
【現地レポート】新国立劇場バレエ団「ジゼル」ロンドン公演
①米沢唯の儚いジゼル、井澤駿のエモーショナルなアルブレヒト。群舞への喝采に沸いた開幕公演
②小野絢子と福岡雄大が主演。1幕と2幕のコントラストも鮮やかに
2025年7月26日(土)14:00開演【3日目・昼】
- 〈主な配役〉
- ジゼル:柴山紗帆
アルブレヒト:速水渉悟
ヒラリオン:渡邊拓朗
ミルタ:山本涼杏
ペザント・パ・ド・ドゥ:飯野萌子、石山 蓮
公演3日目はマチソワ、昼夜2回公演の日だった。
昼公演の主役は、共に2023年にプリンシパルに昇格した柴山紗帆と速水渉悟。ヒラリオンは渡邊拓朗、ミルタは山本涼杏、ペザント・パ・ド・ドゥは飯野萌子と石山蓮。フレッシュなキャストが多く、指揮もこの公演のみ新国立劇場レジデント・コンダクターの冨田実里が振るという意味でも、観るのを楽しみにしていた回だった。
柴山紗帆のジゼルに心が震えた。第1幕冒頭、ジゼルの登場。胸をときめかせながらロイス(アルブレヒト)の姿を探すも見当たらず、がっかりして家に戻ろうと振り向いたらそこにいた!……という場面が個人的に大好きで、ここをジゼル役のバレリーナがどう演じるか、オペラグラス片手に長年注視してきた。この日の柴山の演技は、私の中の“歴代名演リスト”に刻まれたことをここに報告したい。年甲斐もなくこんなことを語って申し訳ないのだが、いまこれを読んでくださっている読者のみなさんは、初恋の頃の気持ちを今でも覚えているだろうか。あの甘い胸苦しさを、柴山ほどリアルに表現できるバレリーナはそういない。あるいは1幕終盤「狂乱の場」。混乱し、激しく泣いて倒れ込み、ゆっくりと顔を上げた時の悲しい目も忘れられない。柴山のジゼルの何が素晴らしかったかといえば、演技が演技に見えなかったことだ。表情や動作に「作っている」という気配がなく、踊りにも芝居にも大袈裟なところや嘘がない。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」柴山紗帆(ジゼル)©Foteini Christofilopoulou
月のように内気で、ガラス細工のようにデリケートで、恋人の裏切りにあっけなく壊れてしまうのも無理はないジゼル像。そんな彼女の夢中になる相手が、凛々しくてサバサバした物腰の、太陽のように眩しい速水渉悟のアルブレヒトであることは、物語として納得感がある。演劇性が強調された吉田都版『ジゼル』の中にあって、速水の演技はやや淡白な印象に映るかもしれない。しかし抜群のテクニックをあくまでもエレガントにまとめる踊り方、軽いバットゥリーでもつま先までスッと伸びるノーブルさなど、踊りそのもののクオリティで“アルブレヒトらしさ”を示していく舞踊性重視の表現も、これはこれでとても魅力的だ。

ペザント・パ・ド・ドゥを踊る飯野萌子と石山蓮。飯野は首の傾げ方や肩の入れ方など、細かな部分にセンスを感じさせるチャーミングな踊り。石山は溌剌としたステップやスカッと打点の高いジャンプなどが観ていて爽快、輝きのあるダンスを見せた ※写真は舞台稽古より ©Tristram Kenton
*
第2幕。コール・ド・バレエは引き続き文句なしの迫力で、この回ではいっそう頻繁に喝采が送られていた(くだんの、左右に分かれたウィリたちの群がアラベスク・タン・ルヴェで交差する場面も、早々に拍手が起こった)。

