“Contemporary Dance Lecture for Ballet Fans”
物語と抽象〜「よくわからない」とは、何がわからないのか?
さて今回は「物語ダンスと抽象ダンス」についてみてみよう。
ダンスが苦手だという人に理由を聞くと、しばしば「何をやっているのか、よくわからないから」という返事が返ってくる。
「よくわからないものを楽しむのがダンスだろう」も真理なのだが、それだと話が終わってしまうので、もう少し考えてみよう。
といっても、たとえば社交ダンスやストリートダンスを見ていて、「何をやっているのか、よくわからない」という人はいない。はじめから動きを楽しむものだと思ってみており、ストーリーや意味があるとは思っていないからだ。
ということは、コンテンポラリー・ダンスを見ていて「何をやっているのか、よくわからない」という声が出るのは、その逆、つまり「ダンスにはストーリーがあるはずで、個々の動きは何かを表しているはず」だと思っているからだ、と見ることができる。
だがそのセリフ、本当に額面通り受け取っていいのだろうか?
なにか裏があるということはないだろうか?
それはおいおい見ていこう。
何をしてるか、わかりたい!?
●テレビ番組の特集で
少し前、朝のニュース番組でコンテンポラリー・ダンスの特集をする珍しい機会があり、筆者にも電話取材が来た。しかし話していると、徐々に不安になってきた。
どうもこの担当者は「コンテンポラリー・ダンスとは、いまの日本のエンタテインメントの世界で流行しているステップの名前」ぐらいに思っているようなのだ。
これではいかんと、コンテンポラリー・ダンスが1970年代に西ヨーロッパを中心に始まった新しいダンスの総称であることなどを簡単に説明すると、衝撃の答えが返ってきた。
「すると……あれですか、コンテンポラリーって、けっこう海外でも流行ってる感じですか?」
耳、もげるかと思いましたね。
この番組内では都内の有名なダンススタジオでも収録していたのだが、タレントがやってきて、
- ダンサーがひとしきり踊ったあと「いま、何を踊ったでしょう」とクイズにした(正解は東京タワー)
- 「みんなで『夏休み』をテーマに踊ってみましょう!」といって踊った。
当然ながらダンスというよりゼスチャーゲームのような有様になったのだが、ひとつわかったことがあった。
それはこのテレビ制作者(が想定する視聴者)にとって「いいダンスとは、何をやっているかがわかるダンス」なのだろうということだ。
●そっくりなのはスゴイこと
これは一概に馬鹿にしたものでもない。絵だって最初のうちは「本物そっくり!」が褒め言葉なのと同じことだろう。
人は、何かと比較することで価値を計る。「本物そっくり=なにを表現しているのか正しく伝わった=すごい!」という展開である。
本連載では「説明」に寄せすぎると「表現」が薄くなることを見てきたので、今回は作品としての「わかりやすさ」についてみてみよう。
「何をしているのかわからない」のは、抽象的な作品だからだろうか。
明確な物語があれば「わかりやすい」のだろうか。
通常「抽象」の対義語は「具象」だが、ここではダンスにおける「抽象」に「物語」を対置させて、ダンスにおける物語の描き方、そして「ダンスにおける抽象」とは何かを考えてみよう。
物語バレエと抽象バレエと筋のないバレエ
●不自然なドラマ、整合性のあるドラマ
バレエにも、物語のある作品と、動きと構成で見せていく作品がある。
もともとオペラとの関わりで発展してきたバレエだが、クラシック・バレエには基本的に物語があり、音楽・舞踊・美術・文学(ドラマ)の全てが溶け合った総合芸術としての醍醐味を堪能できる。
しかし本筋には関係なく、ディヴェルティスマン(余興)と呼ばれる、様々なダンスを坦懐に楽しむ時間帯がある。
『白鳥の湖』の舞踏会での各国の踊りや、『眠れる森の美女』で童話の主人公たちがお祝いの踊りを踊ったり、『くるみ割り人形』ではお菓子の国で民族舞踊等が踊られる。「お祝いの席で、当時のヨーロッパにとってエキゾティックな魅力と思われた国々の舞踊」が採り入れられる。
これは当時の大国による植民地主義の拡大が背景にあり、現代の目から見ると偏見や蔑視と取られる表現も含むため、上演に際しては議論を呼ぶところではある。
ロマンティック・バレエは伝説や詩がモチーフになっているものが多い。
バレエは、物語のなかにディヴェルティスマンのような多様な踊りを含みながら展開させていく構造が全体のバランス的にもちょうどいいので、伝説や詩がもつ、ゆるやかな構成との相性がいい。
しかし現代に生きる人々を描こうとすると森や魔法というわけにはいかず、紡がれるドラマにも整合性やリアリティが求められ、複雑化していくことになる。
現代のバレエでは、ケネス・マクミランやジョン・クランコのように、ぎっしり詰まった物語を紡ぐ「演劇的(ドラマティック・)バレエ」の名作を数多く生み出している。
また最近では、そういうリアリティの視点からロマンティック・バレエを見直す作品も増えてきている。
バレエはその歴史の中で、ダンス部分を重視するあまり、物語が省略されたり構成が入れ替わったりしてドラマ的に不自然な箇所が出てきても、「まあそういうものだから」として放置されてきた作品が少なからずある。
現代でもボリショイ・バレエのユーリ・グリゴローヴィチのように、マイム部分をどんどん削ってダンスを増やす演出もあった。
しかしそれらをもう一度見つめ直し、必要ならばドラマを補って、物語の因果関係や登場人物の感情の移り変わりと行動の動機付けなどを肉付けしていく演出も増えてきている。
ドラマが整合性を持つことで、より深く作品に入り込むことができ、バレエを見慣れていない観客を掴むことにもつながるだろうからだ。
バレエの進化が、止まることなく続いている証左である。
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