バレエを楽しむ バレエとつながる

  • 踊る
  • 知る
  • 考える

【母の日特集】“お母さんバレリーナ”のワークライフバランス③二階堂由依インタビュー〜新たな目標へ。10年後が楽しみです

古川 真理絵

5月12日は【母の日】
キャリアも子育ても両立している、3名の”お母さんバレリーナ “に、妊娠・出産を機に考えたキャリアのこと、ワークライフバランスの向き合い方や1日のタイムスケジュールについてお話を聞きました。

最後は、2014年まで東京バレエ団で活躍し、いまはバレエ教師をしている二階堂由依さんのインタビューをお届けします。

◆◇◆

二階堂由依(にかいどう・ゆい)

愛知県生まれ。2009年に17歳で東京バレエ団に入団。1年目で『ザ・カブキ』の顔世御前役に抜擢される。『白鳥の湖』オデット、こどものための『眠れる森の美女』オーロラ姫など、数々の舞台で主要な役を踊り、2014年に怪我のため退団。現在はバレエ教師、モデル、動画制作をするかたわら、5歳と4歳の年子姉妹のママとして家庭を支えている。

◆◇◆

現在はバレエの先生、モデル、SNSのインフルエンサーなど多方面で活躍中の二階堂さん。2009年に東京バレエ団に入団してすぐに主役に抜擢。2012年には東京バレエ団の海外公演でパリ・オペラ座のガルニエ宮で顔世御前を踊り、話題となりました。
学生の頃は、コンクールは予選落ちばかりで、コール・ド・バレエや立ち役にしか配役されず、劣等感しかありませんでした。バレエはただただ好きという気持ちだけで続けていました。そんな時、学校にたまたまゲストでいらした草刈民代さんから「プロを目指したほうがいい」と助言され、自分に少しでも可能性があるなら……と、勢いのまま東京バレエ団のオーディションを受けました。子どもの頃から憧れていた熊川哲也さんは15歳で単独渡英していたこともあり、17歳では遅いという焦りがあったんです。オーディションに落ちたらバレエは辞める覚悟で挑みましたが、結果は合格。入団後すぐに主演デビューが決まりました。ただ、せっかくバレエ団がチャンスをくれたのに、どうしても「自分なんかが……」という思いが拭えなかった。あまりにもスピーディーな展開に、舞台で主演している現実と自分の気持ちが追いつかない、というのが現状でした。

また、バレエ団ではコミュニケーションもうまく取れなくて、つねに孤独を感じていました。当時を振り返ると、「同僚はライバル」と思い込みすぎて虚勢を張っていたように思います。いまとなっては、「あの頃はみんなが目の前のことに一生懸命なだけだったんだ」と理解できるのですが、当時まだ17歳だった私はまだまだ子どもで、周りが見えていませんでした。

17歳というと、一般的には高校2年生。その年齢で、いきなりプロとして大人の中で仕事をするのは大変なことだろうと思います。
主役を踊らせていただいても、階級はいちばん下。金銭的な余裕がなく、リハーサルのあとは掛け持ちで深夜までバイトをし、不眠不休の毎日で身体も心もボロボロでした。そんな状態だからつねにどこかしら痛めていて、パフォーマンスも低下。本当に悪循環だったな、と思います。バレエ団は5年間在籍しましたが、精神的に限界を超えた時にアクシデントで腰に大きな怪我を負ってしまい、2014年に退団しました。
その後、怪我は完治したのですか?
半年くらい車椅子での生活でしたが、いまは快復しています。ダンサーとして肉体が鍛えられていたおかげでしょうか、先生も回復力の早さに驚いていました。でも、ボロボロになっていた心のケアには時間がかかりました。退団してすぐの頃は、クラシック音楽が聴こえるだけで涙が出てしまったり。ただ、生きていくために働かねばなりません。会社員をして、友達ができて、主人と出会って、子どもが産まれて……時間の経過とともに、バレエをしていない自分にも慣れ、本来の私を取り戻していきました。
そのような状況でも、2015年にはコシノジュンコさんのメゾンでモデルとしてステージに立ったそうですね。
はい。レストランで食事をしていたら偶然、隣のテーブルで(コシノ)ジュンコ先生がお食事されていて。それで「来週ショーがあるからちょっと出てみない?」と声をかけてくださったんです。私の人生はもう終わりだ……と絶望の淵にいた時期だったから、救いの手を差し伸べてくださったように感じました。

