ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。
“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。
美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。
新たなシーズンが始まりました
2022年9月。
ウィーンにまた新しい季節が巡ってきました。ウィーン国立歌劇場、2022/23シーズンの開幕です。私にとって12年めのシーズン。この連載を始めた当初はまだ8年めだったのに、時が経つのはあっという間ですね。
今シーズン、ウィーン国立バレエに新しく日本人ダンサーの中村淳之介さんをお迎えしました。ハンガリー国立バレエ団からの移籍です。長身で手足が長く、技術も安定していて、稽古場で既に光っている中村さん。これからのご活躍が楽しみです。
夏の記憶のカケラ
さて、今年の夏の前半は、前回の記事で触れたようにショパンづくしの日々を過ごしたのですが、8月の大切な記憶もこの「音楽日記」に残しておきたいと思います。
大切な記憶とは?ーーコロナ禍以来、じつに3年ぶりに日本の舞台に立ったのです! 2019年の夏から、いくつもの舞台とコンサートが中止になってきました。私たちは水面下に潜り、録音やオンラインコンサート、ラジオ出演など、その時にできる活動をしてきましたが、日本の舞台と日本のお客様が恋しい、とずっと思っていました。
「BALLET theNewClassic」公演を振り返る
そして今年、満を持して出演した舞台は「BALLET theNewClassic」公演。去年は緊急事態宣言のために延期になり、一年越しの上演となりました。
公演プログラム
さかのぼること約1年と10ヵ月。2020年11月、「VOGUE」誌の「ルグリ・ガラ」の取材で面識のあったフォトグラファーの井上ユミコさんから一本のメールをいただきました。
「来年夏、Kバレエカンパニーのプリンシパルの堀内將平さんとバレエ公演をします。素晴らしい古典作品の踊りと音楽を、現代の私たちの感覚で新しい表現を模索します。衣裳、ヘアメイク、照明、音楽、すべてトップアーティストの方をお迎えします。この公演に音楽監督兼ピアニストとして参加していただきたいのです」と。
ご連絡いただいた日は私の誕生日で、ウィーンではオペラ座全公演中止、外出規制が敷かれるハードロックダウンの最中でした。そのご連絡は希望であり、光であり、まるでバースデープレゼントのように心躍ったのを覚えています。インスピレーションが刺激され、心のどこかにしまっていた、夢想していた何かが実現できるのでは……と、新たな扉が開く気がしたのです。
当たり前のように世界中で上演されているバレエ・ガラ公演ですが、過去の公演の踏襲ではなく、現代最高峰の芸術として、最高に洗練されたものが観たい、という気持ちを以前から持っていました。前衛的でロマンティックで、今の気持ちや現代社会に沿うもの……。
水面に波紋が拡がるように、静かに、私の心のなかで楽曲のイメージが膨らんでいきました。
去年編曲した『ジゼル』はこちら。
もし、ジゼルが現代に生きていたら、どんな生活をしてどんな気持ちでいるだろう。アドルフ・アダンの楽曲は清らかな美を湛えた名曲ですが、伴奏は基本形の和音で構成されていて、現代の響きではないのです。そこで、アダンへの敬意を表してメロディーは一切いじらず、和音を現代風に変えるという編曲を施しました。
現代に生きるジゼル、森田愛海さん
ピアノ演奏でボレロに挑戦する
今回、私は「プロローグ」『眠れる森の美女』『シェヘラザード』『ジゼル』『瀕死の白鳥』『ボレロ』と6作品を演奏しましたが、そのなかで最も大きな挑戦となったのがボレロでした。「二山治雄さんがソロで踊る『ボレロ』をピアノソロで」と打診された時、「絶対にオケじゃないとダメだ」と反射的に思ってしまいました。あの曲は、ひとつのメロディが繰り返されるなか、管弦楽の響きが徐々に増幅してエネルギーが爆発していく音楽だから。でも、公演のコンセプト的にもトライ&エラーは必要だと一度弾いてみたところ、それはもう、めちゃくちゃに格好いいミニマルミュージックだったのです。既存の価値観に囚われないことの尊さを改めて知る日々でした。
photo ©Yuji Aizawa
演出の梅田亜希子さん、振付の高瀬譜希子さん、井上ユミコさんとのWeb会議では、イマジネーションが降ってきて、『ボレロ』のアレンジが生まれました。そして、初めてご一緒した二山治雄さんの瑞々しい踊りは圧巻で。毎回の公演で、何かが生まれ、消えていく。そんな刹那を味わっていました。毎公演、皆で話しあい、高めていった作品でもあります。
