
【現地レポート】新国立劇場バレエ団「ジゼル」ロンドン公演①
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2025年7月25日(金)19:30開演【2日目】
- 〈主な配役〉
- ジゼル:小野絢子
アルブレヒト:福岡雄大
ヒラリオン:木下嘉人
ミルタ:根岸祐衣
ペザント・パ・ド・ドゥ:奥田花純、上中佑樹
今回の新国立劇場バレエ団『ジゼル』ロンドン公演は全日ソールドアウト、チケット購入者の9割は英国の観客だったと聞く。体感的にも「日本から観に来ている(と思しき)人は想像していたより少ないな」という印象で、拍手が起こるタイミングなど客席の反応が、もちろん日本とはいろいろ違っているのもおもしろかった。
とくに違いが顕著だったのは、花占いの場面で必ず笑いが起こること。第1幕、一輪の花でアルブレヒトとの恋を占い始めたジゼルは、途中で残りの花びらの枚数を数え、「愛してない」で終わることに気づいてしょんぼりする。それを見たアルブレヒトがこっそり花びらを1枚ちぎり取る……という機転を見せたところでひと笑い。そして「大丈夫、花占いの結果は『愛してる』だよ!」とやって見せ、茎だけになった花をポーンと後ろに投げ捨てたところで再び楽しげな笑いが起こる。
日本のバレエファンである私にとっては「えっ、ここで?!」と意外に思えるところで笑ったり、歓声を上げたり、指笛を吹いたり。しかもそうした反応が起こるタイミングが日によって少しずつ違うのも、興味深いことだった。
そんなロイヤルオペラハウスでの公演2日目。この日の主役は、長らく新国立劇場バレエ団を牽引してきた看板プリンシパルの二人、小野絢子と福岡雄大だった。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」小野絢子(ジゼル)、福岡雄大(アルブレヒト)©Foteini Christofilopoulou
“可憐”という言葉が誰より似合う小野絢子のジゼルには、野花のような生命感がある。第1幕のヴァリエーション冒頭、ほっそりとしたつま先を床に刺したその1点から、ぐーっと大きなアラベスク・アン・クーローン(両腕をアン・オーにしたアラベスク)へ伸びていく。2011年からプリンシパルを務めてきた小野は、現在の新国立劇場バレエ団の中で最も長く最高位に立ち続けている存在だ。しかし今なおこんなにもナチュラルに愛らしさやいじらしさをまといながら、踊りの中心には強い軸と輝きを感じさせる。小野絢子というバレリーナの個性の尊さと、ずっと“真ん中”を担い続けてきた人だけが持つ存在感に、あらためて感じ入った。
福岡雄大のアルブレヒトは、精悍で堂々とした「大人の男」だった。福岡自身の身体能力や技術力、音楽性、パートナリングのなめらかさ、そしてアーティストとしての成熟が、そのままアルブレヒトという人物の輪郭になっていく。芝居もすみずみまで考え抜かれていた。例えば1幕序盤、アルブレヒトが自分のことを探すジゼルの前に、突然現れてみせるシーン。勢い余って彼の胸に触れてしまったジゼルの手を、ややからかうようにゆっくりと見やるアルブレヒト。その視線ひとつで、小野ジゼルと福岡アルブレヒトの、この時点での関係性を端的に表現してみせる。

ペザント・パ・ド・ドゥは奥田花純と上中佑樹。共に強靭なテクニックの持ち主ながら、その見せ方はまろやかで大人の魅力。難しいステップを柔らかく包む奥田のエレガンスが心に残る ©Foteini Christofilopoulou

バチルド役は内田美聡、クーランド侯爵役は中家正博。中家は前日にはヒラリオンを演じており、第2幕で踊り殺される間際には激しくも端正な踊りで客席を沸かせていたのに、クーランド侯爵を演じる彼はもうどう見ても初老。姿勢、手の動かし方、歩くスピードなど、作り込みの巧さに思わず笑ってしまった ©Foteini Christofilopoulou