ミルタ役はソリストの山本涼杏(写真右)。しっかりと落ち着いた踊りで凛々しい女王だった ©Foteini Christofilopoulou
もうひとつ、客席の空気が興奮を帯びた場面があった。それはヒラリオンがウィリたちに仕留められるシーンである。
この一連の場面は、時間にするとおそらく2分半〜3分足らずだろう。しかし、とてもそうとは思えない。ウィリたちに捕えられたヒラリオンは、大小さまざまなジャンプが含まれた振付を、息も絶え絶えな様子で激しく踊り、苦しそうに床に倒れ込んでは立ち上がってまた踊る。肩で息をする、倒れては起き上がるを繰り返すといった“苦しみ”の表現は、実際に踊り手の体力をひどく消耗するという。また、彼は夜の森の危険も顧みずいち早くジゼルの墓を訪れたのに、後にやってくるアルブレヒトとは違って、ジゼルの霊が助けに来るどころか逢いに来ることすらない。その事実が、ヒラリオンの最初で最後のダンスシーンにいっそうの悲愴さをまとわせる。さらにこの吉田都版では、最期のステップを終えたヒラリオンの両腕をドゥ・ウィリがガシッとつかみ、くの字に折り返す坂道の上まで連行して、死の沼に突き落とす。ヒラリオンの身体が断崖の向こうに吸い込まれ、ウィリたちが満足げなポーズでフィニッシュを決めると、ロイヤルオペラハウスの客席からどよめきと大きな拍手が沸き起こった。

