
パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。
「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」
そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。
- 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
- 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
- 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…
……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!
イラスト:丸山裕子
🇫🇷
街を吹く風が冷たくなり、冬が近づいてきた今日この頃。パリ・オペラ座では従来、11月にダンサーの年次昇級試験が行われます。このコンクールの開催については、ダンサーたちの多忙なスケジュールの合間を縫っての準備に対する負担や、一部のダンサーからの制度そのものに対する批判などもあり、近年では特定の階級のみを対象として実施されたりもしました。今年は11月3日と4日に、カドリーユからスジェまでのダンサーの試験が実施され、来年の1月1日付で新たな階級になるダンサーたちが選ばれています。
他のバレエ・カンパニーとは違い、年一回の試験によってエトワール以外の階級への昇級を決定する、というこのオペラ座独自の方針は、実は非常に長い歴史を持っています。そもそも、オペラ座のダンサーの階級システム自体が、すでに18世紀末には確立しており、この点についてはこの連載でも過去に取り上げてきました。しかし、18世紀末のダンサーの昇級は、バレエ団の責任者であるメートル・ド・バレエや教師の推薦によって決定するものでした。それでは、コンクールという評価方法が取り入れられたのはいつ頃のことなのでしょうか?今回は、フランス国立公文書館などが所蔵する資料や文献をもとに、オペラ座バレエの昇級コンクールについて紹介します。
パリ・オペラ座バレエ公式インスタグラムより。2025年11月3-4日に開催された昇級コンクールのもようが掲載されています。日本人ではクララ・ムーセーニュさんがプルミエール・ダンスーズに昇格しました
バレエ団における階級制度とは
ダンサーの階級は、バレエ団におけるダンサーの給与を決定する要素であり、かつ、上演における各自の役割を明確に定義するものでもあります。18世紀末から19世紀初頭にかけてのオペラ座バレエでも、群舞のダンサーとソリストのダンサーとは、金銭的な面での待遇が異なりますし、公演での配役も、当然異なっていました。これは、古典作品をレパートリーの中心に据えるバレエ団では、否が応でも必要とされるシステムでしょう。
19世紀の後半、1860年代になると、オペラ座バレエのダンサーは「ダンス部門Service de dance」と「バレエ部門Service du ballet」の2つに大きく分かれ、前者はソリスト以上のダンサー(現在のスジェより上の階級相当)、後者はコール・ド・バレエ(現在のコリフェ以下相当)を指していました。ただし、現在のオペラ座バレエの階級制度とは少し違いがあり、19世紀のコール・ド・バレエには、コリフェ、カドリーユのほか、バレエ学校の生徒と「フィギュラン」と呼ばれる立役、「コンパルス」という端役が含まれています。
さらに、コリフェおよびカドリーユは人数が決められていたうえに、それぞれの階級の中もまた細分化されており(本連載の第43回参照)、報酬額が微妙に異なる、という特徴がありました。一つ立場が下がるごとに100フラン、報酬額が下がっていくのですが、大雑把に1フラン=現在の日本円で1000円くらい、という計算なので、下位のダンサーにとって、より上位の立場になることは、舞台で責任のある役柄を任されるというモチベーションだけでなく、生活を少し楽にする面もありました。では、ダンサーの生活にも関わる昇級を決めるコンクールは、どのように導入されたのでしょうか?
