文/海野 敏(舞踊評論家)
第30回 ポール・ド・ブラ(2)
■「パ」と上半身の動き
前回に続き、バレエの腕運び=ポール・ド・ブラについてです。まず、ポール・ド・ブラに関連して、上半身の動きに豊かな表情を与える2つの動作を紹介します。次に、古典全幕作品の鑑賞で、とりわけ印象的なポール・ド・ブラを5つ紹介します。
■アロンジェとカンブレ
「アロンジェ」(allongé)は、手首と肘を曲げてカーブを作っていた腕を伸ばす動きです。フランス語の動詞“allonger”は「伸ばす」「引き延ばす」「長くする」といった意味で、“allongé”はその過去分詞形です。アティテュードで曲げた脚を伸ばす動作もアロンジェと言いますが、ここで紹介するのは腕のアロンジェです(注1)。
腕のアロンジェは、曲げた腕をただ伸ばすのではなく、ひねりが加わります。前回紹介したポール・ド・ブラの4つの基本ポジション(アン・バー、アン・オー、アン・ナヴァン、ア・ラ・スゴンド)は、いずれも手のひらを内側へ向けて、肘と手首を柔らかく曲げて楕円や円弧を作りますが、アロンジェは、これらのポジションから手のひらを外側へ向けるように腕を少しひねりながら腕を伸ばしてゆきます。両手でそっと空間を押し広げるような美しいポール・ド・ブラです。
19世紀フランス印象派の画家エドガー・ドガは、パリ・オペラ座バレエの女性ダンサーたちを好んで描いたことで有名です。彼が女性ダンサーを描いた油彩はたくさん残っていますが、とくに有名なのが1876年頃に描いた『エトワール』という絵です。この絵は、舞台上の女性ダンサーが腕をアロンジェした瞬間をとらえています(注2)。
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『エトワール』エドガー・ドガ
「カンブレ」(cambré)は、上半身を前、横、後ろのいずれかの方向に曲げる動きです。フランス語の動詞“cambrer”は「軽く弓型に曲げる」という意味で、“cambré”はその過去分詞形です。
カンブレは、じつはバレエ学習者にとって易しい動きではありません。上半身を曲げると言っても、ラジオ体操のように腰から曲げるわけではなく、みぞおちから上の部分を柔らかくアーチ状に反らさなければなりません。日常では使わない筋肉を使って、背骨をたわませます。プロダンサーのカンブレは、とても上品で美しい動きです。
アロンジェはポール・ド・ブラの一種ですし、カンブレもポール・ド・ブラと同時に行われます。アロンジェとカンブレは、バレエの基本的なポーズと動きに変化を与え、アクセントやニュアンスを加える上半身の動作です。舞台上でぜひ注目してみて下さい。
■古典全幕主役のポール・ド・ブラ
では、古典全幕作品の中で、鑑賞において印象的なポール・ド・ブラを紹介しましょう。まずは3人の主役のポール・ド・ブラです。
『眠れる森の美女』の主人公オーロラのポール・ド・ブラは、優雅さの極みです。前回、『眠れる森の美女』を、登場人物の属性や性格を表現するポール・ド・ブラの宝庫だと言いましたが、たとえば第1幕「ローズ・アダージオ」のポール・ド・ブラは、16歳のオーロラ姫の気品と優しさと無邪気さが表現されています。筆者が好きなのは、第3幕「グラン・パ・ド・ドゥ」のヴァリエーションの中盤、舞台上手奥から斜めに前へ進む場面です。この部分では、両腕をくねらせるようなポール・ド・ブラをくり返し、腕の位置をだんだん高くしてゆきます。優れたダンサーが演じると、たいそう優雅に見えます。ちなみにこの腕の動きは、ハンカチをもって踊るロシアのダンスに由来しているそうです(注3)。
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- ミラノ・スカラ座バレエ『眠れる森の美女』より第1幕「ローズ・アダージオ」です。ポリーナ・セミオノワが、気品に満ちていながらも愛らしい16歳のプリンセスを、じつに魅力的に表現しています。
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- ミラノ・スカラ座バレエ『眠れる森の美女』より第3幕「グラン・パ・ド・ドゥ」のヴァリエーション。手首を優雅にくねらせていくポール・ド・ブラは1分10秒から。手元はもちろん、腕全体や目線の使い方の豊かさをぜひご覧ください。
『ラ・バヤデール』の主人公ニキヤのポール・ド・ブラは、祈りと悲しみに彩られています。ニキヤはインドの寺院の巫女であり、第1幕の寺院でのヴァリエーションでは、両腕を上に上げて両手首を反らせたり、片腕を天に向かって伸ばしたり、合掌をしたり、祈りを捧げるようなさまざまなポール・ド・ブラを繰り返します。また、右手を額、左手をみぞおちに当ててお辞儀をする動作も独特です。
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- マリインスキー・バレエ『ラ・バヤデール』第1幕、ニキヤを踊るヴィクトリア・テリョーシキナのリハーサル映像。祈りを捧げるようなポール・ド・ブラなど、神に身を捧げる舞姫の凛とした美しさが際立つヴァリエーションです。
