2021年10月1日(金)〜3日(日)の3日間、愛知県芸術劇場でユニークな公演が開催される。
“クラシック・バレエの父”マリウス・プティパが確立した古典バレエをさらに発展させ、バレエ・リュスの初代振付家としても活躍したミハイル・フォーキン。
バレエとモダン・ダンスを融合し確固たる地位に高めたイリ・キリアン。
バレエを脱構築したと言われるウィリアム・フォーサイス。
時代を変えた偉大な振付家たちの正統な継承者である3人のダンサー、酒井はな、中村恩恵、安藤洋子が、自身の〈原点〉とも言える振付家たちのオリジナル作品を踊るとともに、それらの〈継承/再構築〉に取り組んだ新作を披露するのが、この「ダンスの系譜学」という公演だ。
- 上演プログラム
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〈振付の原点〉
- 酒井はな:ミハイル・フォーキン 原型 酒井はな改訂『瀕死の白鳥』(チェロ:四家卯大)
- 中村恩恵:イリ・キリアン 振付『BLACKBIRD』よりソロ
- 安藤洋子:ウィリアム・フォーサイス 振付『Study # 3』よりデュオ(共演:島地保武)
〈振付の継承/再構築〉※全て世界初演
- 酒井はな 出演、岡田利規 演出・振付:『瀕死の白鳥 その死の真相』(チェロ:四家卯大)
- 中村恩恵 振付・出演:『BLACK ROOM』(衣裳:串野真也)
- 安藤洋子 振付・出演:『MOVING SHADOW』(共演:木ノ内乃々、山口泰侑)
この公演は当初2020 年5月に初演される予定で、2019年9月からプロジェクトがスタート。以後約月1回ペースでミーティングや対話を重ねるかたちで創作が進められていたところ、コロナ禍によって公演は中止・延期に。
しかしこの延期によってアーティストたちは図らずもさらなる創作期間を得ることとなり、各作品はじつに2年以上をかけて練り上げられたという。
3人はそれぞれ、2021年7月〜9月にかけて横浜のDance Base Yokohama(DaBY)で行われたトライアウト公演を終了。
開催に先駆けて、本企画の企画者である唐津絵理氏(愛知県芸術劇場エグゼクティブプロデューサー/Dance Base Yokohamaアーティスティックディレクター)が、3人のダンサーにインタビューを行った。
※この記事は、「ダンスの系譜学」公演パンフレットに抜粋掲載されているインタビューの【全編・完全版】です
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【Interview】安藤洋子×酒井はな×中村恩恵
「あなたにとって、〈原点〉とは?〈継承/再構築〉とは?〈ダンス〉とは?」
インタビュー:唐津絵理(愛知県芸術劇場エグゼクティブプロデューサー/Dance Base Yokohamaアーティスティックディレクター)
TRIAD DANCE PROJECT「ダンスの系譜学」のクリエイションは、企画者であるプロデューサーの唐津絵理氏(写真左)と3人のダンサー(写真中央から時計回りに:安藤洋子、酒井はな、中村恩恵)との対話やミーティングを繰り返しながら進められた。写真は2019年12月に行われたミーティングの様子
Q1 2019年9月から12月まで行われた対話の時間。同世代で、女性で、第一線で活躍してきたプロフェッショナルのダンサー同士、あらためて気づいたことや感じたことを聞かせてください。
