2019年9月から約3年にわたり毎月綴っていただいた小林十市さんの人気連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」が、今回で最終回となります。
ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスターダンサーとして世界中の舞台で活躍後、奥様のクリスティーヌ・ブランさんとバレエ教室を営んでいた十市さんに連載執筆をお願いするべく、南仏オランジュを訪ねたのは2019年の2月のことでした。あれから3年と少しの間に、十市さんのダンス人生には、大きなターニングポイントとなる出来事が次々と起こりました。
3年にいちど、横浜の街を舞台に繰り広げられるフェスティバルDance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021のディレクターに就任したこと。
自身の経営するオランジュバレエスクールを閉鎖し、ダンサーとして再始動したこと。
そして2022年8月から、十市さんはベジャール・バレエのバレエマスターに就任することになりました……!
そうした大きな節目の記録や、何でもない1日にふと考えたこと、かけがえのないベジャールさんにまつわる思い出など、3年間いちども休むことなく(締切に遅れることもなく!)、月一連載を書き続けてくださった十市さん。
BBLのバレエマスター就任、おめでとうございます。
そして3年間、本当にありがとうございました。
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事実は小説よりも奇なり……この連載の3年間を振り返ってみてなんとなく思う。
そして来月、2022年8月18日から始まるベジャール・バレエ2022-2023シーズンから、バレエマスターとして、じつに19年ぶりに古巣へ戻ることとなった!
まったく、いまだに信じられない。でもよく考えてみると、今の自分にはものすごく良いタイミングで来てくれたオファーだと思う。芸術監督のジル(・ロマン)から話を受けた時に、嬉しさよりも不安が先に来た。「自分に務まるのか?」
僕はベジャール・バレエを辞めてから、自分に自信を持てずに今日まで生きてきた。ベジャールさんの庇護の下で安心して踊っていられたあの時代。そこから右も左もわからず過ごした演劇時代……その期間、中途半端に関わってきた「踊り」。
何か常に体の奥のほうにわだかまりがあるのを感じていた。けれど昨年のDance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021でそれは解消され、次なる方向へいきかけていた矢先に、この話だ。
大体、僕は金森穣くんに次なるステージ、段階へ送り出されたはずだったのでは!?
そう穣くんに話したら、彼はこう言った。「違うよ、送り返したんだよ!ベジャールさんのところへ!」
なにいいい! 聞いてないよ(笑)
「どのくらいの期間になるかわからないけれど、十市さんはこれでやっといろいろ精算できるんだと思う」と穣くん。
「待っていますから」と佐和子さん……将来はNoism 0だ!
ジルは「十市はベジャール作品を知っているわけだから、今いるバレエマスターよりも有利なんだよ。僕の作品は覚えればいいし、レッスン教えるのも大丈夫だろう。だから心配することは何もないんだ」と。
十市「でも19年のブランクが……」
ジル「19年間、他の経験を積んで帰って来た。それだけだよ」
退団してからも継続した振付指導。パリ・オペラ座バレエ団、東京バレエ団。
モーリス・ベジャールという看板を背負いながら俳優としての新たなスタート。
(思えば自分は今日まで一度もモーリス・ベジャールという看板を降ろしていなかったのでは!?)
亡くなられた恩師、演出家/翻訳家の青井陽治さんのお陰で僕の挑戦は始まったのだった。
初芝居が麻実れいさんと奥田瑛二さんとの共演! 最初から半端ない舞台だった!
