ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。
“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく連載エッセイ。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、読者のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。
更新は隔月(基本的に偶数月)です。美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。
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グランドピアノを購入しました
今月、私はピアニストとして長年の夢を叶えました。
ウィーンの自宅にスタインウェイのグランドピアノをお迎えしたのです。自分にとっては大切な節目なので、その経緯を書き残しておきたいと思います。
自分の最後の相棒となるピアノが欲しいと考えてから、何年経過したでしょうか。日本ではヤマハのグランドピアノと共に生活しており、長年弾いてきたそのピアノが好きでした。でも、14年前にウィーンに引っ越してからは、ウィーンの自宅にはアップライトピアノをレンタルして、練習はすべて劇場でしていました。劇場にあるピアノはほぼすべてベーゼンドルファーで楽器の状態も良く、私たちは恵まれた音楽環境にあります。でも、やはり自分の相棒ピアノが欲しくなってくるもの。劇場依存型から自分主体の音楽活動に移行したい気持ちも湧いてきました。結果的に何年もかかってしまった長いピアノ探しの旅は、こうして始まりました。
妥協はしない
やはりここは音楽の都なのでしょう。ウィーンに来てからというもの、私は自分が追求する音の理想が高くなったのを感じています。それはきっと、つねに良い音に囲まれているから。一生ものを買うなら、妥協なく最高に素晴らしいピアノが欲しい。ベーゼンドルファーかスタインウェイか。新品でなくてもいいので、中のメカニックがきちんと整備されているピアノを、となるとかなりの高額です。ウィーンに来たばかりの頃、スタインウェイのショールームに行ってお話を聞いたのですが、ローンを試算していただくも当時の私にはまったく手が届く金額ではなく、現実を知りました。それから10年以上が経ちました。
ベーゼンドルファーかスタインウェイか
10年の間に、買おうとしては踏ん切りがつかず、購入を見送ってきたピアノが何台もありました。長らく悩み続けることに疲れた私は、今年、2024年に必ず買おうと決意したのです。
正しく選定するためにピアノメーカーとその特徴、内部のメカニックについても学んでいきました。ウィーンで弾き慣れているベーゼンドルファーを買うか、ピアノの王様スタインウェイにするか。ベーゼンドルファーは、ベートーヴェンやシューベルトなどの古典派の音楽に向く、暖かくて深い音色や低音に特徴があります。劇場で毎日弾いているので楽器にも慣れています。いっぽう、日本でCDの録音やコンサートで使うのはスタインウェイ。どちらも捨て難いけれど、私がライフワークとしているバレエ音楽、チャイコフスキーやショパンを弾くと考えた時、輝かしく煌めく音色を持つスタインウェイが良いのではないか。また劇場でベーゼンドルファーは弾けるのだから、家では違うピアノを弾くほうが面白いと思い至りました。
カールス教会の隣にあるピアノ店、ヨハンス・クラヴィアサロンにて
時が満ちる
音楽家にとって楽器との出逢いは、運命のようなものなのでしょう。自分の相棒となるピアノに巡り会えたのは、今年の夏の終わりでした。長年、私のピアノ選びに辛抱強くお付き合いくださっていた日本人ピアノ技師、加藤嘉尚さんのお店「ヨハンス・クラヴィアサロン」にて、5台のスタインウェイから選ばせていただいたのです。
同じメーカーでもこうも違うのかというほど、楽器には個性があります。私が最終的に選んだピアノは、M170、1933年ハンブルク製のスタインウェイ。100年近くの歴史のあるピアノですが、内部のメカニック部分はオーバーホール(部品単位まで分解して点検・修理をおこない、時には弦、ハンマー、ダンパーなどの部品総取り換えして、新品時の性能状態に戻す作業のこと)されてあり、新しいピアノに生まれ変わっています。ピアノという楽器は消耗品で、良い状態で長く演奏するにはオーバーホールしていかなければいけません。
じつは2台のピアノでとても迷いました。サロンに通い、何度も試弾しました。1台のピアノは著名ピアニストが所有していたもので、まろやかで熟した音。素敵なお爺さまの話を聞くような気持ちになるピアノ。そしてもう1台、最終的に私が選んだピアノはまだ二十歳にもならない若い女性のような音で、育ちの良さ、家柄の素晴らしさを感じる楽器でした。でも、若くて世間を知らず、これから育てる必要がある。自分はピアノに何を求めているのだろうか……。季節が変わってもサロンに通い、一人でピアノを試弾しながら自問自答しました。ずいぶん時間はかかりましたが、私には必要な時間だったのでしょう。
私のピアノ探しに長年お付き合いくださった、ヨハンス・クラヴィアの店主でピアノ技師の加藤嘉尚さんと
11月9日、自分の誕生日にピアノを試弾して、心が決まりました。澄み切った冬の夜空に星が光り輝くような音色と自分の波長がピッタリ合った、そんな気がしたのです。これから先のピアニスト人生、このピアノを育て、自分も共に成長したい。それからはなぜ迷っていたのかわからないほど、私の心はすっきりとしてクリアでした。買いたくてもまったく手が出なくて途方に暮れたあの日。なかなかピアノに出会えなかった数年間。2台の間で迷った数ヵ月。「時が満ちる」ということをあらためて感じたのでした。
