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小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」【第33回】作品という小さな人生。

小林 十市

ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスターダンサーとして世界中の舞台で活躍。
現在はBBL時代の同僚であった奥様のクリスティーヌ・ブランさんと、フランスの街で暮らしている小林十市さん。

いまあらためて、その目に映るバレエとダンスの世界のこと。
いまも色褪せることのない、モーリス・ベジャールとの思い出とその作品のこと−−。

南仏オランジュの街から、十市さんご本人が言葉と写真で綴るエッセイを月1回お届けします。

🇫🇷

これを書いている現在、先月に引き続きアヴィニョン・オペラ座で伊藤郁女(いとう・かおり)さんのクリエーションに参加していて、2回目の2週間の稽古期間を経て再び2週間の稽古がない時間を過ごしています。ですがダンサーたちはフランス全土で行われる「Tous à l’Opéra」という催しに参加しています。これは全国に25あるオペラ座が一般に開放されイベントや公演、オープンクラスなどが行われるもので、ちょっと〈上野の森バレエホリデイ〉っぽい感じでしょうか? アヴィニョン・オペラ座のダンサーたちももちろん参加し、僕も公演を観に行きました。その次の週にダンサーたちは6月に行われる公演の稽古に入り、カロリン・カールソンさんと創作中です。 

アヴィニョン・オペラ座の中

本連載初! ダンサーにインタビューしてみました

昼チームことLe Ballet de l’Opéra Grand Avignonに、京都出身の岡本玲海(おかもと・れみ)さんが在籍しています。玲海さんは京都の本多恵子バレエ学園でバレエを始め、ドイツ・ミュンヘンにあるBenedict Manniegel Ballet School2年間ワガノワ・メソッドを学び、ポーランドのヴロツワフ歌劇場で3シーズン過ごし、後にブルガリアのプロヴディフ・オペラで1シーズン過ごし、現在はここアヴィニョン・オペラ座のダンサーとして3シーズン目の最中です。僕が玲海さんに出会ったのは今回の伊藤郁女さんのクリエーションの現場でですが、玲海さんの存在を知ったのは2年前、ツイッター上でのことでした。

当時はフランスに来たばかりで情報収集のためにツイッターを始めたのだと言っていた玲海さん。
そんな彼女にこれまでの活動や今後のことについてインタビューをして来ました!
そうです、この連載初のインタビュー記事で~す! 

岡本玲海さん

Juichi  海外で踊ろうと思ったきっかけは何ですか?

Remi  ベルリン国際ダンスコンクール「TANZOLYMP」の参加権を獲得して出場した時、現地に行って感じた空気が大きなきっかけになりました。日本にいて踊るよりも、海外で外国人に混ざって踊っているほうが新鮮な感じがしたんです。「いつか海外に出て留学して……」というイメージはいつも夢のような感じで頭の隅にあったのですが、実際に外国人の参加者たちとそこで一緒に踊り合ったことで、やはりこういう環境に身を置きたいって強く感じましたね。またそこでウラジーミル・マラーホフさんやニーナ・アナニアシヴィリさんの講習会を受けたことも、大きく影響したかもしれないです。その後帰国してからビデオオーディションに挑戦したり、留学センターに相談して、どの国にどういう学校があるのか?を調べたり。それがちょうど高校3年生になる時期で、9月から留学できるところも限られていたので、進学するかしないかはずいぶん悩みました。でもやはり留学できたらいいなと思い、ミュンヘンに行くことにしました。

Juichi 京都からドイツに移住して大変だったことや、留学中つらかったことはありますか?

Remi 若い時って怖いもの知らずじゃないですか? あまりホームシックとかにもなりませんでしたね。寮ではルームシェアをしていたのですが、私はひとりっ子で部屋や台所を共有することも初めてだったにも関わらず、ぜんぜんつらくはありませんでした。外国人と接することにも違和感がなかったというか、逆に外国人の中に居ることを求めていたので……何でしょうね? 中身はすごく日本人なんですけどね。
あと、当時は激痩せをしていて、日本では綺麗になってきたねって言われていたのが、ドイツでは痩せすぎでちゃんと食事をしているのか心配されて、このまま痩せていたら踊らせてもらえなくなりそうだったのが驚きでした。日本ではバレエと陸上をしていたので、太ももとかにわりと筋肉がついていて、本多先生にも「陸上かバレエか、どちらか選ばないと」って言われていたんですね。なのでバレエを選んだからにはもう少し痩せないといけないというのがあったし、日本では「細くないといかん!」っていうのがあったので、かなりガリガリに痩せた状態でドイツへ行ったんです。でも、そこで初めて「痩せすぎはいけない」と。日本ではみんな「細くて綺麗」っていうのが普通だったのに、ドイツでは中高生ともなればもう身体が大人の女性らしく変化してモチモチしてるから……。