“うぶな少女”と“大人の男”。小野と福岡が丁寧な芝居でくっきりと立ち上がらせてきたジゼル像とアルブレヒト像は、ヒロインの死によってガラリと反転する。
アルブレヒトの腕の中でジゼルの心臓が止まり、彼女の身体がするりと地面に崩れ落ちると、それまでのアルブレヒトがまとっていた余裕しゃくしゃくな態度も崩れ落ちる。さらに第2幕になると、アルブレヒトはもはや不安げな少年のようで、ジゼルは母のように大きい。少し話は飛ぶけれど、かつてクランコ振付『オネーギン』について、舞踊評論家の長野由紀氏から「第2幕での友人の死を境にして、それまで子どもだったタチヤーナは大人になり、高等遊民のつもりでいたオネーギンは自分の人生の虚しさに気づく」という旨の解説をいただいたことがある。小野ジゼルと福岡アルブレヒトの、1幕と2幕のコントラストを堪能しながら、この『オネーギン』の話をふと思い出した。

第1幕冒頭、ヒラリオンはジゼルのために摘んできた野花の小さな束を、彼女の家の窓辺にそっと置く。しかしのちにジゼルはそれが花束であることにすら気づかぬ様子で、その中の1輪を取り、アルブレヒトとの恋を占う(切なすぎる……)。この日のヒラリオン役は木下嘉人。木下は終始繊細に演技を積み重ね、一生懸命が裏目に出てしまう不器用な男のそこはかとない物悲しさを浮かび上がらせていた ©Foteini Christofilopoulou

ジゼルの母・ベルタ役を演じた中田実里は、素朴で温かみがあって「お母ちゃん」と呼びたくなる役作り。ジゼルが錯乱して死に至る場面では、目の前で娘を失った母親の悲しみをストレートに表現する芝居に胸を打たれた ©Foteini Christofilopoulou
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第2幕も出色の出来。ウィリたちの群舞では、終わったとたん堰を切ったように大喝采が鳴り響いた。個人的に忘れ難いのは、ミルタ役の根岸祐衣の熱演である。やや硬質な動きから立ちのぼる気迫、オペラグラスを覗かなくともわかる目の力。周囲をぐるりと囲むように並んだウィリたちの列、そのぎりぎりのところを攻めて進むダイナミックなソ・ド・バスク・マネージュは、思わず「ウィリたちよ、目覚めなさい……!」とセリフを当てたくなる迫力だった。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」根岸祐衣(ミルタ)©Tristram Kenton
主役二人の2幕のパフォーマンスについては、ただ見とれてしまった、というのが正直なところである。小野は背中から大きく広く空間をとらえ、ほの暗い舞台に静かな残像を残していくポール・ド・ブラが美の極み。またソロのパートでは、ふわふわのロマンティック・チュチュからのぞくつま先の、微細な振動のようなアントルシャ・カトルの連続に、客席から感嘆の拍手が沸き起こった。また福岡によるアルブレヒトのヴァリエーションの爆発力も目に焼きついている。傾斜角度が深くてスリリングなリボルタードや、高くキレのあるカブリオール、力強いピルエットが、物語終盤の緊張感をぐいぐいと高めていった。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」小野絢子(ジゼル)、福岡雄大(アルブレヒト)©Foteini Christofilopoulou
2日目の公演も、無事に終了。じつはこの日の客席は、開演直後の段階では、初日の興奮に比べるとやや落ち着いた温度感だった。しかし終わってみれば、初日に勝るとも劣らぬ拍手喝采。大盛り上がりのカーテンコールが続いた。
- 【観客の声】
- 終演後、劇場を出てきた2組の女性たちに感想を聞くことができた。
ロシアのモスクワ出身で現在は英国在住の若い女性2人組。「日本のバレエ団を観たのは今日が初めて。ダンサーたちは完璧で、とくにジゼル役のバレリーナ(小野絢子)が美しかった」、「私たちはロシアバレエをずっと観てきたけれど、今日の舞台のほうがより壮大で迫力があるように感じた。ダンサーたちはテクニックが優れているだけでなく、芸術性も素晴らしかった」とそれぞれ話した。
