ロシアの作曲家、モデスト・ムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」は、無二の親友だった画家のヴィクトル・ガルトマンを喪ったムソルグスキーが、彼の遺作展で見た10枚の絵の印象を音楽にした作品です。
この曲を日本舞踊とバレエとピアノ演奏で綴る作品『展覧会の絵』が、2025年6月6日(金)浅草公会堂で上演されます。芸術監督・脚本・演出・振付を手がけ、自らムソルグスキー役を演じるのは、日本舞踊家の藤間蘭黄さん。ガルトマン役の振付と出演は、新国立劇場バレエ団オノラブル・ダンサーの山本隆之さん。そして演奏は、「展覧会の絵」をライフワークにしているというピアニストの木曽真奈美さんです。
ムソルグスキーとは、どんな作曲家なのか?
「展覧会の絵」とは、どういう作品なのか?
4月上旬、都内某所のピアノサロンにて、木曽さんにインタビューしました。

木曽真奈美(きそ・まなみ)岐阜県出身。東京芸術大学卒業、同大学院修了。14歳で名古屋フィルハーモニー交響楽団と共演し、テレビ出演。16歳でアメリカ演奏旅行。新人音楽コンクール第1位など、 数々のコンクールで入賞し、受賞歴も多数。サントリーホールにてボリショイ劇場監督A.ヴェデルニコフ指揮ロシアフィルハーモニー交響楽団と共演するなど、国内外のトップアーティストとも多数共演。 ©Hajime Watanabe
バレエから逃げて始まった、ピアノの道
- まずは木曽さんとピアノとの出会いから聞かせてください。
- 木曽 私は、まず2歳からバレエを習ったんです。親がバレエが大好きで、娘たちをバレエの道に進ませたいと教室に連れて行ったのが始まりです。そして幼稚園生になると、今度はバレエに必要な音感を身につけるためにと近所の音楽教室に通うようになり、さらに小学校1年生からピアノを習うようになりました。
そうしてしばらくはバレエとピアノの両方を習っていたわけですけれど、小学校3年生になった頃、選択の時がやってきました。「バレエを続けるなら、そろそろお稽古の回数を増やさなくてはいけない。ピアノとの両立はできないから、どちらかを選びなさい」と親に言われた時、私はこう答えました。「バレエは嫌だから、ピアノに行く」。
ピアノがやりたいわけではなく、バレエが嫌だったんです。ごめんなさいね、バレエチャンネルの取材なのに(笑)。なぜ嫌だったかというと、先生が怖かったから。今の時代とは違って、当時は竹の棒で床や私の脚を叩いたりしていたのが恐怖で、私はピアノに逃げたんです。
- そうだったのですね……。でも音楽そのものは好きでしたか?
- 木曽 好きでした。幼い頃からいつも家の中には「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」といったバレエ音楽が流れているような環境で育ちましたから。とくに食事の時間は私が音楽係で、毎日「今日はどの音楽にしようかな?」って選ぶのも楽しかった。ですから練習は嫌いでしたけれど、音楽好きの魂はすくすく育まれていったように思います。
- バレエからの逃避で選んだピアノを、本気で志すようになったきっかけは?
- 木曽 転機は、中学生の時に訪れました。音楽の道を目指すなら、相応の先生に師事して、音楽高校に進学する。そうでなければ、ピアノは単なる趣味にする。どちらかの進路を選びなさいと親に言われた時はまだ、私はそこまで本気でピアノをやろうという気持ちもなければ、自信もありませんでした。
ところがです。あれは忘れもしない中学1年生の11月23日、優柔不断な私を見かねた母親に連れられて、音楽高校の学校見学に行った時のこと。ただ校舎を見て回るだけのつもりだったのに、本当にたまたま、音楽科の説明会が行われていたんです。その最後に披露された、ある在校生によるヴァイオリン演奏が、私の人生を変えました。曲名はわからなかったけれど、ト短調の曲を弾く彼女のヴァイオリンを聴いた時、私は生まれてはじめて「感動」というものを覚えたんです。雷に打たれたように、バリバリバリ!という音が聞こえました。その瞬間、「これだ!」と。「私もこの先輩のように、音楽で人を感動させられる人になりたい!」と思い、それ以降はもう迷うことはありませんでした。

