愛知県芸術劇場とDance Base Yokohama(DaBY)による共同製作プロジェクトから生まれたダンス公演が、2023年8月、東京・愛知・福岡の3都市で上演されます。
作品は、イギリスの小説家サマセット・モームの短編小説「雨」から着想を得て創作された『Rain』。2023年3月に愛知県芸術劇場で初演され、ダンス界のみならず他の芸術ジャンルからも注目を集めました。
演出・振付を担当するのは、DaBYアソシエイトコレオグラファーとして国内外で振付作品を多数上演する鈴木竜。舞台美術は大規模個展の開催や国際展への参加などグローバルに活動する現代美術作家の大巻伸嗣、音楽は先鋭的な作品で注目を集めるサウンドアーティストの evalaが手がけることも話題の舞台です。
また、メインキャストには新国立劇場バレエ団プリンシパルの米沢唯を迎え、クラシック・バレエやストリート・ダンスなど様々なジャンルで活躍する選りすぐりのダンサーたちが共演。各ジャンルの気鋭のアーティストたちが集い、舞踊・美術・音楽が三位一体となったスペクタクルを見せます。
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
- Story
- 原作は、イギリスの小説家・劇作家のサマセット・モームが1921年に発表した短編小説「雨」。感染症により南の島に閉じ込められた医師(デイヴィッドソン)と宣教師夫妻たちが宿泊先で出会ったのは、品性下劣で信仰心のないひとりの女性(トムソン)だった。雨が降りしきる閉鎖空間で過ごすなか、それぞれの人物の価値観の違いから生まれる心情や軋轢、そして予想外の結末が描かれるーー。
2023年8月4日(金)〜6日(日)の東京公演(新国立劇場 小劇場)開幕を前に、出演者の米沢唯さんとプロデューサーの唐津絵理さんによる特別対談をお届けします。
※この対談は2023年7月1日に行われたものです
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“キャスティングのきっかけは、唯さんの踊る『マノン』でした”(唐津)
唐津 2023年3月に愛知県芸術劇場で世界初演された『Rain』。この8月の再演ではパートナーや共演メンバーも変わりますが、リハーサルが始まっての感想は?
米沢 メンバーが違うだけでこんなに違うんだなと。あとは、忘れている部分と自分の身体が覚えている部分と両方あって、それがとても面白かったです。自分の中でここは覚えてるんだとか、ここは全然覚えてないなとか。
唐津 とくに鮮明に覚えていたのはどんなところですか?
米沢 初演の時、吉﨑裕哉さん(*)と踊ったデュエットがすごく好きだったんです。お互いの目が合ってじっとしていた時間とか、駆け引きをしていた「間(ま)」の時間とか。それは本番になってから自然と生まれた間で、そういう時間のことをとてもよく覚えています。
*初演キャスト。今回の上演では同役を中川賢が踊る
唐津 動きそのものというより、一緒に踊ることで生まれた感情みたいなものを覚えていた?
米沢 はい。でも相手が変わればその間(ま)も変わってくるので、今回はまた全然違うふうに作っていけたらと思っています。
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
唐津 サマセット・モームの「雨」をダンス作品にする構想は、じつは5年くらい前からありました。メインキャラクターであるトムソンの役はどんな人が良いか……それをずっと考えていて、いろんなダンサーの顔が思い浮かぶけれども、なかなかピタリと合う人はいなかった。そんな時に観たのが2020年2月、新国立劇場バレエ団の『マノン』でした。タイトルロールを踊る唯さんを観て、「トムソン役は米沢唯さんが良いかもしれない」と思ったのです。
そしてまさにその直後に、コロナ・パンデミックが起こりました。「雨」はまさに感染症が流行したことから起こる物語ですから、そこでこの作品を創るリアリティが生まれました。
米沢 私にとっては、自分が中学生や高校生だった頃から知っている唐津絵理さんと仕事をするということが、いちばんのポイントでした。絵理さんが企画してくださったものをたくさん観て育ちましたし、高校生の時にはオーディションで偉大なアーティストたち(H・アール・カオスの大島早紀子、アレッシオ・シルベストリン、笠井叡など)と一緒に舞台に立つ機会を得られたのも、絵理さんのおかげでした。ですからこうしてプロになって、絵理さんとお仕事できるということは、私にとってすごく大きいことでした。
唐津 ありがとうございます。大変光栄です。今回のクリエイションはモームの本読みから始まって、唯さんもその段階から参加されましたね。
米沢 本読みなど企画の段階から参加するのは、今回が本当に初めての経験でした。作品が「ゼロ」どころか「マイナス」くらいの状態から出来上がっていく。その過程に参加できたので、舞台の初日が明けた時はとても感慨深いものがありました。
唐津 企画として始まったのは確か2021年でしたから、2年ほど経たことになりますね。
米沢 長い時間をかけて関わってきたものが、こうして幕を開けるんだ……って。ただ踊るだけでなく、自分なりに考えて、意見を言って、それが反映されて作品が変わっていく。作品とはこうして出来上がっていくのだということを目の当たりにして、すごく良い体験になりました。
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
“トムソンは、私にとって最も役作りが難しいタイプの役”(米沢)
唐津 『Rain』は、モームの「雨」のストーリーを単純になぞるのではなくて、どういった要素をフォーカスして表現するのかを考えながら創っていった作品です。そのプロセスでは唯さんにもいろいろな意見を出していただきましたが、ご自身としては本作をどのようにして捉えていったのでしょうか?
