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【第31回】ウィーンのバレエピアニスト〜滝澤志野の音楽日記〜バランシンが教えてくれること。

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

バランシンを弾く

2021年11月14日、ウィーン国立バレエでは、トリプルビルのプレミア公演が上演されました。
私が担当したのは、バランシン振付『シンフォニー・イン・C』。4年ぶりの再演です。

20世紀を代表する名振付家、ジョージ・バランシン。今回はその魅力に触れてみたいと思います。(バレエピアニストの音楽日記らしくて嬉しい!)

1904年にロシアの音楽一家に生まれ、マリインスキー劇場で踊ったのち、ディアギレフ率いるバレエ・リュスに加わったバランシン。10年ほど欧州のバレエ団を転々としたのち、1933年、拠点をニューヨークに移しました。そこで彼が設立した現在のニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)は、バランシンの本家本元として、輝きを放ち続けています。

世界中のバレエ団がバランシンの作品を上演したいとラブコールを送っていますが、上演するには、バランシンの芸術を彼と共に作り、時代を築きあげてきたダンサーたちで構成されたバランシン・トラスト(バランシン財団)の許可が必要で、彼らが直接指導にあたります。私が出逢ったどの指導者もそれぞれ素晴らしく、作品に関わるすべてのダンサーの成長を促し、また作品が後世まで原型通りに継承されるべく、ピュアな情熱を傾けておられます。

Mr. B

バランシン・トラストの方々は、バランシンのことを敬愛をこめて、Mr. Bと呼びます。

彼らがMr. Bを語る時、いちばん多く口にするのは、その「音楽性」について。彼が音楽をいかに大切にしていたかということです。バランシンの魅力をひと言で言うと、「常に音楽と共に在る」ということでしょう。自身も作曲家であり楽譜を読み込むことができたというのも大きく、音楽の魅力をそのまま可視化した端正な振付は、その疾走感も相まって、舞台に心地よい風が吹くように感じます。音楽性豊かなダンサーがバランシンを踊ると、それはそれはチャーミングで洗練されていて、インテリジェンスも香ってきます。

シンプルに、端正に演奏する

じつは、私はバレエ団で「バランシン隊長」を自称しています(ちなみにチャイコフスキー番長でもあります笑)。それだけご縁があり、バランシンを愛しているのです。

2010年に初めて新国立劇場バレエ団で『シンフォニー・イン・C』を弾いたのを皮切りに、ウィーンに就職して初めて担当したのが『テーマとヴァリエーション』。その後、『フー・ケアーズ?』『アレグロ・ブリランテ』、『タランテラ』、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』、『ヴァルス・ファンタジー』、『スターズ・アンド・ストライプス』、『ジュエルズ(ダイヤモンド)』、『デュオ・コンチェルタント』と10作品を担当してきました。

『シンフォニー・イン・C』の楽譜。新国立劇場でまだ駆け出しだった私は、楽譜に日本語で書き込んでいます。今はバレエ用語はフランス語、それ以外は英語で書き込んでいますが、新人時代の大切な思い出として、今も日本語の書き込みの楽譜を使っています。ボロボロでほとんど古書!

バランシンの作品は、ウィーンではほぼ一人で一作品を担当するので、よりじっくりと向き合うことができます。作品一つひとつに大切な思い出がありますが、幸福な思い出しかないのは、やはりその音楽性に依るところが大きいでしょう。私がバランシンの作品を弾く時に気をつけているのは、とにかく楽譜に忠実に、シンプルに端正に弾くということ。ダンサーに合わせすぎないこと。テンポを踊りの都合で揺らさないこと。遅めのテンポから稽古を始めても、最終的には「リスクを取る」ことで、ダンサーにとっても観客にとってもエキサイティングな舞台になり、かけがえのない瞬間が味わえる、と感じています。そうです、芸術は崖っぷちに咲く花なのですから。リスクを取ることがいかに美しいかを教えてくれる。非常に高度なテクニックが要求されるバランシン作品では、テンポについては毎回細かく話し合いますが、Mr. Bは、ダンサーが指揮者にテンポについて口出しすることを許さなかったのだそうです。そのぶん音楽家の責任も重大なのだと、振付を体で感じながら私も作品に向き合います。

テーマとヴァリエーションの稽古風景 

バランシンの音楽性とは

ここで少しバランシンの音楽性について触れてみましょう。Mr. Bは音楽の特徴をじつによく捉えています。踊りはメロディのフレーズに沿っていて、スタッカートやテヌートもそのまま振付に現れ、ダイナミクス(強弱)も忠実に再現されている。とにかくすべてが自然に楽曲の呼吸のままに踊られるのです。バレエのパにはリズムとテンポがあるのですが、踊りのリズムと曲のリズムが見事に一致しています。その最たる例が『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』だと思います。

そして、興味深いのが『ジュエルズ』の「ルビー」。クラシカルな「エメラルド」(フォーレ)や「ダイヤモンド」(チャイコフスキー)に比べて、ストラヴィンスキーの楽曲はモダンで、拍子も調性も音型も変幻自在で掴みどころがありません。それをバランシンは余すことなく踊りに取り入れ、音が鳴っていない裏拍をも使うことで、振付が、そして音楽さえもが、輝きを放ち始めるのです。Mr. B自身も「裏拍を感じて。アクセントは裏にある」とよくおっしゃっていたそうです。なんだか哲学的に聞こえてきませんか?