Juichi モチモチ!?!(笑)

Remi ムチムチ?(笑)たぶんそれで、「痩せていると舞台には立たせられない」って。 

Tous A l,operaで同じアヴィニョン・オペラ座のAri Sotoの振付作品を踊る玲海さん

Remi 陸上していた時は食べても太らなかったし、やめてからも筋肉が落ちたくらいで、とくにダイエットとかはしていませんでした。ただ甘いものを控えるのと、母と一緒に玄米を食べるなど食習慣を変えて。そしてドイツに行ってからは普通に食べていたんですけど、むしろ太ることが難しい時期でした。

Juichi そこからオーディションを受けて就職をしようと思ったのは?

Remi 留学していたスクールが、学校ながらに舞台で踊る機会が多くて、半分ジュニアカンパニーっぽいところだったんですね。そういう周りの影響もあったのと、自分の年齢的にもどこかでバレエ団を見つけたいなって考え始めていて。もう18やし、来年は就職したいなと。それに日本の高校が2年間しか休学取れなくて、このまま海外で仕事見つけるか帰国するかという二択しかなかった。だから必死になって探しました。どうしても日本に帰りたくなかったというか、日本でダンサーとして踊っていくなんて考えていなかったし、お母さんに面倒を見てもらわないで自立しないと、とも思っていたので。

Juichi 最初の就職先はポーランドのヴロツワフ歌劇場。そこで踊ることになってどんな感じでしたか?

Remi ドイツ国内でもいろいろなカンパニーのオーディションを受けたのですが、まさかポーランドで仕事先が決まるなんて思ってもみませんでした。でも実際に行ってみて、チーンってなりました……。理想と現実の違いを目の当たりにして、心の浮き沈みが止まらなかったです……。

Juichi ええ! どうして?

Remi たぶん、自分の中で「バレエダンサーってこういう人たちだ」という想像が大きくなりすぎていたんですね。バレエに対する熱意が物凄くて、生活のすべてがバレエ中心に回っている……それがバレエダンサーだと。それこそプロで活動しているダンサーなら、素晴らしい環境に身を置いて、いつも深く考えていて、稽古も熱心にやって、家に帰ってもバレエのことを考えているんだって。でも実際は、もちろんみんなやるべきことはやっているんですけど、何というか少し停滞しているような感じがして……自分が思っていたバレエとは違っていました。仕事時間が朝10時から14時と、18時から22時だったんですけど、間の4時間休憩も残って練習したりしているの私だけ。中には大学に通っているダンサーもいました。
それでも3シーズン在籍したのは、踊る作品が多くていろいろな経験ができたから。それで2年目に新しいディレクターに代わってダンサーたちの士気も上がり、ガラッと雰囲気が変わって良くなってきたんですけど、3年目に入った時「これ以上ここにいても自分が成長しないな」と思って。自分は団員としてちゃんと踊ってはいるけれど、もっと私と仕事がしたいと思ってくれるところで踊りたいなと思ったんです。それで、またいろいろなカンパニーにオーディションに行きました。ルーマニアとか、ブルガリアとか。

Juichi バレエ団を移る大変さとかってありましたか?

