文/海野 敏(東洋大学教授)
第27回 アラベスク・パンシェ
■前に傾いたアラベスク
この連載では、これまでバレエの動きを1種類ずつ紹介してきましたが、今回の「アラベスク・パンシェ」(arabesque penchée)はバレエのポーズです。バレエで最も有名なポーズと言われる「アラベスク」については、第22回「アラベスク・ホップ」で説明しました。基本的には片脚で立ち、もう一方の脚を後ろへ真っ直ぐ伸ばしたポーズの名称です。
アラベスク・パンシェは、通常のアラベスクのポジションよりも上体を前に倒し、その分だけ後脚を高く上げます。フランス語の動詞“pencher”は「傾く」「傾ける」という意味で、“penchée”はその過去分詞形ですから、直訳すると「傾けたアラベスク」となります。真っ直ぐ伸ばした後脚が水平(軸脚と90度)より高くなり、その角度は120度、135度などさまざまです。現代作品では、つま先がほぼ真上を指す(180度)アラベスク・パンシェも使われます。
古典作品において、アラベスク・パンシェはおもに女性ダンサーのポーズです。ダンサーの美しいプロポーションが強調され、クラシック・バレエらしく写真映えのするポーズなので、チラシの宣伝写真や、公演プログラムのダンサー紹介の写真に使われることも少なくありません。
舞台鑑賞においては、ポーズだけでなく、ポーズへ向かって傾いてゆく動きが味わい深く、印象に残ります。片脚で立つアラベスク自体が不安定なポーズですから、さらに傾いてゆくためには、踊り手に、いっそう優れたバランス感覚が求められます。振付によって、素早くさっと傾くことも、ゆっくりと傾いてゆくこともあります。また、軸脚をつま先立ちにして(=ポアントで)行う場合も、軸脚の足裏を床に付けて(=ア・テールで)行う場合もあります(注1)。なかでも、軸脚の足裏を床に付けてゆっくりと傾いてゆくアラベスク・パンシェは、テクニック的に難しく、女性ダンサーの見せ場となります。
■作品中のアラベスク・パンシェ
古典全幕作品では、グラン・パ・ド・ドゥのアダージオに、女性が男性にサポートされて行うアラベスク・パンシェが、必ずと言ってよいほど登場します。私が確認したところ、全幕作品の定番の振付では、『パキータ』、『海賊』、『ドン・キホーテ』、『ジゼル』、『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』、『白鳥の湖』、『ライモンダ』(以上プティパ版の初演順)のすべてで、主役2人のアダージオにアラベスク・パンシェが登場しておりました。同じアラベスク・パンシェでも、女性の腕のポーズや上半身の姿勢、男性のサポートの仕方がさまざまなので、比べてみると面白いと思います。
しかし、この連載では、パ・ド・ドゥのテクニックは別のシリーズで紹介する予定です。今回は、女性のソロの踊りに登場する印象的なアラベスク・パンシェを、いくつか紹介しましょう。
ソロのアラベスク・パンシェで、私がまず思い浮かべるのは『ジゼル』です。第1幕のジゼルのヴァリエーションでは、冒頭で、つま先立ちのアラベスク(=ピケ・アラベスク)からア・テールになって(足裏を床に付けて)アラベスク・パンシェをするフレーズを2回繰り返します。踊りの得意なジゼルの楽し気なアラベスク・パンシェです。第2幕では、ミルタが登場してまもなく、ア・テールのアラベスク・パンシェをします(注2)。ウィリになってしまったジゼルも、アダージオの冒頭で、やはりア・テールのアラベスク・パンシェをします。こちらは悲し気なアラベスク・パンシェです。
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- パリ・オペラ座の『ジゼル』第1幕より、ドロテ・ジルベール演じるジゼルのヴァリエーション。冒頭からアラベスク・パンシェを見ることができます。ジゼルのヴァリエーションの中でもとりわけ印象に残るテクニックです。