©Hajime Watanabe
- インタビュー開始5分で、すでにドラマティックな展開が……。そこから木曽さんの才能が一気に開花していったのでしょうか?
- 木曽 いいえ、まったく(笑)。「あの音楽高校に絶対に進学したい!」と心を決めて、しかるべきピアノの先生を探し始め、ようやく師に出会えたのは中学2年生の時でした。レッスンに行ってみると、そこには同じ高校を目指している子たちがわんさと集まっていて。そしてみんなはショパンなどを弾いているというのに、私はといえば、先生から「あなたは基礎がなっていないから、両手で弾いてはいけません。片手ずつ、一本指で弾くところから始めなさい」と言われる始末でした。
- それは心が折れそうです……。
- 木曽 そうですよね。でも、私にはすでに「絶対に音楽高校に行って、音楽の道に進むんだ」という強い気持ちがありましたから、諦めませんでした。そこから約2年間、紆余曲折ありながらも猛烈に練習し続けて、奇跡の大逆転。音楽高校に、首席で入学することができたんです。
- 漫画の主人公みたいです。
- 木曽 でも、そこからが本当の試練の始まりでした。音楽高校に入ると、次は芸大受験が目標になります。高校受験の時以上に、それは熾烈なものでした。ピアノで芸大に進みたいと全国から集まってきた、才能も努力する力も備えた同級生たち。その中で、自分の下手さを嫌というほど痛感させられました。もちろん先生からも、レッスンのたびに、ぺしゃんこになるまで叱られました。自分で自分の演奏を聴いてみても、確かに「私は下手なんだ」と思い知らされる。私はピアノが大好きだけれど、ピアニストになる才能も資格もない。そんなふうに感じていました。
- しかし木曽さんはみごと東京芸術大学に合格。卒業後には同大学院に進みました。
- 木曽 大学時代の4年間と大学院時代が、私の人生で最もつらい、絶望の日々でした。今にして思うと、音楽というあまりにも偉大な壁を前にして、異常なほどの緊張とプレッシャーを感じていたんですね。心も身体もすべてがボロボロで、本当に毎日、ピアノの下にもぐって泣いていました。それでもやっぱり、私はどうしてもピアノが好き。どんなに泣いても、自分の原点を思い出して立ち上がる。その繰り返しでした。

©Hajime Watanabe
不器用で人間くさい。苦しみから絞り出されたムソルグスキーの音が好き
- そんな日々を乗り越えてピアニストになった木曽さんは、自身のライフワークとして、ムソルグスキー作曲「展覧会の絵」を弾き続けています。なぜこの曲を、人生を賭けて弾きたいと思うに至ったのでしょうか?
- 木曽 それは、私自身の人生がこの音楽によって救われたからです。大学から大学院にかけて、絶望しかなかったあの頃に、私はムソルグスキーの「展覧会の絵」と出会いました。もちろん有名な曲ですから、もともとその旋律に親しんではいました。でも、ふと出かけたロシア人ピアニストのコンサートで、彼の弾く「展覧会の絵」を聴いた時、身体が震え出して止まらなくなったんです。最後には立ち上がれなくなって、一緒に行ったお友達が心配したほどでした。「展覧会の絵」には、何かがあるのかもしれない――そう思った私は、自分でもこの曲を弾くようになりました。
「展覧会の絵」は、作曲家のムソルグスキーが、親友である画家のガルトマンを突然喪って、彼の遺作展からインスピレーションを受けて書いた作品です。ですから私はまず、楽曲の元になっている絵が実際はどのようなものなのかを調べ始めました。そうしたら、調べれば調べるほど、違和感がふくらんでいったんです。なぜかというと、ガルトマンの絵と、それにムソルグスキーがつけた曲が、まったく調和していないように思えたから。例えば第9曲「バーバ・ヤーガの小屋」は力強くて壮大な曲ですが、元になった絵のほうは可愛らしくて繊細な小屋のデッサンです。最終曲である第10曲「キエフの大門」は、大曲の締めくくりに相応しい壮麗さなのに、絵はとても小さくてシンプルなものなんですね。
なぜ、絵と曲の印象がこんなにも違うのか。そこから今度はムソルグスキーの人生を調べるため、何度もロシアに渡りました。彼の故郷の小さな村などゆかりの地を訪ねて歩き、この作曲家が波乱の人生を送ったこと、10代の頃から精神不安定症であったこと、母の死をきっかけに重度のアルコール依存症に陥ったこと、貧しくて孤独だったこと……いろいろなことを知りました。そんな彼のたった一人の理解者が、ガルトマンだったわけです。ロシアの図書館に収蔵されているムソルグスキーの自筆譜には、譜面いっぱいに、本人の手垢と赤ワインの染みがついていました。それを見た時は、胸が張り裂けそうでした。
そしてムソルグスキーのお墓に行きました。ロシアは土葬ですから、そこに行けば、彼に直接会えるわけです。土の中にいるムソルグスキーに『展覧会の絵』という音楽を作ってくれたことへの感謝を伝え、長い間、対話をしました。すると最後に、ムソルグスキーの「ありがとう」という声が聞こえたんです。その瞬間、「私はこれから、ムソルグスキーの温かさや優しさを、世の中の人に伝えていく使命がある」と思いました。自分勝手な思い込みかもしれないけれど、私はムソルグスキーに託されたような気がしてならないんです。