ベジャールさんも僕が俳優として舞台に立つことを喜んでくれたのを覚えている。
しかし難しかった……とても難しかった。舞台に立つことは喜びだったけれど、その毎回のプレッシャーは踊り以上に大変だった。
そしてこの『エリザベス・レックス』の芝居を観てから僕をマネージメントしてくれているキョードー東京/キョードーファクトリーの前田三郎氏にも感謝している。
『トスカ』の演出家の栗山民也さんには、稽古中にたくさんのことを教えられた。
「十市、本気で言ってごらん」(笑)。今では笑い話だが、当時の僕には重いひと言だった。
そして、日本に帰って来るきっかけとなったテレビドラマ『プリマダム』。
ローザンヌからすべての荷物を南仏へ移したのが2005年の暮れだった。
その後約3年間クリスティーヌは娘と一緒に東京で大変な時期を過ごすことになってしまったけれど。
この『プリマダム』の収録期間中に『中国の不思議な役人』の振り写しをパリ・オペラ座で行い、その時にオペラ座でベジャールさんに会って、それから日本に戻った。そして『プリマダム』の収録がすべて終わり夏休み前にローザンヌへ行き、そこでベジャールさんに会ったのが最後となってしまった……。
2006年に出演させていただき、2008年の再演の時も声をかけていただいた『戸惑いの日曜日』(2回目の時の方が少し成長していた自分)。佐藤B作さんと劇団東京ヴォードヴィルショーの皆様には本当にお世話になった。
「十市、下手くそだな……でもなお前は人が良いから良いんだよ」とB作さん。
どうリアクションして良いのかわからなかった……。
Burn This 『焼却処分』。
『エリザベス・レックス』から2年。再び、青井陽治さんにお声をかけていただいた。
青山円形劇場での上演。お客さんがとても近く、演じにくいかなと思ったら、集中するとまったく気にならなかったのを覚えている。
稽古中に「裏台本」という、台本上の台詞を裏付ける動機や心理状態、その前後のこととか、とにかく書き出す作業。僕はなかなかできなかった。
そして浦井健治くんの凄さを思い知らされ、少し自分も頑張らなければと、役者としてどうあるべきか? 悩んでいた頃……。(一応……)
『セレブの資格』
稽古に行きたくない……初めてそう思った現場だった。役者泣かせの演出家。
亡くなられた文学座の高瀬久男氏。初めて役柄を活かし稽古中に即興劇的に芝居をしなければならず、何をやってもダメと言われ続けてどうして良いのか分からなくなった日々。僕と同じ若手俳優と呼ばれるみんなと仲良くなった。
ベジャールさんには毎回公演のチラシを送っていて、この『セレブの資格』のは、ベジャールさんの更衣室に貼ってあったと那須野圭右くんに聞いた。(チラシ裏側には自分の写真もあった)
『夜叉ケ池』。この2年前に野村萬斎さんと共演している。再演ものだけどこの時演出したのが、文学座のホープと言われた演出家の高橋正徳さん。
そして湖月わたるさんと牧瀬里穂さんとも初共演になった。
牧瀬里穂さんの旦那さんNIGOさんのアトリエを訪れ、彼のスターウォーズコレクションに度肝を抜かれたのだった。
『異人の唄』
演出の鐘下辰男氏にも鍛えられ、幾度となく注意され、そして見放された(汗)。
毎回の稽古は塾に通っているようだった。ひとつ、教えの中で心に残っていることがある。「演劇ゾーンに入る前に、置き時計の秒針の音が聞こえたら入ってこい」と。要は外側への意識を持って、自己完結にならないようにするため。やろうとするあまり、独りよがりにならないため。
そしてこの公演の最中に、ベジャールさんが亡くなった。悲劇を演じる中での悲劇だった。
もうひとつ、この作品の稽古で覚えているのは、ちょうど隣のスタジオでは牧阿佐美先生が『椿姫』の稽古をしていたこと。
休憩中に廊下へ出てチラッと覗き見したのを覚えている。
『第17捕虜収容所』の演出、鈴木裕美さん。踊りの振付のように役者を配置し演出していくやり方は僕には好都合だった! こういう空間の取り方とかはうまくできたし、現場も日々楽しく、ブログジャンプ(*)を連発する僕は変わり者としてみんなに映っていたようです。
演出の鈴木裕美さん紅一点の男だけの現場だった。
*当時の十市さんはブログを書いており、そこにいつもいろんな場所でジャンプしている写真を掲載していました
