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【特集:Dance Life Story②】ダンサー・振付家・演出家 TETSUHARU〜「やるならトップになりなさい」。あの日、僕はダンスを選んだ。

阿部さや子 Sayako ABE

TETSUHARU ©︎Toru Hasumi

ダンサー・振付家・演出家、TETSUHARU。
彼の名を、安室奈美恵やSMAP、AKB48など数々のアーティストの振付や、コンサートやミュージカルなどの舞台演出・振付等で知る人も多いだろう。

2022年5月5日(木祝)、札幌で開催される高橋竜太スペシャルトークイベントにゲスト出演の予定。
無二の親友・高橋竜太(ダンサー・振付家。元東京バレエ団ソリスト)が「僕はTETSUHARUの影響で本格的にバレエを学ぶようになった」(高橋竜太インタビューより)と語る通り、TETSUHARUのダンスのルーツは、じつはクラシック・バレエにある。

音楽一家の末っ子に生まれ、自身もまたミュージシャンを目指していた少年が、どのようにしてバレエと出会い、ダンスの道でプロになり、エンターテインメント界のど真ん中を駆け上がることになったのか。

あふれる才能と、才能に恵まれたからこその葛藤と。
TETSUHARUのダンス人生のストーリーをお届けします。

「【Dance Life Story①】ダンサー・振付家、高橋竜太~19歳でバレエを始めた僕は、東京バレエ団でプロになり、振付家になった。」はこちら

2022年5月5日に札幌で開催されるトークイベントに向けて打ち合わせ中のTETSUHARU(右)と高橋竜太 ©︎Ballet Channel

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初めてのダンス経験はクラシック・バレエだった

TETSUHARUさんは音楽家一家のご出身と。
父はジャズミュージシャン、兄は作曲家で、姉は父のバンドでジャズシンガーをしていました。だから生まれた時から身のまわりには当たり前に音楽があふれていて、ミュージカル映画などもよく見ていましたね。
TETSUHARUさん自身も音楽を?
ええ、僕はジャズドラマーになろうと思って、小さい頃から習っていました。打楽器を選んだのは、リズムが好きだったから。じつは小学3年生の時に「タップダンスをやりたい」と親に頼み、結局習えなかったのですが、それもおそらくリズムに惹かれたのだと思います。
音楽ひと筋だったTETSUHARU少年が、関東国際高校演劇科に進学。ここで「演劇科」に進んだのはなぜですか?
それが「ひょんなことから」という言葉がぴったりの理由なんですよ。僕は兄と12も歳が離れているのですが、兄と大学でセミプロバンドをやっていた後輩が、小学生だった僕の家庭教師をしてくれていて。バンドの練習スタジオで僕にドラムを叩かせてくれるなど、すごく可愛がってくれました。
そのお兄さんが大学卒業後は英語教師になり、赴任した先が関東国際高校で。そこにはティーチャーズ・バンドがあるんだけど、ドラマーがいないと。「テツが入学したら一緒に学園祭とかで演奏できるよね」と言ってくれたそのひと言がきっかけで、受験を決めました。もちろん演技のことや、バレエやジャズや日本舞踊といったダンスも学べることも大きかったですね。音楽を志すならば、ダンスやミュージカルを勉強して表現の幅を広げるのもいいかもしれない、と。
なるほど、その高校でTETSUHARUさんはクラシック・バレエに出会ったわけですね。
そう、15歳の時。最初に教わったのはカナダ人のカレン先生という方でした。英語圏の出身だったから、例えば「ルルヴェ」ではなく「ライズ・アップ」と言っていましたね。このカレン先生が、僕にとって初めてのバレエの先生であり、初めてのダンスの先生でもありました。
でも最も大きな影響を受けたのは、同級生の根岸正信くんです。のちに牧阿佐美バレヱ団や新国立劇場バレエ団で踊り、ドイツで活躍した彼は、確か8歳くらいからバレエをやっていました。15歳で初心者の僕からすると、ジャンプは高いし何回でもくるくる回るし、とにかくカッコよかった。それで僕もすっかりバレエにはまり、大好きになって。放課後もずっと根岸くんと一緒にいて、いろんなことを教えてもらいました。
TETSUHARUさんといえば様々なジャンルのダンスをマルチに踊るイメージがありますが、そのキャリアはクラシック・バレエからのスタートだったんですね。
その通りです。当時、先生方から「君は背が大きくないからプリンシパルにはなれないかもしれないけど、ソリストにはなれるかもしれないから、頑張るといいよ」と言われたこともあり、高校時代は本気でバレエダンサーになることを考えていました。
それもすごいですね! 15歳から始めて、あっという間にそこまでのレベルに。子どもの頃から運動が得意だったのですか?
全然。体力がなくて持久走もダメだったし、球技もまるでダメ。草野球は好きだったけどフライが取れない。サッカーのサークルにも入ったけど、基本のリフティングがもう全然できませんでした。ただ、足は遅かったけど塀の上を走るのだけはなぜか誰よりも速かった。三半規管が強かったんですかね(笑)。