©Hajime Watanabe
- 木曽さんはピアニストとしていろいろな作曲家の曲を弾いていますが、ムソルグスキーならではの特徴があれば教えてください。
- 木曽 ムソルグスキーは他にもピアノ曲を書いていますが、ほぼ知られていません。また彼は音楽以外の仕事もしていましたから、純粋にプロの作曲家と言えるかどうか、議論の余地もあります。でも、この「展覧会の絵」を書いた時だけは、特別な精神状態でした。なぜなら、彼にとってただ一人の友であったガルトマンが逝ってしまったから。絶望的な悲しみと異常な精神状態の中で、まるで何かに取り憑かれたように、短期間で一気に書き上げた。それが「展覧会の絵」という曲です。
ですから、人間くさいんです。チャイコフスキーの音楽はとても洗練されています。ショパンの音楽も、遥か遠い天才の響きという感じがします。でも、ムソルグスキーの音楽は人間くさくて、どこか親しみを感じます。不器用で、苦労して、苦しんで、ボロボロの人生の中で絞り出したその音が、私は本当に大好きです。
- 「展覧会の絵」を弾いている時、木曽さんはどんなことを感じていますか?
- 木曽 ムソルグスキーの魂が、私の斜め上あたりにいるのを感じます。「展覧会の絵」は自分のコンサートでほぼ毎回弾いていて、全曲を弾く時もあれば、最後の2曲「バーバ・ヤーガの小屋」と「キエフの大門」だけを弾くこともありますが、どちらの場合も必ずと言っていいほどムソルグスキーが来てくれます。すごく不思議です。
- 木曽さんがピアノ演奏で出演するピアノ×バレエ×日本舞踊『展覧会の絵』は、ムソルグスキー役の藤間蘭黄さんと、ガルトマン役の山本隆之さんによる踊りとの共演です。コンサートで一人で弾く時とは違う感覚がありますか?
- 木曽 あります。一人の時は自分のイマジネーションの中で弾いているわけですが、蘭黄さんと山本さんが踊っていると、目の前にムソルグスキーとガルトマンがいるんです。あまりにもリアルで、本当にびっくりします。「いる……!!!」って(笑)。

「展覧会の絵」の一場面を実演する木曽真奈美さんと藤間蘭黄さん ©Hajime Watanabe
- 踊り手である蘭黄さんと山本さんは木曽さんの奏でる音楽を感じながら踊っていると思いますが、木曽さんは二人の踊りを感じながら弾いているのでしょうか?
- 木曽 じつは、意識的にあまり踊りを観すぎないようにしています。というのは、観ると感動してしまってピアノを弾けなくなるからです。
私がこの曲をどのような思いで弾いているのか、蘭黄さんにお話ししたことは一度もありません。なのに蘭黄さんの振付には、それぞれの曲、それぞれのフレーズ、一音一音に至るまで、私がこの曲から感じていることが、すべて完璧に表現されているのです。蘭黄さんの音に対する感覚、その音でムソルグスキーが何を言いたかったのかをキャッチする感覚、そしてそれを踊りで表現する感覚は、本当に天才的だと思います。初めてご一緒するとなった時に、私の「展覧会の絵」のCDを使って蘭黄さんと山本さんが踊るところを、観客として見せていただきました。私、始まって2分、楽譜で言えば最初の2ページ目にして、滂沱の涙を流し始めてしまいました。そして37分間の全曲が終わる頃には、大変なことになりました。ですから6月6日の公演を観にいらっしゃるみなさまも、必ずハンカチをお手元に用意してご覧ください(笑)。
- 『展覧会の絵』の中で、木曽さんがとくに好きなシーンはありますか?
- 木曽 その質問がいちばん困ります(笑)。本当に、始まった瞬間から最後の瞬間までが珠玉のシーンです。どの音、どの所作にも意味がありますから、ご覧になる方はまばたき厳禁です!
- では踊りとは関係なく、木曽さんが弾いていてとくに感情が入る楽曲は?
- 木曽 それも本当に難しい質問ですけれど、強いて言うならば、やはり最終曲である「キエフの大門」でしょうか。37分間をかけて向かっていく、最後の結論ですから。

