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【第29回】鑑賞のためのバレエ・テクニック大研究!ーポール・ド・ブラ(1)

海野 敏

文/海野 敏(舞踊評論家)

29回 ポール・ド・ブラ(1)

■「パ」と上半身の動き

この連載では、バレエ・テクニックを知ってバレエ鑑賞をもっと楽しめるように、さまざまなテクニックを紹介してまいりました。しかし、これまで紹介した数々のテクニックは、いずれも脚の動き、すなわちバレエの「パ」(pas)でした。毎回のタイトルにも「パ」の名前を挙げてまいりました。もっとも、「パ」は脚の動きのみでなく、腕や頭など上半身の動きも含めて行われるものです。なぜなら、バレエは頭のてっぺんからつま先まで、常に全身の美しい配置(注1)を保たなければならないからです。それでも、この連載では、上半身の動きにほとんど触れておりませんでした。

その一つの理由は、バレエでは、脚の動きほど、上半身の動きに名前が与えられていないことがあります。レッスンで学ぶ脚運びにはたいがい名前がありますが、レッスンによく出てくるのに名前のついていない腕運びはたくさんあります。バレエという舞踊の技術体系は、脚運びを中心に構築されているのです。

しかし、動きの変化の幅が大きいのは、下半身よりも上半身のほうです。上半身は、下半身と比べればメソッドによる制約が弱く、許容される動きのパターンが多いからです。同じ「パ」でも、上半身の動きにはさまざまなパターンが存在しています。鑑賞者の目から見ると、下半身よりも上半身の動きのほうが変化に富んでおり、それゆえ表現の幅も上半身のほうが広く感じられると思います(注2)

今回からしばらくは、バレエの美しい上半身の動き、とりわけ大きな表現力を発揮する腕の動きに注目してまいります。

■バレエの腕運びを分類する

古典全幕作品のようにストーリーがはっきりあるバレエ作品は、踊りの場面と、踊りではない芝居の場面から構成されています。踊りの場面の腕運びを「ポール・ド・ブラ」(port de bras)と言います。いっぽう、芝居の場面の腕運びの典型は、「マイム」(mime)です。マイムとはバレエに特有のボディランゲージのことですが、マイムについては回を改めて詳しく説明しますので、今回と次回は、ポール・ド・ブラについて説明しましょう(注3)

フランス語の”port”は「持ち運ぶこと、運搬」、”bras”は「腕」ですから、ポール・ド・ブラは、「腕の運び」と直訳できます。ポール・ド・ブラは、さらに基礎的なポール・ド・ブラと応用的なポール・ド・ブラに分けて考えることができます。

基礎的なポール・ド・ブラとは、バレエのメソッドに従って「パ」に伴って行われる標準的な腕運びです。レッスンで身につけるポール・ド・ブラと言っても良いでしょう。バレエダンサーは日々のレッスンを何千回と繰り返し、教師に腕のかたち、位置、そして動かし方を矯正されることで、バレエの様式美に適った腕運びの型を身につけてゆきます。

基礎的なポール・ド・ブラの起点・終点となる両腕のポジションには、名前が付いているものがあります。代表的なポジションを4つだけ紹介します。「アン・バー」(en bas)は両腕を身体の前に下ろし、肘と手首を柔らかく曲げて楕円を作るポジション、「アン・オー」(en haut)は両手を頭の上にあげて楕円を作る腕のポジション、「アン・ナヴァン」(en avant)は両手を身体の前、アン・バーより少し高く、みぞおちの高さに下ろして楕円を作るポジション、「ア・ラ・スゴンド」(à la seconde)は両腕を横に開いて大きな円弧を作るポジションです(注4)。この4つのポジションは、基本的に左右対称に腕のかたちを整えます。

このようなバレエ特有の両腕のポジションは、動きがなくてもポーズとして美しく、魅力的です。そして、基礎的なポール・ド・ブラ、すなわちポジションからポジションへの腕の動かし方(例えばアン・バーからアン・オー)は1通りではなく、いくつものパターンがありますが、いずれの動かし方もバレエの様式美を守って優美であり、バレエ鑑賞の大きな楽しみとなります。