酒井 中村恩恵さんはイリ・キリアン、安藤洋子さんはウィリアム・フォーサイス。お二人とも、ある一人の振付家の申し子というか、その人にすべてを捧げてきたからこその人生の厚みみたいなものを持っていると強く感じました。私の場合は、自分を捧げてきたものがクラシック・バレエの作品たちであり、その振付家たちの多くはすでにこの世にはいない存在です。恩恵さんや洋子さんのように、その振付家と同じ空気を吸いながら、ずっと一緒に作品を作っていく経験を重ねてこられたというのは素敵だなと思うし、うらやましいなとも思いました。お二人にしかない力強さ、輝きというものがあります。
酒井はな ©Tomohide Ikeya
中村 若い時は、振付家のもとにダンサーたちが横並びの関係で集まって、みんな仲間になって……という機会がたくさんありましたけれど、キャリアを重ねてくると、そういう横の繋がりがなかなかできにくくなります。さらに振付家の仕事は孤独な作業ですから、今の私はますます仲間というものができにくい状況なんですね。でも今回の企画では、唐津さんが声をかけた3人が集まって、最初から何かが決まっているというわけでもなく、みんなでオープンに話し合いながらクリエイションのテーマを決めていって。そうした時間を過ごしていると、久しぶりに若い頃と同じ気持ちになれた気がしました。
それから、安藤洋子さんが「みんな、それぞれの人生のキャリアにおいて『どこで何をしてきたか』のリストを作って、お互いに見せ合ったらどうだろう? 何か思いがけない接点が見つかるかもしれない」と提案してくださいましたよね。それまでは自分がいつどこで何をしてきたか、あまり思い出すこともなかったけれども、一生懸命書き出してリストを作ってみると、人生のピークモーメントみたいなものが次々と浮かんできました。自分の中で、とくに思い入れの強いものが何だったのか。あるいはすっかり忘れていたけれども、その当時に受けたフレッシュな感動を思い出したことも。今の自分は過去の積み重ねであり、様々なものが地層のように重なっているということをあらためて感じました。
人間関係は「横」に広がるもの。でも、私自身は「縦」に地層のように積み上がっているもの。今回のクリエイションで過ごした時間は、横のベクトルと縦のベクトルが自分のなかでクロスしている感じで、とても刺激的でした。
中村恩恵 ©Tadashi Okochi
安藤 酒井はなさんも、中村恩恵さんも、私にとっては「THE プリマ」です。尊敬の念も含め、すべてにおいて「舞姫」という感じがします。私はダンスとの出会いからして正統派ではなく、将来ダンサーになるとは露ほども思わなかったし、普通に会社で働いていたし、常にレールもないし未来も見えない人生を歩んできました。言わば「イレギュラー代表」です(笑)。そんな私が、日本を代表するプリマでありクラシック・バレエの確固たる表現方法を持っているはなさんと、やはりクラシックのベースを持ちながらコンテンポラリーのダンサー・振付家として一流を極めている恩恵さんと、ご一緒できるなんて。これは謙遜でも何でもなく、「人生って不思議だな。何が起こるかわからないから面白いな」と思います。
私はあまのじゃくで、すぐ「こっちに行ったらあっち、あっちに行ったらこっち」と、常に何かからすり抜けていくことを身につけながらやってきました。でも、はなさんと恩恵さんは、何の迷いもなく、ある種のダンスに捧げることのできる人。そのダンスに選ばれた人だと感じました。とても純粋であるし、良い意味で変でもあるし(笑)、華がある。それがお二人の共通点で、お話しするのがとても楽しかったです。
安藤洋子 ©Dominik Mentzos
Q2 あなたのダンスの〈原点〉とは?