米沢 最初は自分がトムソンを演じるのかどうかもわからない状態から始まりました。そこから、私たちダンサーと振付家で話し合いながらクリエイションをしていくというプロセスだったのですが、やはり最初はものすごく不安でしたね。何しろわからないことが多くて、暗闇の中で手探りしているような感じ。作品を捉える糸口がなかなか見つからなくて、本当にこれで大丈夫だろうか? と。最終的にトムソン役と決まってからも、自分はトムソンとして存在できているだろうか? 作品の中心を支える人物として、私はちゃんと立てているだろうか?……そういう不安が続きました。
唐津 キャスティングの段階ではトムソンと唯さんを重ねていたのですが、作品のリサーチをした丹羽青人さんや「雨」をダンス作品にしたいと提案してくれた共同プロデューサーの勝見博光さん等とみんなで本読みをしている中で、「役柄を定めないほうがよいのでは?」「別の人物の視点から描いたらどうだろう?」など、かなり紆余曲折がありましたからね。
米沢 トムソンが「娼婦」であることも大きかったです。私にとっては役作りがいちばん難しいタイプの役柄なので。娼婦ってなんだろう? とあらためて考えましたし、『Rain』の中のトムソンは、日本の娼婦とも、原作が書かれた時代のヨーロッパの娼婦とも違います。それをどうやって演じていこう? と。
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
唐津 じつは私も心配はしていました。唯さんはしっかり役作りをする方なのに、本番1週間くらい前まで、その役が未だ掴めずにいるように見えたから。ところがDaBYで最後から2回目くらいのリハーサルをした時、すごく変わったんですよね。全然違う存在になっていて、何というか、自信を持ってやっている感じがあって。その時に「何かつかめた感じがする」とおっしゃったのを聞いて、「ああ、これでもう大丈夫だ」と思ったんです。
米沢 大きな手がかりになったのは、デイヴィッドソンとのパ・ド・ドゥだった気がします。自分ひとりで役作りをしたわけではなくて、他者である男性との関係によってトムソンが立ち上がっていった。そういう感覚がありました。
唐津 トムソンとデイヴィッドソンの間にはある種の共依存的な関係がありますから、その役柄が踊る側にも投影されるのでしょうね。
“共演するダンサーたちには、自分から作品を変えていく強さがある”(米沢)
唐津 振付の鈴木竜さんと仕事をしてみていかがですか?
米沢 まず、DaBYでのクリエイションに参加するようになってから、自分がどう思っているのか、どういうものを創りたいのか、自分の意見として発言することを要求されるようになりました。自分はどうしたいのかを、自分で発信すること。私はこれまで、喋るよりも動いて見せることのほうが多くて、言葉はあまり使ってきませんでした。でもここでは言葉を使ってコミュニケーションをして、「私はこう思う」と発言することが常に求められています。
そしてその発言を、竜さんがきちんと聞いてくださる。かつ「自分はそうは思わない」ということもちゃんと言ってくださるので、コミュニケーションが取りやすいんです。今回再演のリハーサル始まって、竜さんの中でも「こういうものを創りたい」ということがより明確になり、パワーアップされているのも感じます。ですからより面白いものができそうだなという感じがしています。
唐津 動きについてはどうですか? これまでにもいろいろな動きを経験されているとはいえ、やはりクラシック・バレエをベースとしたムーヴメントが多かったと思います。その意味で言うと、竜さんの動きは難しいですか?
