バレエを楽しむ バレエとつながる

PR
  • 観る
  • 知る
  • 考える
  • PR

【特集】愛知県芸術劇場2021-2022! 今こそ観たいダンスのことを、乗越たかおさんに聞いてみた。

阿部さや子 Sayako ABE

名古屋市最大の繁華街「栄」に聳える舞台芸術の殿堂、愛知県芸術劇場
日本でもトップクラスの機能を備え、バレエやダンス、オペラ、コンサート、演劇、ミュージカル等々、国内外の優れた舞台芸術が幅広く楽しめる劇場として親しまれています。

日本初の舞踊学芸員にして現在は同劇場のシニアプロデューサーを務める唐津絵理氏を中心に、これまで同劇場が招致やプロデュースをしてきた数々の公演は、バレエ・ダンスファンの間でもたびたび話題に。

さらに2020年4月にはダンサー・振付家・演出家の勅使川原三郎氏が芸術監督に就任し、ますます大きな注目を集めています。

この4月から始まる2021-2022シーズンのラインアップにも、あれもこれもと観たくなる面白そうなバレエ&ダンス公演がぎっしり。
なかでもとくに、〈バレエチャンネル〉読者におすすめのプログラムとは……?!

ということで今回は、ほぼ毎月1万字超えの骨太人気連載「バレエファンのための!コンテンポラリー・ダンス講座」でおなじみ、ヤサぐれ舞踊評論家こと乗越たかおさんに、注目の公演を解説していただきました!

【Contents】

  

編集長 阿部 愛知県芸術劇場の2021-2022ラインアップを見ますと、「イスラエル・ガルバン」「勅使川原三郎」「バットシェバ舞踊団」などなど、連載「バレエファンのための!コンテンポラリー・ダンス講座にもしばしば登場する名前が。となれば、これはぜひとも乗越さんに見どころを教えていただかねば!……ということで本日はよろしくお願いいたします。
乗越さん わかりました。何でも聞いてください!

【2021年6月23・24日】イスラエル・ガルバン『春の祭典』

【イスラエル・ガルバン】スペイン・セビリアに生まれ、著名な舞踊家である両親にフラメンコを学び、幼い頃より舞台に立つ。複雑でスピーディなフットワーク、卓越したリズム感、新たな世界を切り拓く独創性で知られる“フラメンコ界の革命児”。 ©︎Jean Louis Duzert

阿部 まずは今年6月の「ダンス・コンサート イスラエル・ガルバン『春の祭典』」です! イスラエル・ガルバンといえば、つい最近、乗越さん連載第11回・前編「サイトスペシフィック・ダンス」でも取り上げられていました。「フラメンコ界の革命児」等と称されるガルバンですが、ずばり、乗越さんが「ガルバンはここがすごい!」と思うのはどんなところでしょうか?
乗越さん イスラエル・ガルバンはもともと伝統的なフラメンコの天才と言われていた人。けれども彼は同時に非凡な創造性も持ち合わせていて、自分の中からとめどなく溢れ出てくる創作世界があまりにも巨大すぎて、結果的に伝統の枠を飛び越えてしまったんです。当然、伝統的フラメンコ界からは猛反発を食らい、裏切り者だと言われ、イスラエルは故国スペインを去ることになった。その後ヨーロッパを中心に高い評価を得て凱旋を果たしたわけですが、大事なのは、彼にはまず正統的な基礎が盤石にあるということ。そしてその上に、基礎の枠に収まりきれないほどのクリエイティビティがあるということです。だから、薄っぺらくない。表面的に「何か新しいことをやってやろう」とか「驚かせてやろう」ではなくて、ただ淡々と自分の舞踊を追求し、「自分にはどれだけのことが表現できるのか」に挑み続けていたらこうなった、というね。だから逆に言えば、フラメンコという伝統舞踊が持っている強さを、彼ほど証明している人はいないと思うんですよ。
阿部 最初から重要なポイントがありすぎて、いきなり太字だらけになりました……。いまのお話だけで、もうガルバンの舞台を観たくてたまらなくなりますね。
乗越さん ましてや、今回彼が踊るのは『春の祭典』ですよ。僕は、イスラエルは2つの意味で難度の高い挑戦をしていると思う。1つ目は、これがソロ作品だということです。ご存じの通りストラヴィンスキー作曲「春の祭典」は、太陽神を礼賛する祭典と、その生贄に選ばれて死ぬまで踊り続ける乙女を描いた大曲ですが、それをソロでやるってどういうことだよ、と(笑)。

