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【第57回】ウィーンのバレエピアニスト〜滝澤志野の音楽日記〜バレエに殉じることなく、寄り添うために

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく連載エッセイ。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、読者のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

更新は隔月(基本的に偶数月)です。美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

♪「ウィーンのバレエピアニスト 滝澤志野の音楽日記」バックナンバーはこちら

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バレエと音楽の共存、とは言うけれど…

バレエとバレエピアニストの関係って夫婦のようだな、と思う。両者にはとても密接で自然な、長年寄り添った夫婦のような「あうん」の呼吸がある。どう弾けば踊りやすく、美しく見えるのか、いかに音楽と踊りが一体化できるか。そんな瞬間を追い求めながら鍵盤に向かう毎日は、芸術でありながらも職人仕事のようで。そして、そんな日々の積み重ねが、いつしか自分の音楽そのものになっていくのだろう。

2025年2月、ジョン・ノイマイヤー振付『椿姫』が再びウィーンに帰ってきた。全曲ショパンのピアノ楽曲で構成された、この美しい、偉大な作品に向き合える幸せな季節。稽古が始まって数週間が経ち、本番の演奏を担うゲストピアニストが稽古に参加することになった。バレエを弾くのは初めてだけれど、コンサートピアニストとして輝かしい経歴を持つピアニストだ。

しかし何日間か共に稽古を重ねたものの、結果としてはうまくいかず、ピアニスト氏は初日の1週間前に降板してしまった……。じつはこういうことは初めてではなく、現場ではあるあるな事件と言えるかもしれない。バレエと音楽の共存が決して簡単なことではないことをあらためて知った気がして、私はこの数日間、深く考え込んでしまった。

クラシック音楽の原則と、バレエの現実

クラシック音楽は、楽譜にすべての情報が詰め込まれている。演奏家は楽譜を読み込んで作曲家の意図を汲み取り、忠実に再現する。勝手にルールを変えるのは御法度。あくまでも楽譜に書かれているなかで、自分なりの表現を見つけていくのだ。しかしバレエの現場においては、この原則が通らないことが多々ある。

楽譜を読み込んで創作に臨む振付家はそうそういない。楽譜を読むダンサーとバレエマスターはさらに少ないだろう。耳で聴こえたものを自身で解釈して振付している人が圧倒的に多いように思う(ちなみに優れた振付家、ダンサーは本当に耳がいいといつも感嘆する)。音楽家と舞踊家は受けてきた教育が違うのだから、それは仕方のないこと。でも、この違いが音楽家にとって難題を生む。踊りを優先するために原曲とは大きく相反する音楽的指示を出されたら、音楽家はどう対処するべきなのだろうか。

前提として、バレエ公演はコンサートではない。だから踊りを美しく見せることを優先したいと私たちは思っている。でも、音楽が崩れるような、原曲を冒涜するような演奏をするわけにはいかない。バレエと音楽は互いにその良さを生かすパートナーであるべきだ。そこで必要となるのは、お互いの歩み寄り。音楽が不自然に聴こえてしまう原因を時には説明し、楽譜に書かれてあることを話し合い、解決策を見つける。あるいは話さなくても、自分の裁量で、どうすれば音楽的に美しく踊れるか、響かせられるかを計算して弾く。トリルの数をひとつ増やしたり減らしたりと、細かく調整したりもする。それはバレエピアニストの醍醐味だったりもする。

共通言語がないという壁

でも、もしもバレエのことをよく知らない演奏家だったら? それはやはり、凄く難しい作業なのだと思う。なぜ踊りにくいのか、どうして楽譜の指示を破らなければいけないのか、その根本原因がつかめないから。闇のなかを手探りで歩くようなものかもしれず、「ここをこう弾いて」という依頼がたとえ音楽的には矛盾していても、ただ従うしかなくなってしまう。大事な部分で共通言語を持ちあわせず、正解が見出せないのはつらいことだ。

黒のパ・ド・ドゥの稽古をしていた時、降板してしまったピアニストとダンサーとの間で、何度繰り返してもうまくいかない箇所があった。その弾き方だとダンサーがどうしてもジャンプを飛べず、音楽が踊りにうまくはまらなかったのだ。それは音楽の立体感や空気感、間合いの問題だと思い、私は「円を描くように」「空気をはらむような打鍵で」と言葉で説明しようとした。でもそのピアニストにとって、それが具体的に何を意味するのか、なぜ必要なのかを理解するのは、容易ではなかったはずだ。

ノイマイヤーやバランシン、ロビンズのように天才的な音楽的センスを持つ振付家の作品では、音の一つひとつが動きと深く結びついている。だからこそ、稽古の初期段階からピアニストと共に作品を作り上げていくことが重要になる。去年、私はノイマイヤー氏とケヴィン・ヘイゲン氏のもと、音色もフレーズ感も、そしてこのひとつの音が何を意味するかまで毎日教えてもらいながら、ダンサーと一体となり、みんなで『椿姫』の世界を作ってきた。そうして築かれた作品には、計り知れない緻密さと深みがある。