米沢 難しいけれど、竜さんが私に合わせてくださっている感じがします。ですから、踊っていて身体に負担や痛みを感じることはありません。そして竜さん自身が素晴らしいダンサーなので、動いて見せてくださる時の情報量がすごい。今回デイヴィッドソンとしてパートナーを組む(中川)賢さんもスーパーダンサー。ふたりの動きを見ているだけでも「なるほど!」って、言葉を連ねる以上にキャッチできるものがたくさんあるので楽しいです。
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
唐津 『Rain』の美術についてはどう感じますか?
米沢 大好きです。この作品は美術と照明が支えている部分も大きいですよね。他の人が踊っている時に正面から見てみたりもしたのですが、スケールが大きくて、美しい。そして美術そのものにもいろいろな表情を感じます。雨にも見えて、壁にも見えて……できることならお客様にもあのセットに入ってみてほしいと思うくらい、内側から見ても美しいんですよ。上から光が当たると、床に雨の影ができて。
唐津 そのいっぽうで、美術によって制約を感じませんか?
米沢 美術が強いぶん、苦労することは多いです。とくに、汗をかくと身体にまとわりついてきてしまうので。絡みついた紐を踊りながらどう外していくかなど、何回も竜さんと話し合ったり、ダンサー同士で捌き方を研究したりしました。
唐津 あの無数の紐がまとわりつく感じが、雨がまとわりついてくるように感じられる。そして身体の感覚や踊り方が変わる。そんなふうに美術によって身体や動きに変化がもたらされることも、じつはこの作品の狙いのひとつでもあります。
米沢 実際に踊っていて、美術も振付の一環みたいに感じます。
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
唐津 音楽はどうですか? 最初は既成の音楽を使っていたのですが、途中から音楽家のevalaさんに参加していただいて、全編オリジナルの音楽に変わりました。
米沢 音が立体的。いろいろな方向から音が聞こえるということではなくて、音楽の中に自分たちが入っている感じがします。どこから聞こえてくるわけでもなく音楽がある、という感覚です。そして雨の音を入れているわけでもないのに、雨の音に聞こえる音楽であり、不穏なのか美しいのかもわからないし、美しいのか醜いのかもわからない、何とも形容し難い音楽でもあります。私はふだんクラシック音楽で踊ることが多いのですが、この音楽はカウントでは数えられなくて、身体で感じ取るしかありません。回数を重ねて、曲と自分が一体にならないと踊れない。まるでパートナーと一緒に踊るように、音楽と共に踊る感覚ですね。それはそれでとても面白いです。
唐津 共演する他のダンサーについても聞かせてください。
米沢 みなさんのことも、本当に毎回感動しながら見ています。リハーサルへの真剣さ、真摯な姿勢。自分のダンスに対してプライドを持って踊っていて、「ここにいる」という感じがする。ダンサーはそうでなくてはいけないなと、刺激をいただいています。バレエ団では、すべてが守られている反面、どこか受け身だったのではないかと反省しました。『Rain』のダンサーたちを見ていると、自分から関わって作品を変えていく強さがあります。彼らが踊っている時のいきいきした姿を見るのもすごく好きです。
唐津 それは、彼らがバレエダンサーとは違う環境にあるからかもしれませんね。自分から踊る場所を求めて、自分から作品に関わろうとしない限り、居場所を作ることができない。そういうフリーランスのダンサーたちの思いが、あの姿勢の根底にはあるのだろうと思います。例えばヨーロッパのダンスカンパニーの状況がうらやましいという声をよく聞きますが、いっぽうで「彼らはサラリーマンダンサーじゃないか」と言う声もあります。ダンサーはしっかりと守られて、対価を支払われるべきだけれど、それに安住してただのルーティーンみたいな踊りになってしまうことだってあるわけです。その意味では、いまDaBYに関わってくれているダンサーたちは、非常にアグレッシブで貪欲な人たちだと思います。
米沢 自分の裁量で生きている感じがとても格好良いです。
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
唐津 クリエイションの過程で、みんなが自分の意見をどんどん出していく様子に驚きませんでしたか?