イスラエル・ガルバン「春の祭典」より ©︎Jean Louis Duzert

阿部 確かに! オリジナルのニジンスキー版にしても、のちに誕生したベジャール版やピナ・バウシュ版にしても、私たちがよく知る『春の祭典』はいずれも多人数で踊られますね。
乗越さん 2つ目は、この「春祭」は現代音楽史上最も重要な作品と言われるほどの名曲であり、曲じたいがあまりにも強力で魅力的だということ。生半(なまなか)な人が踊ると、音楽の強さに引っ張られてしまって、何を踊っているかわからなくなってしまうんですよ。こうしたリスクを冒して、イスラエルは挑んでいる。これは非常にスリリングです。
阿部 想像するだけで鳥肌が立ってきますね……。
乗越さん また「春の祭典」は、不規則的なリズムや不協和音で構成されながら、プリミティブ(原始的)な魅力のある音楽ですよね。イスラエルはこれを彼1人の踊りと2台のピアノによる演奏で構成しているのですが、何と彼は、自分のタップだけで演奏する場面も設けているんです。
阿部 えっ、どういうことですか?
乗越さん ピアノ2台があれば、当然、音楽はピアノに任せて自分は踊りだけを……となりそうじゃないですか。でもイスラエルは、いくつかのシーンを自分のタップだけで演奏してみせるんです。しかも、「春祭」のなかでも超有名なフレーズのところを。本当に驚きのシーンです。ここはぜひ、音楽好きの方にも観ていただきたい。イスラエルの舞台には、上半身をしっかりと使って「いかにダンスを見せるか」というところと、音に徹底的に特化して「いかに良い音を出すか」という、両方の面があります。木の床や鉄板の上でステップを踏んだり、砂の上でジャリジャリと擦るように足を動かしたり、とにかくその足で、ありとあらゆる種類の音の出し方をしてくるんです。

ピアノを演奏するのはシルヴィー・クルボアジェ(写真左)とコリー・スマイス(写真右) ©︎Jean PHILIPPE

阿部 これはバレエファンのみならず音楽ファンにもお知らせしなくては……。他にも見どころはありますか?
乗越さん 先ほども言ったように、「春祭」というのは生贄の乙女がコンセプトにある曲ですが、イスラエルは片足だけに赤いソックスを履いていて、最後はそのソックスを観客に対してアピールするように踊るんです。これは僕もまだはっきりと確証を得ているわけではないのですが、おそらく彼は、自分というひとつの身体に、女性性も男性性も引き受けて踊ろうとしているのではないかと。
阿部 ああ、なるほど。
乗越さん 連載第11回・前編で紹介したドキュメンタリー映画にも出てくるエピソードなのですが、イスラエルは以前、ある作品で女装してフラメンコを踊ったんです。それが、フラメンコの伝統派の人たちを最も激怒させてしまった。しかしそのことについて、イスラエルはこう語っています。「自分は男・女ではなく、人間として踊りたいんだ」と。
だから、もしかするとイスラエルはこの『春祭』でも、生贄の乙女と、彼女を生贄として扱う男性的な集団との両方を、ひとつの身体で表現しようとしているのかもしれません。彼は他作品でも、よくジェンダー的なセクシャリティを撹乱するような演出をしていますしね。

イスラエル・ガルバン 「春の祭典」より ©︎Jean PHILIPPE

阿部 振付的な面での注目ポイントはありますか?
乗越さん ニジンスキー振付の『春の祭典』を写真などで見ると、内股で立って腕を頬杖みたいな形にした印象的なポーズがありますよね。あれが出てきます。バレエマニアのみなさんが観れば、「お、やってる、やってる」と楽しめることでしょう(笑)。しかし何せ、ロシアの雪どけの季節を描いた音楽を、太陽の国スペインのダンスが表現するわけですから、その対比がまずシンプルにおもしろい。そして音楽もダンスも、とにかく凄まじい迫力です。ストラヴィンスキーもバレエもニジンスキーもフラメンコも知らなくても、絶対に楽しいと思います。
阿部 しかしそもそも、イスラエル・ガルバンはなぜ『春の祭典』に挑んだのでしょうね?
乗越さん 最初の話に戻りますが、イスラエル・ガルバンはフラメンコの伝統という枠にがっちり押さえつけられもしたけれど、それは彼の基盤を作ってくれたものであり、多大なる恩恵も受けてきたわけです。それでも彼には、育ててくれた人たちや才能を認めてくれた人たちに背を向けてでも、表現したいものがあった。だから伝統の外へと飛び出していったわけです。それはまさに、ニジンスキーが『春の祭典』を作った時と同じではないでしょうか。ニジンスキーもまたクラシック・バレエに育てられ、バレエの天才だ、物凄いジャンプだともてはやされた。だけど「自分はそれだけじゃない」というところを見せたかったから、内股で首を曲げて背中も丸めて、ジャンプも一切ないあの振付を作ったのでしょう。ニジンスキーとガルバンは、心情的にとてもリンクするところがあるのだと思います。その意味では、ガルバンは「俺が振付けたのはストラヴィンスキーの『春祭』ではなく、ニジンスキーの『春祭』だ」と思っているかもしれませんね。

