上野水香、柄本弾
Photos:Hidemi Seto
2020年10月24・25日、モーリス・ベジャールが東京バレエ団のために振付けた作品『M』が上演される。初演は1993年。そして今回は2010年以来10年ぶりの上演となる。
『M』は、今年没後50年となる作家・三島由紀夫を題材にした作品。だだしそれは三島自身の生涯や、何か特定の著作を描いているのではなく、彼の人生・文学・思想・美学をバレエにしたもの。何かを説明しているわけではなく、ただ目の前で繰り広げられるダンサーたちの動きを自分なりに受け取り、解釈することを楽しめる作品だ。
上野水香、柄本弾
柄本弾
奈良春夏、柄本弾
池本祥真
始まりは三島作品中にたびたび登場する「海」。潮騒の情景から少年ミシマが登場し、彼自身の魂の遍歴をなぞるかのような旅を始めます。少年には4人の分身がつづき、4人目は“死”であることが明らかになります。「鏡子の家」「禁色」「鹿鳴館」「午後の曳航」「金閣寺」…三島の数々の傑作と彼の美学的なモチーフだった“聖セバスチャン”……舞台にはめくるめくイメージが展開し、やがて「憂国」~自決へと緊張に満ちたクライマックスが、そして「海」への回帰が訪れます。 ――NBSウェブサイトより
この『M』に「女」という役で出演する、東京バレエ団プリンシパル 上野水香。
彼女は踊り手のひとりとして、この作品をどのように捉え、感じているのか。
10月半ば、同作の中盤に出てくる「鏡子の家」の場面のリハーサルを終えたところで、話を聞いた。
Interview 上野水香 〜“女”の手がかりを探して〜
『M』に出演するのは3度目です。2005年の上演時には「ローズ」役、前回の2010年には今回と同じ「女」を踊りました。
正直に言うと、10年前に踊った時は、私はこの作品や役のことがまったくつかめていない状態でした。音楽も無機的だし、物語もない。それでいてパ・ド・ドゥはとても難しい。シャープな振付の感じから、ただ「男性に立ち向かっていく強い女性」というくらいのイメージしか持てないまま、とにかく振りを追うだけで精一杯でした。どう踊ればいいのか、本当にわからなかった。
ベジャールさんはなぜ、この「女」という役を作ったのか。――今回はそのことを自分なりに追求して、表現の手掛かりにしたいと思いました。何かヒントが欲しくて読んだのは、三島由紀夫の生涯について書かれた本。三島は男性を愛していたけれど、いっぽうで女性にも惹かれ、結婚もし、その妻と添い遂げています。彼の人生に影響を与えた女性とはどんな人物だったのか。それはやはり心の支えであったり、心身を満たしてくれる存在として、三島のなかで重要な位置を占め続けていたのだと感じられました。
今日リハーサルをしていたのは「鏡子の家」という場面で、ここでの「女」は鏡子なのかもしれないけれど、でもベジャールさんはおそらくこの「女」という役を、特定の誰かとして描いてはいないと思います。ただ三島由紀夫にとって、そして振付家自身にとって、「女」はどうしても必要で、どうしようもなく惹かれてしまう存在。そう理解して、独特なポーズの連なりやパ・ド・ドゥを踊っていると、まだ微かにですが、これまでとは違う感情や人格が自分のなかで動き出しているのを感じます。それをもっともっと追求していきたいという気持ちで、いまは日々リハーサルに臨んでいます。
リハーサルでは主に技術的な面、「もうちょっとこうしたほうがクリーンに見える、綺麗に見える」といったことを中心に教えていただいています。夏に小林十市さんが帰国して指導してくださった時には、ベジャールのスタイルや特有のポジションというものを、あらためて細やかに指導していただきました。例えば両腕を横に広げて肘から先を下に向ける、『ボレロ』などでもおなじみのあの特徴的なポーズは、「横棒を背負って、そこに腕を絡める感じで形作るとうまくいく」など。やはり“ベジャール”を知り抜いている十市さんならではの具体的なアドバイスがいっぱいで、『M』だけでなく他の作品を踊る時のためにも勉強になりました。
そして現在は、初演キャストだった高岸直樹さんと吉岡美佳さんがコーチしてくださっています。今日リハーサルをしていた「鏡子の家」のパ・ド・ドゥについては、全体的にもう少し滑らかに動くように、とアドバイスいただきました。音楽や振付じたいは非常にシャープで、もちろん決めるところはしっかり決めなくてはいけない。でも「決める」ということだけに囚われてしまうと、とても浅薄な表現になってしまうんですね。鋭いポーズとポーズの間のスムーズさとか、粘りを効かせた動きとか、すみずみまで精度高く踊ることがすなわち役の表現につながるのだ、ということを教わっています。私はつい、一つひとつの動きに自分なりの“意味”を持たせたくなってしまうのですが、この作品は振付じたいが表現になっている。だからまずはシンプルに、精確に踊ることで、「女」という存在を浮き立たせたいなと思っています。
左から:高岸直樹、吉岡美佳、上野水香、柄本弾
また、初演から携わり、シの役も踊っていらした飯田宗孝先生からも、ベジャールさんが作品を作る際におっしゃっていた踊りの型やニュアンスについてご指導いただいています。
右から:飯田宗孝、池本祥真
『M』は、とても美しい作品です。とくにラストシーンは、誰の胸にも鮮烈な印象を残すと思います。あの“赤い線”で繋がれていく人物たちは、「女」も含めて、三島の人生を彩った人々なのだと私自身は解釈しています。その場面があまりにも美しいから、やはり踊り終わったあと、そして見終わったあとには、「人生は美しいのだ」と思えるんです。
『M』も含めて、ベジャール作品はバレエを愛する私たちの宝物。それを日本で唯一上演しているのは東京バレエ団ですから、その素晴らしさをきちんと伝えていくのが、私たちダンサーの使命だと思っています。ベジャールには、ベジャールにしかない匂い、薫りがあります。それをぜひ劇場で感じていただけたら嬉しいです。
公演情報
東京バレエ団『M』