Remi ポーランドでの生活が大変だったので、逆にブルガリアへ行って楽になりました。ブルガリアのカンパニーではプロとしての活動経験を持つダンサーが少なくて、学生っぽい子が多かったんです。だから入団して割とすぐに重要なポストを任されました。ただ、ビザとか日本から取り寄せないといけないものがあった関係で、最初の3ヵ月は無償で仕事するとか……いろんな意味でリラックスした国なんです、ブルガリアって(笑)。家賃が払えてなくてもOKとか、「給料はもう少し待ってね」とか。しばらくすると、西ヨーロッパでユーロでお給料がもらえるところで働きたいって思うようになりました。

稽古後に一人練習をする玲海さん

Juichi そんな時にパリ・オペラ座のオープンオーディションの通知が来て、同じ時期にアヴィニョンのオーディションもあったと。

Remi そうなんです。ブルガリアでの、仕事はあるけど緊張感はあまりない、緩い生活環境を出るために、仮病を使ってオーディションを受けに行きました。パリ・オペラ座のオーディションは1グループに50人くらいのダンサーがいて、それが3グループもありました。私はバー・レッスンで落とされたんですけど……。その2日後にアヴィニョンでオーディションがありました。最初、アヴィニョン・オペラ座の建物まで来たら改装中で入れず、外のチケットセンターっぽいところで聞いてみたら、改装期間中の仮の劇場がTGV駅の近くにあってそこだというので、走って(笑)タクシー見つけて。それでようやくたどり着いたけど、誰もいないんです。さらにその時はスマホが使えなくて、駅に行って通りがかりの人々に「電話を貸してください」ってお願いして、何とか連絡を取ろうと必死にやっていたのですが、私、その日は髪をきっちりシニヨンにしていたんですね。そうしたら劇場係の人がたまたまオーディションする人を駅に迎えに来ていて、私の髪型を見て声をかけてくれたという……。それで無事オーディション会場へ行くことができたんですよ。
オーディション終了後、私はその日のうちにブルガリアに戻らなくちゃいけなくて、ディレクターが車で駅まで送ってくださったんですね。そしたらその車中で「大丈夫だよ、もう君に決めたから」って。でも私、経験上そういう口約束って全然信用してなくて、車を降りた時に「ちゃんとメールで返事をください」って言いました(笑)。でもそんなこともあって、アヴィニョンには何か縁を感じましたね。

Juichi ドイツ、ポーランド、ブルガリアと住んできて、フランスってどうですか?

Remi 留学中はまだドイツのことを分かっていなかったなと思います。今ドイツへ行くと、「すごい……」って思いますね。私、ドイツはすごく好きです。ドイツって、どこにいても安心感があるんですよ。安全だって感じられる。フランスは……今は友達もできて週末に一人ぼっちということもないし、バレエ団でも自分の居場所があると感じられます。でも入りたての頃は、フランス語ができないと、みんな良い人ではあるけれど疎外感がある。フランス語で会話に入れないとやって行けない感じはありますね。語学に関しては、留学中はドイツ語の授業があって、ポーランド語も勉強していて、今のフランス語のレベルくらいは喋れてました。ブルガリア語は……「も~無理だ、覚えない!」って思ってました(笑)。でもフランスは、フランス語ができないとここではやって行けないって痛感したし、コロナでロックダウンする前はがむしゃらに踊って、踊りのほうは充実していたので、ポンとフランス語を使うしか道がないところに身を置いたのは今振り返ると良かったのかなと思います。

Juichi 「海外で踊っていきたい」という日本の子どもたちにアドバイスをするとしたら?

Remi 「対応力が大事」ですかね? 「日本人はこう」とか「私はこれ」ではなくて、国を変えていくなかで、「あ、この人たちはこう考えるんだ」とか柔軟に対応していけたほうが、壁にぶち当たった時に回避できるというか必要な力だと思います。

Juichi 玲海さんの理想は?

Remi 私にとって大事なのは、ダンサーとしての階級を上げていくことではありません。私は舞台に立てていれば何でもいい。とにかくどんな役でも良いから舞台で踊りたい。もちろん何でもいいわけではないけれど、舞台を作っていく過程でそのカンパニーがダンサーたちがどういう心構えでいるか、どう働いているか、そのチームがどういう気持ちでお客さんの前に立つのか……そういうところのクオリティの高さが常に気になります。だから、例えばポーランドでは舞台回数は多かったけど、明らかに練習不足やのにポンっと舞台に乗せてしまうのが嫌な部分もありました。いっぽうここでは1ヵ月も2ヵ月も練習してきて作り上げたのに1回や2回の公演で終わってしまって再演もないということも。ここがバランス的に最高、と思えるところにはまだたどり着けていなくて、いまでもぴったりの場所を探し続けています。でも、海外で仕事を探すって簡単じゃないし、運もあるかもしれないけど、でもちゃんと見てくれている人はいるので。私と仕事がしたいという人はいると思うので、諦めていません。 