「森に狼や猪がうようよしていた中世には、森番というのは閑職どころではなく、弱虫に務まるような仕事ではなかった。(中略)農村の人々の間では森番は一目置かれる存在で、普通は村の娘にとっても人気があった」(シリル・W・ボーモント著『ジゼルという名のバレエ』)。渡邊拓朗(写真中央)の演じるヒラリオンはまさしくそのイメージ。鋭くも翳りのあるまなざし、がっしりとしてワイルドな立ち姿。ジゼルにとっては恋愛対象外だったかもしれないが、われわれ観客にとってはどきりとするほど色気のあるヒラリオンだった ©Foteini Christofilopoulou
端正なポジション、澄んだポワントワーク、衒いのないポール・ド・ブラ。柴山紗帆というバレリーナにジゼル役は本当によく似合うと、再確認した舞台だった。
またアルブレヒトのヴァリエーションでは、速水の実力が遺憾なく発揮された。下手奥から上手前への対角線上で行われるカブリオール・ドゥヴァンの繰り返しで、速水の脚がスパン!と高く上がった時、私の隣席の女性は感嘆したように上体をのけぞらせた。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」速水渉悟(アルブレヒト)©Foteini Christofilopoulou
夜明けを告げる鐘が鳴り、アルブレヒトの手をそっと取る、柴山ジゼルの清らかな細い指。彼女の気配はどんどん薄くなり、間もなく消えてしまう。そのさまを表現する静かな足踏み(パ・ド・ブーレ)の、極上の柔らかさにホロリとした。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」柴山紗帆(ジゼル)、速水渉悟(アルブレヒト)©Foteini Christofilopoulou
- 【観客の声】
- 終演後、2組の観客に感想を聞いてみた。
ロンドン近郊の街に住んでおり、ロイヤルオペラハウスでバレエを観るのは年に3〜4回だという年配の夫婦は、「エクセレント!」とひと言。また、「本当は息子と一緒に観る予定だったけれど、彼は急な仕事が入ってしまったので一人で来た」という70代の女性は、「うっとりするような舞台でした。日本のバレエ団を観るのはこれが初めて。フットワークや腕の運び方が、ロシアバレエのスタイルとは少し違うように感じました。本当に、夢のように美しかった」と話してくれた。
2025年7月26日(土)19:30開演【3日目・夜】
- 〈主な配役〉
- ジゼル:米沢 唯
アルブレヒト:井澤 駿
ヒラリオン:中家正博
ミルタ:吉田朱里
ペザント・パ・ド・ドゥ:池田理沙子、水井駿介
公演3日目の夜公演。
ついに、ここロイヤルオペラハウスを埋め尽くす観客が総立ちになり、新国立劇場バレエ団に向けてスタンディングオベーションを送る光景を見ることができた。
初日と同じ配役で上演されたこの回は、吉田都芸術監督下の新国立劇場バレエ団の、ひとつの到達点を示すものだったと言える。
まず、ダンサーたち全員の演技が素晴らしかった。ナチュラルなのに集中力がみなぎっていて、余計な力は抜けているのに熱量がある。血の通った演技、というのだろうか。立ち居振る舞い、仕草、目線、表情などから、村人たちの会話や感情、一人ひとりの人物像が生き生きと伝わってきた。これまで吉田監督は事あるごとに「ストーリーが伝わる演技」を目標に掲げてきたが、「伝わる」という意味では、少なくともこの『ジゼル』においては満点だったのではないだろうか。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」©Tristram Kenton
また、ジゼル役の米沢唯、アルブレヒト役の井澤駿、ヒラリオン役の中家正博、ベルタ役の関優奈、バチルド役の関晶帆、ペザント・パ・ド・ドゥの池田理沙子と水井駿介など、主要役を務めたダンサーたちのパフォーマンスも初日を超えるものだった。
驚いたのは、米沢唯のジゼル像がガラリと違っていたことだ。初日のジゼルは、第1幕からもういつ“あちらの世界”に行ってしまってもおかしくない、透き通るような儚さだった。ところが今日の彼女には生命を感じる。いまこの時を謳歌して、大好きな踊りを楽しんでいる。初日のレポートでも言及した第1幕のヴァリエーション、この日のパフォーマンスから伝わってきたのは、ジゼルと米沢自身の「踊りたい」という強い気持ちそのものだった。もちろんテクニックも完璧。ラストのスピーディなピケ・トゥール・マネージュから、たんぽぽの綿毛のようにふんわりと踊りを締めくくると、広いオペラハウス内に指笛やら歓声やらが盛大に飛び交った。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」米沢唯(ジゼル)、井澤駿(アルブレヒト)©Tristram Kenton
米沢については第1幕後半、アルブレヒトの正体が明かされ、物語が悲劇に転じるくだりの演技も忘れられない。客席に背を向けて立ち尽くし、目の前で起こっていることを茫然と見つめる米沢ジゼル。その背中から、彼女がいまどんな表情をしているのかがはっきりとわかった。その後に続く狂乱シーンもいっそう痛切。周りのダンサーたち一人ひとりの熱演と相まって、じつにドラマティックな1幕だった。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」米沢唯(ジゼル)©Tristram Kenton
*
第2幕は、ミルタ役の吉田朱里が初日を大幅に超える迫力を見せてくれた。持ち前の長く美しい腕と脚を存分に活かしたアラベスクやジャンプの存在感。彼女は身体の動きのダイナミックさそのもので、ウィリたちを統率していく。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」吉田朱里(ミルタ)©Tristram Kenton
また、ヒラリオンがウィリたちに捕えられる場面の群舞の迫力に興奮した。吉田版『ジゼル』は、このシーンの振付じたいもおもしろい。ウィリたちが一丸となって、まさに獲物を仕留めるがごとく、真っ直ぐに伸ばした腕でヒラリオンに狙いを定めて迫ってくる。ものすごく怖い。そしてヒラリオン役の中家正博は芝居巧者であるだけでなく、例えば『ドン・キホーテ』のバジル役を任されるような踊りの名手でもある。ウィリたちに追い詰められ、逃げ惑いながら跳ぶジャンプの美しさ、切れ味の良さ。ついにヒラリオンが崖から突き落とされ、ウィリたちが見栄を切るようにポーズを決めると、これまで以上に大きな拍手喝采が送られた。

こちらはアルブレヒトがウィリたちにあわや踊り殺される場面。吉田朱里(ミルタ)、井澤駿(アルブレヒト)©Tristram Kenton
祈りのようだ――ウィリとなった米沢のジゼルの舞を観ながら、そう思った。彼女は大好きだった踊りで、いまは愛する彼を一生懸命守ろうとしているのだと、そんなことも感じた。
井澤駿の踊りも、初日を超える、抜群のクオリティだった。彼は、ピルエットやジャンプなどのテクニックはキレ良くスピーディに行い、パとパの間のつなぎのステップはたっぷりと優雅に見せる。それがとてもドラマティックな印象を残す。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」米沢唯(ジゼル)、井澤駿(アルブレヒト)©Tristram Kenton

