©Kiyonori Hasegawa
2024年2月、4年ぶりにパリ・オペラ座バレエが来日し、ルドルフ・ヌレエフ版『白鳥の湖』とケネス・マクミラン振付の『マノン』の2作品を上演しました。
同団は2022年にジョゼ・マルティネスが芸術監督に就任して以来新たに4名のエトワールを任命。スジェからプルミエール・ダンスールの昇級試験を撤廃するなど、改革を続けています。
今回のパリ・オペラ座来日公演期間中、3名のダンサーを取材。
第3回は2023年10月にコリフェに昇級したパティントン・エリザベス・正子のインタビューをお届けします。
Interview #3
パティントン・エリザベス・正子
Elizabeth Masako Partington
コリフェ
©Ballet Channel
- まずはプロのダンサーになるまでのことを聞かせてください。バレエを始めたきっかけは?
- 仲良しの姉がバレエをやっていたのがきっかけです。当時は、「お姉ちゃんと同じことをやりたい!」という時期だったので、母にお願いして、3歳でバレエを始めました。
もともと運動神経が良いほうで、身体を動かすのが大好きな子どもでした。学校の授業でも体育がいちばん好き。だからバレエのほかにも、柔道やサッカー、スイミングも習っていたんですよ。サッカーは7歳まで、スイミングは少し長く。それがだんだんとバレエ一本になりました。
- いつ頃からプロのダンサーになりたいと思うようになりましたか?
- コンクールに挑戦していた姉の影響で、私も小さい頃から出場していました。大きな転機は8歳の時。パリ・オペラ座バレエの日本公演で、『天井桟敷の人々』が上演されました。この作品は、いまのオペラ座の芸術監督を務めているジョゼ・マルティネスが作ったバレエ。私はその子役オーディションに受かって、オペラ座のダンサーたちと踊るチャンスに恵まれたんです。その経験を通して、バレエを仕事にできると実感したし、「オペラ座に入りたい」と強く思うようになりました。今こうしてジョゼが率いるオペラ座で踊ることができて、とても不思議な気持ちです。人生っておもしろいなと思います。
- 今まで続けてきて、バレエを嫌いになったことはありましたか?
- 大変なことはたくさんありましたが、バレエを嫌いになったことはありません。私はチャレンジが好きで、難しいものに夢中になるタイプ。だからこそバレエをやり続けているのだと思います。
- パリ・オペラ座バレエ学校時代に、プティ・ペールやプティット・メールだった方は?
- プティ・ペールはカール・パケットさん。とても優しい方で、 学校の試験の前は「頑張ってね」とメッセージを送ってくださいました。いまでもたまにお話ししています。プティット・メールはアリス・カトネさん。日本公演の『白鳥の湖』で4羽の白鳥を踊っていた方です。彼女はさっぱりとした性格で、とてもポジティブ。おふたりにいつも元気をもらっています。
- エリザベスさんはオペラ座に入団するまでに5回の試験を受けたと聞きましたが、その経緯を少し詳しく教えてください。
- パリ・オペラ座バレエ学校の最終学年は、18歳になるまでやり直せます。私は2年間最終学年に在籍して、内部試験を2回、外部試験を2回の4回挑戦しました。例年でも、入団試験は10人ほどの生徒のうち2・3人しか合格できない狭き門。最初の年はたった1人しか入れませんでした。私は4回目の最後の外部試験で2位になり、1年間短期の契約で踊りました。その後に受けた、2023年7月の外部試験の結果は1位。5回目のチャレンジでついに正規の契約で入団できることになって、とても嬉しかった! ここまでやり続けて本当によかったと感じました。 振り返ると、5回ってたくさん挑戦したほうだと思うんですが(笑)。オペラ座のダンサーには5回以上挑戦した人もいるし、いま活躍している先輩方のなかにも「私なんて7回受けたから」と言って励ましてくれる人もいて心強いです。
- エリザベスさんは2023年10月にカドリーユからコリフェに昇級しました。
- カドリーユになった3ヵ月後に昇級できるなんて信じられませんでした。きっと、入団試験に挑戦した2年間で自分の踊りを見直したのが昇級にも繋がったのだと思います。だからこの2年間を時間の無駄とは感じていないし、まったく後悔していません。もし1年目で入団できたとしても、自分の踊りを見直さなかったら、昇級できていなかったかもしれないと思います。
- 具体的にどんなことを見直しましたか?
