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【第54回】ウィーンのバレエピアニスト〜滝澤志野の音楽日記〜世界バレエフェスティバルに捧げた夏

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく連載エッセイ。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、読者のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

更新は隔月(基本的に偶数月)です。美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

♪「ウィーンのバレエピアニスト 滝澤志野の音楽日記」バックナンバーはこちら

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「世界バレエフェスティバル」

1976年から3年に一度、世界のトップダンサーたちが東京に集まり輝かしいパフォーマンスを繰り広げるガラ公演。1976年の第1回から48年にわたって文字通り世界最高峰であり続けるこのステージは、バレエ界に携わる人間にとって、究極の夢の舞台です。第17回を迎えた今夏、私はご縁をいただき、夢の「世界バレエフェスティバル」のBプロ(2024年8月7日〜10日)に出演することになりました。

公演が近づいてからご連絡をいただいたこともあって、にわかには信じられませんでした。次の日になって喜びと興奮がじわじわとわいてきました。本当にあの舞台に立てるんだ!

近年、シーズン中はもちろん夏休み中も舞台に録音にリサイタルにと精力的に活動してきたので、今年の夏は久しぶりにゆっくりしようかな、韓国に肌管理にでも行こうかななどと呑気に考えていましたが、この一報を境に私の夏は一変しました。通常のバレエガラ公演であれば、ピアノの生演奏が入るのは2作品くらいでしょうか。が、今回はオケピで演奏するものを入れると5作品、そのうち舞台上で弾くピアノソロ演目は3作品もあるとのこと。これは大変だ。即猛練習しないと間に合わない。

24時間グランドピアノを弾けるAirbnbを借りてひとり合宿。
ピアノのすぐ後ろにあるベッドの誘惑と闘いながら、深夜までバリバリ練習できました。
どうにかこうにか5作品の準備を整え、8月2日、いざ東京文化会館へ!

ずっと会えていなかったダンサーとの再会、初めましてのダンサーとの出逢い。
いずれも世界のトップスターたちです。リハーサルは最初から音楽的で愛があり、熱いものでした。「素晴らしいダンサーと素晴らしい時間を紡ぐ」それが私のバレエピアニストとしての究極の願いなのだと再確認しました。

さて、今回私がピアノソロを演奏した4作品、そして共演したダンサーたちについて、ピアニスト視点から振り返ってお話してみたいと思います。

バランシン振付『ソナチネ』では、パリ・オペラ座バレエのオニール八菜さん、ジェルマン・ルーヴェさんとご一緒しました。ラヴェルのソナチネを全楽章弾くのは初めて。曲想とフレーズに呼応するようにクラシック・バレエの技術がふんだんに散りばめられているバランシンらしさ全開の作品。バランシン作品は日頃からバレエ団で弾いているので、「バランシンイズム」を出せるよう、間合いを大切に3人の呼吸を合わせるよう努めました。おふたりももちろんバランシンに慣れていらっしゃり、バランシンという共通言語があることで初共演でもスムーズでした。踊りやすさと映え方を意識して弾きましたが、本番を重ねるごとに私たちのパフォーマンスが変化していき、初日と最終日ではまったく別物のようになったのも印象的でした。回数や年月を重ねてもっと作品で「遊べる」ようになると、この作品はさらに素敵だろうな。私もこの作品はもっと弾きこんでみたいです。ジェルマンさんはピュアな少年のような魅力にあふれ、美が香り立つアーティスト。八菜さんは朗らかで優しく聡明で、どんな世界にいても周りに愛されて大成する方だろうなと感じました。

終演後の舞台にて、ジェルマンさん、八菜さんと

マルセロ・ゴメスさん振付の『アミ』。ハンブルク・バレエのアレクサンドル・リアブコさんとマルセロさんご自身による舞台です。ショパンのノクターンにのせて、時に静かに時に情熱的に語られます。稽古初日、マルセロさんがピアノのそばに座り、そのストーリーを話してくれました。「ふたりは幼馴染で、長い間、互いのスイッチを押し合いながら共に育ってきた。ある日、両親が離婚して義理の母と共に暮らすことになった。その義理の母がシノのピアノであり、ふたりを支配している。だからピアノが舞台の真ん中にある」と。確かにこの作品は音楽の一音一音にふたりが機敏に反応するさまが面白く、メロディラインの特徴に伴って時にカノンになったりと、繊細なふたりの感情や関係性も見て取れて、観る者の想像を膨らませます。音楽が踊りに寄り添うのでなく、踊りを支配するという視点も斬新でした。振付家みずから踊る作品を演奏したのもじつは初めての経験で、とても新鮮で学びが大きかった。

『アミ』のカーテンコール。左がマルセロさん、右がリアブコさん。写真は小林十市さんが撮影してくださいました!

