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【フラメンコ界のニジンスキー】イスラエル・ガルバン来日公演スペシャルインタビュー“「春の祭典」を踊る時、私の身体は音楽そのものになる”

バレエチャンネル

「フラメンコ界のニジンスキー」ーー伝統やジャンルの枠を飛び越え、アートの最前線を拓く革命児、イスラエル・ガルバンが来日した。
このコロナ禍にあって、文字通り“奇跡の来日”。
2021年6月18日(金)より神奈川で、6月23日(水)より愛知で、日本公演が開幕する。

今回ガルバンが上演するのは『春の祭典』
1913年、バレエ・リュスのヴァーツラフ・ニジンスキーが、20世紀の最重要作品と言われるストラヴィンスキーの音楽に振付けた、あのあまりにも有名なバレエ作品だ。
これまでにはモーリス・ベジャールやピナ・バウシュ、マーサ・グラハムなど数多の巨匠たちが名版を生み出してきたが、ガルバンの『春の祭典』は、それらのどれとも似ていない。
ガルバン独自の、他とはまったく異なる発想で、この音楽の根源に迫る傑作を生み出している。

イスラエル・ガルバン『春の祭典』©︎Jean-Louis Duzert

また2021年6月28日(月)・29日(火)には、神奈川・横浜市役所アトリウムにて、ガルバンの代表作である『SOLO ソロ』公演も開催される。
日本では2016年にあいちトリエンナーレ(会場:愛知県芸術劇場 小ホール)で上演されたのみ。関東では今回が待望の初上演となる。

あいちトリエンナーレ2016パフォーミングアーツより イスラエル・ガルバン『SOLO』©︎Naoshi Hatori

その足で、全身で、舞踊の地平を切り拓き続けるイスラエル・ガルバン。
来日公演に向けて、作品のことや日本とのつながり、自身のダンスなどについて聞いたスペシャルインタビューをお届けする。

イスラエル・ガルバン  Israel Galván
ダンサー/振付家
スペイン・セビリア生まれ。複雑でスピーディなフットワーク、卓越したリズム感、フラメンコの新たな世界を切り拓く独創性で知られる。著名な舞踊家の両親よりフラメンコを学び、幼い頃より舞台に立つ。1994年マリオ・マヤ率いるアンダルーサ・ダンス・カンパニーに入団、「天才」「革命児」「アバンギャルド」等の賞賛を欲しいままにする。98年、自身のカンパニーを創設し、既成概念を覆す革新的な作品を次々発表。スペイン国内で多数受賞のほか、2012年ベッシー賞(NY)、16年第16回英国ナショナル・ダンス・アワードの特別賞受賞。パリ市立劇場アソシエイト・アーティスト。 近年では、『SOLO』『FLA.CO.MEN』をあいちトリエンナーレ2016で上演、18年には『黄金時代』でも来日し話題となった。

©︎Jean-Louis-Duzert

インタビュー:唐津絵理(愛知県芸術劇場エグゼクティブプロデューサー/Dance Base Yokohamaアーティスティックディレクター)
翻訳:岡田理絵
編集:阿部さや子(バレエチャンネル編集長)

ニジンスキーの動きに、フラメンコを感じる

まずは『春の祭典』を創作・上演するに至った経緯を教えてください。
きっかけはピアニスト/作曲家のシルヴィー・クルボアジェとの出会いです。シルヴィーとはテアトル・ヴィディ・ローザンヌ(Théâtre Vidy-Lausanne)のディレクターであるレネ・ゴンザレスを通じて知り合ったのですが、彼はシルヴィーのことを「まるで君の妹のような人だよ」と言って私に紹介しました。その後イネス・バカンとボボテと一緒に『La Curva』という作品を上演したのですが、サウンドチェックの時に私の踊りを見たシルヴィーがニジンスキーを思い起こしたそうで、私が踊るのを見ながら『春の祭典』を弾いたのです。それをきっかけに、ストラヴィンスキーの作品にアプローチすることになりました。
フラメンコは音楽も一体となった芸術であり、本来フラメンコで演奏されるもの以外の音楽で踊られるのは画期的なことだったと思います。イスラエルさんはフラメンコの音楽との違いをどのように感じ、それは最終的にどのように踊りに表出していますか?
私は両親がフラメンコダンサーで、自分自身も幼い頃から舞台に立ってきました。つまり私のルーツはフラメンコなので、フラメンコらしさを意識しなくても自然にそれが出てくるのですが、突き詰めるとすべてが芸術であり、すべてが音楽であると思っています。私は既にフラメンコそのものであり、ただその扉を開けるだけなのです。フラメンコは外界と接したり、違った音楽に触れたりすると、その姿かたちを変えます。でも、そのエッセンスが変わることはありません。フラメンコは化石のような存在ではなく、時代とともに常に変化する生き物のような存在なのです。