また「ふたりともバレエを習っている」という母娘は、感想が具体的だった。「コール・ド・バレエが最高だった。ダンサーたちはジャンプのテクニックが強く、とてもよく跳んでいた」(娘)、「もしも失礼でなければ、ひとつだけ気になったことを伝えさせてほしい。ミルタの最初のソロは、もう少しだけポーズに呼吸が見えたらもっと素敵だったと思う。でも本当に素晴らしい舞台だった。私たちはみんなミヤコ・ヨシダを知っているから、彼女がいま率いているカンパニーのステージを観られてとてもよかった」(母)。
【Column #2】
小野絢子×福岡雄大インタビュー
主演2日後の7月27日、小野絢子と福岡雄大のふたりにロイヤルオペラハウス内で話を聞くことができた。
- ロイヤルオペラハウスで踊り終えての感想は。
- 福岡 すごく楽しかったです。緊張もしなかったし、充実感はありました。僕が新国立劇場バレエ団のプリンシパルとして踊るのはこれが最後。次のシーズンからは「シーズン・ゲスト・プリンシパル」という、これまでよりもひとつ離れた立場になります。だから今回はダンサーもスタッフもみんながすごく支えてくれて、自分にとっても思い出深い舞台になりました。
小野 最初から最後まで、観客のみなさんがとても集中して観てくださっている感じがしました。それがとても印象的で、踊りやすかったです。
- 第2幕が終わり、再びカーテンが開いた時、観客の喝采を浴びる二人の顔から笑顔がこぼれました。
- 福岡 「終わった……」という安堵の笑顔だったと思います。吉田監督はじめ、ここまで準備してきたみなさんの緊張感はかなりのものがありましたから、自分たちの回を無事に終えられて本当にほっとしました。僕たち自身は、日本で踊る時と何も変わらずにやりました。
小野 日本での舞台も、ロンドンでの舞台も、どれも同じようにスペシャルなので。
福岡 ロイヤルオペラハウスでも、新国立劇場でも、その他の劇場でも、僕らは自分たちにでき得る限りのことを全力でやるだけ。ただ、こちらのお客様が素直な目で僕らの舞台を観て、正直な反応を返してくださるのは、すごく嬉しかったです。
- こちらのオーケストラは踊りやすかったですか。
- 福岡 踊りを左右するのはオーケストラというよりも指揮者で、その意味では今回ポール・マーフィさんが指揮をしてくださったのは本当にありがたかったです。ポールさんが新国立劇場バレエ団の公演で振るようになって17年ほど。僕らの間には強い信頼関係があります。こちらが「しんどいな……」と思っていると必ず音でプッシュしてくれて、いつも助けられています。
- この劇場で踊ってみて新鮮だったことは。
- 小野 劇場じたいが、作品世界に入り込みやすいように作られていること。映画や絵本を観る時と同じように、席に座れば、お客様も登場人物たちと一緒に旅ができるように作られた劇場なのだなと感じました。また、例えば花占いの場面でアルブレヒトが花をポイッと投げた時に客席から笑いが起こる、みたいなことは、日本では経験がなく新鮮でした。拍手が起こるタイミングも日によって違っていて、お客様は目の前で起こっていることに対して本当に素直に反応してくださっているんだなと。そんなふうに舞台上と客席の間でキャッチボールできる感覚が楽しかったです。
福岡 こちらのお客様は、いい演技だったと思えば盛大に喝采を送るけれど、あまり感心しなければ相応の反応しかしない。いっぽう日本のお客様は、たとえ僕たちの調子があまり良くなかったとしても、応援の気持ちで拍手をしてくださる気がします。どちらもありがたいことだなと思います。
- ロイヤルオペラハウスの踊り心地はどうでしたか。
- 福岡 すごく踊りやすかったです。とくにジャンプが跳びやすい。それがこの劇場の踊り心地としてはいちばんの特徴かなと感じました。
- ロンドン公演に向けて、吉田監督から言われたことは。
