コンテンポラリー・ダンスとは何か?
コンテンポラリーの魅力やおもしろさとは何か?
この問いの答えはきっと、コンテンポラリー・ダンスを創る人、踊る人、観る人の数だけあるのではないでしょうか。
そんな仮説をもって、コンテンポラリー・ダンスの振付家やダンサー、そして評論家や鑑賞者etc.いろいろな人に「あなたにとってコンテンポラリー・ダンスとは?」と質問してみるリレーインタビュー連載を始めます。
まずはその”序章”として、コンテンポラリー・ダンスの評論家といえばこの方、乗越たかおさんにご寄稿いただきました。
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【新連載】コンテンポラリー!
〜食わず嫌いのためのコンテンポラリー・ダンス案内〜 第0回
文/乗越たかお(作家・ヤサぐれ舞踊評論家)
強いて言えば「麺」
ダンス系出版では我が国を代表する新書館が満を持して本格的にweb展開するとは、じつにめでたいことである。そこで「コンテンポラリー・ダンスとは何か」というお題の第1回目の依頼を拝命した。今後は毎回違う人へリレー連載していくそうなので、全体像と概論を、僭越ながらコンテンポラリー・ダンスの著作を日本一出版しているヤサぐれ舞踊評論家たるこのオレが、解説させていただこう。
コンテンポラリー・ダンスも登場以来30年以上を経ているので、一般の人々も「土屋太鳳や森山未來がやっているやつね」ぐらいには認識されてきているようだ。
もっとも本ウェブを見ているようなツワモノのバレエファンならばコンテンポラリー・ダンスについての知識はお持ちだろう。しかし残念なことに、バレエとコンテンポラリー・ダンスの客層は、まだまだ見えない壁がある。
パリ・オペラ座バレエ団は、クラシック作品とコンテンポラリー作品を両輪と考えて、世界でも有数のコンテンポラリー作品を大量にレパートリーに持っているカンパニーなのだが、日本ではクラシック作品でないと恐ろしいほどにチケットの売れ行きが悪い。多くの優れたバレエダンサーが「自分の実力はクラシックのみに収まるものではない!」とコンテンポラリー作品で新しい表現に挑んでいるので、是非とも見てほしいものである。
だがまあ「コンテンポラリー・ダンスは何か」というのが簡単なことではないというのも事実。「ああ、あれね」と直感的に頭に浮かぶようなイメージはなかなかない。というのもバレエや社交ダンスやヒップホップのように、ある固有の技術体系やスタイルを指す言葉ではないからだ。定義しきれないほどの、わけがわからないくらいの多様さをひっくるめて「コンテンポラリー(同時代)」という、きわめて大雑把な括りで言っているに過ぎない。バレエも日本舞踊もストリートダンスも、ほとんど動かない「ノンダンス」も、広い意味ではコンテンポラリー・ダンスである。よく使うたとえだが、「焼きそば・ラーメン・蕎麦・スパゲッティ……」ときて「麺類」に相当するのがコンテンポラリーなのである。
なので「正統のコンテンポラリー・ダンス」とか「これはコンテンポラリー・ダンスとは言えない」などと得意げに言っている輩は、自らの語義矛盾に気づけないボンクラに過ぎない。ここ、重要である。
その成り立ちは
歴史的なことをいえば、その成り立ちにあたっては、ふたつの前駆的な要素があった。
ひとつは60〜70年代にアメリカで起こった、ダンスそのものを解体していくポストモダンダンスのムーブメントだ。彼らはマース・カニンガム(ちなみに今年は生誕100年周年である)からジャドソン教会派など、物語や意味性という「ダンスの当たり前」とされていたことをどんどん剥ぎ取っていった。これはダンスのみならず、一大アート革命として世界を席巻したのである。
その頃ヨーロッパでは、モーリス・ベジャールやローラン・プティなどが「バレエをベースに置きながらも革新的な作品」を立て続けに発表した。これは当時「モダンバレエ」と呼ばれていた。