- 新しい先生について、バーから個人レッスンを受けました。とくに細かく見ていただいたのは、疲れにくい筋肉の使い方、舞台上での表現の仕方。本番でも自分のいちばん自然な状態を見せられるようにと、表現力を磨いて、メンタルトレーニングを行いました。先生が仰っていたのは、「どういう自分を見せたいかがちゃんとわかっていないと、舞台上で表現できない」ということでした。よく外部コンクールや昇級試験を見ていると、目を奪われるダンサーがいるんです。そういう人は、自分が誰かをわかっていて、ありのままの姿で踊っているように見えます。
- カドリーユとコリフェの違いはどんなところにありますか?
- 大きな違いは、本番の舞台で必ず踊れるかどうか。たとえばカドリーユで入団したばかりだと、『白鳥の湖』では24羽の白鳥たちの代役や第3幕のキャラクターの代役になるので、公演期間の半分しか踊れないこともあります。カドリーユは、毎日舞台に立てるというわけではないんです。
コリフェになると、24羽の白鳥たちを踊りつつ、4羽の白鳥などの役もいただきます。コール・ド・バレエではあるのですが、舞台で必ず踊ることが保証されています。
2023年12月と2024年1月にバスティーユ劇場で上演された『くるみ割り人形』では、2・3日だけパ・ド・トロワ(あし笛)を踊らせていただきました。少しずつ踊れる役が増えていくのをとても嬉しく感じています。
- これまで踊ったなかで、思い入れのある作品は?
- 私はやっぱり、『白鳥の湖』が好きです。とくに白鳥の美しいポール・ド・ブラが好きで、とても綺麗な作品だと思います。
この作品は私にとってターニングポイントにもなりました。2023年の6・7月にバスティーユ劇場で上演された時は、まだ短期契約。『白鳥の湖』は大作バレエで公演回数も多く、コール・ド・バレエも24人必要な上にローテーションの役もあったので、短期契約でもたくさん舞台に立つことができました。開演2時間前に「ここ踊って」と電話が来て、急きょ出演することも。2時間前はまだ余裕があるほうで、幕が上がる2分前に言われるダンサーもいて、慌ただしい公演でした(笑)。この作品を経験することで、24羽の白鳥でさまざまな場所を踊ったり、急な代役にも対応したりと、“私はできる”ということを見せられたのかなと思っています。
- 日本公演の『白鳥の湖』でもコール・ド・バレエが美しく揃っていましたが、なにか秘訣はありますか?
- リハーサル量も多いけれど、とにかく細かい指導を受けるんですよ(笑)。
たとえば、コール・ド・バレエで並ぶときの目印になるリノリウムに引かれた線。「この振付は、センターラインから3本目の30%のところに立って」ときっちり言われるんです。どういう意味なんだろうと一瞬考えて、線と線の間を10等分して3:7に分かれるところか!と気づきました(笑)。ほかにも、「線と線の5分の1まで出て」というようにフォーメーションや間隔の取り方を細かく指導されます。
白鳥のコール・ド・バレエは原則として、先頭のダンサーに必ず合わせなければいけません。もし先頭のダンサーが少しでも線から外れていたら、必ずみんな外れて踊ります。いつもお客様に分からないように横目で確認しながら踊っているのですが、ダンサーどうしでも揃えるぞ!という気迫を感じます。
©Kiyonori Hasegawa
- 今後踊ってみたい作品や役柄はありますか。
- あまり考えたことはないかもしれません。私はどの作品が来ても、どの役をいただいても踊れるようにしたいので、作品に対して先入観を持たないようにしています。
- じつは『白鳥の湖』も踊ってみてはじめて好きになった作品でした。踊りたいバレエはたくさんあるのですが、まずはいただいた役を一つひとつ丁寧に踊っていきたいです。
- どんなオペラ座のダンサーになりたいですか?