酒井 もちろんそれは「クラシック・バレエ」です。バレエという基盤は、私に自由を与えてくれます。バレエの型さえいつも整えておけば、それを思い切って崩してみることも、勇気を持ってはみ出してみることもできる。そうしていろいろな挑戦をして、またクラシック・バレエに戻ってくると、あらためて「バレエとは何てすごいシステムなんだろう!」って思います。シンプルで、計算し尽くされていて、針に糸を通すみたいに精確にフォルムを作っていかなければならない厳格さが素晴らしいと思う。いつも敬意を持ちながら稽古をしています。
中村 私が3歳くらいだった頃、父が自分の天職を探すために、家族を引き連れてイタリアに渡りました。しばらく転々と旅をした末に、父はクレモナという町に住みついてヴァイオリン職人になったのですが、当時の私は「めぐみ」という自分の名前もうまく言えないくらい言葉が苦手で。3歳になってやっと日本語を覚えてきたところで、また突然自分の言葉も通じないし、人の言葉も理解できない環境になってしまいました。その時に感じたのは、例えば美しいものに触れて素敵だなと思ったり、嬉しいとか悲しいとかいう気持ちを抱いたりするのはきっとみんな同じなのに、それを言葉にすると通じなくなってしまうということ。言葉って同じ言語を使えば通じ合えるけれども、逆に言葉があることによって、人と人とが断絶を感じたりもするのだと。
でもそんな頃にイタリアのテレビで天気予報を見ていたら、天気を伝えているその後ろで、人がダンスをしていたそうです。それを見た私が「こういうのをやりたい」と言い出したと。母は「こういうのって何だろう?」といろいろ考えた末に、私にバレエを習わせてくれました。
ですから私はずっと、言葉を介さなくても人と人が繋がれる直接的な表現というものを、ダンスの中に求めてきたように思います。そして動きとは、言語化できない感覚的なものであり、二度と繰り返せないものでもある。そんな気が今でもしているのですが、そこにまったく新しい視点をくれて、考え方を整理してくれたのが、イリ・キリアンさんでした。
キリアンさんはプラハのバレエ学校で学んでいた頃に、先生からこう言われたそうです。ダンスというのは、一つひとつが言語化されなくてはいけない。言語化されてはじめてそこに存在するものとなり、意味が宿るのだと。例えば腕の動きひとつでも、「手で波の上を滑っていくように」とか「手が逃げていくように」とか、一個一個の動作を言葉に置き換えてみること。そして自分はその作品で何を表したいかということも、一つひとつきちんと言語化していくのが大切だとおっしゃっていたそうです。
私は言語化できないものがダンスだと思っていたけれども、そうではなくて、ダンスは言語化されて初めてそこに意味が宿るということ。これは私が振付家として活動していく上で、ひとつの方向性を与えてくれました。
ただ、私の中には今でも、小さい頃に感じた「言葉でなくても表現できるものがある」という実感や確信があります。言語化できないものを伝えることと、言語化しないと伝わらないもの。そのふたつの葛藤が常に自分の創作のスターティングポイントというか、この解決できない問題からいろいろなテーマが生まれてきている気がします。
2020年9月24日にDaBYで開催されたTRIAD INTERMISSION vol.3 中村恩恵ソロトーク「ブラック・バード誕生の瞬間」のひとコマ ©tatsukiamano
安藤 ウィリアム・フォーサイスを初めて見たのは1992年。作品があまりにも大きくて、まるで自分が宇宙の中に放り込まれたみたいで……まさか自分がその作品を踊るなんて想像もできない次元のことで、ただ本当に深く感動したことだけは覚えています。
フォーサイスだけでなく、その頃の日本では勅使川原三郎や山海塾、ヨーロッパからもキリアンやピナ・バウシュ、ヌーベル・ダンス、ラ・ラ・ラ・ヒューマンステップス等々が次々と来日して、いろいろな表現が東京にぎゅっと集まっていました。それらを全部観ることができたのは本当にラッキーでしたね。そして個人的には、その中でもとくに2人のダンサーに、身体に関わるくらい心身をぐっと掴まれてしまいました。どちらもフォーサイス作品の中で観たダンサーで、1人はトニー・リッチー、もう1人はラ・ラ・ラ・ヒューマンステップスのルイーズ・ルカヴァリエ。もちろん作品が凄かったということもあるけれど、その2人のダンスを観て、衝撃が走りました。まさに衝撃。身体に響いたんです。