幼少期のガルバン

「春の祭典」はバレエ・リュスの公演のために、ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽です。ニジンスキーの初演以来、本当にたくさんの振付家がこの音楽に対峙して名作もたくさん生まれており、「振付家の試金石」とも言われる楽曲です。モーリス・ベジャール、ピナ・バウシュ、マーサ・グラハムといった振付家たちの手によるものをはじめ優に100を超える作品がありますが、その中でもイスラエルさんが観た、あるいは意識したバージョンはありますか?
非常にフラメンコらしさを感じるのは、ニジンスキーのムーヴメントです。なぜかというと、床を打ったり動きがリズミカルだからです。ニジンスキーは私のフラメンコの土台に影響を与えたと言ってもいいでしょう。闘牛士のフアン・ベルモンテは、闘牛の前にカトリック教の聖者の写真を拝む代わりに、ニジンスキーの写真を見ていたと言われています。私にとってのニジンスキーは、バレエダンサーではなく、バイラオール(フラメンコの踊り手)なのです。『春の祭典』は、私にとっては古典でもなくコンテンポラリーでもなく、フラメンコの本質が感じられる作品です。
「イスラエル・ガルバンはフラメンコ界のニジンスキー」と評されることがありますね。実際、あなたのフラメンコ界における孤独な闘いは、バレエに革命を起こしたニジンスキーと重なるところがあると思います。ドキュメンタリー映像「MOVE」の中でも、イスラエルさんがニジンスキー版の映像に合わせて楽譜を解釈している場面がありましたね。
まず、私にとっては「闘い」ではありませんでした。自分を好きなように表現できる自由があること、そしてそれを共有できることは、生存の証であり、ギフトでもありました。私がガルバン版『春の祭典』にもたらしているのは、フラメンコのリズムに対する高い技巧性だと思います。
また私はダンスとは別に、打楽器の譜面からもインスピレーションを得ています。オリジナルの楽譜を尊重しながら、同時に床の様々なレイヤーや響き、材質と身体を活用して、作品の打楽器奏者も務めています。できるだけオーケストラの打楽器のように聞こえるように努めていますが、いっぽうでは死のエネルギーに身を浸すような「春の祭典」の儀式の感情も同時に味わうようにしています。いわゆるシアター的ではない動きをすると、そこに血が通うのです。私はただ踊るだけ。演劇的な表現を強調するのではなく、音楽や動きそのものとなることで、私の身体が変化するのです。

©︎Jean PHILIPPE

これまで「春の祭典」に振付けてきたコレオグラファーたちの多くは、その音楽から自分なりの物語やテーマを立ち上げて作品を作ってきています。いっぽうイスラエルさんの『春の祭典』は、イスラエルさん自身がパーカッショニストとして音楽そのものになる、というところが非常に独特です。その上で、さらにこの作品において表現しようとしている物語やコンセプトといったものがあれば教えてください。
私の中で、この作品はニジンスキーの踊りから始まったものです。そして振付の中に既にサパテアード(スペイン、アンダルシア地方の踊り、およびその曲のこと。8分の6拍子で足拍子をとる)も存在していて、動きも新しく、ある意味でとてもフラメンコ的だと私の目には映っていました。
私の『春の祭典』について言えば、私自身はパーカッショニストのような存在として位置しています。そして楽曲そのものについては、初めの音から最後の音まで「人類の儀式」を象徴しているように私には感じられます。『春の祭典』においては身体の動きそのものが大切で、何か新しい演劇的な要素、あるいは芸術的な要素を加える必要はありません。この作品には、既にすべてがあります。音楽それ自体がこの作品の主人公とも言えましょう。人類には常に何かしらの儀式的な要素が必要です。私はそれを踊りで表現していきたいと思います。
『春の祭典』を踊る時、あなたは右足に赤いソックスを着けていますね。それはどのような意図なのでしょうか?
赤い靴下は、血の赤を象徴するものとして取り入れています。衣裳のアクセントにもなっています。とある民族の方たちが手首に赤い色のアクセサリーを着けるという風習を持っているのですが、それは魔女の儀式につながっているのかもしれません。私にとっては自分と他の世界をつなぐもの、自分の右足と魔法の世界をつなぐものと考えて、それを取り入れています。

