
【現地レポート】新国立劇場バレエ団「ジゼル」ロンドン公演
①米沢唯の儚いジゼル、井澤駿のエモーショナルなアルブレヒト。群舞への喝采に沸いた開幕公演
②小野絢子と福岡雄大が主演。1幕と2幕のコントラストも鮮やかに
③マチネの主演は柴山紗帆×速水渉悟、ソワレは米沢唯×井澤駿。ロイヤルオペラハウスの観客が総立ちに
2025年7月27日(日)14:00開演【最終日】
- 〈主な配役〉
- ジゼル:木村優里
アルブレヒト:渡邊峻郁
ヒラリオン:渡邊拓朗
ミルタ:根岸祐衣
ペザント・パ・ド・ドゥ:奥田花純、石山 蓮
始まってみれば、あっという間だった。
新国立劇場バレエ団ロンドン公演の最終日がやってきた。
千秋楽、5公演目にして、ここまでの4公演3キャストとはまたガラリと違うタイプのジゼルとアルブレヒトが登場した。これだからバレエはいくら観ても飽きることがない。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」木村優里(ジゼル)、渡邊峻郁(アルブレヒト)©Tristram Kenton
主演を務めたのは、木村優里と渡邊峻郁。
木村優里のジゼルには、ミステリアスな魅力があった。笑った顔も、きょとんとした表情も愛くるしい。長い腕で空間を大きくとらえる伸びやかな踊りも、観ていてとても心地いい。でも、それだけではない何かが、観ているこちらの胸をかすめる。例えば初日の米沢唯のジゼルには、第1幕からウィリたちに手招きされているような儚さがあった。いっぽう木村のジゼルには、幸せそうに踊っている姿にさえ、その後に訪れる「狂乱の場」を予感させるものがある。つまり、とても良い意味で、どこか危ういのだ。あどけないようでいて、大人びてもいる。無垢な少女のようでいて、無邪気に生を謳歌しているようには見えない翳りがある。
アルブレヒトも、演じ手によって人物像がずいぶん違って見えるおもしろい役である。ジゼルへの気持ちを「戯れ」とするか、それとも「本気」とするかが演じ方の系統を決める大きな分岐点だとしても、ダンサーごとの個性が存分に表れるのはそこからだ。彼らは時に、バレエの中には描かれていないアルブレヒトの生い立ちや、高貴な身分ゆえに背負わされているものにまで想像の根を張ってみる。そして自分なりに掘り下げた解釈を、さりげない仕草や表情などに反映させていく。
渡邊峻郁のアルブレヒトは、登場した瞬間から、純度100%の本気で村娘に恋をしてしまった貴族の青年に見えた。ただジゼルに会いたくて村人を装いながら、いつかその嘘がばれて“終わり”がくることに心のどこかで怯えているような、不器用さすら感じさせるアルブレヒト。ジゼルを見つめる愛おしげなまなざし、胸を押さえて倒れかけた彼女を狼狽えながら支える様子など、渡邊の演技を見ていると、彼は不実だからではなく弱かったから嘘をついてしまったのだと思えてくる。
そんなアルブレヒトと対峙するヒラリオン役は渡邊拓朗。ご存じの通り、渡邊峻郁と拓朗は実の兄弟である。ダンサーとしての持ち味は異なるものの、共に長身であるところはよく似ていて、ほぼ同じ高さにある目と目でガッと睨み合う時の拮抗感がとてもいい。ジゼルを壊れもののように大切にエスコートする峻郁アルブレヒトと、ぶっきらぼうで少し寂しげな目をした拓朗ヒラリオン。ジゼルをめぐる二人の男がこんなふうにどちらも素敵だと、ドラマは俄然おもしろくなる。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」写真左から:渡邊拓朗(ヒラリオン)、渡邊峻郁(アルブレヒト)、木村優里(ジゼル)©Tristram Kenton

新国立劇場バレエ団「ジゼル」写真左から:木村優里(ジゼル)、渡邊拓朗(ヒラリオン)、渡邊峻郁(アルブレヒト)©Tristram Kenton
この吉田都版『ジゼル』の特徴のひとつとも言える、村人たちのダイナミックな群舞。ダンサーたちはこの日もじつにエネルギッシュに踊り、村の活気を表現したり、ドラマの緊張感を高めたりと、場面ごとの空気感をしっかり作っていた。
個々の演者に目を転じると、まず従者ウィルフリード役の中島瑞生は、アルブレヒトに対する細やかな演技によって、彼の“過ち”がどのように始まりどのように破綻へと向かっていくのかを、よりクリアに見せてくれた。あるいは、どっしりと渋みの効いた芝居で場面を引き締めたクーランド侯爵役の小柴富久修、冷たすぎず温かすぎずの温度感で気位の高いバチルド役を好演した関晶帆、その演技について初日のレポートでも言及したベルタ役の関優奈など、芝居中心の役を担ったダンサーたちがそれぞれに効果的な演技を見せていたことも、特筆しておきたい。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」写真中央:根岸祐衣(ミルタ)©Tristram Kenton