この一見相反する2つの流れをうまく取り込んだフランス(マギー・マラン、アンジェラン・プレルジョカージュ、フィリップ・ドゥクフレ等)・ドイツ(ウィリアム・フォーサイス、ピナ・バウシュ等)・ベルギー(ローザス、ウルティマ・ヴェツ等)周辺を中心として、80年代に「新しいダンスの波」が起こったのだった。当初は単に「新しいダンス(ノイエ・タンツ、ヌーベル・ダンス)」と呼ばれていたが、周囲の様々なアートを取り込みながら、もはや「新しさ」を競う段階を超えて、拡散的に、もっといえば無定型に表現の幅が広がっていった(詳しく知りたい人はぜひ拙書『ダンス・バイブル〈増補新版〉』を参照してほしい)。
こうなると、ますますコンテンポラリー・ダンスの定義づけは難しくなってくる。ジョン・クランコやジョン・ノイマイヤー、イリ・キリアンやマッツ・エックやナチョ・ドゥアト、もっと言えばNoismの金森穣といった濃厚にバレエの要素が漂うものはモダンバレエなのかコンテンポラリーでいいのか。いやそもそもニジンスキー作品なんて完全にコンテンポラリーだろ。そういやイスラエル・ガルバンなどフラメンコやタップなど伝統舞踊のコンテンポラリー作品は? 特にシディ・ラルビ・シェルカウイなんて積極的に伝統舞踊と協働しているし。DAZZLEなどストリート・ダンス出身でも優れた物語作品を創るカンパニーが出てきている。現代サーカスは強い身体性と高い芸術性を併せ持ち、舞台芸術の世界で熱く注目されている(とくに先頃来日し、トランポリンと階段で浮遊感のある動画がネットでも話題になったヨアン・ブルジョアなど)。
いまや世界のフェスティバルでも「舞台芸術(パフォーミング・アーツ)」とザックリとした括りで包括せざるを得ないほど多様化している。そしてジャンル化されないその自由な多様性を保ち続けることこそがコンテンポラリー・ダンスなのである。
「中心」は世界中にある
最先端のコンテンポラリー・ダンス状況で重要なことは、モビリティである。
かつて「時代を代表するダンスの中心」は、世界でも数カ所と決まっていた。
モダンダンスはフランス・ドイツとアメリカ、ポストモダンダンスはアメリカ、コンテンポラリー・ダンスは西ヨーロッパ……というように。
しかし80年代から次第にカナダのフランス語圏であるケベック州や日本の舞踏、90年代はバットシェバ舞踊団やインバル・ピントらを擁するイスラエル、DV8や『白鳥の湖』がメガヒットしたマシュー・ボーンのイギリスなども加わる。舞踏の山海塾はパリ市立劇場で新作を発表し続け、勅使川原三郎はパリ・オペラ座バレエから3回も作品を委嘱されている(日本人として唯一)。
2000年代あたりからはフィンランド(テロ・サーリネンなど)に代表される北欧や共産圏から民主化していた東欧、急速な経済成長を背景に国を挙げてダンスをバックアップした中国や韓国という北アジア、石油バブルを背景に伸長した南米。2010年以降はスイスなど中欧や、シンガポールや台湾の躍進する東南アジアやモンゴルなど中央アジアが加わっている。ここ数年ではイタリアやスペイン、ハンガリーそしてロシアなども、国が力を入れてプッシュしている。
近年とくに注目なのはアフリカである。元々の身体性の高さに加え、中国の経済援助を受けた余力で大勢ヨーロッパに渡って学び、その成果を持ち帰ってきている。すでに気の利いたダンスフェスティバルはアフリカのカンパニーを積極的にブッキングしている。
……つまり「経済的に優位な一部の国がリードする構図」はもはや壊れているのである。日本でも「偉いセンセイが外国で技術を学んで国に持ち帰り、弟子に伝える」だけで精一杯だった頃とは、世界のあり方が変わっている。ましていまは世界経済の中心軸が中国などアジアへ移動しつつある激変期だ。人材も技術もアイデアも一瞬で共有されるし、一流アーティストから直にワークショップを受けることも容易だ。旧来の権威的な縦構造は、もはや通用しない。