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- 同じくパリ・オペラ座の『ジゼル』第2幕より、アマンディーヌ・アルビッソン演じるジゼルのアダージオ。ア・テールのアラベスク・パンシェが見られるのは、38秒から。第1幕のヴァリエーションに出てくるアラベスク・パンシェとは、伝わってくるものがまったく異なることがお分かりいただけるでしょう。
『ラ・バヤデール』第2幕、ガムザッティとソロルの婚礼式で踊るニキヤのヴァリエーションは、前半に、アティテュード・デリエールから動脚を伸ばしてアラベスク・パンシェになる難しい動きが2回登場します。また後半、毒蛇を忍ばせた花かごを受け取った直後には、両手で花かごを前に差し出しながら、ア・テールのアラベスク・パンシェを2回します(注3)。花かごを、ソロルからの贈り物と勘違いして踊る悲しい場面です。
『眠れる森の美女』第1幕、「ローズ・アダージオ」には、男性にサポートされたオーロラ姫のアラベスク・パンシェがたくさん登場しますが、ソロでのアラベスク・パンシェも登場します。中盤、1列に並んだ4人の王子の前で、1人ずつ挨拶をするかのように、つま先立ちのアラベスクからア・テールのアラベスク・パンシェになるフレーズを4回繰り返す場面です。ただし、この場面にはいろいろな振付があって、4回のアラベスク・パンシェを、4人の王子の手を順に取って行う振付や、リュートを持って並ぶ友人たちの肩に軽く手を置きながら繰り返す振付もよく見ます。いずれの振付でも、アラベスク・パンシェでオーロラ姫の美しさが強調されます。テクニックのあるダンサーが踊ると、軸脚がポアントからア・テールになる時、足裏が床に吸い付くように見えて、たいへん優雅です。
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- 英国ロイヤル・バレエより『眠れる森の美女』第1幕の「ローズ・アダージオ」。こちらは、マリウス・プティパの原振付に、フレデリック・アシュトン、アンソニー・ダウエル、クリストファー・ウィールドンが追加振付をしたヴァージョンです。この振付では、1列に並んだ4人の王子の前で、つま先立ちのアラベスクからア・テールのアラベスク・パンシェになるフレーズを4回繰り返します。一連のフレーズは1分35秒から見ることができます。
『コッペリア』第3幕、「祈り」のヴァリエーションは、ヴァージョンによって振付がかなり異なりますが、ア・テールでのアラベスク・パンシェが含まれることが少なくありません。
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- ボリショイ・バレエ『コッペリア』より「祈りのヴァリエーション」です。踊っているのはソリストのアナ・トゥラザシヴィリ。前半の29秒と中盤の1分13秒で、ア・テールのアラベスク・パンシェを見ることができます。
『ドン・キホーテ』第2幕、ドン・キホーテの夢の場面の「森の女王のヴァリエーション」は、最後にイタリアン・フェッテ(第8回参照)を繰り返す振付が定番ですが、イタリアン・フェッテではなく、つま先立ちのアラベスク・パンシェを、左右向きを変えて繰り返す振付もあります。
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- ボリショイ・バレエ『ドン・キホーテ』より。こちらはトレイラー映像のため、実際のシーンで使われている音楽とは異なりますが、「森の女王のヴァリエーション」のアラベスク・パンシェを見ることができます。
(注1)軸脚をポアントにして行う場合を「アラベスク・スュル・ラ・ポアント・パンシェ」(~ sur la pointe penchée)、軸脚の足裏を床に付けて行う場合を「アラベスク・ア・テール・パンシェ」(~ à terre penchée)と言います。
(注2)第2幕では、ジゼルもミルタも通常のアラベスクをするだけで、アラベスク・パンシェにはならない振付もあります。
(注3)軸脚のプリエをしながら、後ろに伸ばした脚をさらに高く上げる「アラベスク・アロンジェ」を行う振付もあります。
(発行日:2021年10月25日)
次回は…
第28回は「ランヴェルセ」を取り上げます。発行予定日は2021年11月25日です。第29回は「ポール・ド・ブラ」を予定しています。