コシノジュンコのメゾンでモデルをする二階堂さん 写真提供:二階堂由依

モデルという職業もダンサーと同じく狭き門で、かなり努力が必要だったのでは?
ショーまで一週間しか時間がなく、とにかくモデルさんたちの立ち方やウォーキングをよく観察しました。ダンサーだったらあるあるかもしれませんが、私は人の動きをすぐ真似することが得意だったんです。それが役立ちました。本番はウォーキングの最中にイヤカフを落として、拾いにいってしまったりと失敗もしましたが(笑)、なんとかやり終えました。
妊娠中、そして出産後もモデルは続けているのですか?
モデルの仕事を断ったことは一度もありません。毎回呼んでもらえるとは思っていませんし、オファーがきたら調整して必ず受けるようにしています。妊娠中はお腹が目立ちにくい5ヵ月くらいまで。産後は3ヵ月でショーに立ちました。その時は25キロ太ってしまい、食事制限だけでは間に合わず、脂肪を落とすために30分のジョギングをしたり、ランジエクサで公園を何周もしました。脂肪を落とすには、大臀筋あたりの大きい筋肉を動かすのがいちばん効果的なんです。筋トレマニアの主人がいろいろ調べてくれて、夫婦共同作業で体重は本番までに戻しました。
これまでにコシノジュンコさんと仕事をしてきて印象に残っていることはありますか?
先生からは本当にたくさんのことを吸収させていただきました。先生のスケジュール帳って1日も空くことがないくらいビッシリなんですよ。一度「なぜそんなに働けるんですか?」と聞いたことがあるんです。そしたら、「自分が楽しいと思えることしかしていないから、“仕事をしている”という感覚はない」という答えが返ってきて。それ以来、私も自分が楽しいと思える選択をしよう、と心に決めました。

コシノジュンコさんと。この時はトウシューズを履いてショーに立ちました 写真提供:二階堂由依

そして二階堂さんはもう一度バレエの道を選び、現在はバレエ教師として指導にあたっています。そこに至るまでの経緯を教えてください。
モデル業も含め、会社員などいろんな仕事を経験し、あらためて自分ができること、自分がしたいことを真剣に見つめ直しました。私は運動も勉強もあまり得意ではなかったけれど、子どもの頃に唯一続けていたのがバレエでした。やはり、自分にはバレエしかないと思い、自分のスタジオをオープンすることを計画。そのためにお稽古を再開し、スタジオの下見も済んでいました。でも、契約直前のところで妊娠していることがわかり、一度、すべてを白紙にしました。
スタジオを開くことを考える前に、プロのダンサーに戻ることは頭をよぎりませんでしたか?
二人の子どもを産んだあとに少し考えました。けれど、バレエ団に所属するとなると都内に引っ越さなければならず、生活できるだけのお給料はきっともらえません。子どもの教育環境も整えたばかりでしたし、また一からプロのダンサーとしてスタートを切るのは、現実的にかなりシビアだと思い断念しました。
それでは、いまの目標は自分のバレエ教室を開くことですか?
はい。いずれ自分のスタジオを開設するために、いまできるのは自分の知名度を上げること。それでSNSでの発信を始めました。ありがたいことにフォロワーも増えて、いまでは動画でPRのお仕事もいただいています。

本当は、第一子を産んだらすぐにオープンするつもりだったのですが、産まれてきたばかりの我が子の顔を見たら「あぁ、だめだ……、この子から離れられない……」と(笑)。子どもがある程度育つまでは、育児に専念しようと決めました。自分のスタジオ開設は先延ばしにして、いまはオーロラバレエスタジオで指導の経験をさせてもらっています。

大人の初心者クラスを指導する二階堂さん ©︎Ballet Channel

オーロラバレエスタジオはどのようなご縁で?
バレエを再開する時に、私が生徒としてスタジオに入会したのがきっかけです。スタジオに通うようになって1年が経った頃、代表の大川由紀子先生にお誘いいただき、大人の初心者クラスの指導をするようになりました。
先ほどスタジオで指導している様子を見学しましたが、2時間15分にも及ぶ充実のレッスンに驚きました。
一生懸命指導しているうちに熱が入って、どうしても長くなっちゃうんですよね(笑)。
教えは、夫が自宅にいる日曜日だけ行っています。私自身、久しぶりにレッスンした時、泣けるくらい別人の身体になっていて……。脚は90度以上開かず、関節も筋肉もガチガチに固まっていた。その時の「できない!」という感覚が、初心者の方を指導する上で役に立っています。それでも最初の頃はどう伝えたら良いか言語化できず苦労しました。私は2歳からバレエを習っていて感覚的に踊ってきたから、うまく説明することができなかったんです。だからバレエ、ピラティス、ヨガなどのレッスン動画をたくさん見て、研究して、自分の言葉の引き出しを増やすよう努めました。