バレエファン必見!  ©︎Jean PHILIPPE

公演情報

ダンス・コンサート イスラエル・ガルバン『春の祭典』

【2021年4月30日追記】
◎本公演に出演を予定していたシルヴィー・クルボアジェ(音楽監督・ピアノ)とコリー・スマイス(ピアノ)は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、渡航が困難になったため来日中止。代役として、ピアニストの片山柊(かたやま・しゅう)と増田達斗(ますだ・たつと)が出演。
◎新型コロナウイルス感染拡大予防のため、6月23日(水)の公演は開演時間を19:00→18:30に変更

※詳細・最新情報は必ず公式ウェブサイトでご確認ください。

公演日時 2021年6月23日(水)18:30開演
2021年6月24日(木)14:00開演

上演時間:約70分/途中休憩なし

会 場 愛知県芸術劇場 コンサートホール
出演者 演出・振付・ダンス:イスラエル・ガルバン

音楽監督: シルヴィー・クルボアジェ

ピアノ:片山柊、増田達斗

その他 《神奈川公演》

2021年6月18日(金)・19日(土)・20(日)

KAAT神奈川芸術劇場

【2021年7月24・25日】勅使川原三郎演出・振付ダンス『風の又三郎』/8月11日勅使川原三郎新作ダンス公演『羅生門』

【勅使川原三郎(てしがわら・さぶろう)】 ダンサー・振付家・演出家。クラシック・バレエを学んだ後に、1981年より独自の創作活動を開始。パリ・オペラ座を始めとした欧州の主要バレエ団に振付を委嘱されるなど、海外からの創作依頼多数。2020年、愛知県芸術劇場初の芸術監督に就任。 ©︎Hiroshi Noguchi(Flowers)

阿部 続いて夏には、愛知県芸術劇場の芸術監督でもある勅使川原三郎の新作が2ヵ月連続で上演されますね! 7月は地元・東海圏の若いバレエダンサーたちと新作ダンス『風の又三郎』を創り、8月も新作を発表すると。
乗越さん 8月の新作は『羅生門』と発表されましたね。ゲストとしてハンブルク・バレエのアレクサンドル・リアブコ元NDTのヴァツラフ・クネシュを招くとのことで、どんな作品になるのか、僕も非常に楽しみなのですが。
阿部 乗越さんの連載で最も登場回数が多いのが、勅使川原三郎です。というかほぼ毎回、何らかのかたちで勅使川原について書いてくださっています。あらためてお聞きしますが、乗越さんから見た勅使川原三郎の天才性、魅力とは?
乗越さん あまり安易に天才という言葉は使いたくないのですが、世界的な実績を見れば、それ以外に言いようがないですね。ソロを振付けても、群舞を振付けても素晴らしい。舞台美術も自身で手がけるし、照明の作り方もじつに天才的。美術と照明にかけては、日本のアーティストのなかで最も長けているのではないでしょうか。限られた予算しかなくても、最小限のもので、「おおっ!」と思わせるものを作るという。
阿部 『風の又三郎』と『羅生門』、どちらも小説をモチーフにした作品ですね。
乗越さん 勅使川原は自作に宮沢賢治の作品のモチーフを使ったり、『銀河鉄道の夜』もダンス作品にしています。若い頃の勅使川原は鉱物的というか、人間的な生々しさではなく遠い天体の結晶世界のような作風でした。しかし現在はブルーノ・シュルツの小説を連続で作品化するなど、物語への挑戦も旺盛に行っています『風の又三郎』には大いに期待できますね。さらにこれは愛知県芸術劇場が“夏休みを家族と楽しむための舞台芸術フェスティバル”として開催している「ファミリー・プログラム」で上演されるものですから、子どもが見ても文句なしに楽しい作品になるでしょう。8月の『羅生門』も、芥川龍之介の原作小説か、別の芥川作品『藪の中』もミックスした黒澤明監督の映画に材を取るのか、期待が高まりますね。いずれにしろ人間の奥底に迫る作品になるでしょう
阿部 勅使川原三郎と言えば日本が誇る世界的振付家ですから、今回一緒に作品を作る東海圏の若いダンサーたちにとっては、宝物のような経験になりそうですね?!
乗越さん おっしゃる通り、勅使川原三郎は海外の名だたるカンパニーから振付の依頼が後を絶たないほど世界で高く評価されていて、パリ・オペラ座に至ってはすでに3回も彼に新作を委嘱しているんですよ。日本人振付家としてはもちろん他に例がないし、アジアでも珍しい存在でしょう。なのに日本のバレエ団が勅使川原に振付を依頼したことは、本当に数えるほどしかないという……。ですから愛知県芸術劇場が彼を芸術監督に迎えたというのは喜ばしいことで、愛知発の勅使川原作品がどんどん生まれるといいなと思います。
阿部 そしてとても多作な振付家という印象もあり、自身の活動拠点であるカラス・アパラタスでの「アップデイトダンスシリーズ」など、ほとんど毎月のように新作を発表されている気がするのですが……。
乗越さん いやもう本当に、尋常ではないですね。彼を見ていると、年齢とかキャリアとか関係ないんだなと思う。昔も今も第一線で作品を作り続けているのに、いまだに毎回必ず驚かされるものがあるし、必ず新しい挑戦がなされているし。なおかつ、本人が無理したり苦しんだりしている感じが、まったくない
阿部 作りたいものや表現したいことが、湧き上がって湧き上がってどうしようもない、という感じなのでしょうか……。
乗越さん これだけの天才性を持った芸術監督が、地元の若いダンサーたちと一緒に作品を作るというのは、とても貴重な取り組みだと思います。それによって彼ら・彼女らのレベルが上がれば素晴らしいですよね。

