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小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」【第30回】ローザンヌを訪れて。

小林 十市

ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスターダンサーとして世界中の舞台で活躍。
現在はBBL時代の同僚であった奥様のクリスティーヌ・ブランさんと、フランスの街で暮らしている小林十市さん。

いまあらためて、その目に映るバレエとダンスの世界のこと。
いまも色褪せることのない、モーリス・ベジャールとの思い出とその作品のこと−−。

南仏オランジュの街から、十市さんご本人が言葉と写真で綴るエッセイを月1回お届けします。

🇫🇷

もしも東京バレエ団の2022年7月公演『火の鳥』(「ベジャール・プロ」)の指導を僕に任せてもらえるなら、ローザンヌへ行こう! そう思っていた。なぜならベジャール・バレエ(BBL)がこの2月に『火の鳥』を上演するので、この機会に久しぶりにBBLの稽古風景を見たいと考えていたからだ。そんなわけで僕は芸術監督のジル(・ロマン)に了承を得て、「東京バレエ団で『火の鳥』を指導する!」という大義名分を背負い、ローザンヌ入りした。

ローザンヌは16年間暮らした街だ。腰を痛めダンサーとしての活動を終えてからも、ベジャールさんに作品指導を任され、ローザンヌからフランスや日本への往復をしていた。娘もローザンヌで生まれたのだ。ちなみに1986年のローザンヌ国際バレエコンクールでクリスティーヌと僕は同じ場にいた。クリスティーヌはクロード・ベッシーさんに見出されパリ・オペラ座バレエ学校に1年半通い、その後当時ブリュッセルから引越して来たばかりのベジャール・バレエ・ローザンヌ1年目のオープン・オーディションに受かり入団。僕はスクール・オブ・アメリカン・バレエに3年間留学し、その後ローザンヌでプライベート・オーディションを経て入団。僕らが同じ年のローザンヌ・コンクールに一緒に参加していたことを知るのはずっとあとのことだったけれど……BBLにおいてクリスティーヌは僕の2年先輩なわけだ(笑)。

なので、ローザンヌを去ったあとも定期的に訪ねてはいるけれど、この街に来ると毎回心の奥に何かグッと感じるものがある。

現在BBLで『火の鳥』という作品を踊ったことがあるダンサーは大貫真幹くんだけだった。他はみんな初めてなんだそうだ。7月に行われる東京バレエ団の公演でもきっとそうなると思う。東京バレエ団は前回の上演から9年も経ちダンサーの入れ替わりもあったわけで当然のことなのだけど。

僕がBBLに入団した1989年当時に『火の鳥』のタイトルロールを踊っていたのは、ヨーラン・スヴォルべリとグザヴィエ・フェルラだ。僕は後半に出てくる鳥たちを踊っていた。
最初にこの作品を踊った劇場はブリュッセルのロイヤル・サーカスだった。
僕にとってのグザヴィエは「ベジャールダンサー」としてのお手本だった。『1789…そして私たち』での彼の踊りが大好きだったし、『ピラミッド』では彼のアンダーに付き、『火の鳥』では身体能力を極限まで引き出す彼の踊りに魅了された。なので1991年、入団して2年目の頃『火の鳥』のタイトルロールを踊らせてもらえた時に、僕の頭の中にあった理想像はグザヴィエの踊り方だった。

その時の僕の踊りは、お客さんにまったくウケなかった。どれだけ高く跳んでも、どれだけテクニックをアピールしてもダメだった。僕と一緒にキャストに組まれていた9歳年上のレイモン・フラワーズのほうが、テクニック的に劣っていたとしてもお客さんのウケは断然上だった。要は「生き様」なのだ……それに気づくにはもっと人生経験を積む必要があったし、舞台とはなんだ!? と自問自答を繰り返し、日々の稽古を積み重ねる必要があった。それに僕はいろいろなことに気がつくのにたぶん他の人より時間がかかった。

僕が『火の鳥』でお客さんにもウケてベジャールさんに認められ成功し始めたのは1995年あたりからだった。1992年にバレエ団が縮小され、『火の鳥』の再演に至った1994年頃はタイトルロールの第3キャストに入り、主にパルチザンのほうを任されていた。

そして、僕に成功のきっかけを与えてくれたのがジルだった。ジルにはとにかく徹底的にしごかれた。とくに腕の使い方。そして少しずつだけど人の真似ではなく「自分の踊り」を作品に染み込ませた。その後、第1キャストとして1996年から1999年の間、世界各国で踊り続けた。

長期にわたる練習、自主稽古、公演と時間をかけて取り組んできた作品だから自分には特別な想いがある。
いちばん最後に踊ったのは20年前の2002年ローザンヌ・メトロポールでの公演だった。