『カラミティ・ジェーン』音楽劇。
僕はナレーション役と劇中では、あの「おしん」の小林綾子さんと夫婦役だった。
歌って、少し踊って、テンポが重要なナレーション台詞もこなして、現場は穏やかで、座長の湖月わたるさんが超〜カッコよかった。
お芝居をやるようになってから大阪に行く機会も増えて、大阪という街が好きになっていった時期。
演出、岡田利規さん。ワークショップから始まり、稽古へ突入。僕は岡田さんから1週間で見放され、共演者たちに助言を求めたりしながら構築していった。
一度、稽古中に麿赤兒さんと踊り狂って、他のみんなが止まっているのに2人だけ狂ったように動いていたのは良い思い出。
いやあしかし大変な戯曲だと思った。
『すいとんメモリーズ』
『カラミティ・ジェーン』の時のように、舞台進行ナレーション役と劇中にもコメディアン役として絡む、テンポが大事な役回り。楽しい現場だった。
芝居が始まる冒頭のシーンで、噺家のようにお客さんをいじって喋ったら、なんと台詞が吹っ飛んで……リピーターのお客さんが「◯◯でしょう」と教えてくれてその場を凌ぐ失態をやらかす……(汗)。慣れないことはしちゃいかん!(笑)
『その男』いわゆる商業演劇。すべてが大掛かりでスケールがデカイ芝居。
緊張の連続だった。
毎回そうだけど、稽古初日の顔合わせ&本読みは本当に緊張する瞬間で、この世から消えてしまいたくなる。
東京と大阪の全69公演!! 僕は劇中に移りゆく時代の中で4役くらいこなしていた。
ここでもブログジャンプを連発し変わり者と見なされ、芝居より普段の十市の方が断然面白い、なぜ普段の十市を芝居で活かせないのか? と役者たちに言われた……(汗)。
(あるシーンで通り過ぎるだけのなんちゃって新撰組役で、一発ギャグで袖にいる役者たちを笑わせることに毎回アイデアを絞り出し集中した……。へ?)
しかし、じつに楽しい座組みだった!
映画出演……。
慣れない現場……。映像は難しい。集中力と瞬発力。俳優のイメージや絵柄だったり、映像は残るからつらいよなと思う部分もある気がした。現場は常に良い雰囲気でした。中谷美紀さん。フランスが好きみたいで、休憩中にはフランス語で挨拶されたりしました。彼女がOKしなかったら僕は相手役ができなかったようです。(まあそうですよね、主演女優さんですから)
そしてテレビとはまた違う現場でした。シーンの役者の立ち位置や方向、すべてを決めてから照明作りが始まり、演じては待っての繰り返しが続く日もありました。
まあ、テレビもそうだったけど、なんだろう? もっと密な感じがしたなあ。
じつは『スイート・リトル・ライズ』の1年半前に、『カムイ外伝』という映画にエキストラのちょっと上のほうっぽい感じで出演していて、事務所にはやってもやらなくてもいいと言われたんですけど、映画撮影の現場を経験したくて結局これを受けました。沖縄ロケで撮影だった。
この時の撮影現場で、森山開次くんと一緒で、宴のシーンで彼が踊ったのを見ていました。そしてその宴のシーンで開次くんの隣に座り酒を飲み交わし一緒に演技していたのが僕には救いだった。その反対側に小林薫さんがいて、小雪さんがお酌をしてくれました。僕の役は片足義足の村人役で、身体的に大変だった。
確か僕だけ緑っぽい着物で、鮫退治のあとのシーンなので探すとわかるかもです(笑)。
『グッバイ・チャーリー』音楽劇。
初の「ゲイ」役。ちょっとお姉っぽい感じで、手の仕草とか、ジュリアン(・ファヴロー)を思い浮かべながらやった(笑)。これも歌あり踊りありでわりと楽しかったし、現場では自由に動き回っていた記憶。
『冬のライオン』
ヘンリー二世の家族の話で、三男のジョンだけ配役が決まっていなかった時に、『その男』の本番中にスピーカーから聞こえてくる僕の台詞を聞いて決めたのだと平幹二朗さんは教えてくれた。『その男』では僕は平さんと劇中での絡みはなかった。けれど青井陽治さんも言っていたが、それが柳家小さんのDNAなのか? わからないけれど、僕の台詞にはそう感じさせる何かがあるらしい。とにかく俳優座養成所を出た者でさえ叶わぬ、平幹二朗さんとの共演に役者仲間は嫉妬し、母は大喜びだった。
この時の演出が、『セレブの資格』でしごかれた文学座の高瀬久男さんだったのだ!
