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【特別寄稿】音楽評論家・林田直樹氏「チャイコフスキーとバレエ音楽」〜滝澤志野レッスンCD「Dear Tchaikovsky〜Music for Ballet Class 」発売記念

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ウィーン国立バレエ専属ピアニスト滝澤志野の新譜レッスンCD「Dear Tchaikovsky〜Music for Ballet Class」(ディア・チャイコフスキー〜ミュージック・フォー・バレエ・クラス)が、2021年4月27日いよいよ発売になりました!

発売を記念して、このCDに特別寄稿していただいた音楽評論家の林田直樹(はやしだ・なおき)さんによる解説文(*)を特別公開いたします。

*CD「Dear Tchaikovsky〜Music for Ballet Class」添付ブックレットにご寄稿いただいたものを転載しています

「チャイコフスキーとバレエ音楽」

文/林田直樹(音楽評論家)

華麗な宝石箱のような音楽を、バレエのために書くこと。

ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキー(1840-93)が、バレエ音楽の世界において果たした役割を一言でいうなら、そういうことになるだろうか。

それまでのバレエ音楽は、あくまで舞踊が主人公で、音楽はそれを控えめに支えるべきであり、19世紀までの古い価値観で言うところの「よく躾けられた娘のように主張しない」のが適切であるとされていた。バレエ音楽は専門家たちの領域であり、交響曲やオペラを書くような一流の作曲家は手を出すべきものではない、とされていた。

ところがチャイコフスキーは違った。若い頃から劇場で演劇やバレエにも親しみ、お気に入りのダンサーの踊り方を真似するほどバレエには特別な関心を寄せていた。「最も洗練された、無垢な芸術」。それがチャイコフスキーのバレエ観であった。

バレエ音楽のためにチャイコフスキーがやったことは、オペラや交響曲のために用意していた、最も自信のある音楽的素材を、惜しげもなく投入することであった。当時流行していたワーグナーの楽劇に匹敵するような壮大なドラマを音楽に持ち込み、舞踊と音楽が同じくらいの力で緊迫感をもって高め合う総合芸術を目指そうとした。

Peter Ilyich Tchaikovsky (1840-1893)

バレエを愛する何人かの指揮者に、チャイコフスキーの真髄とは何ですか?と聞いたことがある。「リズムの生命力」、とある指揮者は答えた。一見どんなにシンプルなリズムであっても、そこに激しく脈打つような熱い血が通っていなければ、決してチャイコフスキーの音楽にはならない。「人の声の音域の中だけでメロディを作るから美しい」、と別の指揮者は答えた。その通りかもしれない。チャイコフスキーの旋律の多くは、極端に高い音域や低い音域に行くことはない。器楽曲であっても、人の声の範囲内で歌える、無理のない抑揚でできている。だからこそ親しみやすい。「バレエ音楽として書かれた作品でなくとも、すべてバレエに転用できる」という指揮者もいた。チャイコフスキーの音楽そのものに、バレエ的な要素があらかじめ含まれている。20世紀のモダン・バレエを切り拓いた偉大な振付家ジョージ・バランシンは、そのことを良く知っていたからこそ、チャイコフスキーの交響曲やピアノ協奏曲や弦楽セレナードなどから、次々と新しい振付作品を生み出したのだろう。

チャイコフスキー自身の指揮者用スコアを見てみると、そこには至るところに力強い線や表情が鉛筆で書き込まれ、演奏者への指示が記されている。「自由に、心を込めて、大いに表現力豊かに弾くこと」「できる限り速く」「法外の速さと狂ったような力で」という要求や、fffffffppppppppppppといった異常なまでの強弱の対比も特徴的である。それは、物理的な音量ということではなく、あふれんばかりの情熱の豊かさと解すべきだろう。

チャイコフスキーが心の安らぐ場所としてある時期から毎年のように頻繁に訪れた場所が、最愛の妹アレクサンドラが嫁いだ先の、ウクライナの穀倉地帯にあるカーメンカのダヴィドフ家である。自分の家庭を持つことのできなかったチャイコフスキーは、本来は無類の子供好きであり、ここで7人の子供たちと一緒に遊ぶのを好んだという。

「アンダンテ・カンタービレ」「ピアノ協奏曲第1番」「交響曲第2番」など、多くの名作のきっかけとなる楽想がここで生まれており、バレエ『白鳥の湖』の原型となる子供たちのための舞踊劇も作曲されたといわれている。

甥や姪たちとはその後成長してからも深い付き合いが続き、たとえば交響曲第6番「悲愴」は、成人して間もない次男ウラディーミルに献呈されている。国王や貴族などのパトロン、あるいは仲間や友人に芸術作品を献呈する例は多いが、次の時代を担う最愛の子供にこそ、最高の芸術作品を捧げるという行為には、チャイコフスキーの考え方が良く示されている。

