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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第30回〉オペラ座でバレエを観た初の日本人②「開国やむなし」と悟った幕末イケメン侍の話。

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

🇫🇷

前回の連載では、1862年にオペラ座でバレエを観劇した、日本の遣欧使節団についてご紹介しました。ルイ14世の時代に創立されて以来、パリ・オペラ座は上流階級の社交の中心地であり、他国からやってきた人々を招待してもてなす場でもありました。時代や地域を問わず、おもてなしの定番といえば食事と音楽、そして踊りなどの舞台芸術ですね。もちろん、その「おもてなし」の裏側には、自国の文化レベルを海外からの賓客に見せつける、という目的もありますが、純粋に客人に楽しんでもらうこともまた、外交戦略上重要な駆け引きの一つです。そのため、東の果ての「日出づる国」からはるばるやってきた日本の外交使節団に対しても、フランスは他国の使節に対するのと同じように、オペラ座観劇をセッティングしたと考えられます。

さて、1862年の文久使節団の2年後、フランスには再び日本からの使節団がやってきます。この時の使節団は、どのような観劇体験をしたのでしょうか? 今回も、フランス国立公文書館などに所蔵されている資料をもとに、幕末のサムライたちのオペラ座観劇をご紹介します。

1864年のパリ約定使節団

2度目にフランス政府が迎えた日本大使一行は、1864年に渡欧した「パリ約定使節団」です。パリ約定使節団は、1859年に開港した横浜港の閉鎖をフランス政府と談判することを目的とした使節団でした。この時のメンバーは、前回より少し減って合計34名。その代表として正使(全権大使)を務めたのは、若干27歳の外国奉行、池田筑後守長発(いけだちくごのかみながおき、1837–1879)です。歴史好きの方々の間では、「イケメン武士」との呼び声も高いそうで、キリリとしたお顔立ちからは、確かに若くして全権大使に抜擢される優秀さが滲み出ている気がします!

若き全権大使、池田長発。これはイケメン

1863年12月、池田らは横浜を出発すると、上海、インドを経てスエズに到着し、文久使節団の時と同様に陸路でカイロに向かいます。ここではギザのピラミッドなどを見学しました。その後、彼らはフランスのマルセイユに上陸し、1864年3月13日にパリに到着しました。このパリ約定使節団も、文久遣欧使節団と同様に、パリや近郊の都市で様々な技術や街中の様子に触れています。

使節団の面々がオペラ座を訪れたのは5月2日の夜で、この時、彼らはバレエ《マスケラ、あるいはヴェニスの夜》を観劇しました。この作品は、ミラノ生まれの作曲家、パオロ・ジョルザ(1832–1914)と、ヴェネツィア生まれのダンサー、ジュゼッペ・ロータ(1822–1865)の振付による3幕の作品で、1864年2月19日にオペラ座で初演されたばかりの、出来立てほやほやの新作でした。19世紀に初演された他の多くのバレエと同じく、今日では《マスケラ》もオペラ座のレパートリーから消えましたが、オペラ座の図書館には、作品の舞台装置の模型や楽譜がいくつか所蔵されています。

なお、使節団がオペラ座に観劇に訪れた日のプログラムには、ガエターノ・ドニゼッティのオペラ《ランメルモールのルチア》も含まれていましたが、池田たちはオペラ公演には出席せずに帰ったようです。

このオペラ座観劇の詳細についても、使節団側の記録は残っていません。また、フランスの新聞も、1864年の使節団に関しては、文久使節団の時のように毎日彼らの様子を書き立てたわけではなかったようです。

ただし、オペラ座以外の劇場での観劇については、使節団の理髪師を務めていた青木梅蔵という人物が、4月18日に「天女蓮池に遊ぶの曲」を観劇した、と日記に書いていた、と伝えられています。残念ながら、青木の日記の原本は第二次世界大戦時の日本への空襲で失われてしまい、その記述を確かめる術はないのですが、もし本当だとすれば、青木が観た「天女」はダンサーだったのかもしれません。