©Hajime Watanabe
- ところで子どもの頃あまりいい思い出がなかったバレエと、その後接点はありますか?
- 木曽 それが……なんと私、大人になってバレエが大好きになりました。まず、バレエを観るのが大好きになって、ムソルグスキーを調べるためロシアを訪れるたび、必ずボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエを観に行きます。さらには数年前、自分の人生で何か大きな挑戦をしてみようと考えまして、バレエを習い始めたんですよ。9歳でやめましたから、ウン十年ぶりです。もうびっくりするくらい、何も残っていませんでした……。最初の数ヵ月は、タンデュって何? ジュテって何?という状態。先生が「ア・ラ・スゴンド」とおっしゃった時は「何その怪獣?」と思いましたし、アンシェヌマンも覚えられずすべての動きがワンテンポ遅れてしまう、音楽性のない生徒でした(笑)。今でもできないことだらけですけれど、週1回のレッスンが楽しくて、もう3年ほど続いています。
- 好きなバレエ作品は?
- 木曽 古典が好きです。とくにチャイコフスキー、プロコフィエフ、ハチャトゥリアンといった、ロシアの作曲家の音楽を用いた作品に心を揺さぶられます。『くるみ割り人形』では第1幕から涙が出て、一緒に観に行っていたバレエの先生に「『くるみ』で1幕から泣く人は初めて見た」と言われました(笑)。
- (笑)。音楽的に素晴らしいと思うバレエ作品は?
- 木曽 『ロミオとジュリエット』です。「なぜこの音楽はこんなにも美しいんだろう?」と、オーケストラの楽譜を買って分析してみたら、プロコフィエフがいかに緻密に作曲しているかがわかりました。ひとつのモチーフが、登場人物の心情の変化に合わせて、楽器を変え、調などを変えながら、展開していく。そして表面的な心の動きだけではなく、深層心理まで巧みに表現されています。もちろん振付も演出も素晴らしいけれど、音楽的にもちゃんと観客が感動するように作られているんですよ。
- 最後に、今回の『展覧会の絵』に向けての思いを聞かせてください。
- 木曽 「展覧会の絵」はたくさんの音楽家が演奏している名曲ですけれど、同じ楽譜、同じ音符を見ても、解釈は十人十色です。このピアノ×バレエ×日本舞踊『展覧会の絵』も、私たち独自の解釈。これはムソルグスキーからガルトマンへのレクイエムであり、どれほどの絶望や悲しみの底にあろうとも、希望の光は必ずあることを教えてくれる作品です。作曲家の温かくて優しくて強い思いはきっと、ご覧になった方の背中を押してくれると思います。ぜひ観にいらしてください。ハンカチのご用意もお忘れなく!

©Hajime Watanabe
公演情報
日本舞踊の可能性 vol.7
「鄙のまなざし〜一茶の四季〜」「展覧会の絵」
日時 |
2025年6月6日(金)19:00開演
※上演時間:約1時間30分(休憩を含む) |
会場 |
浅草公会堂
〒111-0032 東京都台東区浅草 1-38-6
※銀座線「浅草」駅下車1・3番出口徒歩5分
※都営浅草線「浅草」駅下車A4出口徒歩7分
※東武鉄道「浅草」駅下車北口徒歩5分
※つくばエクスプレス「浅草」駅下車A1出口徒歩3分
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上演作品 |
【第1部】『鄙のまなざし~一茶の四季~』
作詞・作曲・演出・振付:藤間蘭黄
編曲:清元栄吉
作調:梅屋巴
出演:藤間聖衣曄、藤間鶴熹、藤間蘭翔
ナビゲーター:桂吉坊
【第2部】『展覧会の絵』
作曲:モデスト・ムソルグスキー
脚本・演出・振付:藤間蘭黄
振付:山本隆之
出演:藤間蘭黄、 山本隆之( 新国立劇場バレエ団 オノラブルダンサー)
ピアノ演奏:木曽真奈美
ナビゲーター:桂吉坊
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問合せ |
株式会社 代地
TEL:03-5829-6130(10:00~17:00) |
詳細 |
「日本舞踊の可能性」公式WEBサイト |