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【インタビュー】谷桃子バレエ団・永橋あゆみ~妊娠、出産、全幕復帰。母になったいま、バレエについて思うこと。

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谷桃子バレエ団新春公演『白鳥の湖』永橋あゆみ(オデット) ©羽田哲也

2024年1月13・14日、谷桃子バレエ団が新春公演『白鳥の湖』を上演しました。1949年に設立された同団は今年で創立75周年。創設者・谷桃子が1955年にバレエ団初の古典全幕作品として上演した『白鳥の湖』は、以降自団の代表的レパートリーとして歴代のダンサーたちにより踊り継がれてきました。

6年ぶりの再演となった今回、初日の主役を務めたのはプリンシパルの永橋あゆみさんです。2022年に41歳で出産し、育児をこなしながらの全幕復帰。昨年、いよいよリハーサルに臨もうとしていた永橋さんに、妊娠・出産経験やバレエに対する思いなどについて聞いたインタビューをお届けします。

取材:阿部さや子(バレエチャンネル編集部)
文:若松圭子(バレエチャンネル編集部)

永橋あゆみ Ayumi Nagahashi
(谷桃子バレエ団 プリンシパル)

長崎県出身。永橋由美、山本禮子、野村理子、多々納みわ子に師事。1999年谷桃子バレエ団に入団。2002年『白鳥の湖』で主役デビュー。以降『ジゼル』『ドン・キホーテ』『ラ・バヤデール』『リゼット』『海賊』等で主役を踊る。

※本記事は2023年、『白鳥の湖』の公演前に取材したものです

「私はまだ、最後まで踊り切っていない」

永橋あゆみさんは2022年に女の子を出産。2024年1月13日の谷桃子バレエ団『白鳥の湖』が、全幕公演復帰となりますね。
永橋 バレエ団創立75周年という記念すべき時に、もう一度舞台に立てることになってとても嬉しいです。
出産したらまたバレリーナとして復帰したいという意思は、当初から持っていたのですか?
永橋 じつは、産んだ直後はもう「現役としての人生はこの辺で終わりにしてもいいのかな」と考えていました。舞台を長くお休みしてしまったし、定年制のあるバレエ団であれば私はそろそろキャリアを終える年齢でもありますし。でもいざ引退を考えた時、心のどこかに引っ掛かるものが残ってしまって。「本当にそれでいいの?」「もう踊らないの?」と何度も自問自答して、たどり着いた答えは、「私はまだ最後まで踊り切っていない」でした。そのタイミングで高部(尚子)先生に今回のお話をいただいて、もう一度頑張ろう、と決意しました。
思い起こせば、『白鳥の湖』は永橋さんが谷桃子バレエ団に入団して主役デビューを飾った作品。妊娠・出産という人生の大きな転機を経ての復帰作が再び『白鳥の湖』であるというのも、素敵ですね。
永橋 本当にそのとおりで、心から感謝しています。でもそのいっぽうで、じつは『白鳥の湖』は、私にとっていちばん苦手な演目でもあるんですよ。ですから演目を聞いた瞬間は、「やります!」と即答できませんでした。本当に何度やっても難しくて、創立60周年公演で踊らせていただいた時には、自分の出来に納得がいかなくて終演後に大泣きしたほどです。
まさにオデットそのものの雰囲気を持つ永橋さんが。意外ですね。
永橋 苦手ではありますけれど、もちろん大好きなんです。好きすぎるから難しいのかな……。テクニックはできて当たり前ですし、オデット/オディールの演じ分けも大事。とくにオデットは、内面を表現する力があって初めて演じることができる役だと思っています。何度も踊ってきて、振りは身体に染みついているけれど、踊っても踊っても、課題は尽きることなく出てきます。
人生をかけて踊っても掘り下げる部分は尽きない。だからこそ『白鳥』は永遠の名作なのだと、多くのダンサーが口を揃えますね。
永橋 本音を言えば、「本当に私なんかが白鳥を演じていいんでしょうか?」と役に入りこむことを躊躇しそうになることもあります。柔軟性があって手足も長いダンサーならポーズひとつ取ってもまさに「白鳥」というラインが出せるけれど、私は身体も硬いし背も高くないから、自分の理想の白鳥像と現実の間に、まだまだ距離を感じています。でも、これは自分に与えられた大きな「課題」のひとつ。今回も恐れずに挑戦していこうと思っています。