が、あの時とは真逆で、僕にはとても優しくガイドしてくれた稽古期間。
麻実れいさんも『エリザベス・レックス』以来の共演でした。役者7名だけで、全国の演劇鑑賞会を巡っての公演。平さんの申し出で昼夜公演は行わず、なので期間も延びて約半年間、全110公演!!
演じる楽しさを今までとは少し違う角度からこの時初めて味わった。オンの時はもちろん、オフで舞台を離れている時も、不思議と演じていた家族のままの関係だった。スタッフも含め、誰1人怪我も病気もしないで、奇跡の日々でした。これはすべて平幹二朗という芸術家の強運な人徳のお陰なのだと感じずにはいられませんでした。
*
そこから約半年間のトレーニングを経て、ダンサーとして復活の舞台となった『M』になるわけです。
今こうして振り返った俳優としての日々の合間に、僕は東京バレエ団でレッスンを受けさせてもらい、時には振付指導もし、2009年にはジルと一緒に東京バレエ団で『ギリシャの踊り』『中国の不思議な役人』『ボレロ』『ペトルーシュカ』とジルのアシスタントを務めました。その時に『M』の話になって、ジルも演ったほうが良いと僕の背中を押てくれて、決定したのでした。
演劇の経験を活かし、ダンサーとして7年半ぶりの舞台復帰は、自分の中でベジャールさんへの想いをかたちにする大きなチャンスでした。
そういえば、東京バレエ団の佐々木忠次さんと飯田宗孝先生は『エリザベス・レックス』と『冬のライオン』を観に来てくれました。確か、飯田先生が麻実れいさんのファンだったとか?
『セレブの資格』も佐々木さんは観てくれたかも……記憶記憶……。
『M』を終えて、気持ちがとても充実していた時期。
新たな気持ちで挑めたお芝居『シラノ・ド・ベルジュラック』。
前半では舞台上で衣裳を変えていろいろな役を演じたり、楽しかった思い出。
『ハムレット』
ホレイシオ役。難しかった。
ちょっと不思議な演出でした。けれど始まればやはり舞台は楽しい。
『隠蔽捜査』&『果断・隠蔽捜査2』
大役! 『隠蔽捜査』ではワンシーンだけの登場でしたが、『果断』では役としての台詞もあり進行ナレーションも別台詞であり、とにかく膨大な台詞の量を覚えました。演出の高橋いさをさん、先輩方に相談しながら毎日が大変だったけど充実した日々でした。
僕はやはり少し大変なほうがやりがいを感じるし燃えるみたいです(笑)。
ベストセラー作家、今野敏さんの小説は超〜面白いです! 「隠蔽捜査」シリーズ読破しました!
『その男』から2回目の時代劇『陽だまりの樹』。
『グッバイ・チャリー』でお世話になった演出家の樫田さんにこの時はなぜか結構いじめられつらかった稽古期間……。
大柴拓磨くんに作ってもらった『ファウスト・メフィスト』があったので気持ちは既に「踊り」のほうに傾いていた時期で、このお芝居の稽古中にプロデューサーの前田さんに「やめたい」と相談したけど、結局頑張って最後まで務めたのでした。そして、これが最後のお芝居となったわけです。
『ファウスト・メフィスト』の初演から半年おきに再演、再再演を経て、東京バレエ団と『中国の不思議な役人』で役人を踊らせてもらい、最後に自作自演で「ハムレット・パレード」をやって青井先生に感謝の気持ちを示し、そして渡仏したのです。
そこからは、この連載記事を読んできてくださった人々にはなんとなく流れをわかっていただけると思います。
どうも長々すみません……最終回スペシャルなので……まだ続きます(笑)。
そう、それから演じる以外に、振付もさせていただく機会がありました。
それは……宝塚!!