僕がダンスを選んだ瞬間

そして高校卒業後、桐朋学園短期大学演劇科に進学。そこでは高橋竜太さんとの出会いもありました。
竜太を初めて見たのは、大学のロビーのトイレ。彼は肩甲骨くらいまであるロングヘアに、ライダースジャケットを着て、ブーツカットのジーンズを穿いていて。いっぽう当時の僕もやはり肩までのロングヘアに、ヴィンテージもののGジャン、ベルボトムのジーンズみたいな格好で、「服装かぶってるぞ」と(笑)。それで声をかけたら、彼もダンスに興味があることがわかり、すぐに仲良くなりました。
竜太さんいわく、「大学時代はTETSUHARUとずっと一緒にいた」と。
四六時中一緒にいました。本当に、どうしてあんなに一緒にいたんだろう?(笑)ふたりでマイケル・ジャクソンを真似て踊ったり、学内の小劇場で出し物を披露する機会があれば、いつも竜太と一緒に考えて、ラジカセで音楽を編集、深夜に公園で練習して、っていうのをやっていました。お互いの家にもよく遊びに行きましたよ。竜太の実家は湘南にあったから、泊まりに行っては朝まで海岸で一緒に踊ったりして、楽しかったですね。
竜太さんはTETSUHARUさんの影響でバレエを始めたと言っていましたが、TETSUHARUさん自身が当時興味を持っていたのは?
バレエも続けていましたが、興味の中心は、マドンナやジャネット・ジャクソンのような海外のアーティストのバックダンサーに移っていましたね。一流アーティストの後ろで踊る、一流のダンサーたちをすごくリスペクトしていて、とくに黒人のリズムの取り方とかをオタク的に研究していました。そしてゆくゆくは海外に挑戦しようとも考えていました。
その夢を、竜太さんと一緒に歩めたらと思っていたわけですね?
僕らは背格好も似ていたし、ユニットを組んで、ずっと二人でダンス活動をやっていけたらと思っていました。だけどある日、竜太から打ち明けられたのは、「僕は東京バレエ団に入ってベジャール作品を踊りたい。僕の大きな目標のひとつは日本にある」という言葉だった。すごくショックではあったけれど、「じゃあ、ここで僕らの道は一旦分かれるけれど、ダンスであることは変わらないし、きっとまたいつかどこかで一緒に踊れる日が来るよね」と言って別れたのを覚えています。
それが「渋谷ダンキンドーナツでの別れ」こちらの記事参照)ですね……。
そう、ダンキンドーナツのカウンター席でした。
その後、TETSUHARUさん自身は海外を目指したのですか?
それが、具体的に動き出す前に、転機が訪れたんです。20歳になり、そろそろ大学の卒業が近づいてきた頃のこと。兄が懇意にしていた川崎悦子先生(*)のスタジオの発表会を見に行き、衝撃を受けました。僕は海外のダンサーしか目に入っていなかったけれど、じつは日本にもこんなに凄いダンサーたちがいるのだと。
それで大学を卒業すると同時に、川崎先生のスタジオにレッスンに行くようになりました。1回でも休むとついていけなくなりそうで、初めてレッスンを受けた日から皆勤賞。スタジオのそばでアルバイトをして、そのままレッスンに行くという毎日でしたね。