リハーサル風景より ©羽田哲也

「心で踊る」とは

リハーサルにはどのような思いで臨んでいますか?
永橋 私たちは、谷桃子先生に直接指導していただいた最後の世代なんです。バレエ団の若いダンサーには、谷先生が他界されてから入団した人も多いので、教わってきたものを守り、次の世代へと伝え、残していきたいと思っています。
とりわけ『白鳥の湖』は、谷桃子バレエ団の財産的レパートリーのひとつ。谷先生の指導を直接受けたのは貴重な経験ですね。
永橋 はい。谷先生の思いを知っているからこそ、簡単には踊れない作品です。お稽古場で白鳥の動きを一つひとつ演じながら教えてくださった仕草や目線は鮮明に覚えていますし、多くの発見がありました。谷先生のオデットは、芯に強いものを持ちながらも決して表には出さない、とても儚げな存在です。第4幕でいまにも壊れてしまいそうな姿を見ていると、みんなでオデットを助けてあげたいという思いになってきて、舞台上の空気がひとつになるんです。主役でありながら、決してひとりで踊るのではなく、周りの心を自然に動かして一体感を生み出してしまう。本当に素晴らしいと思いました。
若いダンサーたちに「谷先生のオデットはこうだったんだよ」と言葉で伝えるのは簡単ですけれど、私は少しでも先生のオデットそのものに近づいて、踊りで伝えていきたいと思っています。もちろん、それはとても難しいことですが……。今回の公演では、主役もソリストたちもコール・ド・バレエも、全員がひとつになった舞台をお見せしたいです。

新春公演『白鳥の湖』より ©羽田哲也

谷桃子バレエ団は、谷先生が残した「心で踊る」という言葉をバレエ団の理念として掲げています。いろいろな受け取り方ができる言葉だと思いますが、永橋さんはどう解釈していますか?
永橋 若い時、谷先生から「あなたはよく動けているんだけれどね……」とご指導をいただきました。当時は真意が理解できなかったのですが、大人になってやっと、先生の「……」の中に隠されているのは「表現の部分をもっと深めて」なのだとわかってきました。
「心で踊る」とは、「心から踊る」ということ。若い時はどうしても動くことばかりに必死になってしまうけれど、動作は結果として出るものです。たとえば「手を伸ばす」という動きひとつでも、大事なのは「手を出しているか」ではなく、「気持ちがその手を動かしているかどうか」なのではないでしょうか。まずはハートが動いて、身体が動く。それが「心で踊る」ということだと私は理解しています。

リハーサル風景より。オディール役を演じる永橋さんと、ロットバルト役の三木雄馬さん ©羽田哲也

「産みたい」と「踊りたい」のはざまで

バレエ団に復帰して、子育てとの両立は順調ですか?
永橋 ようやく生活のペースが掴めてきたかなというところですね。娘は生後3ヵ月から、平日の9時から17時まで保育園に預けています。園で過ごす時間が楽しいみたいで、いつも喜んで登園してくれるんですよ。指導の仕事は昼間だけにして、夕方遅くまでリハーサルがある時は、私の代わりに主人が娘のお迎えに行ってくれるので本当に助かります。彼が育児に協力してくれなかったら、きっとまだバレエ団に復帰できていないと思います。
とはいえ、自分のために使える時間はきっと限られていることと思います。ダンサーとして大事なこと、例えば身体のメンテナンスなどの時間はどのように確保しているのでしょうか。
永橋 できる時にできることを、と心がけています。通院治療やメンテナンス、ジャイロなどは娘が保育園に行っている時間に行くようにしているのと、土日などは子どもとあそびながら、筋トレやバーレッスンなどをちょっとずつやったりしています。
いつか娘さんにもバレエを習って欲しいと思いますか?
永橋 一度は習わせてみたいですね。娘は音楽がとても好きみたいで、音楽が流れてくると喜んで踊るんですよ。私は妊娠中にも教えをしていたので、おなかの中で生ピアノの伴奏を聴いてくれていたのかもしれません。でも、習い始めても途中で本人がやりたくないと言ったら、無理に続けさせることはしたくないと思っています。
母親になったことが、自身の踊りや表現にも何か影響を与えたと思いますか?
永橋 妊活から出産、そして子育てを通じて、自分の心にはこんなにたくさん喜怒哀楽の感情が潜んでいたんだと気が付きました。踊りって正直で、思っていることがすべて表れてしまうのが大きな魅力でもありますよね。人生には無駄なことって絶対にない。これからも自分の中に生まれてくる感情を大切に、踊りで表現していきたいです。