- 小野 今回は「演劇的な部分を大切にする」「もっとダイナミックに動く」等、日本でブラッシュアップしてきたものをさらにしっかりお見せするということで、ロンドン公演だから何か特別に言われたことはありません。ただこちらに来てからは、「楽しんで、ドラマを作り上げてね」とおっしゃってくださいました。
- 個人的には、4月に新国立劇場で観た時以上に、カンパニー全体の“物語る力”がさらに一段階進化していると感じました。
- 福岡 日本で公演回数を重ねたぶんの経験値がここで生かされた、ということだと思います。上演するたびに見えてくる課題に取り組み、みんなの演技がよりナチュラルになってきた。その積み重ねの結果だと思います。
小野 直前の4月に上演したおかげで、個々の反省点や課題がクリアになっていたということが大きかったと思います。そしてそこから3ヵ月後にここに立つという目標があったことも、成長するための良い機会になりました。
- 二人は共に十数年にわたりプリンシパルとして新国立劇場バレエ団を引っ張ってきました。自身のキャリアにおいて、今回の公演はどんな意味があったと思いますか。あるいは今回の経験を、自身の今後のキャリアにどう活かしていけると思いますか。
- 福岡 自分にとってというよりも、みんなにとって良かったなと思います。このロイヤルオペラハウスで、バレエ団として公演ができたことは、ダンサーたちにとってきっと大きな財産になる。僕自身はもうキャリアの終盤にありますから、いまは無事に終わってよかったな、くらいです。ただ、日本に帰ってから何かを実感するのかもしれません。少し時間が経つと、違う見方ができるものだから。
小野 私にとって、カンパニーで海外に来るのは今回で3度目でした。1度目は入団してすぐの頃(2008年)に行った米国ワシントンDC公演、2度目は次の年(2009年)のモスクワ公演。そこからかなり時間が空いて、今回のロンドン公演でした。海外公演を経験するたびに実感していたのは、その後カンパニーがぐっと成長すること。ですからしばらくその機会がないことを、もどかしくも思っていました。いつもと違う環境で、これができない、あれがない……ということがたくさんありますし、客席も、いつも私たちを応援してくださっているお客様ではありません。それでも、プロフェッショナルな舞台をお見せしなくてはいけない。その大変さと、楽しさと、そこで得られるすべてのことが大きかった。だから今回16年ぶりに、若いダンサーたちが増えてきたこのタイミングでロンドン公演ができたことが、すごく嬉しかったです。
吉田都監督が長年愛されてきたこのステージで、彼女の演出による『ジゼル』が良い結果になったことも、本当に嬉しいです。また私自身は、イギリスで主演させていただくのは今回で3回目(*)。それに関しては、ご褒美をいただいたみたいに感じています。こうしてまた海外で主役を踊らせていただけるとは、思ってもみなかったので。
*小野は福岡と共に、2013年『アラジン』、2014年『パゴダの王子』でバーミンガム・ロイヤル・バレエにゲスト主演している
- ダンサーにとって海外公演は大きな刺激になると。
- 福岡 はい、とくに初めて海外を経験する人にとってはそうだと思います。慣れない環境、緊張や不安の中で踊ることが大きな財産になる。メンタルも強くなり、「あの経験をしたのだから、もっと頑張れるはずだ」と思えるようになる気がします。
★【現地レポート】新国立劇場バレエ団「ジゼル」ロンドン公演③ は近日公開予定です
放送情報
新国立劇場バレエ団 『ジゼル』ロンドン公演
(2025年7月26日収録)
【放送番組】
NHK BSプレミアム4K/NHK BS「プレミアムシアター」
【放送予定日】
●NHK BSプレミアム4K
2025年10月19日(日)23:20~
●NHK BS
2025年10月20日(月)0:05~
※番組内2本立てのうち前半
※編成上の都合等により放送時間は変更になる可能性あり
【詳細】
番組WEBサイト