第2幕、ソロルとガムザッティの婚礼式で踊るニキヤのヴァリエーションは、冒頭、空を仰ぎ、右腕の肘を曲げて顔にかぶせる悲しげなポール・ド・ブラから始まります。両腕を高く上げ、手首を交差させて手の平を合わせる、インド舞踊風のポール・ド・ブラも繰り返されます。中盤、床に右膝をついて左脚を後ろへのばすポーズを3回反復しますが、このとき、思いきり背中を反らせながらのポール・ド・ブラには、ニキヤの嘆きの深さが表現されています。
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- マリインスキー・バレエ『ラ・バヤデール』より第2幕のニキヤのヴァリエーションです。11分30秒の悲しげなポール・ド・ブラで始まり、12分40秒からは嘆くように大きく背中を反らせます。
『ライモンダ』の主人公ライモンダのポール・ド・ブラは、民族色が豊かです。ライモンダはフランス貴族の娘なのですが、第3幕「グラン・パ・ド・ドゥ」のヴァリエーションは、ハンガリーの民族舞踊の動きを取り入れたポール・ド・ブラで踊ります。まず、冒頭で手をぱちんと打つ動作が特徴的ですが、この手打ちを美しく決めるのには、たいへん高度なテクニックが必要です。次に、右手を頭の後ろ、左手を腰にそえるハンガリアン・ダンスのポーズが繰り返されますが、この腕さばきは、日本人が見てもエキゾチックな魅力があります。そして中盤はポアントで立ちっぱなしで、ポール・ド・ブラをしながらパ・ド・ブーレで移動してゆくのですが、これも難度の高い振付です。上半身のさばき方、とりわけ顔とエポールマン(肩)の角度がポイントとなる踊りです。
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- こちらもマリインスキー・バレエの映像から。『ライモンダ』より第3幕「グラン・パ・ド・ドゥ」のヴァリエーションです。ライモンダを演じるヴィクトリア・テリョーシキナの美しいポール・ド・ブラとゆるぎないポワント・ワークをご覧ください。
■コール・ド・バレエのポール・ド・ブラ
古典全幕作品の鑑賞では、コール・ド・バレエ(群舞)が一斉に行うポール・ド・ブラも、しばしば強く印象に残ります。2つだけ紹介します。
『ラ・バヤデール』第3幕の「影の王国」は、プティパが振付けた群舞の傑作です。この連載でも、第24回(パ・ド・ブーレ)と第26回(デヴェロッペ)に取り上げましたが、群舞のポール・ド・ブラも見逃せない場面です。長いつづら折りの坂道に精霊が1人ずつ現れ、列をなして坂を降りてゆく場面は、精霊たちの数が増えてゆくので、一斉に行う腕の動きが魔法のような感触をもたらします。また、全員が坂を降りた後、格子状の隊形で行うポール・ド・ブラは、動かすタイミングと角度がそろっていればいるほど幻想的です。筆者がいつもとりわけ印象的だと思うのは、全員が床に左膝を付いて右脚を前へ伸ばし、上半身をカンブレして行うポール・ド・ブラです。
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- ボリショイ・バレエ『ラ・バヤデール』より第3幕「影の王国」です。冒頭から、列をなして坂を降りてゆく精霊たちの美しいポール・ド・ブラを見ることができます。上半身をカンブレして行う印象的なポール・ド・ブラは、5分20秒から。
『ジゼル』第2幕も、美しいコール・ド・バレエが堪能できます。この連載では、第22回(アラベスク・ホップ)で、2つのグループが左右から進んで交差する振付を取り上げましたが、冥界に住むウィリらしい幽美なポール・ド・ブラも見どころです。はじめ、女王ミルタに呼ばれて左右の幕から登場するウィリたちは、アン・バーの腕をクロスさせてからだの前で構える妖精の基本ポーズをしています。その後のウィリたちのポール・ド・ブラは、このポーズを起点とし、このポーズへ戻ります。ジゼルが登場する前のワルツでは、ウィリたちが全員膝を付き、両腕と上体を大きく前後に動かす振付を繰り返します。これは、ウィリたちが死んだジゼルを墓の下から呼び出すための、恐ろしくも美しい、神秘的な儀式を表現するポール・ド・ブラです。
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- パリ・オペラ座バレエ『ジゼル』より第2幕。ミルタを演じているのは、オニール八菜です。ウィリたちがジゼルを墓の下から呼び起こす儀式のようなポール・ド・ブラは、17秒から見ることができます。
(注1)脚のアロンジェは、本連載では第7回と第27回に「アラベスク・アロンジェ」がちらっと登場しました。
(注2)下半身はチュチュで隠れていますが、アティテュード・デリエールからアラベスク・アロンジェをした瞬間ではないかと思われます。またこの絵には、下手の袖幕の影に、ダンサーのパトロンと思われる紳士の半身が描き込まれています。
(注3)このポール・ド・ブラで、腕の位置をだんだん高くするのは、オーロラが自分の成長を語るマイムだと説明されることもあります。
(発行日:2022年1月25日)
次回は…
第31回、第32回は「マイム」を予定しています。