- オペラ座スタイルの魅力は、指先まで綺麗で、踊りがジムナスティックじゃないところ。芸術としてバレエを踊るのが素敵だと感じています。
入団試験のためのレッスンをしてくださった先生が、「テクニックと表現は、50%ずつ。テクニックがあるから笑顔を見せるだけでいい、というわけじゃないんだよ」と教えてくださいました。物語を伝えるためにもっと表現力を磨いて、観てくださる方の心に響くような踊りを届けたいです。
- オペラ座で仕事をしていて、 “オペラ座あるある”だと思うことはなんですか?
- オペラ座のダンサーといえば、走り回っている(笑)。
ガルニエって迷路なんですよ。30分休憩があっても、スタジオから楽屋に行くのに少なくとも5分ぐらいはかかるんですよね。リハーサルに間に合わないダンサーがいて、「どこにいるの?」とミストレスが電話すると、「いま、エレベーターの順番待ちで止まってて……」みたいなことがよく起こります。みんなでエレベーターに乗り込んでドアが閉まらない時は、「ドアから離れて!」と声をかけ合ってぎゅうぎゅう詰めになっています。
- オペラ座のダンサーのみなさんがガルニエの中を走り回っているのは、少し意外でした。
- スタジオどうしの距離が離れていて、階段も多いんです。まずは1階から4階まで移動し、廊下を渡ってから階段を上がり、もうひとつの廊下を渡って、さらに階段を上がってようやく最上階のスタジオへ。到着する頃にはウォームアップが半分できてしまうほど。
15時に終わるリハーサルから、別のスタジオで15時から始まるリハーサルにどうやって移動するのか?なんて問題もたまに起こります。移動時間のやりくりは大変ですが、おもしろいオペラ座あるあるかもしれません。
あともう一つ。オペラ座のダンサーはみんな日本が大好きです。今年日本ツアーがあると聞いて、「『白鳥の湖』がいい!」と言いに行く人が大勢いました。なぜかというと、『白鳥の湖』は出演者の数が多いので、たくさんのダンサーが日本に行けるから。みんなとても日本が好きで、3日間のお休みも新幹線やバスで、京都や日光に行く人たちもいました。公演が終わってもパリに帰りたくないとずっと言っていました(笑)。
- 最後に、プロのダンサーを目指している子どもたちに向けてメッセージをお願いします。
- とにかくやりたいなら、やる。バレエを続けていくのは大変だし、もし海外のカンパニーを目指すなら、ひとりで海外に留学する時期もあって怖いと思います。でも、やりたいことに挑戦しているなら、絶対に大丈夫。バレエができて嬉しいという気持ちが湧いてくるから、壁にぶつかっても乗り越えられるし、環境の変化にもだんだん慣れていきます。本当にやりたいと思うなら、後悔のないように思いきって飛び込んでみてほしいです。
私の両親はとても協力的で、ほんとうにラッキーでした。11歳の時にフランスに送り出してくれましたが、もしダメだと言われていたら諦めていたかもしれません。バレエ学校のオーディションでは、母と叔母がパリまで一緒に来てくれました。そんな風に「やってごらん」と背中を押してくれる人に囲まれたほうが、勇気が出ると思います。
バレエが難しいのは当然。できないパがたくさんあっても、やり続ければいつかできるようになります。 私は3歳から続けてきて、オペラ座に4回入れなかったところから自分を見つめ直しました。だから17・18歳でまた一からバレエを覚えたような気持ち。本気で向き合うのはいつからでも遅くないので、いまがチャンスだと思って頑張ってほしいです。
©Ballet Channel
- パティントン・エリザベス・正子 Elizabeth Masako Partington
- 神奈川県出身。3歳でバレエを始め、11歳でパリ・オペラ座バレエ学校に合格し、12歳で入学。5回の入団試験を経て、2023年7月にカドリーユとしてパリ・オペラ座バレエに入団。同年10月にコリフェに昇級。