*川崎悦子:BEATNIK STUDIO主宰。一世風靡セピア「前略、道の上より」、CM「武富士ダンス」、劇団☆新感線、宝塚歌劇団、『滝沢歌舞伎』等々の振付で知られる。

ちなみに子ども時代はミュージシャンを目指していたとのことでしたが、その頃にはもう、音楽ではなくダンスで生きていこうと?
大学を出たばかりの時は、音楽活動への気持ちもまだ強くありました。幼いころからやっていたし、父も応援してくれていたし、そもそもダンスに惹かれたのも音楽が好きだから。でも、悩む僕に、母がこう言ってくれたんです。「いま決めなくてもいいんじゃない? 迷うなら、全部本気でやったらいい。そのうち必ずどちらかに決まっていくから」と。そのアドバイスがすごく響きました。
そしてお母様の言葉通り、TETSUHARUさんがダンスを選ぶ日が訪れたわけですね。
本格的にジャズダンスを始めて1年ほど経った、21歳の時でした。楽しくてしょうがなくなっちゃったんですよ、ダンスが。それを父に告げた日のことは、いまでも鮮明に覚えています。「お父さん、僕はプロのダンサーになりたい」。僕が少しかしこまってそう言うと、父はちょっと寂しそうに見えたけど、反対はせずただ「わかった」と言ってくれました。そして「やるならトップになりなさい」と。その言葉で、僕は迷いを完全に吹っ切ることができました。

昭和8年生まれの父は、5歳くらいの時に慰問団に参加し「天才ハーモニカ少年」と噂されて天皇陛下から賞状をいただいたり、貧しくてギターを買えない時代、箒をギター代わりに練習して10代でプロデビューを果たしたりと、才能豊かなミュージシャンでした。兄も中学2年生の時にバッハのピアノ協奏曲を耳コピーだけで完璧に弾いちゃったような人で、僕は心のどこかでずっと「自分は音楽では父や兄に敵わないのでは?」と思っていました。また、音楽関係の現場に行くと、常にあの父の息子、あの兄の弟という目で見られていたのも、じつは結構しんどくて。

でもダンスの世界では、僕はただの僕でした。一つひとつ、自分の行動によって誰かと出会い、チャンスを掴む。「あの人の息子」ではなく、何者でもないただの自分が、余計なフィルターなしでありのままに評価される。そのほうが僕は居心地がよかったし、充実感を得られた。それも、ダンスを選んだ大きな理由のひとつだったように思います。

そうだったのですね……。でも音楽もそうだと思いますが、ダンスを仕事にするのは相当に厳しいことですよね。
そうですね。だからダンスを選んでからは、とにかく川崎先生のレッスンを受けながら、まずは先生から仕事を振ってもらうのを目標にやっていました。僕は小柄だったから、誰よりも高く飛びたい、誰よりもたくさん回りたいと思っていました。昼と夜のレッスンの空き時間、スタジオの留守番係を引き受け、空いている時間はとにかくひとりでずっと練習していましたね。いま思えば、狂ったようにやっていたと思います。
「テクニックはあって当たり前、その上で個性を磨く」。当時自分がダンスと向き合う上で常に念頭に置いていた言葉でした。
そんな下積み生活を続けて2年くらい経った頃、師匠からミュージカルのアンサンブルの仕事をいただけたんです。それが僕のプロデビュー。22歳になったばかりの時でした。
その後は順調に仕事がきましたか?
師匠の川崎先生つながりでいただく仕事とかミュージカルのアンサンブルなどはちょこちょこやらせてもらってはいたものの、20代前半まではそれで食べていけるほどの仕事はなく。あくまでもメインはダンススタジオでのインストラクターで生計を立てていました。いわゆるメジャーアーティストのバックダンサーみたいな大きな仕事をいただくようになったのは、20代後半に入ってからです。