公演情報

勅使川原三郎 演出・振付ダンス『風の又三郎』

公演日時 2021年7月24日(土)15:00開演(14:15開場)
2021年7月25日(日)15:00開演(14:15開場)

推奨年齢:小学校高学年以上

会 場 愛知県芸術劇場 大ホール
スタッフ・出演者 原作:宮沢賢治

演出・振付/美術/衣装/照明デザイン/音楽編集:勅使川原三郎

アーティスティック・コラボレーター:佐東利穂子

出演:オーディションダンサー(赤木萌絵、石黒優美、石橋智子、菰田いづみ、佐藤静佳、澤村結愛、松川果歩、宮本咲里、横山礼華、吉田美生、渡邉菫)

勅使川原三郎 新作ダンス公演『羅生門』

公演日時 2021年8月11日(水)
会 場 愛知県芸術劇場 大ホール
出演者・スタッフ 振付・演出・美術・照明・衣装・音楽構成:勅使川原三郎
アーティスティック・コラボレーター:佐東利穂子

出演:勅使川原三郎、佐東利穂子、アレクサンドル・リアブコ(ハンブルク・バレエ)、ヴァツラフ・クネシュ(元 NDT)

笙 演奏:宮田まゆみ

【2021年9月10・11日】ナタリア・オシポワ/メリル・タンカード『Two Feet』

「Two Feet」よりナタリア・オシポワ ©︎regis lansac

阿部 これはもう、バレエ好きにとっては目が吸い寄せられずにはいられません! バレエ・リュスやパリ・オペラ座バレエで活躍しながらも精神を病んでいった悲劇のバレリーナ、オリガ・スペシフツェワの人生を描いた作品『Two Feet』。これを、元ボリショイ・バレエのスターにして現在は英国ロイヤル・バレエのプリンシパル、ナタリア・オシポワが踊るという公演ですね。
乗越さん これはピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団の主要ダンサーだったメリル・タンカードが振付けた作品で、もともとは1988年にタンカード自身のソロ作品として発表されたものなんですよね。翌年日本で上演された時は、僕も観に行きました。

メリル・タンカード

阿部 初演を観ていらっしゃるとは、さすがです! 今回のオシポワが踊るバージョンは、2019年3月のアデレード・フェスティバルで上演するために、そのオリジナル版を再構築した作品だそうですね?
乗越さん そうですね。まずオリジナル版では、オリガ・スペシフツェワの半生を彼女の当たり役だった『ジゼル』に重ね、そこにメリル・タンカード自身を投影した「メプシー」というキャラクターを交差させて描いていました。しだいに心を病んでいくオリガと、若くて陽気なメプシーのコントラストが際立っていて、とても面白かった。今回の版では、そこにさらにオシポワのボリショイ・バレエ学校時代のエピソードも織り交ぜていると。つまり、この作品には4人の女性が登場するということになります。オリガメリルオシポワ、そしてジゼルです。

