新国立劇場バレエ団がマクミラン振付『マノン』を初演したのは、同バレエ団が発足してまだ6年しか経たない2003年のことでした。
「初演の時のことは、いまでも鮮明に覚えています。『マノン』は私がここで踊った18年のキャリアのなかでも、いろいろな意味で“トップ”にある作品ですから」
そう話すのは、この初演において〈レスコーの恋人〉を踊った湯川麻美子さん。
新国立劇場バレエ団設立当初からカンパニーの中核を支えた元プリンシパルで、数々の現代作品で主役を踊ってきた名バレリーナ。現在は同バレエ団のバレエ教師を務めています。
バレエ団きっての演技派でもあったバレリーナが、『マノン』を通してつかんだ“宝物”とはーー。
作品の見え方に深さを与えてくれる、素晴らしいお話です。
ぜひページトップの動画と併せてお楽しみください。
Videographer: Kenji Hirano, Kazuki Yamakura
動画編集:Ballet Channel
異なる文化や時代を理解することの壁
- まずは湯川麻美子さんのなかにある『マノン』の思い出を、ぜひ聞かせてください。
- 湯川 初演は2003年ですので、いまから17年前になりますね。新国立劇場バレエ団はいまでこそもう20年以上の歴史がありますが、当時はまだ発足して数年というところでした。その約2年前に『ロメオとジュリエット』を初演し、マクミラン作品を上演するのは2作目ではありましたが、やはり『マノン』独特の非常に高い演劇性、ましてや現代の日本とは文化も時代背景もまったく異なる物語を、私たちがどう表現できるのか……例えば『マノン』の主な舞台として“娼婦の館”がありますが、それは日本の“遊郭”ともまた違います。そうした時代や文化の違いを理解することがまず、とても高いハードルだった気がします。
私自身も、当時は英国ロイヤル・バレエの『マノン』を映像で観たことがあった、というくらいの状態でした。ですので、もちろん振付自体も技術的にものすごく難しいと思ったのですが、それ以上に、あの世界観を日本人である私たちがどういうふうに演じられるだろう? と。『ロメオとジュリエット』のほうがまだ話としても馴染みがありましたけれど、この『マノン』は、私たちがもう少しステップアップしなくては表現ができない作品だと感じました。日本のバレエ団で初めて『マノン』を上演できるということが嬉しかったのは確かですが、同時に「どうしよう……」という不安がまず先に立ちましたね。
第2幕、娼家の場面。中央がレスコーの恋人役を踊る湯川さん
”娼婦”と”高級娼婦”はまったく違う
- 初演の際、湯川さんは主要な役のひとつである〈レスコーの恋人〉にキャスティングされました。当時から確かな“演技力”に定評のあるダンサーでいらっしゃいましたが、それでもなお難しく感じたわけですね。
- 湯川 私はその前の『ロメオとジュリエット』でも、ロメオと仲の良い“娼婦”の役を踊らせていただいていました。でもレスコーの恋人は“高級娼婦”。高級娼婦というのは、教養も知識もお金もある。上流階級の男性の“お相手”をして、パトロンに美しいドレスを着せてもらって……と、『ロメオとジュリエット』の娼婦とはまたぜんぜん違うんです。ただ、指導者の先生方によく言われたのは、「彼女は自分自身の財産があるわけでも、自分自身で稼いで生きているわけでもない。この頃の女性たちはみな、相手の男性によって、自分の人生が左右されていた」と。ましてや“高級娼婦”というのは、一見華やかで何の苦労もなく生活しているように見えるけれども、相手の男性がプイっと離れていってしまったら、もう道端に立って体を売らなくてはいけないかもしれない。象徴的な場面として、第1幕や第3幕の冒頭に、髪を短く切られて流刑地へ送られていく女性たちが出てきますよね。高級娼婦は表面では華やかな生活を送っているように見えるけれど、すぐ後ろには、いつでもあの女性たちと同じように転落し得る危うさが張りついている。だから男性たちに対して強気で振る舞っているように見えても、常に顔色をうかがっているんです。彼らの気分ひとつで、自分の人生は天国にも地獄にも転がってしまうのですから。そんな危機感に怯えながら生きているというところが、この役の深いところだと思います。
- 深いですね……。
- 湯川 私を含めて当時のダンサーたちの多くはまだ20代。若いうえに、当然ながらそのような人生の経験はありませんでしたから、表現するのが本当に難しかったと思いますね。
- そのような難しい役どころを、湯川さんはどのようにしてつかんでいったのでしょうか?