©︎Jean-Louis Duzert

若き日本人ピアニストとの共演

今回はコロナ禍のために、イスラエルさんが共に創作をしてきた音楽家、シルヴィー・クルボアジェとコリー・スマイスの来日を残念ながら諦めざるを得ませんでした。
このパンデミックの時代に、ストラヴィンスキーの作品は、距離がありながらも物事を共有し、団結することを教えてくれます。ストラヴィンスキーの楽譜は、芸術が生きていることを教えてくれます。誰が演奏するか、誰が踊るかは問題ではなく、重要なのは「春の祭典」を伝え続けることです。いろいろな困難はあっても、音楽が残っているおかげで、ストラヴィンスキーは生き続けていると言えます。
いっぽうで新たな楽しみも生まれました。クルボアジェとスマイスに代わり演奏をすることになった、日本の若手ピアニストの二人(増田達斗、片山柊)とイスラエルさんが出会うことです。
楽譜があると言っても、人は機械ではないし、それぞれが生まれ育った土地の文化的背景というものもあります。例えば、日本のフラメンコ……私が生まれる前に、小島師匠(日本を代表するフラメンコダンサー小島章司はすでにセビリアのタブラオ(フラメンコ・バル)で踊っていました。今、日本と私を繋いでくれているのは、フラメンコの日本人ミュージシャンではなく、ストラヴィンスキーを演奏するピアニストです。フラメンコは、そういった見えない繋がりを可能にしてくれるのです。日本人はフラメンコがとても好きですが、私は舞踏家の大野一雄がとても好きです。ストラヴィンスキーはその中間に位置するものなのではないかと感じています。

©Jean-Louis Duzert

イスラエルさんがこの苦難の状況の中でこそ、日本の音楽家と取り組みたいと思っていることはありますか?
今回日本の音楽家と共演できるのは大変魅力的なことだと考えています。それによって現代の日本文化を取り入れることができるからです。また「春の祭典」という作品を通して、私たちは日本とスペインの間で音楽的な対話をすることになるでしょう。これはとても興味深いことです。
『春の祭典』以外に日本人ピアニストたちが演奏する曲についての率直な印象は?
素晴らしいチョイスだと思っています。「春の祭典」はリズムに溢れ、ある種の儀式のような雰囲気をもつ作品です。おびただしい数の音符で構成された楽曲であり、このような音楽のあとに置いてもなお魅力的な作品を選ぶというのは、大変難しいことです。ところが今回日本人のおふたりが演奏する楽曲は、いずれもこの「春の祭典」に対してエコーのように響くでしょう。『春の祭典』が石のようにソリッドな、確固とした存在であるのに対し、それらは水のような存在だと僕には感じられます。『春の祭典』を踊る時、私は「戦う」ということ、具体的には広場で闘牛を殺すことをイメージしています。その傷を癒すのが、水のような存在の日本の楽曲です。それは『春の祭典』のあとに訪れる癒しであり、『春の祭典』に対する回答とも言えるのではないでしょうか。

コロナ禍に実現した、奇跡の来日公演

コロナ禍の終息がまだまだ見通せない中、イスラエルが日本に来てくれることを心から嬉しく思っています。あなたは伝統的なフラメンコの公演では若い頃からダンサーとして来日しており、「日本は第2の故郷だと感じている」と以前お話ししてくれました。
私にとって日本はいつも特別な存在で、本当に長きにわたり通い続けている国です。日本は私の2つ目の“踊る場所”、2つ目の故郷、2つ目の故国。こう言いきれるほどの信頼関係を築くことのできた国です。今回日本に行くということは、私にとって新たなスタートであり、ギフトだと思っています。
近年では、『ソロ』『フラコメン』『黄金時代』『Israel&イスラエル』『ISRAEL GALVÁN + NIÑO DE ELCHE』と立て続けにたくさんの作品を上演しています。また日本の舞踏など、日本の文化などからの影響もたくさん受けてきたかと思います。日本と自分とのこれまでの繋がりや今回の来日公演について、コロナ禍のいま、あらためてどのように感じていますか。
私にとって日本の最初の師匠(マエストロ)は「マジンガーZ」です。その動きや、エピソードごとに変わる敵のロボットを研究していました。マジンガーZの拳を突き出した姿勢から、ファルーコ(1997年に亡くなったセビリア出身の有名なフラメンコの踊り手)を思い出しました。その後、実際に日本を訪れた時の最初の思い出は、マクドナルドで初めて食べたビッグマックと、マリオブラザーズのビデオゲームです。
そして時が経つにつれ、フラメンコと日本との間に文化的なつながりが深まっていきました。例えばスポーツ観戦をしていても、私は日本にいつも勝って欲しいと思っています。もっとも、スペインに次いで2番目に、という意味ですが。フラメンコ・アーティストである私たちは日本が恋しくて、年に一度は日本へ行きたいと思っています。私にとって、相撲、舞踏などの文化や伝統がある日本は、ヘレスやマドリッドと同じようにフラメンコの聖地なのです。

