文/海野 敏(舞踊評論家)

第77回 カノン
■少しずつずらして踊る振付
「カノン」(Canon)とは、あるメロディを複数のパートが時間差で演奏することを示す音楽用語で、合唱では「輪唱」と呼ばれています。例えば有名な「パッヘルベルのカノン」では、全く同じ旋律を3つのパートが追いかけるよう演奏します。
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- 「パッヘルベルのカノン」の全曲です。全く同じ旋律を3つのパートが追いかけるようすをお楽しみください。
バレエの振付でも、同じ振付をダンサーが少しずつタイミングをずらして連鎖的に踊る振付は、「カノン」と呼ばれています。カノンは2人のダンサーでも可能ですが、多数のダンサーが行うと動きが次々に伝播してゆくように見え、独特の視覚効果が得られます。どのくらいずらして踊るかによって視覚的な効果は異なりますが、1拍前後の短い時間差ですと、群舞全体が波打つように見えます(注1)。
それでは、古典全幕作品のコール・ド・バレエに登場するカノンを紹介しましょう。
■ウィリたちのカノン
『ジゼル』第2幕後半、ウィリの女王ミルタとウィリたちがヒラリオンを追い詰め、踊り続けることを強いて殺してしまうシーンは、ジゼルとアルブレヒトによるクライマックスの直前のたいへん味わい深い鑑賞ポイントです。そのため、これまで第63回(1列に並ぶ)、第67回(円形に並ぶ)、第74回(減ってゆく)と繰り返し取り上げてきました。
この場面の最後には、24人のウィリたちが下手奥から上手前へ斜め1列に並び、壁となってヒラリオンを追い詰めます。そして、上手前を向いていたウィリが、先頭から順に短い時間差で後ろを向き、全員で下手奥を指し示すカノンが印象的です。スピード感のあるカノンの動きで、ウィリたちが一体となって襲いかかる不気味さを伝える振付となっています。この直後、ヒラリオンは下手奥へ追いやられて死んでゆきます。
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- 英国ロイヤル・バレエ『ジゼル』のリハーサル映像です。ウィリたちが時間差で振り向くシーンは22分35秒から。
なお『ジゼル』第2幕では、ウィリたちが袖から1人ずつ登場し、時間差でアラベスク・パンシェ(第27回)をする振付をときどき見ますが、これもカノンです。
■さまざまなカノン
古典全幕作品のコール・ド・バレエでカノンの振付は珍しくありません。しかし、それが多くのヴァージョンで共通になっている“定番の振付”となると、あまり多くなさそうです。
『くるみ割り人形』第1幕終盤の「雪の精の踊り」は、バレエ団ごとに振付が異なるほどヴァージョンが多いのですが、ピルエットやシェネなどの回転を含んだ振付を、複数のダンサーが時間差で行う場面を含む振付を比較的よく見ます。風に吹かれて粉雪が渦を巻くような視覚的効果があります。
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- イングリッシュ・ナショナル・バレエの『くるみ割り人形』第1幕「雪の精の踊り」より。1分28秒からカノンの振付を観ることができます。
『くるみ割り人形』第2幕では、「花のワルツ」にカノンがよく登場します。特に導入部、ハープの長いカデンツァの部分の振付に注目してみてください。並んだ女性ダンサーが同じ腕の動き=ポール・ド・ブラ(第29・30回)を時間差で行うことで、花が風に吹かれて揺れているように見えたり、花のつぼみが次々と開花していくように見えたりします。
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- ニューヨーク・シティ・バレエ『くるみ割り人形』より「花のワルツ」の映像です。冒頭から花のつぼみが開いていくような振付を観ることができます。
『白鳥の湖』第2幕では、1列に並んだ白鳥たちが上体を横へ曲げる動き=カンブレ(第30回)を次々に行う場合があります。また、羽ばたくようなポール・ド・ブラを時間差で行うこともあります。第4幕では、ジークフリート王子がオデット姫を探してやってくると、白鳥たちはいくつかのグループに分かれて床に座り顔を伏せてポーズをしています。そして王子が近づくと、白鳥たちは時間差で上半身を起こしてゆきます。この場面は、多くのヴァージョンで共通の定番と言ってよいかもしれません。白鳥たち全員が身を起こした後、最後にオデット姫が姿を現します。
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- パリ・オペラ座バレエ『白鳥の湖』より第4幕の映像です。冒頭からカノンを用いた振付を観ることができます。
『コッペリア』第3幕の「時の踊り」では、終盤に12人のダンサーが円形に並び、3拍子の音楽で1小節(=3拍)に1人ずつピルエットをしてゆく振付ヴァージョンがあります。このカノンは、時計の針の回転、あるいは1日の時の巡りを分かりやすくシンボライズしたものです。
(注1)スポーツのスタジアムで観客が応援のために行う「ウェーブ」や、ポップスのライブコンサートで聴衆が盛り上げのために行う「ウェーブ」も、カノンの一種と言ってよいでしょう。
(発行日:2025年12月25日)
次回は…
第78回は、コール・ド・バレエのダンサーたちがばらばらに踊る振付についてご紹介する予定です。発行予定日は2026年1月25日です。
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