
パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。
「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」
そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。
- 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
- 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
- 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…
……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!
イラスト:丸山裕子
🇫🇷
花粉の猛攻撃もそろそろ終わりを迎え、桜の花があちこちで見られる季節になりました。新しい年度を迎え、気温も暖かくなってくると、「バレエを始めてみようかな……」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか(ということにしていただければ)。
しかし、いざレッスンに行ってみると、「ドゥスュdessus」と「ドゥスdessous」が聞き取れず脚は絡まり、「じゅって」と言われて「十手」を連想、はたまた「ルティレ」と「パッセ」は何が違うのかと頭の中には「?」マーク連打……。初心者には摩訶不思議なカタカナの羅列に思えるバレエの用語には、基本的にフランス語が用いられており、それはパリ・オペラ座バレエの歴史とも深く関わっています。が、日本の場合、さまざまなメソッドの混在や、日本独自の省略呼びの影響などもあり、用語の使用に関して混乱が見られることも。
では、フランスのバレエの長い歴史の中で、バレエ用語はどのように培われてきたのでしょうか? 今回は元パリ・オペラ座バレエ エトワールで、現在はバレエ教師・振付家として活躍中のジャン=ギヨーム・バール先生に、バレエ用語について、そしてフランスのバレエ・スタイルについて、お話を伺いました。

ジャン=ギヨーム・バール Jean-Guillaume Bart(バレエ教師/振付家)
1983年にパリ・オペラ座バレエ学校に入学し、1988年、16歳でパリ・オペラ座バレエに入団する。2000年、ヌレエフ版『眠れる森の美女』デジレ王子にてエトワールに任命され、数々の作品で主演を務める。2008年に現役を引退してからは、バレエ教師・振付家として後進の指導およびレパートリーの継承に携わっている ©︎Sébastien Tavares Gomes

- バール先生、よろしくお願いいたします!

- こんにちは! なんでも聞いてくださいね。
用語の歴史に隠されたダイナミクス 「デガジェ」と「バットマン」

- 17世紀後半から19世紀にかけてのフランスでバレエが発展したことから、バレエ用語はその大半がフランス語です。一方、日本では「バットマン」と「デガジェ」の混乱など、用語の使い方が明確でないケースがある、という話を聞きました。

- まず、用語は時代とともに発展していくということを念頭におきましょう。その上で、言葉の歴史を見ていくと興味深いです。「デガジェ」の使用例は古く、1623年に出版されたフランソワ・ド・ロズ著の理論書『舞踏礼賛Apologie de La Danse』にも、「脚をそっと離す dégager doucement」という動作の描写として登場しています。そこでは、「後ろにある右脚を少し曲げながらそっと離す」や、「左足を後ろからそっと離し、横へ半分滑らせる」というように、脚を優しく解放する(引き離す)動作の指示として使われていました。
19世紀のカルロ・ブラジスの理論書では、「デガジュマンdégagement」という名詞系が登場します。ブラジスは「小さなバットマンを行う際は、空中に脚を上げるのではなく、デガジュマンを小さくし、つま先が地面から離れないようにしなければならない」と述べているので、この場合の「デガジュマン」は、脚をスライドさせる幅や過程を示す言葉として用いられていることがわかります。

- なるほど。やはり動詞の「デガジェdégager(解放する・引き出す)」に由来する動きのありかたが意識されているんですね。

- そうですね。デガジェは元々は特定のパの名称ではなく、動作そのものを説明する言葉として用いられていました。その点はバットマンやバットマン・タンデュの場合も同様です。ブラジスの本でも「バットマン・タンデュ」という表現がすでに使われていて、「アントルシャなどと同様に、股関節だけが作用するステップである」と説明されていますね。
興味深いのは、1864年に出版されたギュスターヴ・デラ著の『サロンのダンスのメソッドMéthode de danse de salon』における記述です。この本では、バットマン・タンデュについて少し説明が書かれていて、このパが2つの動作に分かれるとされています。つまり、①脚を離す、②脚を戻す、の2つです。ここで、「脚を離す(デガジェ・ル・ピエ)Dégager le pied」のは「デガジェ」なんですね。
1999年出版のフィリップ・ル・モアル監修の『ダンス事典Dictionnaire de la danse』で、彼は「自由な脚を素早く投げるバットマンとは異なり、デガジェはよりゆっくり行う」と述べています。これらをまとめると、私の印象では、「デガジュマンdégagement」(離す)と 「バットマンbattement」(打つ)は、古い文献ではよく使われる用語ですが、19世紀以降に 「バットマン・タンデュbattement tendu」(伸ばしながら打つ)などの表現が固定化され始めたようです。そして20世紀にはパの名称としての「デガジェdégagé」が定着したようです。