Q3 今回〈振付の原点〉に選んだ作品について聞かせてください。
酒井 『瀕死の白鳥』は、私のライフワークみたいな作品です。踊り始めて、もう20年くらいになるでしょうか。たった一人で踊るショートピースですけれど、その時の自分の年代によって、全然違う表現をすることができる気がしています。
この作品を踊り始めたばかりの頃は、私自身がまだ若くてダンサーとしての生命力もすごくあったから、白鳥の生命をどのように死へと向かわせていくか、その表現が何よりも難しいことでした。でも年を経れば経るほど、「死とは何だろう」ということを考えたり、感じたりすることが多くなってきて。もちろん私はまだそれを理解していく道のりの途中にいますけれど、踊り続けている中で、だんだんとレイヤーが重なってきている感じがします。
この振付には、跳躍があるわけでも回転があるわけでもありません。ただシンプルにつま先で立ち上がる。トウシューズを用いて、地上から少しでも高いところへ行こうとする。そのさまが「生命力」であり、生きようとする表現なのだと思います。でも、白鳥はだんだん立ち上がれなくなって、ついに地面に着地して、土へと還っていく。私自身が歳を重ねていくことで、きっと表現にしみじみとした情感が滲んでくるのではないかと、自分でも楽しみにしています。
『瀕死の白鳥』酒井はな ©️Yulia Skogoreva
中村 少しおかしなことを言うのですが、私は振付家の作品を客観的な立場から観ている時には批判的に全体像を捉えられるのに、その人の作品にダンサーとして参加するとなると、振付家のことも作品のことも絶対的に信じて受け入れようとしてしまいます。自分がダンサーとして関わって踊ったものは、それが誰の作品であろうと、私にとってすべてがことごとくスペシャルな体験になる。どの作品にも、そこだけの光、そこだけの信頼関係があって、喩えるなら、王冠に散りばめられたたくさんの宝石、その一粒一粒に一つ一つの歴史があるような感じでしょうか。
その意味では、私にとってはキリアン作品だけが特別なのではなくて、すべてが本当に大切です。それでも、ある一人の作家が作る作品としては、キリアン作品を一番たくさん踊ってきました。ダンサーというのは、例えば体の動かし方、止まり方、手の出し方、顔の向け方、列の並び方等といった、とても細かい注意事項をたくさん与えられ、それを一つひとつやっていくうちに、ある日突然、その振付家が表現したいものが何かを身体で理解します。つまり、その振付家の作品を何作品も何作品も踊って、いろんな細かいディテールを覚えた先に、やっと彼の表現の真髄にたどり着くことができる。そんなふうに、一人のダンサーが、ある振付家の作品を、何作品にもわたって丁寧にリハーサルできる機会というのは、それほど多くありません。そういう意味で、キリアンさんの作品は、私が本当に自分の身体を通して理解してきたものであり、自分の骨となり、肉となり、血となってきたものです。
『BLACKBIRD』は、キリアンさんと私が共にNDTを辞めた後に作られました。キリアンさんはバレエ団のディレクターではなく、一アーティストとして。私もサラリーマン的にバレエ団から言われた作品を何でも踊る立場から、フリーランスのダンサーとして自分で仕事を選び、自分で自分の方向を見つけていく道を歩き始めた。その最初の一歩として決まった作品が、この『BLACKBIRD』でした。
『BLACKBIRD』中村恩恵 ©️Yulia Skogoreva
安藤 フォーサイスは、ダンサーに細かい振りは与えずに、空間と時間を与えてくれるんです。もし彼が事細かに「こうやって、こうやって、こうやって作ってね」と指定してくる人だったら、私たちはすぐに飽きてしまったでしょう。だって、最初から完成形が見えてしまうから。でもフォーサイスは、「ここの広場で、この素材を使って二人で遊ぼうよ」と言って、その組み立て方を一緒に考えていくような感じ。そして「こんなのができたね!」と言って作品にしたり、「できたから、もう壊そう」と言ったり。そういうやり方が私はすごく納得できたし、それに取り組む私を見るのがフォーサイスは好きでした。