- 湯川 『マノン』と同時代を描いた映画を観たりしましたね。ちょっとした仕草や、下品にならない色っぽさを表現するためのヒントをつかみたくて。他の演目の時もそうでしたけれど、私は時代背景を考えるのに、よく映画等を参考にしていました。
いま、ここで初めて生まれたドラマのように
- 湯川さんをはじめ、出演者全員がそのように懸命に自分の役を掘り下げて演じたからこそ、いまなお記憶に残るあの舞台が生まれたのですね。
- 湯川 もちろんまずはテクニック的なことをスタジオでのリハーサルできちんと練習して、これだというものを作り上げなくてはいけませんが、あの時は同時に“表現”ということも一緒にスタートする必要がありました。技術ができて、あとから表現をつけるというのではなくて。舞台でも、スタジオでも、なぜその一歩を踏み出すのか? その手は何の意味があって出したのか? どんな意思があるから体がそう動いているのか?――もちろんその一歩の踏み込み方を技術的にどう美しく見せるか、ということのリハーサルではあるけれども、まずそこに意思があって、動く。そして、まるでいまその場で初めて起こっていることであるかのように、動く。毎回練習通りにやるのではなくて、そのドラマが今日ここで初めて生まれたことであるかのように、演じる。それが、こうした演劇性の強いバレエにおいていちばん大事だと思うんです。
初演の時、私は全日、レスコーの恋人役を踊らせていただきました。レスコー役はじめ他の役は日によって別のダンサーが演じますが、私は毎日同じ役。そこまでにも毎日リハーサルをやってきた上で舞台に立つので、つい慣れっこになりがちなんですね。「ここの音楽がきたらこうやって、次の音でああやって……」と。でも、それではいけない。例えばレスコーに頬をはたかれるシーンがあるのですが、もうはたかれることがわかっているから、ついタイミングよくよけてしまう。すると先生方からよく「よけないで!」と言われました。いまそこで初めて叩かれるからびっくりするのよ、と。そんなこともありましたね。
- あれだけ複雑な振付を踊りながら、まるでいま起こっている出来事のように新鮮に踊る、と……。
- 湯川 そうですね。あと、初演の時は、ゲストダンサーもたくさんいらしたんです。初日のマノン役は、私の大好きなアレッサンドラ・フェリさん。その相手のデ・グリュー役はロバート・テューズリーさんで、レスコー役はドミニク・ウォルシュさん。これだけ超一流のダンサーたちのなかに入ると、自然に私も「湯川麻美子」という日本人ではなくなって、映画の世界に入り込んだかのような錯覚を覚えました。イメージのなかでは、自分もあのように堀の深い顔立ちをしたフランス人になれた。そういった感覚は、彼らによって引き出していただけたような気がします。
またフェリさんは、第2幕で私と少し喧嘩をするシーンがあったんですね。彼女はリハーサルの時から、私に対してちょっと放送できないくらい(笑)汚い言葉を浴びせかけながら、私がよろけるくらいの勢いで、真剣につかみかかってきてくださいました。そして、「もっとかかっていらっしゃいよ!」と。毎回それを違う感じで演じてくださったりもして、本当に勉強させていただきましたね。芝居というのは、練習して毎回同じようにマイムを繰り返すことではない。その出来事は、いまこの現場で起こっているんだ、ということ。そしてそれがお客様に伝わった時に、みなさんがどきっとしたり、感動したり、涙を流したりするのではないかな、と思いました。
- あらためて、本当に大きな経験だったのですね……。
- 湯川 ここで踊らせていただいた18年のキャリアのなかでも、本当に貴重な経験をさせていただきました。私にとって、大切な大切な思い出と作品です。
「プロとは何か」を真に問われた作品
- そしてお手元に持っていただいているのは……?
- 湯川 はい、2003年初演時の公演プログラムです。これも私の宝物なので、ずっと大切に持っています。あの時は本当に大変で、リハーサル期間中も毎日誰かがロッカールームで泣いている、みたいな状況でした。要求されることに一切の妥協がなくて、「違う」と言われて何日練習をしても、やはり「違う」と言われてしまう。もう自分ではどうしたらいいのか、どう変えたら正しいのかがわからなくなって、私も泣いたことがあります(笑)。できないことが、悔しかった。でもそれだけ大変な思いをして苦労をしたぶん、あの舞台に立てたことが、そのあとのキャリアにもつながったのではないかなと思います。このプログラムには、その思い出がいっぱい詰まっているんです。
- 素敵ですね。そうやって作品も、バレエ団のなかで大事な宝物になっているんですね。
- 湯川 そうですね。このひとつの舞台を踊りきったあとに、みんなで「乗り越えたね」って。一体感もすごくあったと思います。バレエ団の全員で、団結できた作品でもありました。たくさん踊る役の人もいれば、演技が中心の人もいましたけれど、みんなが本当に一つひとつ、一時一時(いっときいっとき)真剣で、同じ集中力、同じ緊張感で臨んでいたので。だから初日の幕が無事に下りた時、バレエミストレスやバレエマスターの先生方も一緒になって、みんなで喜び合いました。
『マノン』は、私たち新国立劇場バレエ団のダンサーたちが、真の意味ではじめて「プロとは」という試練に立ち向かわざるを得なかった作品だったように思います。もちろん、それまでもプロフェッショナルとして、毎回の舞台に向き合っていました。けれど、これほどまでに大きくて高い壁にぶつかったことはなかったし、もがいて、苦しんで、それでも何とかして乗り越えた経験は、間違いなく私たちの身体と精神を強くしてくれました。『マノン』という作品に出会えたことが、私の大切な宝物。少しでも多くの方に、ぜひ観ていただきたいなと思います。
★2月18日より掲載してきました『マノン』大特集、ラストは日本人として初めてマノン役を踊った酒井はなさんの登場です!
公開は2月27日(木)を予定。どうぞお楽しみに!
公演情報
新国立劇場バレエ団『マノン』