……ということで、まだまだ前進中の岡本玲海さんに、短いインタビューではありましたが休日中にお話を伺いました。
ここまで大変だったと思うんですよね、決して楽な選択ではなかったはずです。
常に自分の理想を追い求めるかたちで自分の道を進んできた玲海さんは強い人だなあって思いました。
「今後はネオクラシックやコンテンポラリーと、なんでも幅広く踊りたい。玲海という一人の人間として、自分という人間性が出るアーティストになりたい」と語ってくれました。

たぶん、フランスの小さな団体や他の国にもこうしたバレエ団で活躍している日本人ダンサーって多いと思うのですが、その活動を多くの人に知ってもらうのは難しいのかもしれません。僕も実際に会ったことはないけれど、インスタグラムで知り合ったダンサーたちが何人もいます。こんなところで踊っているのか~!!っていうダンサー多いですよね。玲海さんが言っていましたが、「海外にいる日本人ダンサーって重要な役割を担っていると思うんです。日本人にしてみれば普通にやっていることだけど、その真面目さや堅実さは他の外国人ダンサーの見本になっているし、それは誇りに思って良いことなんですよね」と。

まるで俺のことじゃないか……(違うで) 

引き続きリハーサル、そして本番!

さてついに最終章! 17日間の“持て余し期”を経て、(個人レッスンやってたけど)伊藤郁女さんの作品稽古再開!

正直なところオペラ座で踊れないのは残念ではありますが、ここはヴデーヌ(VEDENE)というアヴィニョン近郊の小さな町で(フランス南東部にあるプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域のヴォクリューズ部門のコミューンです)、そこにある、もう本当に「箱」という言葉がぴったりな劇場。

ここでの稽古初日はとにかく踊り慣れたいという思いがあったので、僕は14時からの昼チームの稽古に参加して、ダンサーたちと一緒に体を動かしました。気がつくと息が上がっている自分がいて、あらためて体力のなさを感じるのでした。やはり毎日のレッスンは受けていないとダメなんだよな……と思いつつ、そんなことができる環境にいない現実もあり、呻き声をあげながら必死に動く自分。トータルで6時間も動いたこの日……。(間に3時間の休憩あったけど)

翌日。
この日も昼チームの稽古に出るつもりだったけど、朝起きてからも身体の奥から疲労を感じ、時間ギリギリまで考えた末、行くのをやめて昼寝した(笑)。

この日は皆、衣裳を着てみての稽古だった。 

何かを説明する郁女さん

僕はこうして、郁女さんが注意や直しをしている時にパッとカメラを構え撮っているので、自分の写真はないのです

僕は本番が始まる10分くらい前から、お客さんと絡むような感じで既にその場にいて、そして開演時間になるとフレッド・アステアが歌う「Cheek to Cheek」という曲が流れて、こんな感じでとは郁女さんに言われているけれどアドリブで踊らなければならない。かなり自分的にはチャレンジなことで、作品のオープニングが僕のソロから始まるという重要なパートを任されている……。「アマチュア枠ということはそんなに踊らないだろう」という最初の考えはまったく消えて……まあ正直少し嬉しかったりしている自分がいるけれど。

3日目。
今日も昼は行かずに夜からの稽古。昼間はシーンごとに照明合わせをしていたみたい。
僕は柔軟とバーエクササイズをして、それから衣裳に着替える。

通し稽古前に。後ろに玲海さんがいます。これが僕の衣裳。靴下は本当は赤なの。結構汗かきますこの衣裳……気に入っているけど。

まずは昼チーム夜チームと揃ったところで部分的な確認と実際に踊ってみる作業。そこから休憩を挟んで通し稽古。

「通し稽古は人生そのものです。作品という流れの中で各々が体験をする、その瞬間に起こっていることをその時の反応で作品という流れの中で生きる。明日があるから、とかは思わず、今日ここで、今から行う通し稽古で楽しんで生きてください!」

と、郁女さん。

通し稽古は人生という考えに初めて出会った。(作品という小さい人生)

僕は本番当日に向けて調整を行うタイプなのであまり全身全霊で通し稽古とかしてこなかったんじゃないだろうか?(記憶が曖昧だけど)集中することはあって……でも芝居をやっていた時は!? そうだったはずだ。