第2幕。この日のミルタは2回目の根岸祐衣。第2幕冒頭、静まり返った舞台にたった一人で出てくる彼女の、神秘的なパ・ド・ブーレに目を見張った。ロマンティック・チュチュからのぞく足先だけをとてつもなく小刻みに動かして、スーッと滑るように舞台を進んでいく。
ウィリたちの群舞も、指笛や歓声が飛び交うほどの大喝采。これまで以上に多くの場面で盛んに拍手が送られた。
また、連日ロイヤルオペラハウスの観客を沸かせたヒラリオンの最期の場面。この日は下手側の席で鑑賞していたため、ヒラリオンが舞台下手の手前ウィリたちに追い詰められるシーンを、彼の目線に近いアングルで観ることができた。ミルタを筆頭に、ウィリたちが大挙して、こちらを指差しながら迫ってくる。その振付の迫力もさることながら、コール・ド・バレエのダンサーたち一人ひとりの気迫が凄まじかった。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」木村優里(ジゼル)、渡邊峻郁(アルブレヒト)©Tristram Kenton
ウィリとなった木村のジゼルは、身体が歌っていた。大胆なほどにたっぷりと音楽を使い、伸びやかな余韻を舞台に残す。そんなジゼルとパ・ド・ドゥを踊る渡邊のアルブレヒトは、彼女の身体をサポートする動作まで、しっかり“アルブレヒトとしての動き”になっている。音楽的なジゼルと、演劇的なアルブレヒト。その質感の差が、肉体のない者とある者の切ない隔絶を表しているようにも見えた。

新国立劇場バレエ団「ジゼル」木村優里(ジゼル)、渡邊峻郁(アルブレヒト)©Tristram Kenton
スタンディングオベーションの中、新国立劇場バレエ団の初めてのロンドン公演は閉幕した。
舞台の感想などを楽しげに語らう観客たちの波に押されながらホワイエに出ると、同劇場職員のみなさんの、ほっとしたような、嬉しそうな笑顔が見えた。
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ロンドン公演に先駆けて、2025年4月末〜5月初旬に東京の新国立劇場で上演された『ジゼル』も、全キャストを観た。その上で間違いなく言えるのは、東京での公演も素晴らしかったけれど、ロイヤルオペラハウスでの舞台はさらに数段階の進化を遂げていたということだ。約3ヵ月でそこまで踊りや演技を磨き上げたこと。連日客席から笑い声や歓声やスタンディングオベーションが沸き起こるくらい、英国の観客を楽しませたこと。同劇場にとって初めての海外での「主催公演」だったにも関わらず、全5公演ソールドアウトという結果を出したこと。そこに辿り着くまでの道のりにどれほどの困難や苦労があったのかに思いを馳せると、同劇場のダンサー、スタッフ、そして吉田都芸術監督への尊敬の念でいっぱいになる。
ロイヤルオペラハウスという、いつもとまったく異なる環境で上演された今回の公演は、新国立劇場バレエ団の“現在地”をあらためて見つめる機会にもなった。
それぞれに個性があって魅力的なプリンシパルたち、要所をきちんと締めてくれるファースト・ソリストやソリストたち、“伝わる演技”を牽引する芝居巧者たち、高いクオリティを誇るコール・ド・バレエ。
いち観客として、ここからさらに進化した何かを観せてもらいたいとしたら、それは「強さ」と「まろやかさ」だと思う。
例えば、私はロイヤル・バレエの公演や同団のダンサーたちを観るたびに、「あの強靭さの正体は何だろう」と思ってきた。鍛え上げられた肉体の内側にしなやかな鋼を潜ませているかのような、身体の強さ、動きの強さ、軸の強さ、そして目の強さ。あの、観ているこちらが気圧されるほどの迫力は、どうやって育まれているのだろう。
あるいは、ロイヤル・バレエの演じる『ロミオとジュリエット』や、シュツットガルト・バレエの演じる『オネーギン』などを観るたびに、「作品がまろやかになじんでいる」と感じてきた。踊りや演技の角(かど)が取れて、何もかもが自然。彼らはそうした熟味のある舞台を通して、「こういう作品を上演するなら、このバレエ団が最高だ」と私たちに思わせてくれる。
これらのことは、公演回数の多さや、“自分たちが本家本元である”と言えるレパートリーを持っていることと、きっと深い関係がある。しかし、理由はそれだけなのだろうか。舞台の上から放たれる、圧倒的な強靭さ。観客に深い没入感をもたらす、物語とまろやかに溶け合ったパフォーマンス。そうしたものは、いったいどこからやってくるのか。どうやって育まれるものなのか。――私自身、これからぜひ探ってみたいと思っているテーマである。
- 【観客の声】
- 終演後、近くの席に座っていた2組の観客に話を聞いた。
「バレエ鑑賞が趣味」という女性は、「第1幕から非常に美しかった。第2幕では、ミルタのフットワークに驚きました。ヒラリオンが突き落とされるシーンも、とてもおもしろかった」と語った。
また孫娘と一緒に観に来ていた男性は、「バレエは年に2〜3回は必ず観ますが、日本のバレエ団の舞台は初めて。極めて精緻で、優れた舞台でした。(私が日本から来たことを伝えると)あなたはこのバレエ団を誇りに思うべきですよ!」と話してくれた。