「Two Feet」よりナタリア・オシポワ ©︎regis lansac

乗越さん オリガとオシポワは、共にロシアのバレリーナであり、どちらもジゼルが代表的な当たり役という共通点がある。そしてオリガはパリ・オペラ座を去ったのち、オーストラリアで精神的な病を発症したと言われているのですが、メリルはそのオーストラリアのシドニー出身。また、ジゼルは恋人に裏切られたショックで「狂乱」してしまうわけですが、これは精神を病んでいくオリガの人生ともオーバーラップする。……と、このように4人の女性たちが複雑に交錯するのが、この作品の非常に面白いところです。
阿部 うーん、よくできていますね……。
乗越さん オシポワの表現力の豊かさがこの作品にはとてもよく合っているし、オリガの踊るジゼルの映像も効果的に使われており、アーティスト同士が時空を超えて交流しているようでもあります。そして『Two Feet』というタイトル、これはもちろん「二本足」ということですが、英語で”Stand on one’s two feet”という言い回しがあるんですね。「自分の二本の足で立っている」=「自立・独立している、一人前になる」という意味ですが、この言葉に引っ掛けて考えるなら、ダンサーとして一人前になりたいと必死に努力する若いメリルと、一人前になった結果、精神を病んでしまったオリガという、2つのベクトルがこの作品にはあると言えるでしょう。
阿部 その2つのベクトルの対比は、切ないですね……。
乗越さん もうひとつ、”Feet in two different world”というフレーズもあります。これは「ふたつの世界に足を入れる」という意味で、この作品における“ふたつの世界”とは「正気」と「狂気」になるのかもしれない。もちろん、メリルがそこまで意図したかどうかはわかりませんが、『Two Feet』とはこんなふうにいろいろと連想できる、面白いタイトルではあります。
阿部 トウシューズを履いた2本の足は、バレリーナの象徴でもありますしね。
乗越さん そうですね。バレリーナにとって「足」というのは、自分を立たせてくれるものであり、踊らせてくれるものであると同時に、常に評価に晒されるものであり、その意味で自分を縛りつけるものでもあるのかもしれない。……と、こんなふうに言うとずいぶん重たい作品みたいだけれども、メプシーの存在によって明るくコミカルな場面もあります。今回の舞台では、オシポワが持つ“明と暗”両面の魅力と凄みを充分に味わえるのではないでしょうか。

「Two Feet」よりナタリア・オシポワ ©︎regis lansac

阿部 メプシー=メリル・タンカードが作品における“明”の部分を担っているとのことですが、しかしそもそもオリガ・スペシフツェワを材に取ったということは、タンカード自身にも、どこかオリガと重ねたくなる部分があったのでしょうか……?
乗越さん オリガ・スペシフツェワはロシア最高のバレリーナのひとりと称えられ、マリインスキー・バレエやバレエ・リュス、そしてパリ・オペラ座のエトワールまで上り詰めた人。傍(はた)から見れば最高のバレエ人生だけど、オーストラリア公演中に精神病を発症し、シドニー郊外のさびれた道を一人で歩いているところを保護されたりしたそうです。ピカピカに光り輝く舞台から、舗装もされていない寂れた道へ……これは、メリル自身の体験とも重なるところがあったのではないかと。
阿部 メリルの身にどんなことがあったのでしょうか?(涙)
乗越さん 『Two Feet』は、メリルがピナ・バウシュのもとで活躍したのち、そこを辞めてオーストラリアに戻ってきてから作った作品です。そしてさらにその後ではありますが、彼女はオーストラリア・ダンスシアターの芸術監督に就任したものの、トラブルの末に叩き出されるようにして職を去った。そんなふうにメリル自身も自分の居場所が急になくなる経験を経ていることが、この作品に深みを与えているのではないかと思います。最初にオリジナル版を振付けた頃はただ、ひとりの若いアーティストとしての恐れや不安や憧れから、オリガを想って作品を作っただけだったのかもしれません。しかしその後年齢を重ね、栄光も挫折も経て、オシポワという自分よりも優れたダンサーに託して再構築した今回の『Two Feet』は、若い頃に作ったそれとはまた全然違う視点でオリガのことを捉えているのではないでしょうか。