「顎は引いて。真っ直ぐ上に引っ張られるように」と指導に熱が入る二階堂さん ©︎Ballet Channel

ヨガやピラティスなども勉強したのですね。
ヨガは言葉が具体的で、大人の方もイメージしやすいと思いました。例えばカンブレする時も「反って」というのではなく「遠くに伸ばして」と言ったり。ちょっとしたニュアンスの違いですが、それで踊り方は大きく変わります。
バレエを指導する資格も習得したそうですね。
はい。「バレエ安全指導者資格」です。その名の通りで、誰が見てもパッと認識できるネーミングが良いな、と(笑)。ゆくゆくはプロも指導できるよう、いまはプロフェッショナルコースを勉強中です。
子育てしながら勉強するのは大変だと思います。ON・OFFはどのようにして切り替えているのですか?
散らかっている部屋では何もする気になれないので、まずは掃除から始めます。身の回りをスッキリ整えて、コーヒーを飲んだらスイッチがONになる感じ。それでも気分が乗らない時ももちろんあります。そういう時は「5分だけやる」と、なるべく目標は低く設定するようにしています。結局、5分すると勝手にスイッチが入って集中している。やり始めが肝心ですよね。

二階堂さんの平日24時間の使い方

二階堂さんは5歳と4歳の年子のお子さんがいて、本当に忙しくしていると思いますが、家事や育児でオリジナルの時短テクニックなどはありますか?
年子だから大変という感覚はあまりないのですが、なるべく子どもが自分たちで着替えや登園の準備ができるよう棚に「ようふく」「ぼうし」と書いたシールを貼っています。片付ける場所を決めてあげると、自分たちで洋服をたたんだり、整理してくれるんですよ。

ハロウィーンの時に家族で仮装しました 写真提供:二階堂由依

「母親業」は24時間休みなしだと思いますが、自分を保つために大事にしていることはありますか?
生活の基礎となる睡眠と食事は気をつけています。必ず22時までには寝るようにしていますし、栄養化が高くバランスの取れた食事を心がけています。ダンサーの時は、寝ずにオーバーワークを重ねてしまったのが精神のバランスを崩した原因のひとつだったと思います。子どもと一緒に料理するのは楽しいし、癒しになります。
2023年にはオーロラバレエスタジオの発表会で久々に舞台復帰したそうですね。
8年ぶりに舞台に立ちました。最初は断っていたのですが、大川先生に背中を押していただいて『スパルタクス』のヴァリエーションを踊りました。その時に「私は踊りたかったんだ!」と気付いてしまった。『スラムダンク』でいうところの三井状態ですね(笑)。本当はやりたくて仕方なかったのに、感情が複雑に絡まってしまって本当の気持ちを見失っていたのだと思います。いまは、またこうしてバレエ界に戻ってこられたことが、何よりも幸せです。色々経験してきた私だからこそ、何か役に立てることがあると思っています。

現役の頃を知っている方は、私のことを「早咲きだ」と思っているかもしれません。でも、私はその逆で「遅咲き」だと思っています。ずっと暗闇の中を探っているような毎日だったけれど、いま、やっとバレエ界で自分のやりたい目標が見つかりました。10年後が自分でも楽しみです。

レッスンの最後はスワンアームを ©︎Ballet Channel

◆◇◆

IN THE BAG|お仕事の日のバックの中身はコレ!

大きめのバックには、レッスンCD、お水、スマホ、トウシューズ、バレエシューズ、タオル、ノートをIN。指導中は小さなミニバックにCDや貴重品を入れてます。

【母の日特集】“お母さんバレリーナ”のワークライフバランス①清水愛恵(東京シティ・バレエ団)インタビュー〜母になった今、踊ることが素直に楽しいはこちら

【母の日特集】“お母さんバレリーナ”のワークライフバランス②久保茉莉恵(牧阿佐美バレヱ団)インタビュー〜あの時の決断で、今があるはこちら

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

NEWS

NEWS

最新記事一覧へ