スタインウェイショールームでピアノの型紙をいただきました(型紙!笑)。部屋のどこにピアノを置くか、搬入深夜まで悩みました。
そして、搬入の日。
ピアノが家に来た今、私の心はしんと静かな湖に宝石を携えたかのようです。どうしてもっと早く購入しなかったのだろう、とも思ってしまうのですが、もし若い時に購入していたらこのピアノには巡りあえなかったわけですし、お金もなかったので、きっとこれが自分のタイミング。もちろんかなり高額で、数年前の私なら手が出なかった値段ですが、不思議なもので、自分にとって本当に価値のあるものというのは、その金額よりももっと出してもいいと思えるものなのですね。ローンで購入しているので、これからより良い音楽を奏でて、たくさんの人に届けられるように背筋を伸ばしたいと思います。ピアニストとして新たな楽章を奏でる、そんな時が来たのだと思います。
今月の1曲
ということで、初めて自分のスタインウェイで録音します! まだまだ音が硬く楽器も安定していないのですが、それも含めて一緒に味わっていただけると嬉しいです。今後の録音はスタインウェイが多くなるかと思いますが、劇場のベーゼンドルファーと曲によって弾き分けるのも面白いなと思っています。曲は『くるみ割り人形』第1幕から、ホワイトクリスマスバージョンアレンジをお届けしたいと思います。
今年も1年間、音楽日記にお付き合いいただきありがとうございました。良いクリスマス、そして良いお年をお迎えください。
★次回更新は2025年2月20日(木)の予定です
Now on Sale
Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き
滝澤志野による、珠玉の作品を1枚に収めたピアノソロアルバム。
<収録曲>
1.『眠れる森の美女』第3幕 グラン・パ・ド・ドゥよりアダージオ(チャイコフスキー)
2.『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』よりアダージオ(チャイコフスキー)
3.『ジュエルズ』ダイヤモンドよりアンダンテ/交響曲第3番第3楽章(チャイコフスキー)
4.『瀕死の白鳥』/「動物の謝肉祭」第13番「白鳥」(サン=サーンス)
5.『マノン』第3幕 沼地のパ・ド・ドゥ/宗教劇「聖母」より(マスネ)
6.『椿姫』第2幕/前奏曲第15番「雨だれ」変ニ長調(ショパン)
7.『椿姫』第3幕 黒のパ・ド・ドゥ/バラード第1番 ト短調(ショパン)
8.『ロミオとジュリエット』第1幕 バルコニーのパ・ド・ドゥ(プロコフィエフ)
9.『くるみ割り人形』第1幕 情景「松林の踊り」(チャイコフスキー)
10.『くるみ割り人形』第2幕 葦笛の踊り(チャイコフスキー)
11.『くるみ割り人形』第2幕 花のワルツ(チャイコフスキー)
12.『くるみ割り人形』第2幕 グラン・パ・ド・ドゥよりアダージオ(チャイコフスキー)
●演奏:滝澤志野
●発売元:株式会社 新書館
●販売価格:3,300円(税込)
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Dear Chopin(ディア・ショパン)〜Music for Ballet Class
滝澤志野さんの5枚目となる新譜レッスンCDがリリースされました!
志野さんがこよなく愛する「ピアノの詩人」ショパンのピアノ曲で全曲を綴った一枚。
誰もがよく知るショパンの名曲や、『レ・シルフィード』『椿姫』などバレエ作品に用いられている曲等々を、すべて志野さんの選曲により収録しています。
それぞれのエクササイズに適したテンポ感や曲の長さ、正しい動きを引き出すアレンジなど、レッスンでの使いやすさを徹底重視しながら、原曲の美しさを決して損なわない繊細な演奏。
滝澤志野さんのピアノで踊る格別な心地よさを、ぜひご体感ください。
♪ドキュメンタリー風のトレイラーや全収録曲リストなど、詳細はこちらのページでぜひご覧ください
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●CD、52曲、78分 ●価格:3,960円(税込)
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Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class
バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)
★収録曲など詳細はこちらをご覧ください
- ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野 Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
- バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
- ●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)
配信販売中!
現在発売されている滝澤志野さんのベストセラー・CDを配信版でもお買い求めいただけます。
下記の各リンクからどうぞ。
★作曲家シリーズ
♪Dear Tchaikovsky https://linkco.re/pEHd0G2A?lang=ja
★「Dramatic Music for Ballet Class」シリーズ