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【第13回】英国バレエ通信〜英国ロイヤル・バレエ ウェイン・マクレガー振付「Morgen」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

英国ロイヤル・バレエ ウェイン・マクレガー振付「Morgen」

2020年6月13日、英国ロイヤル・オペラハウス(ROH)でのロックダウン開始後初のパフォーマンスとなる「Live from Covent Garden」のライブストリーミング配信(※1)を視聴した。ロイヤル・オペラの音楽監督アントニオ・パッパーノ指揮による、音楽とダンスのミックスプログラムだ。ソーシャル・ディスタンシングに配慮すれば、どうしてもバレエの比重が少なくなってしまうのは仕方がないことだろう。それでも、ウェイン・マクレガー振付の新作パ・ド・ドゥの世界初演と聞けば、見逃すわけにはいかない。

ロイヤル・バレエの常任振付家であるマクレガーといえば、今年は5月に全幕バレエの新作『ザ・ダンテ・プロジェクト』の初演が予定されており、バレエ団の今シーズンのハイライトとなる予定だった。それがロックダウンが始まって上演延期となり、代わりにこの無観客コンサートのための小作品の振付を依頼されたのだった。

パフォーマンス前のマクレガーのインタビューによれば、創作現場では身体接触に関する厳格なガイドラインに則り、ダンサーから一定の距離を保ちつつリハーサルを進めたとのこと。従来ダンサーの身体にダイレクトに絡んで作品を振り付けてきたマクレガーにとっては、かなり不自然な方法だったようだ。

デュエットを踊ったのは、ハリウッド映画主演を経て今や英国を代表するダンサーとなったプリンシパルのフランチェスカ・ヘイワードと、昨シーズンにイングリッシュ・ナショナル・バレエから移籍したファースト・ソリストのセザール・コラレスのふたり。私生活でもパートナー同士であるからこそ、お互いから2メートル離れる必要のない、親密なパ・ド・ドゥが可能になった。

Francesca Hayward and Cesar Corrales in Morgen ©︎Lara Cappelli by courtesy of ROH

新作は、リヒャルト・シュトラウスが1894年に新婚の妻に贈ったといわれるロマンティックな歌曲「Morgen!」(「明日!」)に振付けられた、約4分間の短い作品。冒頭、鮮やかな茜色の衣裳に身を包んだフランチェスカ・ヘイワードがひとり佇み、ジョン・ヘンリー・マッケイによる歌詞を朗読した。

そして明日の朝、太陽が再び輝くだろう。
私の歩む道の途中で、太陽が幸福な私たちふたりを再び結びつけるだろう。
太陽の息づく大地の中で。

青い波が打ち寄せる広い浜辺に向かって、
私たちは静かに、ゆっくりと降りていくだろう。
黙ったまま、私たちはお互いの瞳を見つめあい、
言葉もなく、幸福な静寂が私たちの上に降り注ぐだろう。

ヘイワードが言葉の余韻に浸るようにしてゆっくりと目を閉じると、 ROHオーケストラのコンサートマスター、ヴァスコ・ヴァッシレフによる繊細なヴァイオリンの旋律が響きだす。

ロックダウン開始から3ヵ月が経ったロンドンでは、6月1日から徐々に外出禁止措置が緩和されはじめ、ようやく屋外で家族や友人に会えるようになった(※2)。ただし、市民から不満の声も上がっている複雑な緩和条件と、他の欧州諸国に比べて依然感染者数・死亡者数ともに多い英国国内の状況を合わせて考えると、引き続き油断できない状況にあることは変わらない。今回のように劇場再開に向けてようやく動きが出てきたことは喜ばしいことだけれども、ダンサーたちを含めて、職場や学校に以前のような形で戻れている人はまだまだ少ないのが現状だ。会いたい人に会いたい時に会えて、行きたい場所に行きたい時に行けて、大切な人と浜辺で静けさを分かち合ったり、舞台上の世界に陶酔したりすることは、望めばいつでも手に届くはずの日常的な光景だと思っていた。それが一瞬でかなわなくなってしまう世界を知った後では、希望に満ちたマッケイの詩とヴァイオリンの甘美な音色が、取り戻せない過去の世界への憧憬を募らせるように、より切なく胸に響いてくる。

静止したままのヘイワードのもとに、野生の豹のように身体をしならせながら登場したコラレスが、ゆっくりと、迷いなく、近づいていく。そして、伏し目がちだったふたりの目が合った瞬間に、ソプラノのルイーズ・オルダーの歌が始まる。ニジンスキー振付『牧神の午後』の牧神とニンフの出会いを彷彿とさせる、お互いの存在を瞳の中にとらえた崇高な瞬間だ。

