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【第36回】ウィーンのバレエピアニスト〜滝澤志野の音楽日記〜ミラノ・スカラ座「カルラ・フラッチガラ」

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

ミラノ・スカラ座「カルラ・フラッチガラ」

「これは夢なのだろうか」豪華絢爛なミラノ・スカラ座の天井を見上げながら、私は現実感を感じられずにいました。

スカラ座で2022年4月9日に上演された「カルラ・フラッチガラ」に来ることができたのは、とても幸運なことでした。マニュエル・ルグリ元監督がスカラ座の芸術監督になったのが2020年9月。ウィーンとミラノは近いので、すぐ行けると思っていたのですが、コロナ禍で互いのバレエ団の状況が許さず、ミラノを訪れるまで1年半もかかってしまいました。

バレエ団では基本的に週6勤務なので、シーズン中にウィーンを離れるのは難しいのですが、運よくその日の仕事がキャンセルになったこと、コロナも落ち着きつつあり、私も罹ったばかりで抗体があり、自分の本番もしばらくない。とタイミングが整い、完売していたチケットの戻り券も出た(素晴らしいお席!)ので、前日夜にチケットを手配してミラノに飛びました。ルグリ監督もあたたかく迎えてくれ、突然訪れた再会に涙があふれました。

スカラ座の近く、ガレリアにて

1936年ミラノに生まれ、スカラ座バレエに入団し、イタリアの至宝、伝説の名花としてその名を馳せたカルラ・フラッチ。昨年5月、84歳でその生涯を終えました。彼女の美しく輝かしいバレリーナ人生は多くの人々の胸に残り続けるでしょう。2021年1月、スカラ座の『ジゼル』公演の指導にいらしたライブ映像がスカラ座の公式Youtubeに残されていますが、上品でエレガントで、彼女の当たり役だったジゼルそのままの印象を受けます。亡くなられる4ヵ月前だなんて信じられません。

指先から感情が溢れでてくるような、香るような、そして、儚げで少女のような彼女の一挙手一投足を息を止めて見つめてしまう……。ご病気をされていても、彼女は生涯バレエダンサーとして生きたのでしょう。

スカラ座(左)と路面電車

「カルラ・フラッチガラ」の日、ミラノを走る路面電車の一部が、彼女の写真とイメージカラーの白でラッピングされたそうです。フラッチのお父様がかつてミラノの路面電車の運転手をされていて、スカラ座の前を通るたびに娘を想ってベルを鳴らしていた、というエピソードをルグリ監督が話してくれました。

初めて訪れるスカラ座に胸がときめきます。
パリ、ウィーン、ロンドン、バイエルン、欧州の主要劇場はどの劇場も素晴らしいですが、スカラ座も圧倒的。劇場という場所は、どうしてこんなに心躍るのでしょうね。圧倒的と言えば、ミラノはファッションの本場であり、この日はガラ公演ということで、観客のファッションも大変お洒落で洗練されていて、それはそれは素晴らしかったです。

ちなみに、昔から変わらない、この歴史的なスカラ座のポスターに憧れていて、これを入手するのを楽しみにしていました。額装します!

ガラ公演は、すべて、カルラ・フラッチが踊った演目で構成されています。なので、クラシック演目が中心です。私はルグリ監督のこういうところが大好きです。愛とリスペクトに溢れている。

演目はこちら。
『ジゼル』『エクセルシオール』『シェリ』『ロメオとジュリエット』『メリー・ウィドウ』『くるみ割り人形』『道』『ラ・ペリ』『カチューシャ』『L’Heure Exquise 恍惚の時』『眠れる森の美女』『オネーギン』『シンフォニー in C』

ゲストは、アレッサンドラ・フェリ、ロベルト・ボッレ、マリアネラ・ヌニェス、カーステン・ユング。とっても豪華。

1演目ずつ幕が降り、演目ごとに、その作品を踊るフラッチの舞台写真、稽古写真がスクリーンに映し出され、大きな拍手が贈られます。ミラノの観客にとってはきっとすべてが思い出深く、宝石箱から宝物を取り出して愛でるような時間だったのではないでしょうか。

