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【第61回】ウィーンのバレエピアニスト〜滝澤志野の音楽日記〜フェリ新監督の初シーズンがスタートしました!

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく連載エッセイ。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、読者のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

更新は隔月(基本的に偶数月)です。美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

♪「ウィーンのバレエピアニスト 滝澤志野の音楽日記」バックナンバーはこちら

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高く舞う

秋が深まってきて、黄金色に色づくウィーン。
ウィーン国立バレエが新体制になってから2ヵ月弱が経ちました。その変化をピアニスト目線でレポートしたいと思います。

2025年9月1日、新シーズン初日にアレッサンドラ・フェリ監督が団員を前にこう語りました。

「ウィーンという最高にエレガントな街、その文化とバレエ団が持つ偉大な歴史に、心から敬意を表します。私はここを、現代(いま)を生きるクラシック・バレエ団として世界に輝かせたい」

彼女の言葉は、静かながらも熱く、光が降り注ぐかのようなものでした。

私たちを取り巻く環境は劇的に変化しました。世界中のバレエ団からダンサーたち(6人の新プリンシパルたちを含む)が移籍してきて、マルセロ・ゴメスをはじめとする、新しいバレエマスターやスタッフも加入しました。さらに、フェリ監督が招聘するゲスト指導者、振付家も皆が一流の顔ぶれです。8月末から『カリロエ』初演に向けて稽古をしている振付家のアレクセイ・ラトマンスキーとABTの指導者たち、『ジゼル』を指導したフリオ・ボッカ、『こうもり』を指導しているルイジ・ボニーノ。彼らバレエ界のレジェンドたちは、惜しみなく情熱を注いでくれています。

その中にいると、まるで飛行機が分厚い雲を突き抜け、青い空の広がる天上の世界へ来たような、そんな気持ちになるのです。私はここで働いて15年め、フェリ監督は3人めのトップです。マニュエル・ルグリ監督も最高に素晴らしいリーダーでしたが、当時は自分自身が未熟で、周りを見渡す心の余裕が持てなかったように思います。だからこそ、今のこの大きな変化を客観的に捉えられて、その面白さをあらためて噛みしめています。昨シーズンは辞めてゆくダンサーのことを想っていましたが、別れがあれば、必ず新しい出逢いがあるものですね。

9月末のマルセロ・ゴメスさんのお誕生日には、スタッフ一同が集まり、深夜までシャンパンを傾けて語らいました。前監督の着任時はコロナ禍の始まりと重なっていたし、ウィーン組とデュッセルドルフ組に分かれていた感じもありましたから、こうして心を通わせる時間を持てること、仲間と共にあることに、あらためて幸せを感じます。

別次元の美意識

9月の初め、『ジゼル』第2幕コール・ド・バレエの稽古をしていた時、そこに初めてフェリ監督がやってきました。彼女はダンサーたちに「ポアントから降りる角度、0.5mm単位で気をつけて」とものすごく緻密な注意を与え、ポアントワークにこだわり抜く指導をしていました。『ジゼル』は2週間しか稽古期間がなく、新しく入団したダンサーも多数。まずは急いで振り入れをすることや揃えることを主目的にした稽古が行われていたなかで、フェリ監督の美意識は別次元でした。これがバレエなのだーー私はすごく久しぶりにそう感じた気がして、背筋が伸びる思いでした。私も、0.5ミリ単位に気を配れるようなピアノを弾かなければ。そんなふうにも思いました。

忘れられない情景

そして、『カリロエ』の開幕を数日後に控えたある日のこと。柔らかな陽の光が差しこむ稽古場に、初日主演ダンサーのマディソン・ヤングとヴィクター・カイシェタ、そしてフェリ監督が集まりました。

フェリ監督のパ・ド・ドゥの稽古は本質を捉えています。物語のラストシーン、長年離れ離れになっていたふたりが再会し、葛藤を乗り越えて再び結ばれるというシーンなのですが、「見つめ合う」だけのシーンにも、フェリ監督は妥協を許しませんでした。「バレエのストーリーを踊るのではなく、マディソンとヴィクターとして、心から向き合って」。自分と向き合い、他者と向き合う。そうして初めて、ふたりの心が真に通い合ったパ・ド・ドゥが生まれる、ということ。フェリ監督の指導を受けたあとのふたりは、カチッと物語のピントが合ったように見えました。そして、そんな3人の真剣な眼差しを見ていて、私の胸には静かな感動が込み上げてきました。

かつて私が新国立劇場で働いていた時に、ゲストとして『ロミオとジュリエット』を踊ったフェリさんの姿が鮮明に蘇り、今の姿に重なりました。マディソンは2017年の入団以来、私の「最推し」ダンサーでした。2020年、監督交代に伴ってバイエルン国立バレエ(ミュンヘン・バレエ)に移籍したものの、今シーズン、再びウィーンに戻ってきてくれたのです。そしてヴィクターは昨年の世界バレエフェスティバルで初めて出会った時、「昨日、フェリさんに誘われてウィーンに行くことになったんです」と、キラキラした眼で語ってくれたことが忘れられません。そんな3人が今、ここでひとつになっている。私は、どこか遠くに置いてきた人生のパズルのピースが、時を経てピタッとハマったような、そんな感覚に陥りました。