ヘイワードとコラレスは、時折しか視線を合わせない。どこか遠くを見つめるヘイワードが、本能にのみ従っているかのような動物的な動きを見せるコラレスの熱を、肌を、その存在そのものを確かめるようにして、手を伸ばし、絡みついて、ふたつの異質な存在が融解していく。ふたりの距離が近づいていくのを象徴するような『ロミオとジュリエット』を彷彿とさせるリフトもあり、最後にようやく、ふたりはお互いを見つめあって抱擁しひとつになる。相手の目の前に立ち、その瞳の中に自分が映っていることの幸せをかみしめるようにして。今となっては貴重になってしまったそんな一瞬には、言葉はむしろ邪魔なものとなってしまうのだ。

Francesca Hayward and Cesar Corrales in Morgen ©︎Lara Cappelli by courtesy of ROH

振付としては、これまでのマクレガー作品と比べると、エッジィさには欠けていたかもしれない。ただ、この3ヵ月間ひたすら自宅に引きこもっていた私自身を含めて、このひたひたと波のように押し寄せてくるような幸福感を必要としていた人は少なくなかったはずだ。世界がさまざまな形で分断されている今、たくさんの人々が、舞台をはじめとする〈形ある〉つながりを感じられる場所に戻る日のために、ひたむきに前向きな精神を保つ努力を重ねている。『Morgen』は、そんな人々の心に希望の光を灯してくれるような作品だった。

ちなみに、昨年鑑賞した公演の中で最も忘れがたい舞台のひとつが、ヘイワードとコラレスが初共演した『ロミオとジュリエット』だった。舞台の上で一瞬一瞬命を燃やして生きるふたりの情熱にただただ圧倒され、そんな熱演を目にした観客たちの興奮も凄まじいものがあったのを覚えている。あれから1年後に、奇しくも同じふたりによる親密なパ・ド・ドゥが2256席のがらんとした客席を前に踊られているのを見て、たった1年でどれだけ世界が変わってしまったかを改めて実感した。

パフォーマンスが終わると、そんな人ひとりいない客席を背景に、アーティストとスタッフがひざまずいてBlack Lives Matter運動をサポートする意志を表明した。何の事前説明もなかったが、伝統を象徴するオペラハウスで、アフリカにルーツを持つヘイワードを含めたアーティストたちがひざまずく図そのものが、言葉のいらない力強いパフォーマンスとなっていた。

(※1)オペラはライブ中継されたが、バレエは事前収録された。

(※2)イングランドでは6月1日より外出禁止措置が緩和され、屋外で最大6人までなら集まれるようになった。

【追記】

6月23日、ボリス・ジョンソン首相の声明において、7月4日以降イングランドがロックダウン緩和の第3段階に移行することが発表された。これにより、7月4日から屋内でも2つの異なる世帯同士が集まることが許可され、同時に、ロックダウンで特に大きな打撃を受けた飲食店、宿泊施設などのサービス業や、美術館、映画館などの観光・娯楽施設も営業再開が認められる。ソーシャル・ディスタンシング対策に関しても、2メートル規制が条件付きで「1メートル+」に縮小されるとのことだ。

この新ルールによって、7月4日より劇場も「開館」することは許可される。ただし、ライブパフォーマンスはまだ行うことができない。

同6月23日、ロイヤル・アルバート・ホールのチーフ・エグゼクティブ、クレイグ・ハサールは、ソーシャル・ディスタンシングの規制が1メートルに縮小されても、劇場をフルキャパシティで埋めることができなければ、ほとんどの劇場は経済的に維持していくことが難しく、「営業再開は現実的でないだろう」と発言。またハサールは、クリエイティブ業界をこの危機から救うには、「数ヶ月以内ではなく数週間以内に」政府による経済支援が必要だと警告した。

ロイヤル・オペラハウスについては、チーフ・エグゼクティブのアレックス・ベアードによる発言によると、英国政府の雇用維持制度やアーツ・カウンシルの緊急助成金の対象となるロイヤル・オペラハウスでさえも経済的な打撃はかなり深刻で、「現在の資金のままではこの秋以降の存続は難しいものになる」とのこと。「さらなる政府からの援助がなければ、劇場は閉鎖され、芸術は縮小し、アーティストたちは歴史の中に消えてしまうことになるでしょう」。

ロイヤル・オペラハウスへの寄付はこちらから:https://www.roh.org.uk/donate-now

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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