そのいっぽうで、去年のウィーン初演公演を飾ってくれたミヒャル・ビアルクさんのように圧倒的に美しい演奏で作品を牽引してくれたら、作品とのケミストリーが生まれたら、目にも耳にも最高に美しいソワレになると思う。最高の舞台を作り上げることに正解はなく、いつも手探りで最良の道を探していくしかない。

音楽と踊りの魅力を最大限に引き出す

そんなことを考えていたある日、ふと学生時代に好きだったピアノのCDを久しぶりに聴いてみた。バレエを知らなかった時代に愛していた音楽は懐かしく、でも当時と今とでは、聴こえ方が違うことにも気がついた。この音楽がバレエ作品になったらどうだろう、この演奏だと踊れるだろうか……等と考えてみたら、すべてが新鮮に響いてきて、いろんなイマジネーションが湧いてきた。ただひたすら楽譜に忠実に、作曲家の想いと自分の音楽を追求していたあの頃と、バレエに焦点を当て、楽譜を見ながらも踊りを見つめている今の自分は違う。

今回の出来事を通じて、はからずも自分の音楽と向き合う時間を持つことができた。私も、自分の音楽を今一度見つめ直そう。バレエに心から寄り添いつつも、それに殉じることなく、音楽家としての矜持を持ち続けよう。そして芸術家として、さらなる高みを目指していこう。長年寄り添った夫婦には安定感がある。でも、お互いの理解をさらに深めて新たな関係が築けたら、もっと刺激的でおもしろい人生が待っているはずだ。バレエとピアニストの関係も、そんなふうに一歩進んだ間柄になれるかもしれないーーそう思うと、次の作品を弾くことが楽しみになってきた。

今月の1曲

今月は、『椿姫』第1幕から「青のパ・ド・ドゥ」を抜粋でお届けします。ショパンのピアノ協奏曲第2番2楽章。孤独と健康上の問題を抱えながらも、華やかな社交界に生きるマルグリット。そんな彼女がアルマンに出逢い、その心に変化が訪れる。繊細な音楽によって、マルグリットの心の機微が手に取るように伝わってきます。オーケストラパートも含め、踊りに最大限寄り添って弾いていると、ピアノ協奏曲というより、もはやマルグリットの物語そのもののように響いてきます。『椿姫』のこのシーンを思い浮かべながら聴いていただけたら、きっと音楽のなかに、踊りの息遣いを感じてもらえるのでは、と思います。

★次回更新は2025年4月20日(日)の予定です

Now on Sale

Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き

滝澤志野による、珠玉の作品を1枚に収めたピアノソロアルバム。

<収録曲>
1.『眠れる森の美女』第3幕 グラン・パ・ド・ドゥよりアダージオ(チャイコフスキー)
2.『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』よりアダージオ(チャイコフスキー)
3.『ジュエルズ』ダイヤモンドよりアンダンテ/交響曲第3番第3楽章(チャイコフスキー)
4.『瀕死の白鳥』/「動物の謝肉祭」第13番「白鳥」(サン=サーンス)
5.『マノン』第3幕 沼地のパ・ド・ドゥ/宗教劇「聖母」より(マスネ)
6.『椿姫』第2幕/前奏曲第15番「雨だれ」変ニ長調(ショパン)
7.『椿姫』第3幕 黒のパ・ド・ドゥ/バラード第1番 ト短調(ショパン)
8.『ロミオとジュリエット』第1幕 バルコニーのパ・ド・ドゥ(プロコフィエフ)
9.『くるみ割り人形』第1幕 情景「松林の踊り」(チャイコフスキー)
10.『くるみ割り人形』第2幕 葦笛の踊り(チャイコフスキー)
11.『くるみ割り人形』第2幕 花のワルツ(チャイコフスキー)
12.『くるみ割り人形』第2幕 グラン・パ・ド・ドゥよりアダージオ(チャイコフスキー)

●演奏:滝澤志野
●発売元:株式会社 新書館
●販売価格:3,300円(税込)
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Dear Chopin(ディア・ショパン)〜Music for Ballet Class

滝澤志野さんの5枚目となる新譜レッスンCDがリリースされました!
志野さんがこよなく愛する「ピアノの詩人」ショパンのピアノ曲で全曲を綴った一枚。
誰もがよく知るショパンの名曲や、『レ・シルフィード』『椿姫』などバレエ作品に用いられている曲等々を、すべて志野さんの選曲により収録しています。
それぞれのエクササイズに適したテンポ感や曲の長さ、正しい動きを引き出すアレンジなど、レッスンでの使いやすさを徹底重視しながら、原曲の美しさを決して損なわない繊細な演奏。
滝澤志野さんのピアノで踊る格別な心地よさを、ぜひご体感ください。

ドキュメンタリー風のトレイラー全収録曲リストなど、詳細はこちらのページでぜひご覧ください
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●CD、52曲、78分 ●価格:3,960円(税込)

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Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class

バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)

★収録曲など詳細はこちらをご覧ください

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

配信販売中!

現在発売されている滝澤志野さんのベストセラー・CDを配信版でもお買い求めいただけます。
下記の各リンクからどうぞ。

★作曲家シリーズ
♪Dear Tchaikovsky https://linkco.re/pEHd0G2A?lang=ja

★「Dramatic Music for Ballet Class」シリーズ

★滝澤志野さんのアーティスト情報ページはこちら

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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