©︎Toru Hasumi

バレエもジャズもヒップホップも踊れるマルチダンサー。そこから世界が広がった

ところでTETSUHARUさんは、バレエやジャズのみならずヒップホップなどストリート系のダンスもマルチに踊り、振付けていますが、そうしたジャンルはどうやって習得したのですか?
ずっとレッスンを受けていたのはバレエとジャズダンスだけで、他のダンスは現場で覚えていった感じですね。ダンスイベント等に出ると、自分とは違うジャンルのダンサーたちがいるから、そこで情報交換したりして。バレエ以外のダンス、つまりジャズとかヒップホップのダンサーって、現場で知り合った人同士でリハーサルの合間にスキルを教え合ったり、互いに連絡を取り合って一緒に練習会をしたりするのがポピュラーなんですよ。だから僕がストリートダンサーの前でバレエの技をやると、「それかっこいいね、どうやるの?」って聞かれることもあって。もちろんちゃんと学ぶならバー・レッスンからきちんとやらないとダメだけど、もともと身体能力が高い人たちだから、いきなり2回転くらいはクルクルっと回ったりする。そしてそれを早速自分のダンススタイルに取り入れたりして、踊りの幅を広げていくんです。僕もそういう感じで、新たなジャンルを覚えては自分なりに研究する、ということを繰り返してきました。
おもしろいですね!
ストリートダンスなんて、いまでこそダンススタジオで習うことが当たり前ですけど、もともとは「レッスンに通う」という習慣がなかったジャンルです。路上で、先輩たちにステップを教わりながら覚えていくというスタイルでした。ジャズダンサーも、アマチュアのうちは一生懸命レッスンを受けるけれど、プロになって仕事が立て込んでくると自分でトレーニングするようになる。もちろん行ける時はレッスンにも行きますけど。
でも、バレエダンサーは違います。プロとして舞台に立ち、人に指導できるくらいノウハウを熟知していても、日々レッスンを受け続けるじゃないですか。自分だけで練習していてもダメで、必ず先生の目で、外から見てもらうことが必要。そこが他のダンスとは決定的に違うし、それだけバレエって繊細なのだと思います。右脚ばかり上げていたら骨盤が歪んでバランスが取りにくくなるとか、敏感にありますしね。だからクラシック・バレエ専門の人が他のダンスを踊っていても、「この人はバレエダンサーだ」とすぐにわかる。そのくらい純度が高くないと成立しないのが、クラシック・バレエというダンスなのだと思います。
そんなバレエをベースに持ちながら多彩なジャンルを踊るTETSUHARUさんは、20代後半、いよいよ活躍の場を広げていくことになるわけですね。
大きな転機が訪れたのは26歳くらいの時。ダンサー同士の横のつながりで、SMAPのバックダンサーの仕事が入ってきたんです。当時、SMAPは毎週月曜日に「SMAP×SMAP」というテレビ番組をやっていて、その中で彼らがパフォーマンスをするたびにダンサーとして呼ばれたし、振付を担当していたサンチェさん(ジャニーズの振付師として有名)のアシスタントをしたことも何度かありました。これが僕にとっては初めての大きな仕事。3年くらい続いたのかな。だから、僕が業界の真ん中に入っていくのは意外と遅かったんですよ。20代の前半から第一線で活躍している後輩もたくさんいたので。

でも確かに、とくに舞台の現場に行くと、ミュージカルの経験もあり、音楽業界の仕事もやっていて、バレエを始め複数のジャンルを踊っていた僕は、ずいぶん重宝がられました。例えばミュージカル作品って振付師が複数いたりするんですけど、名倉加代子先生と上島雪夫先生とサンチェさんが振付に入っていたとして、3人とも知っているダンサーは僕しかいない、みたいなことが多々ありました。