米沢 最初はすごくびっくりしましたね。「私はどうしたらいいんだろう?」って。
唐津 でも、唯さんも少しずつ自分が思っていることを発言するようになっていきましたね。
米沢 自分が納得できる作品を踊るには、自分でしっかり意見を言っていかなきゃダメだなと思ったので。でも、みんな自分の意見を言いながら、相手の意見も聞けるし妥協もできる。そういう精神的に大人な人たちばかりで、とても仕事がしやすかったです。
“米沢唯というダンサーは「舞踏的」だと感じます”(唐津)
唐津 今年の4月末から5月初旬にかけて上演された新国立劇場バレエ団『マクベス』で、唯さんはマクベス夫人を演じましたね。あの役は非常に強く、悪女的な存在で、『Rain』に通じるような役柄だったと思います。例えばそのような役柄を踊る時に、『Rain』での経験が生かされたことは?
米沢 あまり意識的に考えたわけではありませんが、体験したことが身体に積み重なって、その身体を持って次に行くと、何かが変わる。そんなふうには感じています。だから、ダンサーはどんな作品に出会うかがすごく大事。その作品が全部その人の身体になっていくから、良い作品に出会って、良い舞台を経験することが大切だと思っています。
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
唐津 6月の『白鳥の湖』も素晴らしかったです。唯さんは本当に鳥のようだった。化身というか、「演じる」というよりも「そのものとしてある」という印象を受けました。もちろんいろいろなダンサー、いろいろな解釈があって、どれが正解ということはないけれど、唯さんの場合は本当にそのものになれる。言い方はおかしいかもしれませんが「舞踏的」だと感じますし、帰依的なあり方をする稀有なバレエダンサーだと思いました。先日、「コンテンポラリーを踊ったから、クラシックがまた面白く味わえた」と話していましたが、そこについて少し詳しく聞かせていただけますか?
米沢 クラシックではポワントでバランスをとったり回転したりするので、垂直な軸が大事です。いっぽうコンテンポラリーではその軸を下や横や斜めなどに崩していくわけですが、そうすると私の身体にも心にも、「余白」が生まれていく感じがするんです。そしてその余白が大きくなればなるほど、クラシックの踊りに色をつけていけるような感覚があります。以前は手が届かなかったところに、少しだけ届くようになった気がするというか。もちろんコンテンポラリーダンスを踊ったあと、再びクラシックを踊るために軸を戻すのは大変なことではありますけれど、それは私の仕事なので。だから、怖がらずにやりたいと思います。いろいろな挑戦をして、余白をどんどん増やしていかなくては。
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
唐津 『Rain』再演に向けて、自分の中でやってみたいことはありますか?
米沢 今回新たにパートナーを組む賢さんのシャープなエネルギーがすごく心地よかったので、前回とはまったく違う踊りをして、新しい作品を創れたら。初演時のことにはあまりこだわらず、新たな挑戦をしたいです。
唐津 最後に、観に来てくださるみなさんにメッセージを。
米沢 今回はまた新たな一歩。少し不安になることもありますけれど、精一杯自分の力を尽くして、良い舞台にしていきます。ぜひお楽しみください!
『Rain』2023年3月の愛知公演より ©︎Naoshi HATORI 提供:愛知県芸術劇場
公演情報
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振付・演出:鈴木竜(Dance Base Yokohama)
舞台美術:大巻伸嗣
音楽:evala
出演:米沢唯(新国立劇場バレエ団)、中川賢、木ノ内乃々*、Geoffroy Poplawski、土本花*、戸田祈*、畠中真濃*、山田怜央
*DaBYレジデンスダンサー
プロデュース:唐津絵理(愛知県芸術劇場/Dance Base Yokohama)
勝見博光(Dance Base Yokohama)
プロダクションマネージャー:世古口善徳(愛知県芸術劇場)
照明ディレクター、デザイン:髙田政義(RYU)
照明オペレーター、デザイン:上田剛(RYU)
音響:久保二朗(ACOUSTIC FIELD)
舞台監督:川上大二郎(スケラボ)、守山真利恵
舞台監督助手:峯健(愛知県芸術劇場)
舞台:(株)ステージワークURAK
衣裳:渡辺慎也
リサーチ・構成:丹羽青人(Dance Base Yokohama)
振付アシスタント:堀川七菜(DaBYレジデンスダンサー)
制作:宮久保真紀、田中希、神村結花(Dance Base Yokohama)
票券:三五さやか[東京]
企画・共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場