フォーサイスのもとで踊るダンサー、とくに彼の「ミューズ」と言われるようなダンサーたちは共通して、感情とか情緒とかパッションを備えています。でも、それをただ発散するのではなく、あくまでも建設的・構築的・数学的に動きを作っていくことができなくてはいけない。そういう強さが必要とされていたとも思います。
今回踊るのは、『Study # 3』という作品の最後に当たる、私とヤス(島地保武)の即興によるデュオです。これは、雲が流れていくようなダンスです。雲って、ずっと見ていても飽きませんよね。一つとして同じ瞬間がないし、観ているほうはそこに何かを投影して心が動くし、記憶も蘇る。不思議な感じがするけれど、それは偶然と必然が織りなすものでもあります。原因があって、そこにいろいろな要素が関わってきて、結果が現れる。それが走馬灯のように流れ、時間も流れていく。そして心は記憶のほうへと引き戻されていく。本当に、雲と空みたいなダンスだなと思います。
フォーサイス・カンパニーの中でも、なぜ私とヤスがこのパートを任されたのか。それは、日本人である私たちには「静けさ」や八百万の神信仰に象徴されるような「大らかさ」があるからではないか、という気がします。私たちは、温度や光や湿度といったいろいろな要素と絡み合いながら、動きに身を任せることができる。だから、踊りが固定しない。そういう動きの中から見えてくる関係性や、いまここにある法則みたいなものを、フォーサイスは観たかったのだと思います。
『Study # 3』安藤洋子、島地保武 ©️Yulia Skogoreva
Q4 ダンスを〈継承/再構築〉するということについて、あなたの考えを聞かせてください。
酒井 個人的なことですけれど、今、指導することがとても楽しくて。私は新国立劇場などバレエ団でもキャリアを培ってきましたし、バレエではないジャンルの作品も数多く経験してきました。ですから自分の身体の使い方や、作品への取り組み方など、若いダンサーたちに伝えてあげられることがたくさんあるんです。そして伝えると、みんな「そんなアイディアもあるんだ!」「考えたこともなかった!」とすごく喜んでくれて、実際に踊りがどんどん豊かになっていく。私なりに満たしてきた引き出しやポケットの中身を後輩にプレゼントして、その子がまた自分の後輩にプレゼントしていく……そんな風に脈々と受け継がれていくならば、それはとても幸せなことだなと思います。先ほども言いましたけれど、クラシック・バレエは基本的に、その作品を作った人はもうこの世にはいません。だからこそ、私たちがそれをどう伝えていくかによって未来が変わる。その意味でも、「継承する」というのはとても重要で、責任のあることだと思っています。
いっぽうで、私自身もまだまだ芸を磨いていきたいし、いつでも新しいことに挑戦したいという気持ちを強く持っています。自分の身体ひとつでも、いまだに気づけていない筋肉や、意識できていない場所が山ほどあると思うので。そういう挑戦や探求は、生涯続けていけたらと思っています。
2020年9月3日にDaBYで開催されたTRIAD INTERMISSION Vol.2「『瀕死の白鳥』を解体したソロ」プロセストークの様子。写真左から:唐津絵理、岡田利規(演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰)、酒井はな、四家卯大(チェロ奏者) ©tatsukiamano
中村 私はよく夢を見るのですが、中でもいまだにはっきりと覚えているものがあって。私がまだハーグで踊っていた若い頃、夢に仙人みたいな人が出てきてこう言ったんです。「他者に教育することを手がけていかない限り、あなたのアーティスティックな成長はこれ以上望めません」と。何だかお告げみたいですよね(笑)。でも、当時の私は自分がダンサーとして活動することしか考えていなくて、その活動が他者にどのように刺激を与え、後進に繋がっていくのかなんて、ほとんど念頭にありませんでした。でもその夢を見てからは意識が変わり、機会があれば指導の仕事も積極的に行っていこうという気持ちで、ここまで進んできました。
また、ずっと以前にキリアンさんが話してくれたことも心に残っています。キリアンさんは若い頃、音楽家の武満徹さんと一緒にアボリジニのダンスフェスティバルを企画したことがあったと。そこでアボリジニの男性に「あなたはなぜ踊るのですか?」と質問したら、「私の片側にはお父さんの手があって、もう片方の側には息子の手がある。私は父と息子の手を取って踊る」という答えが返ってきたそうです。確かにダンスは人が人に継承しない限り伝わらなくて、みんなが「もう残さなくていい」と思ったら、一瞬にして途絶えてしまうものです。逆に言えば、自分の存在が継承のチェーンの一つになることもできる。自分がバトンを受け取って、それを次の世代に手渡すということが、すごく大切なことだと思っています。