バレエの世界でも、近年はクラシックだけでなくいろいろなジャンル、いろいろな振付家のスタイルを踊りこなせるダンサーが求められるようになっていますが、エンターテインメント界もそうですか?
最近はそうですね。でも2000年代くらいまではまだすごく珍しくて、僕はバレエもジャズもストリートダンスもジャンルレスで踊れるマルチプレイヤーであることが、自分の目標とするスタイルで、それが自身の個性であり強みになると思っていました。とくにバレエテクニックを習得しているジャズダンサーは稀少だったから、冗談で先輩たちに「熊川哲治」(TETSUHARUさんの本名は増田哲治)なんて呼ばれたりしていました(笑)。
そして2000年代後半に入ったあたりから、ダンサーのみならず「振付家」としても、TETSUHARUさんの名前を頻繁に目にするようになります。
年齢で言うと30歳を過ぎたあたりからですね。当時よく振付を提供していたのは、安室奈美恵ちゃんやSMAP、AKB48グループといったアーティストたち。ミュージカルなど舞台作品でも振付として入ることも急速に増えていきました。
まさに、時代のトップスターたちと仕事をしていたわけですね。
ただ、当初自分は「創る仕事」には向いていないと思っていました。そこに喜びが感じられなくて、正直しんどかったです(苦笑)。ところが、ある時兄がくれたアドバイスがきっかけで、180度変わりました。ジャンルは違えど、クリエイターの大先輩。そして僕の資質をよく理解してくれている兄の言葉は本当に刺さりました。
詳しくは省きますが、まず、「自分の直感を信じる」ということ。それから、「自ら想定外の連続が起きるような状況を作ること」。これにはいくつかの条件が必要になりますが、これらを実践することで創作が本当に楽しくなり、いまではしんどさなんてまったくないです(笑)。
向いてないどころかむしろ向いていたんだ、という静かなる確信が湧きました。
さらに2009年あたりからは、振付に加えて「演出」も数多く手掛けるようになりました。
演出の仕事をするなんて考えたこともなかったけれど、僕の個性を見抜いて「挑戦してごらん」と可能性を膨らませてくださったのは、当時所属していた事務所の社長です。いまにして思えば、僕はアーティストのバックダンサーをしていた時から、指示された演出に従いながらも「どうしてこうするのかな? もっとこうしたほうが全体として調和するのに」等と、全体がどう見えるかを考えるクセがありました。与えられたものをしっかりとやり遂げることに集中するのが純粋なダンサー気質だとしたら、それプラス、与えられたものに疑問を持ち、冷静に俯瞰からものを見る目線を持っていた僕は、じつは演出家気質だったのかもしれません。
SMAPやAKBなどの振付やステージ演出を手がけながら、ミュージカル等の舞台でも大活躍。想像を絶する忙しさだったのでは?
2010〜2011年あたりは、本当につらかったですね。文字通り寝る時間がなくて、2日徹夜して4時間だけ仮眠してまた2日徹夜……みたいな生活が当たり前でした。当時は来た仕事に対してとにかくひたすらやる毎日でした。舞台のリハーサルの休憩時間にAKBの振付を作り、SMAPの収録の合間に舞台の演出プランを考える、みたいな毎日。それが数年続いた時、ついに限界が来てしまいました。
自分のための創作活動をする時間がなく、オファーが来てそれに対して創作をするという、いわゆる「お仕事」ばかりしていると「このままでは大好きだったダンスが嫌いになるかも」と思ってしまうことがあるのですが、それとは次元の違う、強烈な波が襲ってきた感覚でした。「すべてにおいて限界。もう無理です……」。精神的にも肉体的にも限界でした。それでいったん、お世話になってきた事務所を辞めて、すべてをリセットしました。エンタメ業界を辞めようと思った時期もありましたが、冷却期間を経て、少しずつ復帰して、以降は現在もフリーの立場で、メンタル的にも自分が無理なくやれる環境を確保しながらやっています。