3人が稽古場で一緒にいる情景が私にとってあまりにも美しくて、思わず涙が溢れそうになるのをこらえました。ピアニストが稽古場で脈絡なく泣きだすのはおかしいから。でも、胸がいっぱいになりながら、その3人を見つめていました。

稽古が終わってフェリさんが退室した後、私はダンサーのふたりに「凄い時間だったね。なんて美しい稽古だったんだろう」と声をかけました。ふたりは静かに頷いて、「ずっと、この瞬間を求めていたのだと思う」と話してくれました。この仕事を通して出会った、忘れられない情景はこれまでに何度かありますが、その日見た光景も私はずっと忘れない、と思いました。

初演の幕が開きました

10月19日、フェリ監督肝入りの新作、ラトマンスキー振付『カリロエ』が開幕しました。

初演組のマディソン・ヤング(写真最前列)と、(写真2列目左から)アレッサンドロ・フローラ、ヴィクター・カイシェタ、マルセロ・ゴメス

私はこの公演では、オケピでピアノを弾いています。ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲など、数々のソロがあるのですが、初演の公演で演奏する感覚は本当にスペシャル。観客のものすごい熱気を受けて、劇場全体が煌めいているように思えるのです。幕が完全に閉まった後もなかなか拍手が鳴り止まない、熱い熱い夜でした。ウィーン国立バレエは、新しいバレエ団に生まれ変わりました。こんな風に変わることができるのだ、と驚いています。

幕が下りた後、ダンサーたちと初演の喜びを分かち合うラトマンスキー氏

初演あとのプルミエパーティーでは、フェリ監督がスピーチ。
「私たちの初のプルミエ公演の成功を心から祝福したいです。私自身にとっても、ダンサーとしてではなく芸術監督として経験する初めての公演で、特別なものでした。とても強く、美しく、エレガントな舞台で、この公演を共に創り上げてきたすべての人に感謝します」

きっと『カリロエ』はこれからもウィーンの観客を惹きつけてやまないでしょう。この作品が新たなウィーン国立バレエの代表作として、長く愛されるものになりますように。

私たちの旅路は、今、まさに幕を開けたばかりです。この先、どんな未知の景色と出会うことになるのでしょう。さらなる高みへ、みんなで心をひとつにして、力強く羽ばたいていきたいと願っています。

今月の1曲

少し、趣向を変えて、『カリロエ』にインスパイアされた即興演奏をすることにしました。
「Impromptu on Kallirrhoe」、どうぞお聞きください。

★次回更新は2025年12月20日(土)の予定です

Now on Sale

Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き

滝澤志野による、珠玉の作品を1枚に収めたピアノソロアルバム。

<収録曲>
1.『眠れる森の美女』第3幕 グラン・パ・ド・ドゥよりアダージオ(チャイコフスキー)
2.『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』よりアダージオ(チャイコフスキー)
3.『ジュエルズ』ダイヤモンドよりアンダンテ/交響曲第3番第3楽章(チャイコフスキー)
4.『瀕死の白鳥』/「動物の謝肉祭」第13番「白鳥」(サン=サーンス)
5.『マノン』第3幕 沼地のパ・ド・ドゥ/宗教劇「聖母」より(マスネ)
6.『椿姫』第2幕/前奏曲第15番「雨だれ」変ニ長調(ショパン)
7.『椿姫』第3幕 黒のパ・ド・ドゥ/バラード第1番 ト短調(ショパン)
8.『ロミオとジュリエット』第1幕 バルコニーのパ・ド・ドゥ(プロコフィエフ)
9.『くるみ割り人形』第1幕 情景「松林の踊り」(チャイコフスキー)
10.『くるみ割り人形』第2幕 葦笛の踊り(チャイコフスキー)
11.『くるみ割り人形』第2幕 花のワルツ(チャイコフスキー)
12.『くるみ割り人形』第2幕 グラン・パ・ド・ドゥよりアダージオ(チャイコフスキー)

●演奏:滝澤志野
●発売元:株式会社 新書館
●販売価格:3,300円(税込)
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Dear Chopin(ディア・ショパン)〜Music for Ballet Class

滝澤志野さんの5枚目となる新譜レッスンCD!
志野さんがこよなく愛する「ピアノの詩人」ショパンのピアノ曲で全曲を綴った一枚。
誰もがよく知るショパンの名曲や、『レ・シルフィード』『椿姫』などバレエ作品に用いられている曲等々を、すべて志野さんの選曲により収録しています。
それぞれのエクササイズに適したテンポ感や曲の長さ、正しい動きを引き出すアレンジなど、レッスンでの使いやすさを徹底重視しながら、原曲の美しさを決して損なわない繊細な演奏。
滝澤志野さんのピアノで踊る格別な心地よさを、ぜひご体感ください。

ドキュメンタリー風のトレイラー全収録曲リストなど、詳細はこちらのページでぜひご覧ください
♪ご購入はこちら

●CD、52曲、78分 ●価格:3,960円(税込)

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Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class

バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)

★収録曲など詳細はこちらをご覧ください

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

配信販売中!

現在発売されている滝澤志野さんのベストセラー・CDを配信版でもお買い求めいただけます。
下記の各リンクからどうぞ。

★作曲家シリーズ
♪Dear Tchaikovsky https://linkco.re/pEHd0G2A?lang=ja

★「Dramatic Music for Ballet Class」シリーズ

★滝澤志野さんのアーティスト情報ページはこちら

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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