無事、日本に入国。隔離期間も終え、リハーサルの合間にリラックスした表情のイスラエル・ガルバン ©︎Dance Base Yokohama

神奈川で上演される『ソロ』は今回が日本での2回目の公演になります。私が2011年に初めてシンガポールのエスプラネードで拝見して、感銘を受けた作品です。その後、2016年にあいちトリエンナーレで上演し、今回は初めての関東圏での公演ですが、劇場公演ではありません。『ソロ』は美術館など場所に応じて姿を変えて上演され得る作品だと考えていますが、イスラエルさん自身にとってはどのような作品だと言えますか?
『ソロ』は偶然に生まれた作品です。その端緒となった『赤い靴』という作品で、私は1分間静寂の中でただじっと立っているという経験をしたのですが、その時に自分の内なるリズムに気づき、自分のリズムを踊ることが少しずつ心地よくなっていきました。私はダンサーとパーカッショニストという二面性を持っていますが、一人で踊っていると私の精神は解放され、内側からリズム、佇まい動きが自然と湧き出てきて、自分だけの“楽譜”を自由に作ることができるのです。
最後に、イスラエルさんにとってフラメンコとは何でしょうか?
私にとってフラメンコは、フランケンシュタインのようなものです。ツギハギで構成され、何も拒否せず、すべてを受け入れる。そして電気を通すことで生命を得る、つまりアーティストが新たな息吹を与えることで、命が吹き込まれるのです。歴史上、フラメンコに革命を起こしたアーティストは必ず批判されてきました。しかしフラメンコには、伝統の枠だけにとどまらないアクションが必要です。フラメンコとは、あらゆる芸術を糧にして生き続けるウイルスなのです。

©Nicolas Serve

【News 1|特別企画インスタライブ開催!】

①いまさら聞けないイスラエル・ガルバンのあれこれ
2020年6月6日(日)20時~
唐津絵理×東海千尋

②ダンサーから見るイスラエルの魅力
6月8日(火)20時~
小㞍健太×東海千尋

★両回ともDance Base Yokohama(DaBY)のインスタグラムで行われます

【News 2|ガルバン来日特別ワークショップ開催!】

★詳細は下記をご覧ください
https://dancebase.yokohama/info/4528
※申込多数が予想されるため、抽選制となります
※申し込みリンクは後日DaBYウェブサイト等にて発表予定

◎開催日程
6月26日(土)
13:30〜15:00 フラメンコ経験者ためのコンテンポラリーダンスクラス
16:30〜18:00 フラメンコ経験者のためのフラメンコ上級クラス
6月27日(日)
13:30〜15:00 ダンス未経験者・初心者のためのフラメンコ基礎クラス
※ワークショップはスペイン語で実施。日本語の通訳あり
◎会場 Dance Base Yokohama
KITANAKA BRICK&WHITE BRICK North 3階
神奈川県横浜市中区北仲通5-57-2 みなとみらい線 馬車道駅 出口2a「横浜北仲ノット」直結<

公演情報

『春の祭典』

【神奈川公演】
◎開催日程
2021年
6月18日(金)18:30開演
6月19日(土)14:00開演
6月20日(日)14:00開演
上演時間:約70分/途中休憩なし
◎会場 KAAT神奈川芸術劇場
◎主催・お問合せ Dance Base Yokohama

【愛知公演】
◎開催日程

2021年
6月23日(水)18:30開演
6月24日(木)14:00開演
上演時間:約70分/途中休憩なし
◎会場 愛知県芸術劇場 コンサートホール
◎主催・お問合せ 愛知県芸術劇場

『SOLO ソロ』

◎開催日程
2021年
6月28日(月) 18:30開演
6月29日 (火)18:30開演
※上演時間:約45分/途中休憩なし
◎会場 横浜市役所1Fアトリウム神奈川県横浜市中区本町6-50-10)
◎申込 DaBY Peatix
◎主催・お問合せ Dance Base Yokohama

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