ちなみに、ストラヴィンスキーとバランシンはバレエ・リュス時代からの付き合いですが(なんという時代でしょうか……)、ストラヴィンスキーの曲に振付けられたバレエの中で、ストラヴィンスキー自身がいちばん納得している作品が、『春の祭典』でも『火の鳥』でもなく、バランシン振付『ストラヴィンスキー・ヴァイオリン協奏曲』なのだそうです。私が先月舞台で弾いた『デュオ・コンチェルタント』も同じくストラヴィンスキーで、踊りと音楽の見事なコラボレーションを体感しました。

バランシン作品には、競技に例えるなら短距離走のようなハードさがあると言います。比較的短めの作品の中に超絶技巧が盛り込まれていて、息つく間もなく疾走するように踊るのです。先日、『シンフォニー・イン・C』の舞台裏にいたのですが、舞台から袖に駆け込んでくるダンサーが皆息絶え絶えで、そこは野戦病院のようでした……。それほどまでに炎を燃やすからこそ、そしてそこに高い音楽性と芸術性をも求められるからこそ、バランシンは観る者の心を捉えて離さないのでしょう。

レジェンド、パトリシア・ニアリー

今回バランシン・トラストから指導にいらしたのは、パトリシア・ニアリーさん。じつは、私が最初に『シンフォニー・イン・C』を新国立劇場で弾いた時の指導者も彼女でした。11年ぶりの再会です!「新国立劇場は本当に素晴らしいバレエ団。震災の時も新国立バレエ団で指導していて、あの時は本当に大変だったわよね」と稽古場でそんな話になりました。先月、日本のバレエ界の北極星のような存在だった牧阿佐美さんが亡くなられたニュースが流れた時も、私のそばにいらして、「アサミ・マキが私を何度も日本に招いてくれた。本当に感謝しているし、喪失感が大きく悲しい」と話してくれました……。

パトリシアさんは先月お誕生日を迎えられ、稽古場で、そして公演記者会見の舞台の場で、みんなでお祝いしました。ご本人が舞台上でおっしゃっていたのですが、なんと79歳!

美しく若々しく、颯爽と振り入れし、朝から夕方まで稽古をつけ、キビキビと正確な指示を出し、ユーモアをもって人に接し、世界中を飛び回っているご様子は、年齢をまったく感じさせません。彼女もまた大いなるレジェンドなのだと再認識しました。

私はウィーンに来て自信を喪失していた時間も長かったのですが、そんな時、いつもバランシン作品とバランシン・トラストの方々に救われていました。私の音楽を信じてくださって、音楽とバレエが互いに敬意を払って調和している。「自分を信じ、自分の軸を信じ、相手を信じる」。稽古中にパトリシアがこんなことをおっしゃっていたのも忘れられません。きっとこれからも、バレエのピアノを弾く上で、そして生きていく上でも、自分の指針になるのだろうと思います。

世界はこんなに広いけれど、バレエ界はひとつの大きな輪で繋がっているということ。そしてそこには絆があるということを、バランシンは教えてくれるのです。

今月の1曲

ということで、今月の1曲は『シンフォニー・イン・C』のフィナーレ(第4楽章)を。この作品は1947年に『水晶宮』というタイトルでパリ・オペラ座で初演されました。曲は、ジョルジュ・ビゼーが17歳の時に作曲したチャーミングな交響曲(彼は、交響曲は人生でこの1曲しか書き上げていません)。4つの楽章で構成され、各楽章にプリンシパルダンサーが配置されます。総勢48名で踊られるフィナーレは圧巻で祝祭的であり、そこには音楽と踊りの完全調和があり、洗練された美に誰もが幸福になれる……そんな作品です。新国立劇場とウィーン国立歌劇場という、愛する劇場でこの作品に何度も関われている幸せを味わいつつ、Mr. Bに捧げたいと思います。

2021年11月20日 滝澤志野

★次回更新は2021年12月20日(月)の予定です

【NEWS】 配信販売スタート!
滝澤志野さんのベストセラー・レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」(ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス)、大好評のvol.1に続き、vol.2&3の配信販売がスタートしました!

★滝澤志野さんのアーティスト情報ページはこちら

New Release!

Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野

ベストセラーCD「ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス」でおなじみ、ウィーン国立バレエ専属ピアニスト・滝澤志野の新シリーズ・レッスンCDが誕生!
バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)

★収録曲など詳細はこちらをご覧ください

 

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

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大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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