「Two Feet」よりナタリア・オシポワ ©︎regis lansac

公演情報

ナタリア・オシポワ/メリル・タンカード『Two Feet』

公演日時 2021年9月10日(金) 19:00開演
2021年9月11日(土) 14:00開演
※開場は開演の30分前
会 場 愛知県芸術劇場 大ホール
出演者・スタッフ 演出・振付:メリル・タンカード

ダンス:ナタリア・オシポワ

【2022年1月】バットシェバ舞踊団

【バットシェバ舞踊団】世界中の注目を集めるイスラエルのダンス・カンパニー。バットシェバ舞踊団と若手のバットシェバ・アンサンブルの2つのカンパニーで構成され、40名ほどのダンサーが所属。1964年、マーサ・グラハムを芸術アドヴァイザーに迎え、バットシェバ・ド・ロスチャイルドが設立。19902018年まで鬼才オハッド・ナハリンが芸術監督が務めた。写真は2017年度の公演より ©︎Tatsuo Nambu

阿部 そして年が明けると、イスラエルが誇る世界的ダンスカンパニー、バットシェバ舞踊団の来日公演が予定されています! 先ほどのオシポワ/タンカード『Two Feet』もこのバットシェバ舞踊団も、本当は昨年来日が予定されていたのに、コロナの影響で公演中止になってしまいました。今年度こそはぜひ実現してほしいです。
乗越さん バットシェバ舞踊団の初来日は1997年。ということは、2022年は来日25周年なんですよ。だからこれはぜひ実現してほしい。
阿部 バットシェバ舞踊団と言えば、約30年の長きにわたり同団を率いた振付家オハッド・ナハリンの名がすぐに浮かびますが、彼は2018年に芸術監督を退任していますね。後任はバットシェバ舞踊団のダンサーだったギリ・ナヴォットが務めています。
乗越さん オハッド・ナハリンは、現在は舞踊団のハウスコリオグラファーとして作品を作り続けています。ナハリンは20〜21世紀を代表するアーティストのひとりだと思う。彼が作った「GAGA(ガガ)」という独自の身体メソッドは、いまや世界中のバレエ団や学校で取り入れられています。それこそ、ボリショイ・バレエでも採用されているくらいですから。これほどの広がり方をしているメソッドはあまりないでしょう。
阿部 確かに!
乗越さん 本当に素晴らしい振付家ですから、2022 年の来日公演にどんな作品を持ってきてくれるのかが、非常に気になりますね。例えば昨年の来日公演で上演するはずだった『ベネズエラ』も、ナハリンが芸術監督して振付けた最後の作品だったしやっぱり来てほしいよな……と個人的には思っています。
阿部 先ほど「オハッド・ナハリンは20〜21世紀を代表するアーティストのひとりだと思う」とおっしゃいましたが、それはなぜですか?
乗越さん 1980年代から「新しいダンスの波」としてコンテンポラリー・ダンスが興ってきた頃、その中心地はフランス、ドイツ、ベルギーといった西ヨーロッパで、そこから世界へと波及していきました。つまり基本的には、西ヨーロッパが常に一方通行的に世界へ影響を与える、という構図だったんです。ところが数少ない例外として、“世界”の側からヨーロッパへと逆流し、圧倒的な動きの衝撃を持って“中心地”の人々を驚かせたものがあった。それが日本の舞踏と、イスラエルのダンスだったんです。
阿部 再び鳥肌の立つお話です……!
乗越さん 日本にイスラエルのダンスカンパニーが初めてやって来たのは、今から25年ほど前のこと。1995年にキブツ・コンテンポラリー・ダンス・カンパニーが来日したのですが、その当時は「イスラエルのダンス」と聞いてもフォークダンスの「マイムマイム」くらいしか思い浮かばなかったわけですよ。イスラエルのように戦争ばかりしている国に、まさかコンテンポラリー・ダンスがあるなんて考えてもみなかったから。それで「へえ、イスラエルのダンスか。珍しいねえ」と思って見に行ったら、もう、びっくりですよ。身体の使い方の理屈が、それまでの僕らが知っていたものとは、完全に違っていた
阿部 どう違っていたのですか?!
乗越さん コンテンポラリー・ダンスもやはりヨーロッパのものだったから、基本的には「バレエ」があった。バレエという基礎を使いこなそうとしたり、そこから自由になろうとしたり、違う展開にしようとしたり……と、真ん中には常にバレエがあったんです。ところがイスラエルのダンスは発想が根底から違っていて、いきなりトップスピードで踊り出す。ちょっと獣のような感じで。
阿部 獣のように踊る……かっこよすぎます。
乗越さん 彼らを観ていて思うのは、イスラエル人の身体は、西洋人の立ち姿を持ちながら、東洋人の中腰もできるなと。体幹が強くて重心が低いので、上半身の可動域が物凄いんです。身体の曲がる方向なんて人間みんな一緒なんだから、新しい動きなんてもう出てこないでしょ……と我々が思い始めていたところに、いきなり「なんじゃこりゃあ!!!」と。
阿部 身体のスペックじたいも独特なわけですね!
乗越さん イスラエルのダンスが世界に衝撃を与え始めた1990年代後半というのは、ダンスの中心地・西ヨーロッパではすでに“ひと山”を超えてしまった感があり、全体的に少し「コンセプト」に走りすぎた、頭でっかちなダンスが増えてきていたんですね。「ノンダンス」と言われる、ほとんど動かないジャンルまで生まれてきたりして。そうなると、人々は「いやもう、ダンスは身体でしょ。やっぱり身体の動きが観たいわ」と思い始める。まさにそんなタイミングで、その観たかったものが、中東イスラエルからドン! とやってきたわけです。「ああ、これ、これ!」と(笑)。あの時の衝撃は、今でも忘れられません。
阿部 しかし先ほどの乗越さんの言葉にもあったように、イスラエルはパレスチナとの問題を含めて紛争が絶えない国ですよね。そのような場所で、世界を驚かすようなダンスが生まれ続けているとは……。
乗越さん コロナ前の約20年間、毎年僕はイスラエルのダンス・フェスティバルに通い詰めました。テロがあっても紛争があっても、とにかく彼らを見たかった。イスラエルのダンスには、それだけの魅力がありました。空港から100メートルほど走ったところに爆弾でできた穴が空いていて、そこにタクシーが突っ込んでタイヤがパンクし、「あとは歩いて行け」と言われたこともありましたけどね(笑)。そんな状態なのに、ダンスに関してはガンガンやっている。その状況は衝撃的でしたね。
阿部 逆に、紛争が絶えず“死”が身近にあるような状況だからこそ、というところもあるのでしょうか……?
乗越さん あるかもしれませんね。イスラエルは国民皆兵国家と言われますけど、基本的に男女ともに兵役があるし、日常的に爆撃の警報が鳴っていたりもする。誰もが心のどこかで「明日死ぬかもしれない」と思っているから、やりたいことは我慢しないし、好きなものは好きだと言う。死が目の前にある人たちだから、薄っぺらい正義や理屈は通用しない。そういうところが、あのダンスの根底にはあるような気がします。
イスラエルのダンスは、ダンスが本来持っている“身体の威力”というものを、無条件で見せてくれますバレエの文脈とはまったく違う“身体の魅力”を、これでもかと見せてくれるんです。バレエのように研ぎ澄ませていく世界も素晴らしい。でも、それとはまったく別のものとして、雑多だけれども魅力的な、威力のある世界があります。それを体現し得たのがイスラエルのダンスであり、オハッド・ナハリンであり、バットシェバ舞踊団です。乱暴だけど洗練されていて、一つひとつの動きが驚きの発想に満ちている。これはもう、観れば無条件に感動すると思いますよ。