フラッチの大切な演目『ジゼル』で開幕。フラッチのバレエ人生50年を記念してローラン・プティが振付けた『シェリ』をエマヌエラ・モンタナーリが踊ったのですが、彼女はこの公演をもって引退するそうです。観客の拍手が止んだあとも、舞台裏からダンサーたちの大きな拍手が長く続いていました。『メリー・ウィドウ』と『オネーギン』を踊ったヌニェスとボッレが出てくると舞台上に花が咲いたよう。輝かしい舞台姿でその世界に引き込みます。ベジャール振付『L’Heure Exquise』をユングと踊ったフェリ。彼女の舞台姿をここスカラ座で観ることができるなんて、まったく夢のようです。彼女は私が新国立劇場で働き始めたその年にゲストでジュリエットを踊りにいらしたのですが、バルコニーシーンで第1幕の幕が降りた時の放心した気持ち、休憩時間も席を立てなかったことを昨日のことのように憶えています。舞台芸術は一瞬で消える流れ星のような儚さがありますが、人の心に鮮明に残り続けるものなのですね。今夜彼女が舞台上で紡いだ物語も、私の心に長く残り続けるでしょう。

劇場内にて

さて、ガラの演目で、私が一番楽しみにしていたものがありました。それは『くるみ割り人形』! ヌレエフ版の『くるみ』、ウィーンでは私の担当作品で、ほぼすべての稽古を弾いてきました。ですが、本番は全公演でチェレスタを弾いていたので、チェレスタパートのある第2幕を一度も観たことがないのです! ヌレエフ版が上演されるパリ・オペラ座の舞台を観に行きたくても、年末年始は忙殺されているので遠征不可能。ルグリ監督とずっと一緒に作り上げてきた、自分のライフワークとも言える作品を、彼が指導するスカラ座で初めて観ることができるなんて。バレエピアニスト冥利に尽きますね。第2幕の花のワルツとグラン・パ・ド・ドゥが上演されましたが、ルグリ監督がウィーンでダンサーに指導してきた言葉たちが頭の中を駆け巡り、楽譜の書き込みが浮かんでは消え、音楽もあちこち気になり、そんな自分に苦笑いしながら、初めての『くるみ』生舞台を最高に楽しみました。金平糖の精を踊ったニコレッタ・マンニが素晴らしかったです。彼女のシルヴィアを観てみたいな。ちなみに、スクリーンに映しだされたフラッチの舞台写真は、ヌレエフとのものでした。彼らは同世代だったのですね。

ウィーンでも新国でも弾いてきた『シンフォニー in C』も、スカラ座のダンサー総出演の華やぎを楽しみました。スカラ座は、「インターナショナル」ではなく「ナショナル・カンパニー」だと言います。ダンサーもスタッフもほとんどがイタリア人なのです。それは、バレエ発祥の地であるイタリアの矜持であり、そして日本の歌舞伎のように文化として自然なことなのでしょう。フレスコ画に描かれる天使たちのように美しいイタリア人で構成された『シンフォニー in C』は、春の息吹のように爽やかで、目の保養、心の栄養になりました。美の国イタリア! ウィーンがそうだったように、スカラ座もルグリ監督のもと、これからさらに美しく磨かれ洗練されていくのでしょうね。フラッチ、フェリ、ボッレから現役ダンサーたちに受け継がれていくスカラ座の芸術。また近いうちにスカラ座の舞台を観にくることができますよう、団の将来を楽しみにしたいと思います。

カーテンコール

その夜は、ガレリアのレストランで開かれた出演者や関係者たちの美しいパーティーに呼んでいただき、深夜2時過ぎまでいろんな話に花を咲かせました。コロナでずっと逢えなかった愛しい人たちと再会でき、美しい舞台に触れ、こんな風に楽しく過ごすことができ、本当に夢のような夜でした。枯れていた心にたっぷり水が注がれたようです。新しい出逢いも生まれました。ミラノから新たなストーリーが生まれて続いていく予感がしています。ご縁を大事にします。いつか書ける時がきたらその時に。

ガレリア内のイタリアンレストラン、スカラ座御用達なのですね

1年半ぶりのルグリ監督と

愛しのマリアネラと

今月の1曲

カルラ・フラッチに捧げる1曲を弾きたいと思い、選んだ曲はやっぱり『ジゼル』。ガラでは第2幕冒頭が上演されましたが、フラッチを想って、第1幕のヴァリエーションを弾くことにしました。アダンの曲はシンプルですが、ジゼルの清らかさ、輝きが溢れて美しく、何度弾いても弾き飽きることがありません。

2022年4月20日 滝澤志野

★次回更新は2022年5月20日(金)の予定です

【NEWS】 配信販売スタート!
滝澤志野さんのベストセラー・レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」(ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス)、大好評のvol.1に続き、vol.2&3の配信販売がスタートしました!

★滝澤志野さんのアーティスト情報ページはこちら

New Release!

Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野

ベストセラーCD「ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス」でおなじみ、ウィーン国立バレエ専属ピアニスト・滝澤志野の新シリーズ・レッスンCDが誕生!
バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)

★収録曲など詳細はこちらをご覧ください

 

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

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大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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