『ボレロ』チーム。振付の高瀬譜希子さん、二山治雄さんと
余談ですが、二山さんの踊りに影響された私は、初めて、裸足でステージで演奏することにしたのです。これまでは、ステージで美しく見せるためにも、常識的にも、美しいハイヒールは私の必需品でした。けれど、そんなことよりも大地を感じ、素の自分で自由に弾きたいと感じたのです。最高に気持ちよかった! 癖になりそう(笑)。
豪華な『眠れる森の美女』ローズ・アダージョチーム。水谷実喜さんとお揃いのピンクヘア。4人の王子様は写真左から池本祥真さん、太田倫功さん、高野陽年さん、堀内將平さん
「BALLET TheNewClassic」企画/主催の井上ユミコさんと、舞踊監修の堀内將平さん
井上さんと堀内さんの確固たる美意識と志のもと集まったアーティストたち。素晴らしいダンサーたち、心通う演奏を共にしたチェリストの大宮理人さん、夢のようなドレスを作ってくれた幾左田千佳さん、美しいコンセプトを形にする演出の梅田さん、自在に世界観を操る照明、アーティスティックなヘアもメイクも、妥協することなくその世界観を魅せてくれました。
客席の後ろからキュー出しをする演出の梅田亜希子さん
チェロの大宮理人さんと
横山瑠華さん、堀内將平さんの『シェヘラザード』 photo ©Yuji Aizawa
ピアノ越しに見る、いまだかつて味わったことのないバレエの情景に、毎公演ドキドキしていました。
中村祥子さんの『瀕死の白鳥』
作り手が最高のものを目指して新しい試みをしても、必ずしも成功するわけではありません。公演後に私たちが「満足している」と言ったら、何かがそこで止まってしまう気もしていて。でも今回の公演で、挑戦すること、過去に囚われずに今を生きること、未来を恐れないことの成果と手応えを得た気がしています。またここから一歩を踏みだし、新しい扉を開けていきましょう。
——– 追記 ———
『BALLET the New Classic』公演&ドキュメンタリーが映画になりました。2022年9月25日(日)13:30〜、渋谷ユーロライブで上映されます。チケットはこちらからお求めいただけます。
今月の1曲
公演の「プロローグ」に作った音楽を弾きます。プロローグは、第1部の7作品すべての音楽を逆順にメドレーにしています。その場で生まれ、消えていく音楽を、そこにいる全員でシェアしたく、公演では毎回即興的に弾いていました。演出の梅田さん、演奏に合わせての照明キュー出し大変でしたよね! ありがとうございました。
2022年9月20日 滝澤志野
★次回更新は2022年10月20日(木)の予定です
- 【NEWS】 配信販売スタート!
- 滝澤志野さんのベストセラー・レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」(ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス)に続き、2021年にリリースしたCD「Dear Tchaikovsky〜Music for Ballet Class(ディア・チャイコフスキー〜ミュージック・フォー・バレエ・クラス)の配信販売もスタートしました!
♪Dear Tchaikovsky https://linkco.re/pEHd0G2A?lang=ja
「Dramatic Music for Ballet Class」シリーズはこちらから?
New Release!
Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野
ベストセラーCD「ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス」でおなじみ、ウィーン国立バレエ専属ピアニスト・滝澤志野の新シリーズ・レッスンCDが誕生!
バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)
★収録曲など詳細はこちらをご覧ください
- ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野 Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
- バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
- ●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)