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英国バレエ通信〈第42回〉イングリッシュ・ナショナル・バレエ「アクラム・カーンのジゼル」ほか

海野 敏

事情により約1年ほど休載していた「英国バレエ通信」を今月から再開! 執筆は連載「鑑賞のためのバレエ・テクニック大研究!」の著者でもある海野敏さん(舞踊評論家・東洋大学教授)です。

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「アクラム・カーンのジゼル」

イングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)は英国ロイヤル・バレエに次ぐロンドン第2のバレエ団であり、アクラム・カーン版『ジゼル』(2016年初演)は同団の重要なレパートリーである。しばらく中断していた本連載を再開するにあたり、まずこの作品を取り上げよう。なお、同作については、實川絢子氏が本連載第4回(2019年9月)に2500文字を超える詳細かつ迫真のレポートを書かれているので、そちらも是非お読みいただきたい。

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「アクラム・カーンのジゼル」高橋絵里奈(ジゼル)、ジェームズ・ストリーター(アルブレヒト)©Camilla Greenwell

カーンは、インド伝統舞踊のカタックをベースにしたコンテンポラリーダンスの振付家であるが、バレエ団への作品提供、シルヴィ・ギエムとの共演など、英国バレエ界に深く根を下ろして活動をしてきた。ENBの『ジゼル』は彼の代表作であり、今では『アクラム・カーンのジゼル』(Akram Khan’s Giselle)というタイトルで宣伝が行われている。

第1幕は、少女ジゼルが恋人アルブレヒトの裏切りを知って死ぬまでを描き、第2幕は、死霊となった女性たちによる男性への復讐と、ジゼルのアルブレヒトへの愛と赦しが描かれる古典作品の枠組みはそのまま。しかしカーンは物語の設定を大胆に変え、中世の農家の娘ジゼルと貴族アルブレヒトの関係を、現代の衣料品工場の経営者と労働者に置き換えた。つまりブルジョワジーと労働者という階級差である。また、音楽にもかなり手を加えており、とくに第2幕はアダンの楽曲を切り刻み、思い切り遅いテンポで演奏する改変をしている。

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「アクラム・カーンのジゼル」高橋絵里奈(ジゼル)©Camilla Greenwell

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「アクラム・カーンのジゼル」©Camilla Greenwell

2024年9月下旬、ロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場で同作品を鑑賞した筆者が伝えたいのは、この作品の備えているライヴパフォーマンスとしての迫力と、日本出身のダンサーたちの活躍である。

まずライヴパフォーマンスとしての迫力は、同作を劇場で見て思い知った。筆者は同作を映像で繰り返し視聴して高く評価していたが、生の舞台は初体験。第1幕は腹に響く重低音で始まり、舞台には労働者を閉じ込める壁がそびえたち、その壁がけたたましいサイレンとともに引き上げられて経営者たちが登場し、ジゼルがこと切れる幕切れでは舞台を圧するように壁が縦に回転する。いずれも映像で知っていた演出にもかかわらず、それぞれが私の身体に訴えかける感覚は、ライヴでなければ味わえないものだった。やはり劇場芸術の面白さは、生の舞台でなければ伝わらない。

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「アクラム・カーンのジゼル」©Camilla Greenwell

私が観た日は、ジゼルを高橋絵里奈、アルブレヒトをジェームズ・ストリーター、ヒラリオンを猿橋賢が演じた。高橋は、無垢なだけでなく自分の意思をもったジゼルを好演。アルブレヒトの子を宿した自分の腹に手を当てる仕草には、切ない思いがこもっていた。高橋とストリーターはプライベートでもパートナーであり、息の通い合ったパ・ド・ドゥも心地よい。猿橋は、経営者に媚を売る憎まれ役をのびのびと演じて、頼もしい存在感だった。ストリートダンスのようなステップを含むカーンの手の込んだ振付も踊りこなして見応えがある。ほかに大谷遥陽がジゼルの友人役として出演。カーテンコールでは、舞台上に登場した振付家自身が高橋に直接花束を渡し、喝采を浴びていたのが印象的だった。

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「アクラム・カーンのジゼル」高橋絵里奈(ジゼル)、ジェームズ・ストリーター(アルブレヒト)、エマ・ホーズ(ミルタ)©Camilla Greenwell

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「アクラム・カーンのジゼル」猿橋賢(ヒラリオン)©Camilla Greenwell

【2024年9月23日、サドラーズ・ウェルズ劇場】

その他のバレエ公演

以下では、ロンドンで見たその他3つのバレエ公演について紹介する(注1)

ロンドン・シティ・バレエの公演“Resurgence”は題名通りの「復活」公演で、当地のバレエファンの間ではちょっとしたニュースだった。同バレエ団は、故ダイアナ妃をパトロンとしたツアーカンパニーとして人気を博したものの、資金難から1996年に活動を終了していたからである。今回28年の休止期間を経て、振付家のクリストファー・マーニーを中心に活動を再開し、ゲストのアリーナ・コジョカルを含めて14人のダンサーで5作品を上演した。