いっぽう、応用的なポール・ド・ブラとは、レッスンで学ぶ型どおりの動きとは異なる腕運びのことです。実際のバレエ作品の振付には多種多様なポール・ド・ブラが登場します。そのような応用的なポール・ド・ブラが、踊りに千変万化の表情を与えていること、作品にさまざまな情緒や味わいを加えていることは間違いありません。より正確に言えば、振付家が基礎的なポール・ド・ブラに応用的なポール・ド・ブラを組み合わせ、さらにダンサーが自分なりのニュアンスを加えて踊ることによって、バレエ独特の美しい動きと、限りない表現力が生まれているのです。

ここからは、実際の古典作品を例として、鑑賞のポイントとなるような特徴的なポール・ド・ブラを紹介します。応用的なポール・ド・ブラの紹介が多くなりますが、基礎的なポール・ド・ブラの美しさもバレエ鑑賞のポイントであることは言うまでもありません。

■役柄を表すポール・ド・ブラ

振付家は、登場人物の属性や性格を、しばしばポール・ド・ブラによって表現します。具体的な何かを表現しているので、「表現的なポール・ド・ブラ」と名付けてもよいでしょう。そのようなポール・ド・ブラを用いた傑作が、ミハイル・フォーキン振付の『瀕死の白鳥』です。わずか4分弱の短い作品ですが、傷ついて死んでゆく白鳥の姿を、両腕の動きによって見事に表現しています。とりわけ、両腕を横に広げて波打たせ、弱々しい羽ばたきをくり返して登場するシーンは、ダンサーの技量が問われます。ダンサーにとって、脚さばき以上にポール・ド・ブラの表現力が問われる振付です。

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英国ロイヤル・バレエ『瀕死の白鳥』。冒頭から最後の瞬間に至るまで、繊細に変化するポール・ド・ブラが、死にゆく白鳥の姿を描写していきます。このような腕の表現が可能なのは、ナタリア・オシポワの鍛え抜かれたアームスがあってこそです。

『瀕死の白鳥』と同様、鳥類の翼の動きをポール・ド・ブラで表現する作品は少なくありません。その代表が『白鳥の湖』です。『白鳥の湖』第2幕では、オデット姫は夜の間だけ人間の姿に戻るのですが、人間に戻っているはずの状態でも、両腕を羽ばたくように使い続け、自分にかけられた悲しい呪いの効きめを表現します。

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ボリショイ・バレエ『白鳥の湖』より第2幕のコーダです。オデットが両腕を羽ばたくように大きく動かすのは、56秒から。世界最高のバレリーナのひとり、スヴェトラーナ・ザハーロワのポール・ド・ブラの美をぜひご堪能ください。

『眠れる森の美女』第3幕では、「青い鳥のパ・ド・ドゥ」に羽ばたきのポール・ド・ブラが頻出します。青い鳥役の男性ダンサーはもちろんですが、フロリナ王女役の女性ダンサーも、男性と一緒に腕を羽ばたかせたり、手首から先で小さな羽ばたきを表現したりします。また、フロリナ王女の振付には、片手を耳にあてて鳥の声を聞く仕草も頻出します。

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ボリショイ・バレエ『眠れる森の美女』より第3幕の「青い鳥のパ・ド・ドゥ」です。冒頭の振付では、フロリナ王女がパ・ド・ブーレ・クーリュからピケ・アラベスクをして床に膝をついた時に、片手を耳にあてて鳥の声を聞く仕草をしています。