外のバレエ団への『火の鳥』の指導を初めて任されたのは2001年。スペインのマドリードで活動するヴィクトール・ウラテのカンパニーだった。その後、2003年のパリ・オペラ座バレエと東京バレエ団。ここ最近では6年前のトゥールーズ・キャピトル・バレエでの指導。

トゥールーズ・キャピトル・バレエのダンサーたちによる『火の鳥』 photo: David Herrero

その時タイトルロールを踊ったのが、いま新国立劇場バレエ団のプリンシパルとして活躍中の渡邊峻郁くんだ。

大義名分……そういうよりどころがなければ居心地が悪いのかもしれない。小林家にとって「男に仕事がない」という状態は恥ずかしいことだからだ。そう育ってきてしまったのだからしょうがない(笑)。祖父のスケジュール帳はつねに予定がぎっしり書き込まれていて真っ黒だった。弟の(柳家)花緑と自分は小さい頃から「祖父」の生き方を理想とする母に影響を受け続けているのだから結構なプレッシャーで大変なわけで、でも花緑はいい線を行っていると思う。2人兄弟でその1人が頑張ってくれているのだからとりあえずよかった。(世間では花緑が長男だと思われているし都合が良いのだっはっは……)

なので、ローザンヌへ来て、みんなに「どうしてるの〜?」と言われても「火の鳥の指導があるんだ!」と胸を張って言えたのは救いだった(笑)。

さて、古巣に戻り、レッスンを受けさせてもらい、リハーサルもすべて見学できる。
なんて素晴らしい! って毎回思う。他にこういう人を知らない。だいたい、いちどバレエ団を辞めたら皆こうしてローザンヌには戻ってこない。ベジャールさんがいた時もあまり昔のダンサーが訪ねてくるようなことはなかった。でもジルが芸術監督になってからよりは確実に多かった(すみません!)。憶測だけどみんなジルが怖いのかな、きっとどうリアクションされるか見当つかないから(気難しい芸術家だからジルは)……でもその人に嘘や偽りがなく、誠実であれば、ジルは優しい。もちろんジルだけではなく誰だって人間関係ではそうだろうけど。ジルにとってクリスティーヌと自分は一時代を共に踊ってきた戦友みたいな関係なのだ。とくにクリスティーヌはジルにとってもうひとりの娘みたいな感じでもあるのだから。

でも、考えようによっては仕事をもらうためにジルにぶら下がっているだけかもしれない。忙しければローザンヌへ来ることもないだろうし。ああ、なんてネガティブな考えだろう。

リモートコントロールで撮影する自分……

逆光で顔が暗くなり「ああ、やっと顔がみえない写真ができた!」とジル……。

やはりベジャールさんがいた時代を知る人間、一緒に切磋琢磨し舞台を共にした仲だからこそ話し合えることがあるなとつくづく思う。そうしていつでも受け入れ体制を作ってくれるジルには感謝している。

その時代の踊り、その時のダンサー、身体が違えば踊りも違う。
形、動き、振りだけではなく、その作品の意図を正しく伝えていけば作品は生きる。でも、やはり指導する側の癖やセンスは作品に表れるように思う。
それがベジャール作品の場合、ベジャール節にどれだけ近いか!? が鍵となる。

こう言ってしまうと悪いけど、当時僕と共にタイトルロールにキャスティングされていたドメニコ(・ルヴレ)とは教え方のアプローチがまったく違うし、同じように踊ってこなかったから同意できる部分とそうでない部分がある。一見正解があるようでじつはなかったりするのだ(ベジャールさんがいれば、それが正解)。しかし、やはりジルの教え方は雄弁で隙がない。

いくつかの変更部分や注意をノートする。
ひとつ後半に腕の使い方が当時とは違うところがあって、ジルに聞いたら「ビデオで見た『火の鳥』で(ジョルジュ・)ドンがこういう腕の使い方をしていて、いいなと思ったんだ」とジル。なるほどな〜と思った(いろいろな意味で)。

今回、ジルは去年の世界バレエフェスティバルに続き『椅子』を演じるのと、自分の新作も発表するので忙しい。僕が滞在していた間、スタジオで『火の鳥』の稽古を見たのは1度だけだった。

舞台稽古に入ると、ドメニコは舞台監督的立場として舞台上とスタッフを繋げる役割で舞台袖にいるので、作品を正面から見ることができない。去年から芸術スタッフとしているエリック・カミーヨもベジャール作品を学んでいるけども、なかなか難しい立場だ。

最初の舞台稽古が終わった時にジルが「(『火の鳥』について)気がついた部分があったら教えてくれ」というので、突然でまさか聞かれるとは思っていなかったけど、火の鳥とパルチザンの場所の取り方とかパルチザンの動きの角度とか少しだけ指摘した。ちょっと嬉しかった♪