新国立劇場バレエ団「ジゼル」井澤駿(アルブレヒト)©Tristram Kenton
朝の鐘が鳴り、横たわるアルブレヒトを後ろからそっと抱くジゼルの表情に、微かな安堵の笑みが差した。そして一輪の花にくちびるを寄せ、もう言葉では伝えることのできない愛を託す。米沢の、何の濁りもない、ただ真心だけがそこにある演技に落涙した。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」米沢唯(ジゼル)、井澤駿(アルブレヒト)©Tristram Kenton
「完璧」には永遠に手が届かないと、バレエダンサーの誰もが言う。
しかし観客には、「今日は完璧な舞台を観た」と言いたくなることが稀にある。
この日のこの舞台が、まさしくそうだった。
満場のスタンディングオベーション。あの長く熱い拍手は間違いなく、新国立劇場バレエ団のダンサーからスタッフまで、全員に対して送られたものだったと思う。
カーテンコールの様子。渡された花束から1輪を抜き取ってパートナーに捧げる米沢と、それを受け取る井澤のやり取りが微笑ましかった
- 【観客の反応】
- 終演後、今回も2組の観客に声をかけてみた。
カップルで観に来ていた男性は、第2幕でジゼルが登場するシーンの高速回転について、「本当に飛んで行きそうで驚きました! 僕はバレエに詳しくはないけれど、素晴らしいテクニックが心に残りました」と身振り手振りを交えながら話してくれた。
また女性3人組は「すべての瞬間が美しかった。エモーショナルで、感動しました」と口を揃えた。
【Column #3】
ロイヤルオペラハウス散歩

開演前や幕間など、空き時間にロイヤルオペラハウスの中を少々歩き回ってみました。

1860年完成の、ガラス屋根が美しいポール・ハムリン・ホール(Paul Hamlyn Hall)

ポール・ハムリン・ホール横の長いエスカレーターに乗って上階へ。マーゴ・フォンテインの写真が飾られていました

その隣にはこんな展示も。右から2番目は「眠れる森の美女」第3幕に登場する白い猫の素敵なチョーカーとグローブ。いちばん右はウィールドン振付「不思議の国のアリス」で人気の場面、イモムシの足たちが履くトウシューズ。こんなにいっぱいキラキラが施されてるんですね!



劇場の通路には、ロイヤルオペラハウスの歴史を作ってきた舞台のポスターがずらり。時代によってデザインの傾向も変遷していて、じっくり見ていると時間がいくらあっても足りません

アシュトン振付「シンデレラ」の、かぼちゃの馬車を引くねずみの衣裳も展示されていました。舞台ではロイヤル・バレエ・スクールのアッパースクールの生徒たちが着用したそう。かぼちゃの花のヘッドドレスがすごく可愛いです

ロイヤルオペラハウスは〈オーケストラ・ストール(1階席)〉〈ストール・サークル(中2階のようなサークル席)〉〈ドナルド・ゴードン・グランド・ティア(2階席)〉〈バルコニー(3階席)〉〈アンフィシアター(最上階席)〉の4階建て、合計2256席の大劇場。私は今回「ロンドンまで行くのだから、見づらい席は絶対に避けねば……」と、プレス席をいただいた初日以外の4公演はすべてストール・サークル席を購入しました(円安のせいもあり気絶しそうな金額になりました)

プロセニアム・アーチの上部を飾る、英国王室の紋章

最上階にも行ってみました。ロイヤルオペラハウスの各階の座席数(車椅子席と立見席は別)を調べたところ、1階オーケストラ・ストールが531席、ストール・サークルが299席、2階グランド・ティアが221席、3階バルコニーが226席、そして最上階アンフィシアターがなんと906席とダントツの多さ。ダンサーたちが素晴らしいパフォーマンスを見せるたび、最上階の巨大空間から大拍手が降り注いできました
放送情報
新国立劇場バレエ団 『ジゼル』ロンドン公演
(2025年7月26日収録)
【放送番組】
NHK BSプレミアム4K/NHK BS「プレミアムシアター」
【放送予定日】
●NHK BSプレミアム4K
2025年10月19日(日)23:20~
●NHK BS
2025年10月20日(月)0:05~
※番組内2本立てのうち前半
※編成上の都合等により放送時間は変更になる可能性あり
【詳細】
番組WEBサイト