2011年に雪組『ニジンスキー〜奇跡の舞神〜』。
そして2014年には花組『ノクターン〜遠い夏の日の記憶〜』。
2つとも演出は原田諒さんでした。宝塚では「先生」と呼ばれ恥ずかしかったです。
あと2012年には、日本バレエ協会の「クレアシオン」でゼロから創作する体験をさせてもらいました。作品名は『振付悪夢』!(笑)
*
さて、「ベジャール・ガラ」劇場入りの日が来ました。
東京バレエ団との仕事は、毎回が楽しい。
飯田先生もそうだったけど、斎藤友佳理さんもベジャール作品に関しては僕を信頼してくれている。
それは、ベジャールさん、佐々木さんとの交友関係の中で同じ時代を共有し、佐野志織さんや木村和夫くんとも一緒に舞台を共にしたことがあるからだ。
今回は東京バレエ団「ベジャール作品レパートリー化40周年記念」でもあるわけで、そういう意味で、今いる指導陣では最も長くベジャール作品に携わってきていることになるのではないか?
僕は本家ベジャール・バレエを退団してから、佐々木さんのお陰で東京バレエ団に名札を作ってもらい、第二のホームとして毎回温かく迎え入れていただいている。そして何よりも、毎回の指導で向き合うことができる「ベジャール作品」は楽しい。演劇を経験してきたことで、作品に対してより一層理解を深められたところも多くあり、それを次世代ダンサーたちに受け渡していく。志織先生、木村くんにも手伝ってもらいながら、僕は東京バレエ団が上演するベジャール作品の仲介役みたいな感じなのだと思う。
初日が明けた!
公演前、僕は落ち着かなかった。いつもより落ち着かなかった!
それは、今回指導した作品が心配なのではなく、ベジャール・バレエ芸術監督ジル・ロマンが来るからだ!(まあイコール、作品への評価を気にしている?)
BBLはつい3日前の7月19日にシーズン最後の公演を終えて、夏休みに入ったばかりだった。ジルはとくに今回の公演を観るために来日したわけではなく、NBSと今後のことについて話をするために来たのだと思う。それがたまたま公演日程と重なったのだ。
緊張した……なぜ?って言われると僕にもよくわからない(笑)。
だって今から緊張していたら来シーズンからどうなるんだ?
公演が始まる数時間前に到着したばかりで、疲れていたと思う。
けれどジルは舞台を観た。
BBLとはニュアンスが違う部分もあったりするけれど、全体の出来栄えには満足しているようだった。そして『火の鳥』に関しては「よく稽古されている」と褒められた! そこでやっと僕は緊張が解けた(笑)。実際、ダンサーたちはよく踊ってくれたし、良いエネルギーに満ちていた!
「記憶は幻想だし、記憶は今を裏切る」。作品は「今」を生きるべきで、何十年前のリバイバルではない。「なので自分は、その時、その時代、その時のダンサーたちに合わせ、変化させる」とジルは言う。けれどそれができるのはジルだけなのだ。
だから僕や東京バレエ団の指導者たちは「記憶」を頼りにするしか術がないわけで。
なので今回の『火の鳥』のように、僕が今年2月実際にローザンヌへ行き、「今」行われているバージョンをきちんとアップデートして、東京バレエ団へ持ち帰ったように仲介者が必要なんだ、とジルに伝えた。
それでもジルは言う。「東京バレエ団にはミッシェル・ガスカールが最初に教えたんだよね、『ギリシャの踊り』。それは観ていてわかったし、最初はこうだったんだなと違いが見えて面白かった」と。
なので東京バレエ団は東京バレエ団バージョンでいいのだ……的な。数ヵ所のこうしたほうがいいというアドバイスはいただけたので、今後の全国ツアーで活かせると思う。
*
さて公演2日目の後……。
なんと! 月曜(7月25日)から始まる全国ツアーの稽古が!!
『パキータ』の衣裳が新しくなるので、試着稽古とでも言えばいいのだろうか?