その瞬間を味わい、他者の反応を受け取り、波動を感じ空気感を読み、そこで生きる。肉体、動きに意識を囚われると忘れがちになるけど、そういうことじゃない、そこで起こる出会い別れ、生の感情だ。

考えるのをやめて感じるままに。

割と集中をして通せたと思う。作品を生きたのか?それは自分ではよくわからないけれど……。最初のソロでスポットライト照明が眩しく、目潰しをくらい内心動揺した自分(笑)。
明日を考えず、今日を生きた(踊った)お陰で身体中痛い……。

4日目 。

じつはこの日ツイッターに載せちゃった写真。靴下は赤!

「個人が空間を動くのではなく、空間が動く、空間を動かすように」……と郁女さん。
難題だ。

ゲネプロ前の稽古では直しと、さらに付け足される動きだったり、マーキングをすると何をやっているかわからないので、郁女さんはみんなに「夜のために体力を温存しているの? 今ここで力が出せないんだったらずっと出ないわよ」と……でも僕はわからないように手抜きした(笑)。
言い訳にはならないが、この日、バイクで移動する僕は向かいっ風に肩に力が入り、劇場入りした時は既に疲れていた。(うーむ、ひどい言い訳だ)
もう一つ。もう二十代じゃないんだから労って……。(うーむ、これも言い訳にはならん)

郁女さんが僕に、「十市さんはテクニックが確立していて中心がしっかりしているので、その中心を崩していく動きをここで」と、あるシーンに付け足したのだった。

郁女さんが動いて見せてくれると説得力があり、真似をしてみるのだけどなかなかうまく行かない。だけどこうして新しいことに挑戦できるのが楽しい。それをわかって郁女さんは僕にいろいろやらせてくれるのだ。

この作品ではいろいろな僕が混在していて、多重人格的に動きまわり、しゃべり、歌い、まさに作品という小さな人生を歩んでいるような感じがする。

さて、本番当日。

ゲネプロで感じたことを説明する郁女さん。そしてシーンの映像編集作業とも言える感じの直し。カットして引き伸ばして的な。みんな一瞬「え?」となったのが印象的。ウォームアップ込みで2時間の稽古。そして本番に備える。

僕は不思議と緊張しなかった。始まって「今日ここで終わるんだな」という思いが「今」に自分を集中させ、舞台上のみんなの波動を感じ取っている自分がいた。

なんだろう? 見せる見られているというような舞台をやっている特別感よりも、普通に「そこに生きる人たち」との出会いであり別れを体験していた感じ。ある意味それは郁女さんが求めていたことではないだろうか? 僕は全身全霊で自分の持っているものをすべて出しきった。

知らなかった、終演後にアフタートーク的なものがあることを……。 

僕はみんなで記念撮影するものだと思ってカメラを持って戻ってきてしまった(笑)。

なんか、仲間って感じ。一つの公演を共にするってそういうことですよね。
夜チームで飲みにいくだろうな今後も時々は……。
ダンサーたちにも「またクラス教えにきてね」って言われたし。とりあえず来月12日の彼らの舞台は観に行くことになっている。

郁女さんにもお礼を言って別れた。みんな明日からそれぞれの人生が待っている。

本当、良い機会を与えてもらった。
感謝です♪

今月もお読みいただきありがとうございます!

小林十市

PS:
玲海さんを応援したい方!
REMI OKAMOTO
ツイッター peach-remi
インスタグラム remi.-.Okm096
フォローよろしく!

そういえば、本番開演前のお客さんとの絡みで、みんなにウェーブさせて結構盛り上がった(笑)。
やはり舞台って最高だな♪

★次回更新は2022年6月27日(月)の予定です

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

元ベジャール・バレエ・ローザンヌ、振付家、俳優。 10歳より小林紀子バレエシアターにてバレエを始める。17歳で渡米し、スクール・オブ・アメリカン・バレエに3年間留学。20歳でスイス・ローザンヌのベジャール・バレエ・ローザンヌに入団。以後、数々の作品で主役をはじめ主要な役を踊る。2003年に腰椎椎間板変性症のため退団。以後、世界各国のバレエ団でベジャール作品の指導を行うほか、日本バレエ協会、宝塚雪組などにも振付を行う。また舞台やテレビ、映画への出演も多数。

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