1歳のお誕生日にお嬢さんを囲んでの家族写真 写真提供:永橋あゆみ

永橋さんはいわゆる「妊活」のために、舞台を少し離れた時期があったそうですね。子どもを持ちたいと思うようになったのはいつ頃からだったのでしょうか。
永橋 きっかけは32歳の時、在研()で海外に滞在して、現地のダンサーたちの生活を見たことでした。バレエを仕事としてこなしながら、プライベートで家族と一緒に過ごす時間も大切にする彼らの暮らし方は、バレエだけの日々を過ごしてきた私にとって、とても人間らしく魅力的に感じました。帰国してからもその記憶が残っていて、少しずつ、私も彼らのように家庭を持ちたい、子どもが欲しいと思うようになりました。それまでは子どもとコミュニケーションを取るのはどちらかというと苦手でしたし、結婚願望すらなかったのですが……もしあのタイミングで海外に行っていなかったら、妊娠出産について考えることはないままだったかもしれないですね。
(※在研:文化庁新進芸術家海外研修制度。永橋さんは2012年度、ドイツ・ドレスデン国立歌劇場にて研修を受けた)
しかし30代といえば、バレエダンサーとしても身体と精神がともに充実する「踊り盛り」の時期。妊活を始めようと決断するまでには、悩みや葛藤もあったのでは?
永橋 そうですね。バレリーナとして十二分に踊れる時期は多くの人が40歳前後まで。それは子どもを産める年齢のリミットとほぼ同じです。私は35歳になったのを機に真剣に考え始めたのですが、バレエと妊活のどちらかひとつを選ばなくてはいけないのは、難しい決断でした。そして葛藤の末、バレエをお休みして本格的に妊活することを決めたものの、その時は妊娠できなくて……。この世にはどんなに努力しても難しいことがあるんだと感じましたし、周りの人たちは何度も妊娠しているのに自分にはどうして子どもができないの?と思うたびに、体と心のバランスが取れなくなっていきました。街で子どもの姿を見ただけで涙が出てしまうこともありました。
それで気持ちを切り替えるために妊活を一旦お休みして、舞台に復帰しようと考えました。それなのに今度はコロナ禍で公演が激減。痛めていた靭帯を治療する時間に充てながら、妊活を再開したものの、妊娠の兆候は見られないまま41歳になりました。もう子どもは諦めようと心に決め、代わりに二匹のワンちゃんを家族に迎えることにして。そうして舞台復帰の準備を本格的に始めた矢先に、妊娠していることがわかったんです。
永橋さん自身でも思いがけないタイミングでの妊娠となったのですね。
永橋 一転してバレエを諦め、出産の準備をすることになるなんて、神様も本当に意地悪ですよね(笑)。少し戸惑ったけれど、産みたいと思いました。人生って本当に自分の思いどおりにならない。なにかに「生かされている」んだって感じます。きっと人生で起こるすべてのことには意味があるんですね。妊活がなかなか上手くいかなかったことも、復帰を決めたタイミングで妊娠したことも。
そのまま産休に入った永橋さんは、2022年、41歳で女の子を出産。お子さんと出会えた時はどんな気持ちでしたか?
永橋 奇跡だなって。無事に生まれて来てくれただけで、本当にありがたいと思いました。