世界のあちこちに「ダンスの中心」はあり、どこが正統、などの問い自体が陳腐である。それぞれの地域の伝統や文化を採り入れながら、独自性を育んで、次のダンスを生み出そうとしているのだ。
「バレエ的な作品」の未来形
コンテンポラリー・ダンスの形態も変わってきているので、バレエファンが目にする機会が多そうな「最新の形」を紹介しておこう。
それは作品の作り方、カンパニーのあり方の変化である。
30年ほど前、ダンスとはカンパニーでやるものだった。フランクフルト・バレエやヴッパタール舞踊団など、その多くは公的支援を受けたレジデンス・カンパニーだった。しかしフォーサイスが追い出されそうになり、結果的に04年にフランクフルト・バレエそのものが解散となったあたりから、次第にコストのかかる大カンパニーを維持するのが難しくなってきた。
その結果、コンテンポラリー・ダンスは個人レベルの活動が多くなったのだ。
「フランス人のプロデューサーが、有名なベルギーの振付家と、有名なドイツのダンサーを集めて小さいパッケージを作れば、チケットはすぐに売れるしツアーで簡単に回せる」というプロダクション志向が強くなった。
その嚆矢はいち早くフリーで活躍していたマッツ・エックといえるだろう。カンパニーを構える前のシディ・ラルビ・シェルカウイやアクラム・カーンなどは最大級のスターだ。商売的にはオイシイものの、作品は中規模のものしかできないうえ、「今売れるヤツらを使い倒す」という焼き畑農業みたいなやり方では、若い層が育たない。これは大きな問題とされてきた。
その結果、イギリスのサドラーズ・ウェルズ劇場や今度来日するオランダのNDT(ネザーランド・ダンス・シアター)などのように大きな劇場やカンパニーが若い才能をアソシエイト・アーティストとしてサポートすることに、より力を入れていった。そのため若い振付家でも、大人数を使った作品を作れる環境が整ってくるにしたがい、次の世代を担う人材が出てきている。力ある者は、そうした評価を経て、あらためて自分のカンパニーを構えたり、レジデンス・カンパニーの芸術監督に迎えられたりしているのだ。
筆者が特に注目しているのは、マルコ・ゲッケ、クリスタル・パイト、アレクサンダー・エックマンである。彼らに共通するのは、コンセプチュアルになりがちだった一つ前の世代に比べて、とにかくバリバリに踊ることだ。しかもバレエの基礎を存分に使いながら、高密度かつ意外性に満ちた新しい動きをものにしており、キッパリと新しい時代を予感させる。ドラマティックな要素も潤沢で、とにかく満足感が深いので、クラシック・バレエファンにも絶対に満足するはずだ。
マルコ・ゲッケ振付「WOKE UP BLIND」 © Rahi Rezvani
クリスタル・パイト振付「THE STATEMENT」 © Rahi Rezvani
彼らの作品がまとめて日本に紹介されれば、若い日本のアーティストのハートに一気に火をつけられるだろう。ぜひガンガン呼んでいただきたい。
ちなみに6月〜7月に来日するNDTには、この3人のうちの2人(マルコ・ゲッケ、クリスタル・パイト)の作品が含まれている。しかも同時上演のソル・レオン&ポール・ライトフットも高密度&胸を打つドラマの秀作である。「イリ・キリアンのいないNDTはちょっと……」などと二の足を踏んでいる人も、安心してみていただきたい。
コンテンポラリー・ダンスとバレエは、かつてないくらい渾然とし、新しい才能が一斉に芽吹こうとしている。千載一遇のチャンスを見逃さないでほしいのだ。オレも『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイド』の新版を執筆中だし!
ソル・レオン&ポール・ライトフット振付「STOP-MOTION Â」®Rahi Rezvani