前中にクラシックのクラスを2クラス弾きます。2時間を2クラス。大体8時半から始まります。午後はポアント、ヴァリエーション、パ・ド・ドゥ、コンテンポラリーなど、様々です。仕事は月曜から土曜までです。
滝澤 午前中に2時間を2クラス!! 私は8時半はまだ起きていないし(笑)、カンパニーでは1時間15分のクラスを週に3、4回しか弾きません。ハードワークですね!
真家 でも、カンパニーのようにフルスピードでレッスンが進んでいくことはなく、説明の時間も長く、弾いていない時間も多いので、体はそんなにしんどくはないですよ。同じレッスンメニューを1週間かけてやることが多いので、内容は落ち着いています。
滝澤 なるほど。カンパニーは戦場のようですからね(笑)。この仕事の面白いところ、大変なところはどんなところですか?
真家 発展途上の、これからプロになる人を育てるクラスなので、音楽的にもそこにフォーカスして弾いています。音楽教育も兼ねているというか。今はインターネット、とくにSNSやYouTubeで何でも簡単に手に入れることができる時代。自分で手に入れるというハングリー精神がなく、『白鳥の湖』の曲も知らなかったりもする。教育機関のピアニストとして、プロのダンサーになる生徒たちに何ができるかを考えるのはやりがいがあります。そして、生徒の成長の過程を見られるのは醍醐味だと思います。
滝澤 ローザンヌでもいつもアカデミーの生徒さんが上位入賞していて、そうやって結果として表れるのは日々の努力が実ったという感慨があって嬉しいでしょうね。
真家 嬉しいですね。あと、踊れる子たちといると、こちらのやる気にもなるし、躊躇なくいろんなことができる。伸び盛りの生徒たちと高めあっていけるのは楽しいです。大変なところは、まわりにバレエ関係者しかいなくて、世界が狭く思うことがあります。音楽活動が恋しくなることも。日本では、バレエ以外で連弾したりしてましたしね。志野さん、カンパニーのピアニストの楽しいところ、大変なところは?
滝澤 楽しいところは、才能ある人たちに囲まれて、素晴らしい作品に出逢え、芸術に没頭できるところ。ひとつの作品を皆で作り上げて舞台に送り出して、という日々は、終わらない文化祭のようで飽きません。波長が合えば、すごく高いところまで飛んでいける気もします。大変なところは、時に、重圧がものすごくのしかかってきます。どんな状況でも必ず舞台の幕は開くので、時に実力以上のものを求められることも。それは芸術的充足でもあるんですけどね。あとは、ダンサーに心地いい演奏が提供できなかった時の悩みは深く、数年苦しかったですね。
真家 バレエ団だとダンサーとピアニストはアーティスト同士、ガチンコ勝負という感じがしますね。学校に勤めていると、生徒からフィードバックが返ってくるわけではないので、自分で省みて高める努力をしなければいけない。自分に甘えることは簡単。
滝澤 自分を律することが必要なんですね。
学校から望むモナコの風景
日常生活に紐づいた場所に行きたい
滝澤 ところで、モナコでの生活はいかがですか?
真家 とても良い場所ですが、私には南仏の太陽と海は眩し過ぎる気がします(笑)。
滝澤 そうなんですか!? 私は南仏が大好きで、海や夕陽を眺める生活がとても羨ましいですが、クラシック音楽は北の厳しい自然で育ちやすいという面はあるかもしれませんね? 将来の夢はありますか?
真家 日本の温泉街でお饅頭を売って生活したいです。
滝澤 えっ!?