写真提供:永橋あゆみ

出産を経験する前と後ではいろいろな変化があったと思います。まず、身体的に大きく変わったところがあれば聞かせてもらえますか?
永橋 まずは体重ですね。お医者さんから「高齢出産なので、体力をつけるためにたくさん食べなさい」と指導を受けたので、言われるままに食べていたら15キロも増えてしまって。産んでからすぐ5キロほどは落ちたんですけれど、その後なかなか減らなくて少し苦労しました。また、出産で骨盤が広がったため、踊る時に身体を中心に集めることが難しくなりました。これはなかなか感覚が戻らずに、現在も頑張っているところです。
若い頃と比べて筋肉もつけづらくなったと思います。お休み中に落ちた筋肉もすぐには戻らなくて、身体のラインが変わらないように骨盤矯正やマッサージにも通いました。でも最近は「筋肉が落ちたことでゼロの状態に戻った」と考えてみたらどうだろう?と。ニュートラルな状態から綺麗に筋肉をつけていけば、以前のように身体の一部に負担をかけて歪みが出たまま踊っていた時よりも良い状態になるのではと思っています。
内面的な変化はどうでしょう?
永橋 神経質だった部分がなくなってきたような気がします。少し太ったとしても、「こういう自分もある」と受け入れるしかないですしね(笑)。細かいことにいちいちイライラしなくなったというか、どんなことでも一旦受け入れられるようになりました。自分中心だった生活が子ども中心になって、思い通りにならないことも増えましたけれど、「こういう日もあるよね」って。今日できなかったとしても「じゃあ明日頑張ろう」と思える。気持ちに余裕が生まれたのかもしれません。あと、生活でのちょっとした出来事にも感動したり涙したり、いろいろなものを感じ取れるようになりました。これは子どもから学んだことなんですよ。子どもってちっちゃな変化を見つけるのがとても上手。大人だったら何も感じないようなちょっとしたことにもすごく喜んで、パッと笑顔になるんです。その笑顔を見るとこっちまで嬉しくなってしまいます。
あらためて、いまの永橋さんにとってのバレエはどういう位置付けでしょうか。いま「あなたにとってバレエとは?」と聞かれたら、何と答えますか?
永橋 「人生」ですね。中学で親元を離れたのもバレエがやりたかったからでしたし、妊活で休んでいた時期にも、頭の中にバレエがありました。つねにバレエとプライベートを天秤にかける人生でしたから、私の中にバレエがない瞬間はいままで一度もありません。その時々で形を変えながら、それでも私の生活しているところにはかならずバレエがある。バレエが中心にあって、それに合わせて周りの世界や生活も変化していく気がします。だから私にとっては「バレエ=人生」。子どもを諦めてバレエをしようとしたら子どもに恵まれたというのも、バレエと私の人生が切っても切れない関係にあるからだと思います。

終演後に ©羽田哲也

これからのバレエ人生で思い描いていることがあれば聞かせてください。
永橋 私が踊ることで、私が感じたのと同じ悩みを抱えている後輩になにかを伝えてあげることができたらと思います。海外では子どもを産んでから踊っているダンサーも多くいますが、日本ではまだまだ少ないですから。
出産のために休んだら自分の居場所がなくなるかもしれない。そういう不安から子どもを諦めてしまうダンサーも多いと聞きます。
永橋 難しいですよね。私も復帰する時、「自分がまだ踊りたいと思ったり、子どもとバレエの両方を欲しがるのは欲張りなんじゃないか」と悩みました。
でも、決められない時には無理に決断しなくてもいいよ、と言ってあげたいです。妊活のスタート地点に立つかどうかは自分一人で決めること。その決断の時期はかならず訪れます。だからこそ流れに任せてみるのも大事なのではないか、という気がします。「自分はこうしたい」という軸さえしっかりしていれば、なぜか物事ってうまく流れていくものなんですよね。そう考えると、やっぱり私たちって「生かされている」んだなって感じずにはいられません。

©羽田哲也

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