またしてもあのレジェンド登場
オペラ座バレエの年次昇級コンクールの導入について、現在明らかになっているのは、このコンクールの創設に、ロマンティック・バレエのレジェンドダンサー、マリー・タリオーニが関わっていた、ということです。現役引退後、オペラ座バレエの指導者にと請われてパリへ戻ってきたタリオーニは、バレエ団に関わる中で、深刻な状況に気づき始めました。それは、実力のあるフランス育ちのダンサーがいない、という点です。
19世紀の後半、オペラ座バレエの公演は、すでに外国で評判を得たスターダンサーをゲスト主役に据え、大量の女性ダンサーをコール・ド・バレエに投入するのが一般的でした。フランス生まれ、フランス育ち、しかもバレエ学校出身のダンサーの中で、この時期に目覚ましい活躍をしたのは、タリオーニがオペラ座バレエの指導者として育て上げたエマ・リヴリーくらいしかいません。そういうあなたもスウェーデン出身じゃなかったんかーい……いずれにせよ、バレエ学校やバレエ団の改革が必要だと感じたらしいタリオーニは、クラスレッスンの指導担当者として、バレエ団と学校の最終学年である「完成クラス」の生徒を対象とした年次コンクールを、オペラ座の運営部門に提案したのです。《ラ・シルフィード》で一世を風靡したスターダンサー、タリオーニは、オペラ座バレエの運営の面でもレジェンドだったのでした。

1860年代のコンクール
そのような経緯で導入されたコンクールは、どのようなものだったのでしょうか? 1860年に作成されたコール・ド・バレエの規則集には、このコンクールの運営についても、第15項に以下のような記述があります。
「コール・ド・バレエのアーティストの昇進は、各人の実力に基づき、年功序列に関係なく、コンクールによって行われる。
空席が生じた場合には、下位の階級に属する舞踊家のうち、試験の結果、求められる技能と必要不可欠な身体的資質を最も高度に備えていると認められた者に、そのポストが与えられる。
同じカドリーユ内で一つの階級から他の階級へ昇級する場合も、同様の規則に基づいて行われる。
ただし、オペラ座の監督が、応募者の中に必要な能力、外見、若さを兼ね備えた者がいないと判断した場合、バレエ団に所属していない外国人アーティストをコンクールに招くことができる」
そして、続く第16項によると、審査員団は以下のメンバーで構成されていました。
「審査員団は以下のメンバーで構成される。
オペラ座総裁
舞台部門の責任者
メートル・ド・バレエ
完成クラスの担当教師
ダンス部門主任
総裁によって指名されたダンサー数人」
審査員が複数、しかもバレエ団のダンサーの中からも審査員に選ばれる人がいる、という方針は、現在にも共通しますね(*)。
一方、この1860年の時点では、規則書にはコンクールの詳細は記されていません。したがって、どのような試験内容だったのか、現在のように何らかの作品のヴァリエーションを踊ったのか、というところを知るには、また別の資料を調べることが必要でしょう。現代のように試験やコンクールの定番となる作品が豊富な時代ではないので、試験内容としては、指定されたアンシェヌマンを踊ったり、クラスレッスンの中での審査だったりした可能性もあります。

1860年のオペラ座バレエにおける、昇級コンクールに関する規則集。フランス国立公文書館所蔵 ©️Tamamo Nagai
なお、歴代の昇級コンクールのうち、20世紀後半に行われたコンクールに関連する資料は、いくつかが現在もフランス国立公文書館に保管されています。コンクールに参加するダンサーの招集状や採点結果、昇級を発表する告知の紙などを見ていると、長い歴史の中で繰り返し行われてきたオペラ座の昇級コンクールは、やはりこのバレエ団の伝統であり、かつ、バレエ団としてのレベルを維持するために必要とされてきたシステムなのだろうと実感します。またそれは、オペラ座が、バレエ団としての自分たちのあり方を示す機会でもあるのです。
今後もコンクールの実施方法や方針などは、時代によって様々に変わっていくのでしょう。しかし、1860年の規則集に記された「各人の実力に基づき、年功序列に関係なく」という一文、そして、大変な準備を必要としながらも、公演での配役に関係なく自分の最も良い側面を見せる機会があることが、内部昇進試験の意義を物語っている気がします。
(*)2025年の審査員は、以下の通り。
アレクサンダー・ネーフ(パリ・オペラ座総裁)
ジョゼ・マルティネズ(パリ・オペラ座バレエ 芸術監督)
サブリナ・マレム(パリ・オペラ座バレエ バレエ・マスター)
ティエリー・マランダン(振付家)
ベアーテ・ヴォラック(振付家)
シャルロット・シャペリエ(パリ・オペラ座バレエ バレエ・マスター)
ベアトリス・マルテル(パリ・オペラ座バレエ バレエ・マスター)
グレゴリー・ガイヤール(パリ・オペラ座バレエ バレエ・マスター)
ダンサーからは、アマンディーヌ・アルビッソン、ロクサーヌ・ストヤノフ、ジャック・ガストフ等が参加した。
参考資料
Archives Nationales. AJ/13/479. Règlement pour le service du Corps des ballets et du Conservatoire de Danse à l’Opéra, 1860.
Archives Nationales. AJ/13/19930357/12. Note pour le concours annuel du Corps de Ballet de l’opéra, le lundi 22 décembre 1975.
d’Arcy, Chloé. 2022. Marie Taglioni Étoile du ballet romantique. Presses universitaires de Bordeaux, Bordeaux.
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バレエにおいて、ダンスと音楽という別々の芸術形態をつなぐために極めて重要な役割を果たしている存在、それがバレエ伴奏者。その職業が成立しはじめた19世紀パリ・オペラ座のバレエ伴奏者たちの活動や役割を明らかにしながら、華やかな舞台の“影の立役者”の歴史をたどります。
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