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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第37回〉メドーラがガムザッティのソロを踊る?! 謎多き「海賊」の世界

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

🇫🇷

今年の夏は暑くなるのが早いのでしょうか、照りつける日差しに湿気がむわっと立ち上がる、日本の過酷な夏がすでに近づいているように思います。バレエファンのみなさまが、毎年の酷暑をしのぐ方法といえば……照明が落ちた涼しい客席でバレエ鑑賞、もしくは同じく冷房の効いた映画館の大画面で迫力のバレエシネマ鑑賞、あるいは、プリエからじっくりと身体を起こして、センターのグラン・ジュテで気だるさを発散するレッスン、などでしょうか?

さて、今回の連載では、何か夏っぽい作品を取り上げよう……と思ったのですが、特定の季節をはっきり示すバレエ作品は、意外と多くないことに気づきました(《くるみ割り人形》のクリスマスや、《真夏の夜の夢》の夏至くらいでしょうか)。しかし夏といえば海、海といえば海賊。ということで、今回は19世紀のパリ・オペラ座で初演された《海賊》と、そのしっちゃかめっちゃかな音楽構成についてご紹介します。

バレエ「海賊」とは?

《海賊》がオペラ座で初演されたのは、1856年1月23日のこと。台本は、19世紀前半に活躍したイングランドの詩人のジョージ・バイロンによる同名の作品(1814年)をもとに、《ジゼル》の台本を手がけたジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュと、オペラ座バレエのスターダンサーとして活躍したジョゼフ・マジリエが構成しました(マジリエは初演時の振付家でもあります)。

19世紀の文学界におけるロマン主義の影響を受け、異国情緒に満ちた物語が展開されるこの作品、オペラ座では1868年まで継続して上演されていました。しかし、その後はレパートリーから外れ、全幕の上演は行われなくなっています。オペラ座では10年ちょっとしかレパートリーとして保たなかった、というのは、作品のその後の広がりを考えると、ちょっと意外かもしれません。

いっぽう、オペラ座以外のバレエ団では、19世紀以降のロシアを中心にさまざまな版の上演があります。近年では、2007年のラトマンスキー版(ボリショイ・バレエ)、2009年のルジマトフ版(ミハイロフスキー劇場バレエ)、2013年のホームズ版(イングリッシュ・ナショナル・バレエ)、2016年のルグリ版(ウィーン国立バレエ)などが話題になりました。

バレエ音楽作曲のオールスターが参戦! 音楽の変遷

今回の連載で特に注目したいのは、《海賊》の音楽です。1856年のオペラ座での初演時に作曲を担ったのは、《ジゼル》の作曲家でもあるアドルフ・アダン。フランス国立図書館の1部門であるオペラ座図書館には、アダンの手による自筆の楽譜や、初演時に使用されたと思われる手書きのオーケストラ・スコア、オーケストラのパート譜などが所蔵されています。

しかし初演後、改訂上演のたびに、《海賊》にはアダン以外の作曲家による曲がバンバン追加されていきます。最初の変更は、初演からわずか2年後の1858年、チェーザレ・プーニ(《パ・ド・カトル》や《ファラオの娘》の作曲家)による曲の追加でした。続いて1867年には、アダンの弟子のレオ・ドリーブ(《コッペリア》や《シルヴィア》の作曲家)が師の曲に手を入れ、1899年のマリウス・プティパによる改訂の際にはリッカルド・ドリゴ(《フローラの目覚め》や《タリスマン》の作曲家)とリュドヴィク・ミンクス(《ラ・バヤデール》ほかの作曲家)の曲が追加されています。

プーニにドリーブ、ドリゴ、ミンクスといえば、いわゆる古典バレエ作品の音楽を作った、19世紀のバレエに欠かせない作曲家たち。まさにバレエ音楽界のオールスター勢揃い、と言っても過言ではありません。しかし、もともとアダンによって作曲された全幕の音楽がちゃんと揃っているのに、なぜ《海賊》には、別の作曲家たちの曲がやたらと追加されているのでしょうか?

