文/海野 敏(東洋大学教授)
第25回 パ・ド・ブーレ(2)
■パ・ド・ブーレが表現するもの
種類の多い「パ・ド・ブーレ」の中でも、ポアントで小刻みに足踏みを繰り返して移動する「パ・ド・ブーレ・クーリュ」(pas des bourrée couru)に焦点を絞って紹介しています。今回も、ポアントでのパ・ド・ブーレ・クーリュを「パ・ド・ブーレ」と呼ぶことにします。
前回、パ・ド・ブーレは古典作品の振付で、妖精や精霊が空中に浮かんで漂うような感じや、白鳥が波間に漂う感じ、あるいは水上を進む感じを表現するために用いられていることを説明しました。しかし、パ・ド・ブーレが表現するものは、このような「浮遊感」だけではありません。
パ・ド・ブーレは、例えば「人形の動き」、「優雅な雰囲気」、「不安定な心情」などを表現するために用いられています。次節で具体的な作品を紹介しますが、その前に、舞台上での身体動作による表現について、少しだけ補足をしておきます。
あるバレエの動きが舞台上で表現するものは、実際には多義的、多層的です。言うまでもありませんが、一つの動きに一つの意味が対応しているわけではありません。例えば『白鳥の湖』の第2幕で、湖畔のオデットがパ・ド・ブーレで移動するとき、それは白鳥の浮遊感を表現すると同時に、ロットバルトに操られた人形のような動きを表現することも、オデットの優雅な身のこなしを表現することも、彼女の不安な気持ちを表現することもあります。バレエには台詞がないため、一つのステップに、言葉に変換できない無数のニュアンスを込めることができるのです(注1)。
■人形の動き
パ・ド・ブーレは、つま先立ちで小刻みに脚を動かして移動することによって、人形のちょこまかとした動き、機械仕掛けの感じを表すことがあります。その代表は、人形の名前がタイトルになっている『コッペリア』でしょうか。『コッペリア』の第2幕では、人形に変装したスワニルダがパ・ド・ブーレで踊り始めます。
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ボリショイ・バレエの『コッペリア』から。こちらはトレイラー映像のため使用されている音楽などは実際の舞台と違っていますが、コッペリアになりすましたスワニルダの人形振りに出てくるパ・ド・ブーレを少しだけ見ることができます。
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『くるみ割り人形』第1幕では、ドロッセルマイヤーが子どもたちに、機械仕掛けの人形を踊らせて見せる場面があります。人形の数は演出によって2~4体と異なります。そのうち女性ダンサーが踊る役は、コロンビーヌ人形、ピエレッタ人形、バレリーナ人形など、さまざまな役名が付いていますが、いずれもパ・ド・ブーレを多用する振付が一般的です。
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牧阿佐美バレヱ団の『くるみ割り人形』。人形の踊りは5分34秒から。手の先をぴんと伸ばし、脚は1番ポジションのままパ・ド・ブーレで進むことで、人形が踊っているように見せます。
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フォーキン振付の『ペトルーシュカ』は、人形芝居小屋の3体の人形が動き出す一幕の古典作品です。やはり女性ダンサーが踊るバレリーナ人形は、パ・ド・ブーレを駆使して踊ります。
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ウラジーミル・マラーホフがペトルーシュカ役でゲスト出演した、東京バレエ団の『ペトルーシュカ』。バレリーナ人形がペトルーシュカから逃げる際、6番ポジションで小刻みにパ・ド・ブーレをし、移動します。
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■優雅な雰囲気
パ・ド・ブーレの床を滑るような動きで、エレガントな美しさを表すこともできます。例えば、『ライモンダ』の主役のヴァリエーションが思い浮かびます。第3幕、グラン・パ・ド・ドゥの「手打ちのヴァリエーション」では、ライモンダがパ・ド・ブーレで舞台を大きく移動し続けながら、気品をそなえて堂々と踊ります。第1幕の「夢の場のヴァリエーション」でも、ライモンダが難しいステップをパ・ド・ブーレでつないでゆく振付が印象的です。
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マリインスキー・バレエ『ライモンダ』からプリンシパルのヴィクトリア・テリョーシキナが踊るライモンダのヴァリエーション。無音の張り詰めた緊張感の中、手を打つ振付で踊りが始まることから、通称「手打ちのヴァリエーション」とも呼ばれます。