今回「火の鳥」を踊ったリロイ(・モクハトレ)くん。
リーダー的なみんなを引っ張る力強さはあまりないけれど、素材の良さが活かされる良い舞台だったと思う。回数を重ねて日に日に良くなっていくのがわかる。
本当に舞台は「人」なんだなあ……。

3日間行われた公演はすべて完売で、ローザンヌのお客さんはとても喜んでいたように思う。

今回の約2週間にわたるローザンヌ滞在。
最初、自分の中の感情をどうおさめたら良いのか? よくわからなかった。
自分が何者で何をしているのか? 現在なのか? 過去なのか? 思考が散らばり過ぎて考えることを拒んだ。

そんな時間もあり。

ジュリアンに誘われて、モントルーで行われているローザンヌ国際バレエコンクールも観に行った(この場をお借りして、ジュリアンにローザンヌ・コンクールのチケットを譲ってくださった方にお礼を申し上げます。ありがとうございました!)。突然のバレエワールドで驚いたんだけど、そこでルカ・マサラやオリバー・マッツ、ヤニック・ボカン、ニコラ・ルリッシュ、キャサリン・ブラッドニー、ドミニク・ジュヌヴォワ、そして山本康介くん! と、いろいろな人に会った。
そして、ここでも「大義名分」は役に立った(笑)。
まったく固守というか、小さなプライドくんが出てきては余計なことを……小さいなあ俺……。

僕が現役時代、まだ生まれていなかったダンサーたち。次世代を担うダンサーたち。
モーリス・ベジャールを知らないダンサーたち。それが人生の流れで当たり前に目の前で広がっている。

僕にはベジャール作品を後世に伝えようとかいう使命感はない。
『中国の不思議な役人』とか、今回のように『火の鳥』を指導するのに適任だとは思うけど。

多くのベジャールダンサーだった人がそうであるように「自分がいた時代がベストだ」と、たぶんそう思っている。僕は20世紀バレエ団の時代も好きでファンだけど、自分が踊ってきた作品に関しては確かにそう思っているところもあるのは事実だ。
それもあって心の隅には「中途半端に踊られるならベジャール作品はもう上演しないほうが良いのでは?」と思っているところもある……複雑な心境。

だけれども!

いいですか?

だけれども、作品指導の時は、経験したこと習ったことベジャールさんやジルに個人的に言われたことをすべて惜しまず全部伝えて、その時、今、自分ができる最大限のことをやるわけで……とにかく「良い舞台を」と思っている人間のひとりです。

何これ? まとめ?(笑)

『火の鳥』ベースで書き進めてきましたけど、伏線としてツイッターで滞在中つぶやいているのでよろしければご覧ください。あとこれは最終日にジルと話していたことですけど、やはり自分は指導よりもプレイヤーとして創作に関わっているほうが楽しいし生きている感じがする、と思うんです。ジルも理解してくれたしそこは去年Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021を経験した通り変わらないまま自分の中にある訳です。ベジャールダンサーとしての自分はコアにあるけど、過去の思い出に生きるのではなく「今」を生きたい。それにはやはり自分が踊る以外に道はない気がします。

バレエ団で毎日レッスンを受けて、徐々に力ついてきた感じがしました。
ふだん、南仏での自主練は木の床です。滑り過ぎても回れないけど、木の床は流すことができる。でもリノリウムの床は、ある程度、押す力、床を蹴るつま先、立つ力、ルルヴェの足がちゃんとしていないと回れません。

それが回れるようになってきちゃった。

最終日は、「今日で最後だ」と思いジャンプもやりました。
あとで腰が痛くなって後悔しましたけど……結局好きなんです。踊りが、感覚が、好きなんです。フルクラスは必要ないでしょう今? とかそういう問題じゃないから。
レッスン受けちゃう(笑)。

南仏に戻り、いつも通り自主練……とはなかなか上手くいかないですね。
ひとりだとモチベーション上げるのが大変!

でも

まあ

生き方に悩み、現実と理想の狭間にいる飛べない鳥は上を見続けるしかないのです……再び羽ばたくことを夢見て。

 

PCR検査結果が陰性だったジルがひと言。

「僕はいつもネガティブな人間だから当然さ」

 

今月もお読みいただきありがとうございます。

小林十市

★次回更新は2022年3月27日(日)の予定です

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

元ベジャール・バレエ・ローザンヌ、振付家、俳優。 10歳より小林紀子バレエシアターにてバレエを始める。17歳で渡米し、スクール・オブ・アメリカン・バレエに3年間留学。20歳でスイス・ローザンヌのベジャール・バレエ・ローザンヌに入団。以後、数々の作品で主役をはじめ主要な役を踊る。2003年に腰椎椎間板変性症のため退団。以後、世界各国のバレエ団でベジャール作品の指導を行うほか、日本バレエ協会、宝塚雪組などにも振付を行う。また舞台やテレビ、映画への出演も多数。

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