これは19世紀のバレエ上演に「あるある」な習慣で、当時は振付だけでなく音楽の変更に対しても、かなり寛容な考え方がありました。例えば、注目のダンサーがオペラ座デビューや作品の主役デビューなどを飾るさい、そのダンサーのためにヴァリエーションの曲を新しく作ったりすることも、普通に行われていたのです。ロマンティック・バレエの金字塔である《ラ・シルフィード》や《ジゼル》のような作品でも、《ラ・シルフィード》は第1幕のいわゆる「影のパ・ド・トロワ」(マウレル作曲)が初演後に追加されていますし、《ジゼル》の場合は、コンクールでも良く踊られる第1幕の「ジゼルのヴァリエーション」などが初演以降の追加曲です。また、《白鳥の湖》の1895年蘇演にあたって、ドリゴが曲を大幅に改訂し、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」の曲が第1幕から第3幕へ移動したことも、良く知られていますよね。

19世紀ほどではないですが、現代のバレエ上演でも、オーケストラの楽器の使い方(オーケストレーションと言います)の変更や、曲のカットのような変更は、抵抗なく行われています。特にガラ公演などで、作品の一部だけを抜粋して上演する際には、変更が必須になることも。個人的な思い出ですが、私がオーケストラに勤めていたとき、とあるガラ公演で、《眠れる森の美女》の第3幕で踊られるオーロラ姫とデジレ王子のパ・ド・ドゥの楽譜を、抜粋で準備する機会がありました。その際、このパ・ド・ドゥの前奏部分は全幕版をそのまま演奏すると長いため、カットして演奏して欲しいというご依頼付きでした。それ自体は珍しいことではないのですが、カットの仕方はバレエ団さんやプロダクションの習慣によってさまざま。詳しい変更内容を伺う前に、簡単な説明として「長いバージョンの短いののちょっと長いやつです」と言われ、頭の中が「?」だらけになったことがあります(笑)。

《海賊》に《ラ・バヤデール》のガムザッティが登場?!

ところで、バレエファンのみなさまにとって、《海賊》と聞いて頭に浮かぶのは、全幕のバレエ作品と、ガラなどで踊られるパ・ド・ドゥのどちらでしょうか? 観る機会が圧倒的に多いのは、おそらく後者のパ・ド・ドゥのほうかと思います。このパ・ド・ドゥ部分、《海賊》が全幕上演される際には、メドーラとコンラッド、アリの3人で踊るパ・ド・トロワになったり、そもそも作品に組み込まれなかったりしますよね。このパ・ド・ドゥの音楽に関しても、一筋縄ではいかない混乱が見られます。

パ・ド・ドゥの音楽自体はドリゴの作曲によるもので、1899年のプティパ版制作の際に追加されましたが、今日、メドーラが踊るヴァリアシオンの曲は、時と場合によってさまざま。ドリゴが作ったもともとの曲以外にも、複数の曲が「メドーラのヴァリアシオン」として用いられているのが現状です。そのうちの一つが、ミンクス作曲の《ラ・バヤデール》第2幕で、ガムザッティとソロルが踊るパ・ド・ドゥから抜粋された、ガムザッティのヴァリアシオンの曲です。

この曲を初めて「メドーラのヴァリアシオン」として聴いた時には、え、《海賊》にガムザッティ? ニキヤの怒りで寺院が崩壊したあとに、生き残ったガムザッティが、新たな嫁ぎ先探しとしてトルコの洞窟に来ちゃった? と、衝撃でした(それくらいのバイタリティはありそうな姫ですが)。

このように、「一つの作品としての決まった形がない」のが、バレエ音楽の複雑かつ難しいところ。ですが、同時にそれは、音楽にこだわる鑑賞者にとって追求しがいのあるポイントでもあります。今度見るあの古典作品は、どんな違いがあるのか。あのヴァリエーションはどちらの曲で踊られるのか。そもそも、初演時の音楽ってどんな感じだったの? など、踊り以外の要素でも楽しめるのが、総合芸術たるバレエの魅力なのではないでしょうか。

参考資料

F-Pn : MS-2632. Le Corsaire. Musique manuscrite autographe. 1855.

F-Po : IFN-52514999. “Le Corsaire”. Ballet-pantomime en 3 actes et 5 tableaux, musique d’Adolphe Adam, livret de Saint-Georges, chorégraphie de Mazilier. Création à l’Opéra de la rue Le Peletier le 23 janvier 1856. Partition d’orchestre manuscrite.

F-Po : MAT 19 [1856. Le Corsaire // 1er acte [Musique manuscrite]. Matériel d’orchestre, 1856-1863.

永井玉藻、2022。「バレエ楽曲における弦楽器独奏――《ジゼル》第2幕とクレティアン・ユランの場合――」『武蔵野音楽大学研究紀要』第53号、武蔵野音楽大学、pp.46-62.

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この記事を書いた人 このライターの記事一覧

1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

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