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『眠れる森の美女』第1幕の「ローズ・アダージオ」では、オーロラが求婚者たちに囲まれてパ・ド・ブーレで舞台を移動する場面があります。パ・ド・ブーレで、オーロラの優雅な身のこなしと同時に、小刻みな脚の動きによるかわいらしさも表現した振付です。
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オーロラ姫を当たり役とするポリーナ・セミオノワが、ミラノ・スカラ座バレエの『眠れる森の美女』(ヌレエフ版)に客演した時の映像。パ・ド・ブーレのシーンは、音楽が華やかさを増す2分40秒から。
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『コッペリア』は、パ・ド・ブーレで人形の動きを表現している作品として紹介しましたが、第3幕の「祈りのヴァリエーション」では、落ち着いた雰囲気の場面にパ・ド・ブーレが使われています。ソリストのダンサーが終始パ・ド・ブーレで移動することで、村のみんなのために祈りを捧げる様子が表現されています。
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ボリショイ・バレエ『コッペリア』より「祈りのヴァリエーション」。踊っているのはソリストのアナ・トゥラザシヴィリ。このバージョンはマリウス・プティパ版をセルゲイ・ヴィハレフが蘇演したもので、当時の振付・美術が忠実に再現されています。
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■不安定な心情
細かく足踏みしながらパ・ド・ブーレで移動する振付で、登場人物の悲しい気持ちや、不安な感情などを表すこともあります。例えば『ラ・バヤデール』第2幕のニキヤのヴァリエーションには、自分を裏切ったソロルに対し、切ない気持ちを訴えかけるようにパ・ド・ブーレで近づく場面があります。
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マリインスキー・バレエのファースト・ソリスト、マリア・ホーレワが踊るニキヤのヴァリエーション。静かに泣いているかのようなチェロの音色と相まって、パ・ド・ブーレなどステップの一つひとつから彼女の心情が伝わってきます。
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マクミラン振付の『ロミオとジュリエット』には、ジュリエットの不安な気持ちがパ・ド・ブーレで見事に表現されている場面が2箇所あります。第1幕で、ジュリエットが親に決められた婚約者のパリスと初めて会う場面と、第3幕で、そのパリスとの結婚をいったんは拒否するものの、やむをえず承諾する場面です。いずれの場面でも、ジュリエットがパ・ド・ブーレで後退し、パリスからすーっと遠ざかってゆく振付が含まれています。第1幕ではジュリエットの恥じらう気持ち、第3幕ではジュリエットの抗う気持ちがたいへんわかりやすく表現されています。
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英国ロイヤル・バレエによるジュリエット(サラ・ラム)とパリス(平野亮一)のリハーサル映像。パ・ド・ブーレの場面は4分33秒(第1幕)からと29分19秒(第3幕)から。どちらも同じ動きですが、表現されるものがいかに違うか、よくわかる映像です。
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■おまけ
舞台作品ではありませんが、ユニークなパ・ド・ブーレの使い方を見つけたので紹介します。オーストラリア・バレエが公開している「ポアントでAからZ」(A TO Z EN POINTE!)という5分弱の動画です。
AからZまで、それぞれのアルファベットで始まるポアント(トウシューズ)に関係する言葉を並べていて、「B」の“BOURRÉE”を初めとして、何度もパ・ド・ブーレが登場します。そして「S」の“SOUND”が傑作。9人の女性ダンサーが床にエアーキャップを敷いて、一斉にパ・ド・ブーレをしてプチプチ音を立てる様子に思わず笑いました。
(注1)例外は「マイム」(mime)です。マイムとは、バレエの決まり事として特定の意味が与えられているジェスチャーです。例えば、自分の胸を指して「私」、右手で左手薬指を指して「結婚」、頭上で両手を縦に回して「踊ろう」などです。マイムの動きは、舞台上で特定の意味と対応付けられているので、一義的と言えます。
ただ、さらに厳密に述べれば、マイムであっても、決められた意味以外のニュアンスをいくらでも加えることができます。例えば「私」というマイムを、楽しげにすることも、悲しげにすることも可能です。
(発行日:2021年8月25日)
次回は…
第26回は、片脚を高く上げる「デヴェロッペ」を取り上げます。発行予定日は2021年9月25日です。第27回は「アラベスク・パンシェ」を予定しています。