安藤 今回の企画では、「未来を作る」ということをしたいと考えました。だから私の作品にはできるだけ若いダンサーに参加してもらいたくて、オーディションに80人くらい集まった中から選んだのは、当時20歳になったばかりの木ノ内乃々さんと、まだ10代だった山口泰侑さんでした。私に子どもがいたらそのくらいの年齢だろうというくらい、まったく世代が違うダンサーたち。ふたりにとって私の言葉は宇宙人の言語みたいに感じられていると思うし、私にとっても彼らの感覚は自分の感覚の範囲外です。それでもお互いを許容し、受け止めようとすることは、自分自身と向き合い、突き詰めていくことでもあります。「踊るってどういうことだろう? 自分が踊る意味って何だろう?」。それを問われ続けることは若い二人にとって酷な作業だったと思いますが、このクリエイションの時間を通して、彼らの奥にあった「踊る核」みたいなものが、少しずつ、でも確かに出てきています。それはすごく嬉しいというか、感動的なことで。きっとフォーサイスもこんなふうに、私たちダンサーが持つ魅力の核、その人の踊りの核が出てきた時が、最高に面白かったんだろうなと思います。
2021年5月29日にDaBYで開催されたTRIAD INTERMISSION vol.4 安藤洋子「フォーサイス『Study # 3』を振り返る、新作の創作に向けて」の様子。写真左から:唐津絵理、安藤洋子、木ノ内乃々、山口泰侑 ©Naoshi HATORI
Q5 今回、あなたが〈振付の継承/再構築〉として作る(踊る)新作はどのような作品ですか?
酒井 誰かに「『瀕死の白鳥』を解体して、再構築してほしい」とお願いした場合に、その出来上がったものを踊る私がどういう風になるのか? 結果をいちばん想像できなかったのが、岡田利規さんでした。今回の演出・振付は岡田さんにぜひお願いしたいと思ったのは、それが理由です。この作品、空の上のフォーキンさんが観たら……きっと喜んでくれると思います!(笑)
岡田さんの作る演劇もいくつか見せていただいているのですが、言葉のチョイスだったり、奇を衒っているようでもあり衒っていないようでもある今の時代の切り取り方だったり、何とも掴みどころがないんです。でも、ものすごく重大なことは確実に伝わってくる。そんな彼の手法の摩訶不思議さや脱力感には、どこかバレエと真逆なものがある気がして。そういうところも私にとっては魅力的で、素敵だなあと思っています。
『瀕死の白鳥 その死の真相』にはセリフがあって、自分がいつもどういうイメージで踊っているかを、言葉で語る場面もあります。そんなこと、これまで言葉にしたことがなかったので、自分でも非常に勉強になりました。また、振付やセリフを確実になぞることはとても大事なのですが、そこにパフォーマー自身の思想や生き生きとした意思が宿っていなければ意味がありません。そういうことも、とくに若い世代のダンサーたちに伝えられたらいいなと思っています。
『瀕死の白鳥 その死の真相』酒井はな ©️Yulia Skogoreva
安藤 少し話が大きく聞こえてしまいそうで恥ずかしいのですが、今回は「惑星」がひとつのテーマです。宇宙系というか、空に関する言葉をキーワードにして作っています。空、天気、雲、そして星。私も乃々さんも泰侑さんも、みんなそれぞれが違う星の人で、その3人の動きを観た時に、自分の中に何らかの物語が生まれてきたらと思っています。
それからもう一つのキーワードは「鳥」。はなさんは『瀕死の白鳥』、恩恵さんは『BLACKBIRD』、つまり白い鳥と黒い鳥ですよね。ならば私は何の鳥?と。実際、私は昔から、鳥が空を旋回している光景をよく目にします。世界のどこへ行っても、私がハッと空を見上げると、いつも鳥が飛んでいるんですよ。
『MOVING SHADOW』安藤洋子、木ノ内乃々、山口泰侑 ©️Yulia Skogoreva
※この質問への中村さんの回答は、次のQ6をご覧ください
Q6 コロナ禍は、あなたの創作やダンサーとしての身体にどんな影響を与えましたか?