プレルジョカージュ振付『ル・パルク』、Bプロではアレッサンドラ・フェリさん、ロベルト・ボッレさんが踊りました。このおふたりの名舞台をこれまで何度観てきたことでしょうか。殊にフェリさんは来年9月から我らがウィーン国立バレエの芸術監督になられます。ここ東京で、彼女の最後の舞台の伴奏ができたご縁を幸せに思います。この演目は一度ウィーンの「ヌレエフ・ガラ」で弾いていますが、今回は花道にピアノが設置されていて演奏しながら踊りがすぐ近くに見えるのが最高で。踊りもオーケストラも指揮者もすべて視界のなかにあるのです。とくに一番大事なキスの音を踊りに寄り添わせて弾けるのも、フライングキスからその先にピアノソロを繋げるのも感情移入しやすく、踊りと一体化するのを感じていました。カーテンコールでのフェリさんのきらきらした宝石のような瞳も、とても印象的でした。

花道に置かれたピアノ。このように舞台の上もオケピの中もすべてが視界に入ります

舞台袖で、フェリさんと

最後に演奏したのが、ノイマイヤー振付『欲望』。ハンブルク・バレエのシルヴィア・アッツォーニさん、アレクサンドル・リアブコさんご夫妻による踊りです。スクリャービンの5曲のピアノ曲から構成される作品の、最後のパ・ド・ドゥ。ノイマイヤー作品についてはウィーンでいくつかの作品を弾いていて、今シーズンは『椿姫』の全幕の稽古にも携わり、彼の振付と音楽がどんな関わりを持っているかを学んできました。音符の一つひとつが意味を持ち、音楽の機微に、踊りと感情が乗せられているのです。ですから今回は、振付を覚えてから音楽を構築するという作業をしました。
シルヴィアさんとは過去に公演のツアーでご一緒したことがあり、リアブコさんはこれまで何度かウィーンに指導と出演のために来てくださっています。プライベートでも仲良くしていただいているおふたりと、念願叶っての初共演……一音一音を音色に至るまで大切に話し合い、私も最終公演の舞台に出るギリギリまで楽屋のピアノに向かって、千秋楽を迎えました。彼らのライフワークであるノイマイヤー作品、その熱く純粋な想いが痛いほど伝わってきました。音楽の化身のようなおふたりとの舞台があまりにも尊くて、千秋楽、彼らのカーテンコールを後ろから見ていたら、涙があふれてきてしまいました。

『欲望』を踊るシルヴィアさんとリアブコさん。こちらも小林十市さんが撮影してくださいました

思い返すと、私が演奏した作品はどれも一篇の詩のようでした。ピアノという個人的な楽器と共に踊られる、繊細なバレエ作品たちは、振付家とダンサーの心の内をそっと覗くかのようで。そして、それは何か特別な人のための物語ではなく、すべての人に起こり得るような普遍的なテーマであり、つまるところ生命讃歌なのではないかなと感じたのです。
ふだん、こんなにたくさんの小品をひとつの公演で演奏することがないだけに、そんなことに想いを馳せていました。

幕開きのプロローグ、『ライモンダ』を弾くためにオケピにいたのですが、華々しいマイヤベーア「戴冠式行進曲」を聴きながら、スクリーンを見上げ、そこに流れる自分の名前も目にし、言い知れぬ高揚感を感じていました。いつもウィーンでご一緒している指揮者のワレリー・オブジャニコフさん、初めて共演した東京フィルハーモニー交響楽団、そしてBプロのコンサートマスター渡辺美穂さんのソロも素晴らしかったです。オケピの中でも出番がない奏者は立って舞台を観ておられ、オケピから大きな拍手を送っていらっしゃいました。ウィーンとはまた違った熱さであり、舞台とオケピの一体感がたまらなかった。

舞台袖では、ダンサーが皆それぞれ静かに集中しながら、仲間の舞台を見守っていました。その光景は、舞台と同じくらい、もしかするとそれ以上に美しくて、胸がいっぱいになりました。

『ジゼル』を踊ったドロテ・ジルベールさん。本物のジゼルがそこにいるようで、しばし見惚れていました。

今回、音楽家の方が「こんなにスターが集まって公演していて、バレエダンサーたちはライバル心はないんですか? もし音楽家のガラだったらライバル心むき出しになってしまう」とおっしゃっていました。なるほどと思いながら、「バレエは一人では成り立たない芸術で、ふだん、皆バレエ団に属していて助け合い、協力しながら舞台を作っている。だからこそ、仲間を応援したいという気持ちになるのかも」と話しました。