『火の鳥』でパルチザンを踊った女性たちも今踊ったばかりの余韻を断ち切りチュチュに変身。
衣裳がとても綺麗。
もちろん、それを着るダンサーたちも。
今回、ジルが『ギリシャの踊り』での女性たちのレベルの高さに驚いていた。
そして何よりも、みんな綺麗!だとも言っていた。
それは芸術監督としての斎藤友佳理さんの出した結果がそこにきちんと表れている証拠だと。
「ベジャール・ガラ」3日目、最終日。
気がついたところは丁寧に直してあげるジル。(写真は池本祥真くんと)
今回、やはりジルがいたことで、ダンサーたちの緊張感は上がり、非常に引き締まってとても良い舞台だったと思う。
ジルも心から喜んでいるようだった♪
ジルとの別れ際、「今回も指導のお仕事をいただきありがとうございました! また近いうちに! 良い夏休みを!」って言って普段なら別れるんじゃないか? って思ったけど、「じゃあ来月ローザンヌで!」って(笑)。僕の挑戦はこれからなのだ……。
人生は動く、その波に乗るのだ!
*
さて、ひと仕事終えた感覚もあるようで、ないようなまま、東京バレエ団の全国ツアー「HOPE JAPAN 2022」高崎公演に同行しています。
何故?
それはですね、『ボレロ』を見ておきたいのです。来シーズン、もう来月からですけど、最初のツアーで、ジル作品と『火の鳥』『ボレロ』というプログラムなので、自分が教えることになるであろう『ボレロ』を把握しておきたいと思ったのです。
だって、現役時代は踊っていたけど、教えた経験がなく、最後のエキストラとか何をやっているのか知らないから(汗)。
なので、お願いして一緒に来てしまいました。(ちょっと楽しい)
そして数時間後……リハーサルを見て思ったのは「あ、やっぱ知ってるわ俺」(笑)でした。
なので、ほぼ遊びに来た感じ……ですが、『ギリシャの踊り』ではジルに言われた注意点を再確認したので来てよかったです結果的に。
高崎芸術劇場♪ 令和元年に出来たばかりで、とても綺麗な劇場です。
その楽屋通路で、この文章書いてます(笑)。
「ベジャール・ガラ」最終日のカーテンコールの件とかはツイッターとインスタグラム見てね!
それから、NBS、東京バレエ団の皆様、終演後はバタバタで、なんか今日もボーッとしていてきちんとお礼が出来ませんでしたが、本当にありがとうございました。
友佳理さんが、名札も残したままにしてくれるそうです。「だってここはあなたの第二のホームだから!」って(感謝)。
まずは第一のホーム、ベジャール・バレエで頑張ってきます!
ということで、まだ信じられません。ローザンヌへ行くこと。
そして何故、連載を続けないで終えることにしたのか?
それは、「南仏でバレエを考えなくなるから」!(笑)
いいえ、そういうタイトルを変更すればいいだろうに的なことではなく……。
バレエマスターとしてカンパニーにいて毎月の連載で、そこまでいろいろ書けないと思うのです。その情報漏洩的に見られてしまうこともありますからね。
それにジルがSNS嫌いなんです。ダンサーたち、わりとなんでも載せてしまうじゃないですか!?
一般的に(自分も……)、そういうことを控えなければ、と思いまして、ここでひと区切りつけたほうが良いと判断し、最終回にしようと決断した次第です。
阿部さや子編集長に、当初は「とりあえず1年やってみてください」と言われて始めた連載が、約3年も続くことになろうとは!!
結局、なんでしょう? おしゃべりなんですきっと。それを文章にしただけで。
それに月に1回、頭使わないと(笑)。
まあ、これからはバレエマスターとして頭は常にフル回転させないといけませんが(汗)、逆にこのまま南仏にいたら連載を続けていたと思います。
なので、阿部さんのご厚意で続けさせていただいたこの連載。
同じように連載を続けている滝澤志野さんとも一度お話をしたのですが、「いつか自分で終える決断をしなければならない」と。
それが「今」であります。
終わる時ってあっけないものですよね。実際。
読者の皆様。
今まで読んでいただきありがとうございました!
小林十市