【Column #4】
吉田都 新国立劇場舞踊芸術監督インタビュー
公演3日目、7月26日のマチネとソワレの合間に、吉田都芸術監督が多忙な時間を割いて話を聞かせてくれた。

ロンドン公演開幕前の7月22日、ロイヤルオペラハウス内で行われたプレス向け取材会での吉田都芸術監督 ©Tristram Kenton
- ここまで3公演が終了。手応えは。
- 吉田 毎回こんなにも大歓声をいただけて本当に嬉しいです。蓋を開けてみるまでわからないことばかりでしたけれど、(英国の観客は)すごく温かく迎え入れてくださいました。
- 報道各社や批評家の初日レビューでも高評価を得ています。
- 吉田 星付きレビューではファイヴ・スター(五つ星)をいただいたりもしていると聞きました。それはやはり嬉しいですし、ダンサーたちの力にもなっていると思います。
実際、こちらに来てから、ダンサーたちがどんどん変わってきているのを実感しています。それはきっと、お客様の反応や、ロイヤルオペラハウスという劇場じたいの持つ力、ロンドンの街の雰囲気など、いろいろなことから影響を受けているのだと思います。その変化が舞台での表現にも表れ、みんな自信をもって、自由に演じられるようになってきています。ダンサーたちをロンドンに連れて来ることができて良かったなと思います。とても嬉しかったのが、ロイヤルの先生方や先輩方など初日を観たみなさんが、「ストーリーが伝わってきた」とおっしゃってくださったこと。それこそが私たちの目標でした。
- 初日の客席には、吉田監督の恩師であるピーター・ライト氏の姿も見えました。
- 吉田 (少し涙ぐんだ様子で)そうなんです。すごく喜んでくださいました。現在は遠くに住んでいらっしゃるのに、4〜5時間もかけて来てくださって。終演後のレセプションにも、最後の最後までいてくださって、本当に嬉しかったです。
他にも、(元ロイヤル・バレエ芸術監督の)モニカ・メイソンや(新国立劇場バレエ団前々監督の)デヴィッド・ビントレー、(前監督の)大原永子先生なども来てくださり、私のロイヤル・バレエ・スクール時代の同級生などもサプライズで観に来てくれました。
- 初日のカーテンコールで、久しぶりにロイヤルオペラハウスの観客からの喝采を浴びた感想は。
- 吉田 最初は(舞台に出ることを)断ったのですが、私が出なければクリエイティヴ・チームのみなさんも出られないということで、「わかりました……」と。でも、お客様から本当に温かい拍手をいただけて、嬉しかったです。
- ダンサーたちの様子は。
- 吉田 初日の、とくに最初のほうは少し力が入っていたように感じましたが、お客様の反応によってだんだんリラックスしていきました。ダンサーたちが言っていたのは、新国立劇場は客席が真っ暗だけれども、ロイヤルオペラハウスは少し明るくて、舞台からのお客様までの距離も近く感じると。だから一体感を感じられて、すごく踊りやすいと言っていました。それだけでなく、床やその他の環境も踊りやすく感じるそうで、それもあってさらにのびのびと踊れているのだと思います。
- こちらに来て、吉田監督自身の緊張は。
- 吉田 意外なことに、初日が近づけば近づくほど落ち着いていきました。(芸術監督に就任してから)ここまでの5年間で、ダンサーたちと積み上げてきたものがある。だからもう、ダンサーたちを信頼して任せるだけだ、と。そしてその信頼に、ダンサーたちはちゃんと応えてくれました。
でも、むしろ今日あたりから、胸に込み上げてくるものを感じています。この舞台で、新国立劇場バレエ団のメンバーを観ることができるなんて……と。
- 今回の経験によって、ダンサーは変化すると思いますか。
- 吉田 変わってくれることを期待していますし、すでに何かをつかみ取った人もいます。とくに新シーズンはアシュトンの『シンデレラ』から始まりますので、イギリスで経験したことや得た刺激をしっかり持ち帰って、舞台に活かしてもらえたら。
- 海外公演は今後も続けていきたいと思いますか。
- 吉田 続けていきたいです。海外のお客様にもこれだけ喜んでいただけたのも嬉しいですし、ダンサーたちや劇場のスタッフにとっても、非常に勉強になりましたので。ただ、スタッフに関しては人員が足りないという問題があります。通常の業務の上に海外公演が加わることになるので、海外公演を継続するにはバックヤードの充実も急務です。
放送情報
新国立劇場バレエ団 『ジゼル』ロンドン公演
(2025年7月26日収録)
【放送番組】
NHK BSプレミアム4K/NHK BS「プレミアムシアター」
【放送予定日】
●NHK BSプレミアム4K
2025年10月19日(日)23:20~
●NHK BS
2025年10月20日(月)0:05~
※番組内2本立てのうち前半
※編成上の都合等により放送時間は変更になる可能性あり
【詳細】
番組WEBサイト