『眠れる森の美女』は、表現的なポール・ド・ブラの宝庫です。プロローグでは、6人の妖精がそれぞれ異なるポール・ド・ブラでキャラクターを表現します。例えば、カンディード(別名:松の精、夾竹桃の精、優しさの精など)は、両腕で柔らかく空間をくり返し抑えるような動きで、優しさや誠実さを表現します。カナリア(別名:歌鳥の精、呑気の精など)は、手首から先を細かく動かして、小鳥のさえずりと羽ばたきを表現します。ヴィオラント(別名:トネリコの精、勇敢の精など)は、両手の人差し指で空間を力強く指さす動作で、勇気や熱情を表現します。いっぽう、第3幕の「長靴を履いた猫と白猫」の踊りでは、男女のダンサーが両手をこぶしにして胸の前に構え、猫っぽい仕草をわかりやすい腕の動きで表現します。

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ミラノ・スカラ座バレエ『眠れる森の美女』よりプロローグの妖精のヴァリエーションです。カンディードの柔らかいアームスは35秒から、カナリアの羽ばたくような手先は1分44秒から、ヴィオラントの力強く指さす動作は2分41秒から見ることができます。
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英国ロイヤル・バレエ『眠れる森の美女』より第3幕の「長靴を履いた猫と白猫」の踊り。両手をこぶしにして胸の前に構える仕草やじゃれ合う仕草はまさに猫。愛らしくてユーモアがあり、観客も思わず笑顔になるシーンです。

『くるみ割り人形』第1幕では、人形役のダンサーたちが、いかにも人形らしく、ぎこちない動きのポール・ド・ブラで踊ります。また、『コッペリア』第2幕でも、機械人形役のダンサーたちが、カクカクした腕運びを含め、全身で人形らしさを表現します。人形の登場する作品には、ほかにも『人形の精』『ペトルーシュカ』などがありますが、どのようなポール・ド・ブラで人形を表現するのかは、振付によって異なります。

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ボストン・バレエ『くるみ割り人形』より第1幕です。人形の踊りは、20秒から見ることができます。こちらのバージョンでは、人形の次に意外な“動物”が踊りを披露しています。
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英国ロイヤル・バレエ『コッペリア』より第2幕。突然動き出す人形に、スワニルダたちがあっと驚きます。人形たちに扮するダンサーのぎこちないポール・ド・ブラがとてもユニークです。

今回はだいぶ長くなりました。次回もさまざまなポール・ド・ブラを紹介します。

(注1)バレエでは、身体の部位の空間的な配置、すなわち両脚、両腕、頭、トルソ(胴体)をどのようなかたち、どのような向きと角度で配置するかを「アラインメント」(alignment)と言います。バレエの様式美に従って全身を美しく配置することを、「アラインメントを整える」、「アラインメントを正す」などと言います。

(注2)上半身の動きに顔の表情の変化は含めていません。もしも顔の表情を含めれば、上半身の方下半身より圧倒的に雄弁なことは言うまでもないでしょう。

(注3)踊りの場面と芝居の場面は、必ずしもはっきり区別できるわけではありません。しかし、ここではバレエの身体動作の全体を概観するため、舞踊的動作と演劇的動作に二分する便宜的な分類をしています。また、マイムを振付に組み込んだ踊りも珍しくないため、じつはポール・ド・ブラとマイムも明確に区別できるわけではないことを、念のため申し添えます。

(注4)腕のポジションの呼び方は、「パ」の名前以上に流派ごとに異なっています。例えば、「アン・バー」を「ブラ・バー」(bras bas)と呼ぶバレエ教師は少なくありません。

(発行日:2021年12月25日)

次回は…

第30回は予定を変更して、ポール・ド・ブラの2回目です。ポール・ド・ブラの次に、マイムの紹介を予定しています。

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うみのびん。東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科教授、情報学研究者、舞踊評論家。早稲田大学、立教大学でも講師を務める。バレエ、コンテンポラリーダンスの舞台評・解説を『ダンスマガジン』、『クララ』などのマスコミ紙誌や公演パンフレットに執筆。研究としてコンテンポラリーダンスの三次元振付シミュレーションソフトを開発中。著書に『バレエとダンスの歴史:欧米劇場舞踊史』、『バレエ パーフェクト・ガイド』、『電子書籍と電子ジャーナル』(以上全て共著)など。

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