真家 リタイア直前くらいには日本に帰って毎日温泉に浸かりながら過ごしたい。ピアノも時々弾きながら。バレエとかクラシック音楽って非日常のキラキラしたところにあるけど、日常生活に紐づいた場所に身を置きたいなと。
滝澤 なるほど。モナコに住んでもキラキラしたセレブ文化に混じりたいとは思わないんですね。そういう香代子さんの地に足がついたところは、音楽にもきっと表れているのでしょうね。
真家 だと思います。バレエに惹かれるのは、外側のブリリアントなキラキラした部分より、内側にあるエレガンスや気品のようなものが好きだからです。
滝澤 一番大切な部分ですよね。内面のエレガンス。バレエにはそれがあるし、どんな生活をしていても持っていたい。モナコに来て一番良かったことはなんですか?
モナコに来て得たものは
真家 ローラン・フォーゲルと一緒に仕事していることですね。どの先生もそれぞれ素晴らしい部分があるのですが、彼のクラスは特別です。アンシェヌマンの組み方もメソッドも、彼は常々勉強し続けて教師として臨んでいる。音楽一家の家系で音楽の知識も凄いし、何の曲を弾くかに加えて、どう弾くかが求められる。どんな音楽が欲しいかをピアニストに責任を持って伝えてくれる人で、針に糸を通すような繊細な作業の中で、ピッタリいくものが出来上がった時には素晴らしい感動が生まれる。
滝澤 ああ、それは幸せですね。音楽家と舞踊家って専門用語が違うから、一緒に仕事をするのは大変でもあるけれど、想像を超えるものが出来た時の喜びは格別。
真家 そう。彼と仕事をしなければ一生得られなかったものだろうなと思う。
滝澤 先ほど、自分を立て直すために理論を確立して納得して弾きたいとおっしゃっていましたが、彼と出逢ってそれが実現できたのですね。
真家 そうですね。視野が全然違うものになりました。
滝澤 モナコに来て本当に良かったですね。私もマニュエル・ルグリ前監督に両手に抱えきれないくらいのものをいただきました。そういう方との出逢いが一番宝なのだと思います。
真家 心から信頼しあえる人と仕事し続けられないのは残念ですよね。
滝澤 でも、芸術家はひとところにとどまっていてはいけないのだと思う。新しい扉を開けて前へ進んでいくものだと思うから。そして常に一緒に仕事していなくても繋がっているものだと思います。
真家 私たちも前へ進みましょう。
滝澤 はい! 今日は素敵なお話をありがとうございました。今日はオンライントークでしたが、近いうちに直にお会いしてお話することを楽しみにしています。そして、温泉街でお饅頭を売る香代子さんにお会いすることも!
真家 こちらこそありがとうございました。こうやってお話することで新しいビジョンも生まれ、とても嬉しかったです。近々ウィーンに遊びに行くことを楽しみにしていますね!
ご自宅の近くに広がるモナコの海
★真家香代子さんのCDはこちらで購入が可能です
今月の1曲
今、私はバレエ団で、『LIVE』というハンス・ファン・マーネンの作品を弾いています。全編リストのピアノ曲で綴られる作品ですが、その中から「無調のバガテル」をお届けします。リストのピアニスティックな響きが美しいこの曲、元々の曲名はメフィストワルツ4番。いかにもそれらしいですよね。
2020年のウィーン初演では無観客公演で演奏しましたが、その公演はDVDとBlu-rayで発売されていて、こちらで購入できます。
2022年5月20日 滝澤志野
★次回更新は2022年6月20日(月)の予定です
- 【NEWS】 配信販売スタート!
- 滝澤志野さんのベストセラー・レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」(ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス)に続き、2021年にリリースしたCD「Dear Tchaikovsky〜Music for Ballet Class(ディア・チャイコフスキー〜ミュージック・フォー・バレエ・クラス)の配信販売もスタートしました!
♪Dear Tchaikovsky https://linkco.re/pEHd0G2A?lang=ja
「Dramatic Music for Ballet Class」シリーズはこちらから?
New Release!
Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野
ベストセラーCD「ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス」でおなじみ、ウィーン国立バレエ専属ピアニスト・滝澤志野の新シリーズ・レッスンCDが誕生!
バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)
★収録曲など詳細はこちらをご覧ください
- ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野 Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
- バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
- ●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)