- 脚の動きの面では、デガジェとバットマン・タンデュとの間に差異はありません。フランス派では「デガジェ」と呼ぶパが、ロシア派では「バットマン・タンデュ」、アメリカでは「タンデュ」と呼ばれています。オペラ座バレエ学校の名教師、ジルベール・マイエールは「バットマン・タンデュ・デガジェ」とも言っていました。私の場合、動きのアクセントが外側(開く方向)にある場合に「デガジェ」、アクセントが内側へ閉じる方にある場合に「バットマン・タンデュ」という用語を使っています。

- 現在でも、メソッドによっての名称の違いがあるのですね! 日本での用語の混乱はそうした文脈の上にあるのかもしれません。そのことに自覚的でないといけないですね。

- 私のインスタグラムのアカウントで、このパについて解説しているので、ぜひそれも参考にしてみてください。

言葉のように踊る。句読点とイントネーションとしてのパ

- パにおける脚の動きの速度や動きの性質、アクセントが、動作の違いのキーポイントになりそうです。この、パごとの動きの特徴を踊り手がいかに捉えて再現するか、というのは、踊りそのもののニュアンスにも関わってきますよね。

- パごとの速度の違いや緩急を使って、重要なパを際立たせるために繋ぎのパを速くする、といったことは、とても大切です。これらが音楽や歌のようなフレーズ感を生み出し、踊りに文章のような意味が吹き込まれます。例えば、トンべ、パ・ド・ブーレ、グリッサード、アッサンブレといった個々のステップは連続していくけれど、それを単に正しくこなすだけでなく、フレーズ感があることが重要です。演劇のセリフや詩の朗読と同じで、ただ個々の単語を発音しているだけでは、イントネーションや区切りのダイナミクスがありません。パの性質を踊り分けることで、踊りに起伏や立体感が生まれていきます。

- それらは今日のフランス派のバレエにおいても重視されていますか?

- 個人的な見解ですが、近年のダンサーは個々のパをきちんとこなす能力は高いと思います。一方で、かつてのフランスの指導者たちが強く求めていた動きへのアタックや、エポールマンや細かなニュアンスへの意識については、失われつつあると言わざるを得ません。19世紀末以降、フランス派のバレエには、カルロッタ・ザンベリからクリスティアンヌ・ヴォサール、エリザベット・プラテル、そしてアニエス・ルテステュへと受け継がれてきた師弟の系譜がありました。ダンスの世界もグローバル化が進んでいますが、フランス派の伝統がこの先も続くかどうかは、考えなければいけないことです。

- 確かに、オペラ座バレエもますます多様な背景や経歴を持つダンサーから構成されるようになっている昨今、「伝統的なフランス派」を維持し伝承するには、意識的にならないといけないですよね。グローバルの中のローカルを維持する、というのも大切なことだと思います。その他に先生が気になることはありますか?

- そうですね、コンクールなどを見ていると、ジュニア世代のダンサーたちがヴァリエーションを踊る際に、役柄についてもっと意識する必要があるのではと思います。全幕の物語を知り、その中でその登場人物がどのような役割を持つのか、どういうキャラクターなのか。オーロラ姫をスワニルダのように踊るわけにはいかないですよね。

- 姫と村人では脚の上げ方も異なりますものね……。

- 音楽についても同じです。名作バレエの音楽を、ヴァリエーション以外の部分もきちんと聞き、理解を深めることが大事です。私はレッスンでバレエの音楽を使ったクイズをすることがあるのですが、古典大作の作品でも、自分が踊るヴァリエーションの曲以外の音楽を知らないダンサーはいるので。そして学ぶことに熱意を持つこと。音楽に合わせて平坦にパをこなすのではなく、音楽に耳を傾け、その本質を表現することが重要なのです。
【NEWS】永井玉藻さんの新著が好評発売中!
「バレエ伴奏者の歴史〜19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々」

バレエにおいて、ダンスと音楽という別々の芸術形態をつなぐために極めて重要な役割を果たしている存在、それがバレエ伴奏者。その職業が成立しはじめた19世紀パリ・オペラ座のバレエ伴奏者たちの活動や役割を明らかにしながら、華やかな舞台の“影の立役者”の歴史をたどります。
●永井玉藻 著
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