実際、今夏の世界バレエフェスティバルを締めくくった8月12日の〈ガラ〉のあと、ファニーガラのリーダーを務めたマルセロ・ゴメスさんが、すべてのスタッフさんに感謝の言葉を述べるご挨拶をされた際、こうおっしゃっていました。「誰か調子の悪いダンサーがいたら、みんなが舞台袖に集まり、みんなで見守ってそのダンサーを応援する。世界バレエフェスティバルにはそんなあたたかい空気があります」と。
みんながその才能と個性を認めあい、盛り上げて公演をより良いものにするーー第1回世界バレエフェスティバルを企画され、その後もプロデュースをし続けた故・佐々木忠次さんのもと生まれたこの「文化」は、脈々と受け継がれているのです。なんと美しいものなのでしょうか。

バレエを仕事にするということは決して楽な道ではありません。究極の美、究極の哲学を体現するためには、楽な道は選べないのです。私も、時に苦しいと感じます。でも、こんなふうに絶景に出逢えることがある。バレエの世界は狭く、真摯に歩み続ける限り、また必ずどこかで会うことができるし、繋がっている。

第17回世界バレエフェスティバル(Bプロ)カーテンコール Photo: Kiyonori Hasegawa

最後になりましたが、この舞台に立たせていただいたことに、心から感謝します。私を信じてくださったNBSの方々、お力添えくださった方々、観にきてくださった観客のみなさま、どうもありがとうございました。

世界バレエフェスティバルに捧げた夏が終わりました。美しい思い出と糧を胸に、ウィーンに戻ります。

Photo: Juichi Kobayashi

今月の1曲

世界バレエフェスティバルで弾いたものから1曲、ラヴェルのソナチネより第2楽章をお届けします。本番直前、舞台袖でピアノのコンディションを確認している時のものです。バレエフェスティバル開演前のキラキラした空気感も感じ取っていただけるのではないかと思います。

★次回更新は2024年10月20日(日)の予定です

Now on Sale

Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き

滝澤志野による、珠玉の作品を1枚に収めたピアノソロアルバム。

<収録曲>
1.『眠れる森の美女』第3幕 グラン・パ・ド・ドゥよりアダージオ(チャイコフスキー)
2.『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』よりアダージオ(チャイコフスキー)
3.『ジュエルズ』ダイヤモンドよりアンダンテ/交響曲第3番第3楽章(チャイコフスキー)
4.『瀕死の白鳥』/「動物の謝肉祭」第13番「白鳥」(サン=サーンス)
5.『マノン』第3幕 沼地のパ・ド・ドゥ/宗教劇「聖母」より(マスネ)
6.『椿姫』第2幕/前奏曲第15番「雨だれ」変ニ長調(ショパン)
7.『椿姫』第3幕 黒のパ・ド・ドゥ/バラード第1番 ト短調(ショパン)
8.『ロミオとジュリエット』第1幕 バルコニーのパ・ド・ドゥ(プロコフィエフ)
9.『くるみ割り人形』第1幕 情景「松林の踊り」(チャイコフスキー)
10.『くるみ割り人形』第2幕 葦笛の踊り(チャイコフスキー)
11.『くるみ割り人形』第2幕 花のワルツ(チャイコフスキー)
12.『くるみ割り人形』第2幕 グラン・パ・ド・ドゥよりアダージオ(チャイコフスキー)

●演奏:滝澤志野
●発売元:株式会社 新書館
●販売価格:3,300円(税込)
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Dear Chopin(ディア・ショパン)〜Music for Ballet Class

滝澤志野さんの5枚目となる新譜レッスンCDがリリースされました!
志野さんがこよなく愛する「ピアノの詩人」ショパンのピアノ曲で全曲を綴った一枚。
誰もがよく知るショパンの名曲や、『レ・シルフィード』『椿姫』などバレエ作品に用いられている曲等々を、すべて志野さんの選曲により収録しています。
それぞれのエクササイズに適したテンポ感や曲の長さ、正しい動きを引き出すアレンジなど、レッスンでの使いやすさを徹底重視しながら、原曲の美しさを決して損なわない繊細な演奏。
滝澤志野さんのピアノで踊る格別な心地よさを、ぜひご体感ください。

ドキュメンタリー風のトレイラー全収録曲リストなど、詳細はこちらのページでぜひご覧ください
♪ご購入はこちら

●CD、52曲、78分 ●価格:3,960円(税込)

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Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class

バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)

★収録曲など詳細はこちらをご覧ください

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

配信販売中!

現在発売されている滝澤志野さんのベストセラー・CDを配信版でもお買い求めいただけます。
下記の各リンクからどうぞ。

★作曲家シリーズ
♪Dear Tchaikovsky https://linkco.re/pEHd0G2A?lang=ja

★「Dramatic Music for Ballet Class」シリーズ

★滝澤志野さんのアーティスト情報ページはこちら

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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