ロンドン・シティ・バレエ「バラード」(ケネス・マクミラン振付)アリーナ・コジョカル、アレハンドロ・ヴィレルス ©Ash Photography

一番注目された演目はケネス・マクミラン振付の『バラード』である。初演以来、50年以上上演されていなかった作品の貴重な再演。主演はコジョカルで、1組の男女カップルと2人の男性の人間関係を描くマクミランらしい作品だった。また、筆者が注目したのは、アリエル・スミス振付の『ファイヴ・ダンス』。コンテンポラリーダンスの新作で、ジョン・クーリッジ・アダムスの前衛的な弦楽四重奏を使い、変化し続けるダンスが面白かった。スミスはキューバ生まれの新進気鋭の振付家で、2022年にローレンス・オリビエ賞のダンス部門を受賞している。ほかにアシュリー・ペイジの『ラリーナ・ワルツ』、マーニーの『イヴ』、マクミランの『コンチェルト』よりパ・ド・ドゥを同時上演。

ロンドン・シティ・バレエ「ファイヴ・ダンス」(アリエル・スミス振付)アルトゥール・ヴィレ ©Ash Photography

【2024年9月11日、サドラーズ・ウェルズ劇場】

来英公演では、カナダ国立バレエ(National Ballet of Canada)が素晴らしかった。“Frontiers: Choreographers of Canada”と題する公演で、カナダ出身の振付家3人によるトリプルビルである。白眉はクリスタル・パイト振付の『天使の地図』(Angels’ Atlas)で、約35人のダンサーによる30分弱の作品。パイトの群舞はいつも心を揺さぶる力があり、何組かのデュエットも実に魅力的だった。作品の構成も次に何が起きるのかわくわくするような展開もよい。エマ・ポートナー振付の『アイランズ』は、女性2人による15分ほどのコンテンポラリーダンス。前半は、2人が4本脚のズボンを履いて繋がって踊るという趣向が面白かった。ほかに同バレエ団の元芸術監督、ジェームズ・クデルカ振付の『パッション』を同時上演。

なお私が見た日は、同団プリンシパルの石原古都は出演していなかったが、日本出身ダンサーでは、子安美代子、佐藤航太、羽石彩乃、平野丹緒の4人が出演していた。
【2024年10月3日、サドラーズ・ウェルズ劇場】

ナショナル・ユース・バレエ(National Youth Ballet of Great Britain)の公演“Evolving Visions”は、バレエ団ではなくバレエ・スクールの公演だが、たいへん興味深かったのでご紹介したい。9~19歳のダンサーをオーディションで集め、一定期間のレッスンと集中的なリハーサルで仕上げた数分~十数分のコンテンポラリーダンスを一気に11作品上演。20~30人が出演する作品が多く、出演者の総数は約100人である。振付の質はややばらついていたが、照明、投影される映像、衣裳のいずれも本格的なクリエーションで、半数の作品にはもう一度見たいと思わせる魅力があった。

ナショナル・ユース・バレエ「Open Water(Just What You Wanted)」(ダニエル・デヴィッドソン振付)©Lachlan Monaghan

同スクールのホームページによれば1988年創立で、「卒業生は、英国の主要なバレエ団のダンサーと振付家の10%を占めている」と謳っている。1割という数字を裏付けることはできなかったが、確かにロイヤル・バレエを始めとする英国のバレエ団、欧米各地のバレエ団、マシュー・ボーンのカンパニー、ミュージカル公演などへ、多数の卒業生を送り出しているようだ(注2)

ナショナル・ユース・バレエ「BLANK」(ミゲル・アルトゥナガ振付)©Lachlan Monaghan

【2024年9月8日、サドラーズ・ウェルズ劇場】

秋のロイヤル・バレエの公演については、次回以降に詳しくお伝えしたい。

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(注1)月刊誌「ダンスマガジン」2024年12月号(p.58-59)に、英国随一のバレエ学校、ロイヤル・バレエ・スクールの「サマー・パフォーマンス」の舞台評を執筆しました。よろしければそちらもお読み下さい。

(注2)卒業生のリストには、バーミンガム・ロイヤル・バレエでプリンシパルを務めるタイロン・シングルトンと、『アクラム・カーンのジゼル』でアルブレヒトを演じたイングリッシュ・ナショナル・バレエのジェームズ・ストリーターの名前が含まれている。

★次回更新は2024年12月15日(日)の予定です

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うみのびん。東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科教授、情報学研究者、舞踊評論家。早稲田大学、立教大学でも講師を務める。バレエ、コンテンポラリーダンスの舞台評・解説を『ダンスマガジン』、『クララ』などのマスコミ紙誌や公演パンフレットに執筆。研究としてコンテンポラリーダンスの三次元振付シミュレーションソフトを開発中。著書に『バレエとダンスの歴史:欧米劇場舞踊史』、『バレエ パーフェクト・ガイド』、『電子書籍と電子ジャーナル』(以上全て共著)など。

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