ウィーン国立バレエ 専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。
“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲” を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。
美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。
バランシン振付『デュオ・コンチェルタント』を弾く
2021年10月1日。3ヵ月ぶりに劇場に帰って参りました。ただいま!
7、8月が夏休み。そして9月は1ヵ月間の病欠 。
日本での緊急事態宣言も重なり、計3ヵ月もダンサーとの現場で弾かない日々が続いたなんて……。コロナで感覚が麻痺しているけれど、この1、2年は、習慣化していたものがリセットされる、そういう時期なのでしょう。
夏から毎日家でピアノを弾いていたにもかかわらず、復帰初日のクラスレッスンでは腕が痛く、呼吸もうまくできず、息が上がってしまうのを感じました。いつもなら、例えばチャイコフスキーのピアノ協奏曲などの大曲を弾いても呼吸は乱れなかったりするのに……。術後の体力と筋力の衰えに焦りを覚えました。通常業務だけなら、ゆっくり本調子に戻していけばいい。だけど、今月、私には楽しみにしていた舞台の予定がありました。
バランシン振付『デュオ・コンチェルタント』。2名のダンサー、ヴァイオリニスト、ピアニストの4人で上演される演目で、曲はストラヴィンスキーの「ヴァイオリンとピアノの為のデュオ・コンチェルタント」。以前から、弾いてみたい!と希望していた演目でその希望が叶い、これに合わせて復帰することは、心身ともに大きな喜び、明日への活力になりました。
VIDEO
モダンバレエの音楽仕掛け人、ストラヴィンスキー
さて、この「デュオ・コンチェルタント」という曲、私の好きなストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲(この曲もバランシンのバレエで有名)にところどころとても似ています。それもそのはず、ヴァイオリン協奏曲が作曲されたのは1931年。この協奏曲を以って欧州ツアーをした際、ヴァイオリンとピアノだけで演奏できる曲があれば色んな可能性が広がる、と考えたストラヴィンスキーが同年に作曲し、自身がピアノを弾いて初演したものだそうです。当時、フランスはニースに居を構えていた彼のこの頃の音楽からはフランスの響きが香り、終曲を弾いていると、私は毎回ラヴェルの「マ・メール・ロワ」を思い出してしまいます。ストラヴィンスキーなくしてバレエ・リュスを語ることはできませんが、ロシアとフランスの芸術がこのように融合していくさまが本当に見事というか、歴史的な背景も相まったこの時代の奇跡を思わずにはいられません。
ピアノパートは割とトリッキーでとにかく身体に覚え込ませるしかないという作品で、譜読みの苦労もありましたが、あちこちに飛び跳ねるような音型だったり、ヴァイオリンとピアノでカノンを奏でるあたりもパ・ド・ドゥにピッタリ。バランシンの選曲のセンスにはいつも脱帽してしまいます。
今回ご一緒するヴァイオリニストのフェドール・ルディン氏は、国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターとしてオケで何回もご一緒したことがある方で、ストラヴィンスキーやチャイコフスキーのバレエ音楽に関して、いろいろ語る時間ができたことも嬉しかったです。
生きている気がする
さて、10月12日。公演初日がやってきました。
舞台稽古の様子
じつは、ウィーン国立歌劇場に就職して11年目にして初めて、舞台上で演奏する機会を頂いたのです。今まで、オーケストラとの共演時はもちろん、ピアノソロの作品を弾く時も、いつもオーケストラピットで小さなモニターでダンサーを見ながら演奏してきたのです。何年同じ場で同じような仕事をしていても「初めて」の事件は起こるのですね。(きっと本当は、新しく生まれては消えていく日々で、同じことなんてひとつも起こっていないのでしょうけれど……)
開演前
4作品立てのこの公演。1演目め『グラス・ピースィズ』ではオケの中でシンセサイザーを弾き、そこでなかなかの体力を使ってから、すぐ舞台に行き、デュオ・コンチェルタントを弾きます。劇場付ピアニストは、なんでも屋なのであります(笑)。
『グラス・ピースィズ』。オケピにシンセサイザーはちょっと不思議な光景
大きなオペラ座の舞台上で初めて演奏したらどんな気持ちを抱くのだろうと想像していたけれど、実際は、その感慨よりも、ダンサーとヴァイオリニストとの時間を心から楽しんだ、という感じでした。この1年半、出演予定の公演が何十公演も中止になってきたこと、手術から無事復帰できてこうしてピアノを弾けていること、それらが相まって、「生きている気がする!」と演奏中に強く感じました。
カーテンコール。写真は私(左端)の隣から、フェドール・ルディン、橋本清香、ダヴィデ・ダト
病欠して初めて気づいた「体調が悪く、社会と関われないこと」の孤独、焦り、閉塞感。ですが、ピアノと身体に向き合う時間を持ち、筋トレも毎日のメニューに加え、粛々と過ごしてきました。この作品を弾くというモチベーションがあったからこそ、良い日々を過ごせたのかなと思っています。この公演も今週で終わってしまいます。またひとつの芸術の思い出を過去へと見送りますが、また新しい何かに出逢えるよう、多くの方と芸術を共有できるよう、心新たに歩んでいきたいと思います。
舞台裏にて。写真は私の隣から、フェドール・ルディン、リュドミラ・コノヴァロヴァ、木本全優
今月の1曲
もちろん「デュオ・コンチェルタント」を、と言いたいところなのですが、ストラヴィンスキーは著作権的に厳しくて断念……。でも、この曲なら。1920年、バレエ・リュスによって制作されたバレエ『プルチネルラ』からセレナータを。ストラヴィンスキーとディアギレフが18世紀イタリアの作曲家の作品を研究し、『プルチネルラ』の音楽に取り入れたのです。この美しいメロディも原曲はペルゴレージ作曲のものです。じつは、2020年3月のオペラ座バレエ公演で、チェロとピアノのデュオでこの曲を弾いていたのですが、コロナで後半の公演が中止になってしまった苦い思い出があります。ちなみに、私の2枚目のレッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class 2」 のフォンデュに使った曲でもあります。バレエ・リュスの響きを、どうぞお楽しみください。
2021年10月20日 滝澤志野
★次回更新は2021年11月20日(土)の予定です
【NEWS】 配信販売スタート!
滝澤志野さんのベストセラー・レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」(ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス)、大好評のvol.1に続き、vol.2&3の配信販売がスタート しました!
New Release!
Dear Tchaikovsky (ディア・チャイコフスキー) 〜Music for Ballet Class
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野
ベストセラーCD「ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス」でおなじみ、ウィーン国立バレエ専属ピアニスト・滝澤志野の新シリーズ・レッスンCDが誕生!
バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)
★収録曲など詳細はこちら をご覧ください
ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野 Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1 では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2 には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3 ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲 をセレクト。 ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)