振付家、演出家としての現在

バレエやコンテンポラリーダンスでは演出と振付を同じ人が手掛けることがほとんどですが、ミュージカルは演出と振付を別の人がやっていることが多い気がします。TETSUHARUさんは、振付だけの場合も演出・振付の両方を担当する場合もありますが、それぞれの場合で感覚は違いますか?
そこは全然違います。演出も振付も自分でやるほうが、シーンの流れをスムーズに作れるというのはありますね。ミュージカルの振付って、まず役者をキラッと輝かせながら、そのナンバーやシーンにふさわしい動きを作るというのが大前提なのですが、振付だけで入る時は、そこに「演出家が求めている画を探る」という工程が1つ増えるんです。自分から出てくるものではない要素をキャッチして表現に落とし込まないといけないから、そのぶん難度は上がる気がします。
いまのお話に少しヒントがあった気がしますが、TETSUHARUさんが振付で大事にしていることは?
誤解される言い方かもしれないけれど、僕は振付なんて何でもいいと思っています。つまり、僕にとって振付家、演出家の主張は、シーンや作品を支える上では大して必要のないもの。また出そうと思って出すと絶対「too much」になる。大事なのは2つです。1つは「そのシーンで言いたいことは何か?」。もう1つは「そのシーンを表現しながらパフォーマーが一番キラッとするものは何か?」。それしかありません。
TETSUHARUさんは振付においても、バレエ、ジャズダンス、各種ストリートダンスなど、様々なジャンルの動きを自在に使っています。例えば「こういうものを表現しようとすると、ついバレエのステップを使っちゃう」というような、傾向やルールはありますか?
何にもないですね……。そもそも僕がどんなものをストックしているのか、自分自身でもわかっていないかもしれない。例えば「あっ、忘れ物をした!」とか「時間を間違えてた!」とか、急に思い出すことがあるじゃないですか。「なぜいまそれを思い出したのかわからないけど、とりあえず思い出せてよかった」みたいな。振付を思い付くって、もしかしたらそういう感覚に近いかもしれません(笑)。
振付家として、あるいは演出家として、TETSUHARUさんがこれから手がけてみたい作品などはありますか?
「こういうのをやったらおもしろいだろうな」とストックしているアイディアがいくつかあるので、それらをいつかやれたらいいなとは思っています。僕は音楽とかダンスとか、言葉を超えた世界が好き。だからもし機会があれば、ストーリーはあってもセリフのない、ノンバーバル作品がいいですね。
5月5日(木祝)、札幌での「高橋竜太スペシャルトークショー」は「振付や演出ってどんな仕事?」がテーマだそうですね。竜太さんとどんな話をしたいですか?
竜太は僕にないものをいっぱい持っているアーティストです。0から1を作るような創作活動をたくさんしているし、身体能力が高く、人間的にも柔らかくて人望がある。20歳のあの日、渋谷のダンキンドーナツで「いつかまたどこかで一緒に」と話したことが、いまこうして実現しているのも嬉しい。アートとエンターテインメント、それぞれの舞台の作り方のことなど、普段僕らが感じていることをみなさんと共有できたらいいなと思っています。

©︎Ballet Channel

TETSUHARU

©︎Toru Hasumi

音楽一家に育ち、幼い頃よりJAZZに親しむ。関東国際高校演劇科、桐朋学園短期大学部演劇専攻卒。15歳でバレエを始め、その後ジャズ、シアター、ストリートダンスなどを学び、オールラウンドのダンサー、振付家として活躍。安室奈美恵、古川雄大、手越祐也、SMAP、Kis-My-Ft2、AKB48、乃木坂46、など数多くのアーティストのMVやコンサート、ミュージカル、映画、ドラマ、CMなど幅広く担当。2009年からは演出家としてのキャリアをスタート。バーチャルキャラクター振付・演出も行う。
主な演出作品:『GQ Gentleman Quality-紳士の品格-』、ブロードウェイミュージカル『IN THE HEIGHTS』、舞台『マラソン』、『#OrbTALK LIVE in CONCERT』など
主な振付作品:『ロミオ&ジュリエット』(初演・再演)、『ロックオペラ・モーツァルト』、『ミュージカル刀剣乱舞 幕末天狼傳(初演)』、『ジョセフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート』など

【Information】

高橋竜太ダンスワークショップDAYs in Sapporo

◎日時
2022年5月4日(水・祝) 基礎・初級クラス 14:00~16:00
2022年5月5日(木・祝) 中級・レパートリークラス 11:00~13:00

◎会場
札幌市教育文化会館 小ホール

◎対象、定員、受講料、申込方法など詳細はこちら

高橋竜太スペシャルトークイベント

◎日時
2022年5月5日(木・祝)15:00開演(予定上演時間 約1時間30分)

◎会場
札幌市教育文化会館 小ホール

◎出演
高橋竜太
TETSUHARU(スペシャルゲスト)

◎チケット料金、申込方法など詳細はこちら

問い合わせ先

札幌市教育文化会館 事業課
TEL 011-271-5822(9時~17時、休館日除く)

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