公演情報

バットシェバ舞踊団

公演日時 2022年1月30日(日)
会 場 愛知県芸術劇場 大ホール
出演者・スタッフ 演出・振付 : オハッド・ナハリン

ダンス : バットシェバ舞踊団

  

その他のダンス公演もチェック!

●2021年7月27・28日
《ファミリー・プログラム》「えんどうまめとおひめさま」

アンデルセン童話「えんどうまめの上のおひめさま」をもとにした、ノルウェーのダンスカンパニーによる楽しいパフォーマンス!

公演日時 2021年7月27日(火)
2021年7月28日(水)
会 場 愛知県芸術劇場 小ホール
出演者 製作:ディブウィク・ダンスカンパニー

原作:『えんどうまめの上のおひめさま』

県内ツアー 7月30日(金)~8月18日(水)あま、稲沢、幸田、豊川、名古屋、半田、碧南ほか

●2021年10月1・2・3日
《ミニセレ》トライアド・ダンス・プロジェクト「ダンスの系譜学」
安藤洋子×酒井はな×中村恩恵

海外の巨匠振付家をインスパイアし続けてきた3名の日本人女性ダンスアーティストを通して、バレエ/ダンスにおける「振付」について考えるプロジェクト。プティパが完成させた古典バレエをさらに更新したミハイル・フォーキン、バレエとモダンダンスとの融合を目指したイリ・キリアン、バレエを脱構築したといわれるウィリアム・フォーサイス。ダンスの地平を切り拓いた偉大な振付家たちの3作品と、アカデミックな価値を継承しつつ、ダンスの未来に向けて今日的な再解釈と新たな提案に取り組む3作品の、計6作品を上演。