酒井 コロナ禍のために世の中が本当に大変な状態になってしまいましたけれど、私たちがこの1年で実現できたことは、じつはいっぱいあった気がします。この「ダンスの系譜学」のプロジェクトは、本来だったら昨年の5月に終わっていたはずでした。もしもその予定通りに進んでいたら、たった3週間でクリエイションを詰めて、覚えて、リハをして、本番を踊って、終了だった。でも、コロナ禍にぶつかったおかげで、こんなにも時をかけて、ひとつの作品を見つめる時間をいただけたのです。例えば漬物を作るのと同じように、作品だって、丁寧に下ごしらえして、充分に仕込みをして、ちゃんと寝かせて発酵させる時間を取ったほうが、絶対に美味しくなります。
もちろんステイホームの期間中、ダンサーとして身体を維持には努めました。自宅にリノリウムを敷いて、軽くバー・レッスンをできる状態に整えて。あとはエアロバイクを購入して、テレビを見ながらハムスターみたいにずっと漕いだりもしていました。ただ、家の中ではジャンプなどの大きな動きがどうしてもできないので、島地くんと二人で広い公園に出かけて、ちょっと跳ねてみたり、縄跳びをしたことも。もともと私は自分でできるエクササイズを日々こまごまとやっているタイプなので、身体自体は何とか維持できたかなと思います。
ただ、本番というものだけは、そうしたエクササイズやレッスンやリハーサルとは全然違います。「本番の筋力」みたいなものが必要なんです。ですから舞台に立てない期間が長く続くとやはり不安にもなりますし、久しぶりに立てるとなった時はとても緊張します。私はもう40代ですからまだ良いとして、可哀想なのは若いダンサーたちです。今こそ踊り盛りなのに、どこにも行けず、踊れないなんて。コロナが完全に終息するのはまだまだ難しいのかもしれないけれど、若いみんなが花開ける環境が、少しずつでも整っていくといいなと願っています。
中村 コロナ・パンデミックが起こる前は、オファーをいただいて振付をして、クラスを教えて、表現して……というのが鎖のように繋がって、ある意味とても自然に回っていました。それがコロナ禍に陥った途端、ほとんどのものが中止になったり先延ばしになったりして、ダンサー・振付家としての時間の流れがふっと止まりました。そして「不要不急の外出はしないように」と言われた時、私のような仕事は「不要不急」に入るし、もしかしたら感染を拡大させる側の活動にもなるのかもしれないと。いつもの仕事がなくなって、私には時間もあって、エネルギーもある。でもいっぽうでは、エッセンシャルワーカーや生活必需品を売るお店の人たちがすごく大変な思いをしているという報道がたくさんありました。「あれ? 私はこんなに元気なのに、自分の力を注げる場もない。ダンサーとして踊ってきたけれども、そういう自分の役割はなくなってしまった」と感じました。
そんな時、私がいつも買い物をしている近所のスーパーが、人手不足でスタッフを緊急募集しているのを見つけたんです。本当にダメ元で応募してみたら、運良く採用していただけて。最終的に、そこで1年ほど働くことができました。
私の仕事は案内係だったのですが、そこで感じたのは、人がスーパーに来るのは食べ物を買うためだけではない、ということでした。生き生きと仕事している店員を見てエネルギーをもらうお客さんや、毎朝ご挨拶するだけで「私にも声をかけてくれて本当に嬉しい」と喜んでくれるお客さんがたくさんいる。心の寂しさや不安がある時に、人のちょっとした笑顔や親切や思いやりで、今日を生きるための小さな喜びや慰めや勇気をもらうことがある。それらはまさに私たちがダンスを通して人に伝えたいと思っていることだけれども、たとえダンスという仕事がなくなっても、日常生活のなかで行うこともできるんだなと気がつきました。