使節団のその後

横浜港の閉鎖をフランス側に了承させる目的で渡仏した池田たちは、本当はフランスでの交渉のあと、イギリスへ向かう予定でした。しかしフランスの先進性を目の当たりにした池田は、幕府の一存で日本の港を閉鎖するのはもはや困難な状況になっていること、そして日本が生き延びるには、開国する必要があることを痛感するようになったそうです。ナポレオン3世の外務大臣、ドルーアン・ド・リュイスの主張に押されっぱなしだったこともあって、使節団は、なんと幕府の許可を得ないまま、下関戦争でのフランスに対する賠償金を支払うことなどを盛り込んだパリ約定を締結し、予定していたイギリス訪問も取りやめて帰国します。

じつは池田は、渡仏前まではガチガチの攘夷派だったのですが、まさに百聞は一見に如かず。帰国後の池田は、現地で経験したことをもとに、開国が日本にとっていかに重要なことか、幕府に必死に訴えました。攘夷の機運がますます高まる中で、この行動はかなり危険だったはずです。それでも、欧州現地の様子を自らの目で見た池田にとっては、開国の必要性は伝えなければならないこと、と感じられていたのでしょう。

しかし、横浜港の閉鎖、という当初の目的を果たせなかった彼らに幕府は怒り、正使の池田と副使の河津伊豆守祐邦を蟄居処分(罰として自宅の一室で謹慎させること)などにしてしまいます。

池田の処分はのちに解かれ、彼は社会的立場を回復することができました。しかし、その時にはすでに健康がすぐれない状態だったこともあってすぐに隠居し、子どもの教育に情熱を燃やしながらも、42歳の若さで亡くなってしまいました。現在は、岡山県のお墓に静かに眠っているそうで、領地があった岡山県井原市には池田の銅像が建てられているなど、地元の方々に深く愛されている様子が伺えます。

動乱の幕末期、若く意欲溢れる日本のサムライたちは、オペラ座バレエだけでなく、じつにさまざまな西欧の文化に触れています。その中には、彼らによって日本に情報が伝えられたものも、伝えられなかったものもありますが、江戸時代の長い鎖国が終わろうとしていたその時期に、現地でバレエを観た際の驚きは、私たちの想像を超えるものだったでしょう。そして、日本に本格的なバレエが初めて紹介される時、観客は一層の驚きとともに西欧の舞を目にすることになるのです。

★次回は2024年1月5日(金)更新予定です

参考資料

AN : AJ/13/529 Cotes : IV. Visites de personnalités : ambassade japonaise (1862, 1864). Minute de lettre du Théâtre impérial de l’Opéra datée du 30 avril 1864.

AN : AJ/13/529 Cotes : IV. Visites de personnalités : ambassade japonaise (1862, 1864). Lettre du secrétariat général du Théâtre impérial de l’Opéra « Service des japonais », non datée.

AN : AJ/13/529 Cotes : IV. Visites de personnalités : ambassade japonaise (1862, 1864). Lettre des Ministères des affaires étrangères à l’Opéra, datée le 20 avril 1864.

AN : AJ/13/529 Cotes : IV. Visites de personnalités : ambassade japonaise (1862, 1864). Minute de lettre du Théâtre impérial de l’Opéra datée du 21 mai 1864.

尾佐竹猛、2016。『幕末遣外使節物語 —夷狄の国へ— 』、吉良芳恵校注、東京、岩波文庫。

ツォーベル、ギュンター、2008。「ベルリンの日本人」『ヨーロッパ人の見た幕末使節団』ギュンター・ツォーベル、鈴木健夫、ポール・スノードン著、第3章。東京、講談社学術文庫、p.153-231.

原田一義、2017。「須藤時一郎『萬寶珍書』とColin Mackenzie『Mackenzie’s Ten Thousand Receipt」『東京成徳大学人文学部・応用心理学部研究紀要』第24号 p.187–205.

宮永孝、2006。『幕末遣欧使節団』、東京、講談社学術文庫。

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1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

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