「バレエファンにとくにおすすめなのは、酒井はなの『瀕死の白鳥』でしょうね。フォーキン振付のオリジナル版と、演劇カンパニー〈チェルフィッチュ〉主宰の岡田利規が演出・振付を手掛けた版の両方を踊ると。演劇作家に振付けさせるという新しい試みを行いつつ、クラシカルなものもちゃんと押さえているというところが素晴らしい」(乗越さん)

公演日時 2021年10月1日(金)19:00開演
2021年10月2日(土)15:00開演
2021年10月3日(日)15:00開演
会 場 愛知県芸術劇場 小ホール
出演者・演目 【振付の原点】
酒井はな:ミハイル・フォーキン 振付『瀕死の白鳥』(チェロ:四家卯大)
中村恩恵:イリ・キリアン 振付『BLACK BIRD』よりソロ
安藤洋子:ウィリアム・フォーサイス 振付『Study #3』よりデュオ(共演:島地保武)

【振付の継承/再構築】
酒井はな 出演:岡田利規 演出・振付「『瀕死の白鳥』その死の真相」(チェロ:四家卯大)
中村恩恵 振付・出演:『BLACK ROOM』(世界初演)
安藤洋子 振付・出演:新作(共演:小㞍健太、木ノ内乃々、山口泰侑)

●2021年12月3・4日
《ミニセレ》DaBYコレクティブダンスプロジェクト
~愛知県芸術劇場×Dance Base Yokohama

写真提供:Dance Base Yokohama ©︎Naoshi Hatori

発表の場である劇場(愛知県芸術劇場)と、創作の場であるレジデンススペース(Dance Base Yokohama/DaBY)が連携して、日本のダンスアーティストやクリエイターの育成と、実験的かつ完成度の高い作品の創造と展開に取り組むダンスプロジェクト。
DaBYのアソシエイトコレオグラファーを務める鈴木竜が演出・ 振付を務め、20〜30代のダンサー、若手音楽家、ドラマトゥルク、制作、また建築のバックグラウンドを持つ舞台美術作家が参加。従来のダンスの枠に囚われないクリエイターが集まり、各自の専門性・アイデアを生かした議論を重ね、複数の視点による実験を行いながら、新型コロナウイルス感染症が拡大する今の作品を模索する。

「若いクリエイターにとって、トライ&エラーを繰り返しながら作品を作り上げていくことはとても重要。しかしいまの日本には、それができる環境がなかなかありません。だからこれはとても意義のあるプログラムだと思います」(乗越さん)

公演日時 2021年12月3日(金)
2021年12月4日(土)
会 場 愛知県芸術劇場 小ホール
出演者・スタッフ 『never thought it would』

演出・振付・ダンス:鈴木竜(DaBYアソシエイトコレオグラファー)
ダンス:池ヶ谷奏 ほか

●2022年2月4・5・6日
《ミニセレ》OrganWorks 眠りの王国

Organ Works ©︎Hajime Kato

ダンサー・振付家の平原慎太郎が主宰するコンテンポラリー・ダンスカンパニー〈OrganWorks〉。2020 年からは〈古典への回帰と、様式や形式の考察と、その要素を現代の舞踊に取り込むこと〉をテーマに新企画をスタート。その第2弾となる今回は、ギリシア悲劇「眠りの王国」に挑む!
世界が混沌とし、まるで幾重にも折り重なったようなコミュニティ(別世界)が存在する現代において、その世界から跳び立つことを「眠り」として、2021 年という時代に重ね合わせて創作。

公演日時 2022年2月4日(金)
2022年2月5日(土)
2022年2月6日(日)
会 場 愛知県芸術劇場 小ホール
出演者・スタッフ 振付・出演:平原慎太郎

出演 : 佐藤琢哉、高橋真帆、渡辺はるか ほか

  

各公演の詳細・お問合せ先

愛知県芸術劇場(公益財団法人 愛知県文化振興事業団)

Tel:052-971-5609(10:00~18:00)
Fax:052-971-5541
E-mail:event@aaf.or.jp
URLhttps://www-stage.aac.pref.aichi.jp

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

NEWS

NEWS

最新記事一覧へ