私はダンスが自分の天職だと思っていたし、この仕事しかないと思ってきました。けれどもじつはまったく違っていて、本当はどんな職業に就いていたとしても、やらねばならぬことはできるし、根本は変わらないのだと。今回のように深刻な人手不足でなかったら、私のように経験のない人がスーパーの仕事に雇ってもらえることはなかったと思います。でも、ダンス以外の生き方の中にも深く幸せを感じられたことは、自分にとって大きな自信になりました。人は孤独を抱えていて、心に寄り添ってくれるものとか、存在を認めてくれるものとか、とてもささやかだけれども大事なものを求めているのだということ。そういうものを大切にした踊りを今後は踊っていきたいと強く感じましたし、その1年間の体験が、今回の新作『BLACK ROOM』には反映されています。
『BLACK ROOM』中村恩恵 ©Yulia Skogoreva
安藤 ステイホームの期間中、はなさんもバーとリノリウムを購入したと聞きましたが、私も同じです(笑)。大学で教えているクラスが半年間ほどオンラインになったので、その指導のために。あとはあまり電車に乗らなくなり、自分で車を運転することが多くなりました。
ダンス面の変化で大きかったのは、これまでドイツにいたり、ニューヨークと行き来したりするのが当たり前だったのに、そうした予定が全部なくなったこと。ずっと日本にいるとなって、自分がこの年齢からまた新たに「人生の仕事」を探そうというベクトルが生まれました。私が表現することで、どれだけ人と関わり、繋がることができるのか? もっと舞台に立たなくてはいけないのではないか? 他の人はあんなに活動しているのに、私は何をやっているのか? そんな考えが頭をよぎったこともありました。
だけどありがたいことに、私はこのコロナ禍で何も失くしてはいない。逆に欲張らず、自分と向き合う時間が増えたぶん、自分自身の正直な気持ち、「私はこれがやりたい」という素直な思いを実現しやすくなった気もします。自分のライフワークだと思うことを、これからも気負わずやっていく。もはやこの生き方そのものがダンスであって、私が何をやろうとも、すべては踊りの延長線上にある。表現や芸術と離れることがないんです。だからもう怖いものは何もないし、今は本当の意味で、自分の第二の人生が始まっている感じがします。
Q7 あなたにとってダンスとは。
酒井 私の人生の中で、いちばん好きなこと。それがいちばんシンプルで、正確な答えだと思います。いつだって「自分の身体にはどんな可能性があるだろう?」等と考えていて、常にダンスがそこにある生活です。
中村 私は幼い頃から、空の雲を見るのが大好きで。庭の草の上にわあっと寝転がって、雲が流れていくのをずっと見ていました。雲を見ていると、地球が回っていることとか、季節の変わり目とか、気圧配置とか、気流の流れとか、目には見えないものが見えてくる。「魔女が追いかけてくる」とか「犬が食べられちゃう!」とか、物語みたいなものが生まれてくることもあります。だから私も雲みたいに踊りたいと、いつも思っていました。
踊りって、踊っていればそこにあるけれど、踊りやめた瞬間になくなってしまう儚いもの。でも、雲が何かの形を作るように、この身体を通して、目には見えないものを現すことができるものです。私にとってダンスは、例えば命の神秘とか、今ここにいない人とか、見えないものと繋がれる瞬間でもあるように思います。わざわざ自分で定義しなくてもそこにあって、私はそれに身体を委ねるだけ。それがダンスだという感じがします。
安藤 私にとってのダンスは、エネルギーそのものと一体になる作業。「自分」なんて無いけど在る、そのことを見せられる有効な表現であり、主題です。
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公演情報
TRIAD DANCE PROJECT
『ダンスの系譜学』 安藤洋子×酒井はな×中村恩恵