ダヴィドフ家の子供たちがウクライナで生まれ育ったということも重要である。現代ウクライナの作曲家シルヴェストロフによると、私たちがロシア的だと思っているような甘く抒情的なメロディは、本来ウクライナ民謡の特徴でもあるのだという。チャイコフスキーの音楽も、ここから大きな影響を受けている。ウクライナはロシアよりもヨーロッパに近く、文化的にもウクライナが兄でロシアが弟というくらいの関係にあることも覚えておきたい。

チャイコフスキー自身、幼年時代はとても繊細な子供だったのだという。作曲家が4歳から8歳までの間、チャイコフスキー家に滞在して教育係をつとめたフランス人家庭教師ファンニ・デュルバッハは「ガラスの子供」と呼んでチャイコフスキーを可愛がり大切に育てた。別れた後も文通は続き、1892年の末には、彼女が住むスイス国境に近いフランスのモンペリエにまで訪ねていき、思い出の品を見せてもらったりしながら、再会を楽しんでいる。

驚かされるのは、52歳にもなって、しかも猛烈に多忙だったスケジュールの合間を縫って足を運んでいたことである。今で言うなら幼稚園の先生に会いに行ったようなものだ。思い出を大切にするということ、自分自身の子供時代を振り返るということに対して、チャイコフスキーがどれほど人生における高い価値を見出していたかがわかるエピソードである。

ある指揮者は、チャイコフスキーの音楽について、「過去に幸せがある感じがする」と言っていた。人はいつも思い出を参照しながら、それを糧にしながら生きていく。子供の頃にあったさまざまな出来事、季節の感覚、美しい体験。それらこそが、生きるための後押しを、いつまでも続けてくれる財産なのだ。たとえば、このディスクにも収められている交響曲第6番「悲愴」第1楽章の第2主題。あれは、どんな絶望にあるときでも、何度も甦ってはあなたを助けてくれる思い出のことかもしれない。

♪CD「Dear Tchaikovsky〜Music for Ballet Class」より交響曲第6番「悲愴」(アダージオ)

 

チャイコフスキーの音楽の特徴として、もうひとつ忘れてはならないのが、「日常の現実よりも、夢と魔法の世界の方がはるかに力強く、真実である」という世界観を信じさせてくれる点である。たとえば、『くるみ割り人形』で、クリスマス・イブの夜に起きた出来事を思い出してみよう。部屋の隅にあったちっぽけなクリスマス・ツリーが、みるみる大きくなりはじめ、天を衝くような巨大な樹木へと成長していく。そう、本当のクリスマス・ツリーとは、大人たちが目にしているようなみすぼらしいものでは決してない。いままでに見たこともないくらいの幻想世界へと子供をいざなってくれるはずのものだ。それは舞台装置の力だけではなく、チャイコフスキーの音楽の力によってこそ実現される。あの場面でのオーケストラの最強音の全合奏は、幻想の現実に対する勝利である。

そもそも、バレエとは幻想の世界を舞台上に実現するための芸術である。なぜポワントで立たなければいけないか? なぜ重力を感じさせないように、軽々と宙に止まって見えるかのように跳ばなければいけないのか? それは、美しさやエレガンスだけのためではない。最終的には、この世のものではないような幻想を作り出すための技術である。チャイコフスキーの音楽ほど、その本質と響き合うものはない。

ウィーン国立歌劇場のバレエ・ピアニスト滝澤志野さんの演奏によるこのディスクの演奏は、全曲がチャイコフスキーの楽曲によって構成されている。踊りやすいように細やかに配慮された演奏を聴きながら、筆者も、さまざまなバレエの名場面を思い出したり、オーケストラ曲がピアノで身近な響きになっているのを楽しむことができた。

すぐれたダンサーは例外なく、音楽の良き聴き手であり、良き解釈者である。たくさん聴いて楽しみ、味わうことは、踊りを高めてくれるはずである。ここで出会ったチャイコフスキーの音楽も、きっとさらなる喜びをあなたに与えてくれることだろう。

林田直樹(はやしだ・なおき)

音楽ジャーナリスト・評論家
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバーまで、近年では美術や文学なども含む、幅広い分野で取材・著述活動を行なう。
著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)、「クラシック新定番100人100曲」(アスキー新書)、「バレエ入門」(共著、ヤマハミュージックメディア)、他。
2017年には「ソング・オブ・サマー 真実のディーリアス」(エリック・フェンビー著 小町碧訳 アルテスパブリッシング)の出版プロデューサーとして、クラウドファンディングを成功させた。老舗ジャズ喫茶「いーぐる」での連続シリーズ「横断的クラシック講座」は書籍化の予定。
月刊誌「サライ」(小学館)に「今月の推薦盤」を連載中。インターネットラジオ「カフェフィガロ」パーソナリティ(2005年~)、「OTTAVA」プレゼンター(2007年~)。WebマガジンONTOMO(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。
TW: https://twitter.com/doyoubinohon
FB: https://www.facebook.com/Lindennikki

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Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニスト・滝澤志野の新シリーズ・レッスンCDが誕生!
バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)

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