ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスターダンサーとして世界中の舞台で活躍。
現在はBBL時代の同僚であった奥様のクリスティーヌ・ブランさんと一緒に、
フランスの街でバレエ教室を営んでいる小林十市さん。
バレエを教わりに通ってくる子どもたちや大人たちと日々接しながら感じること。
舞台上での人生と少し距離をおいたいま、その目に映るバレエとダンスの世界のこと。
そしていまも色褪せることのない、モーリス・ベジャールとの思い出とその作品のこと−−。
南仏オランジュの街から、十市さんご本人が言葉と写真で綴るエッセイを月1回お届けします。
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本当に時間はあっという間に過ぎていきますね。フランスでは年明けから18時以降の外出禁止が続いています。前に書いたかもしれませんが、フランスは9月に新学期が始まり、その後約1ヵ月半ごとに2週間のヴァカンスが入ります。10月後半からの「秋休み」、12月後半からの「クリスマスヴァカンス」、現在2月の「冬休み」、そして4月半ばあたりからの「春休み」とこんな感じで続きます。春休みと冬休みに関しては、フランス全土をゾーンA・B・Cと3つの区域に分け、ゾーンごとに休みを1週間ずつずらして重ならないようになっています。なので今の時期すでに最初のゾーンは休みに入っているわけです。(僕がいるヴォクリューズ県はゾーンBで、休みに入る順は毎年変わります)
18時以降外出禁止になってから、水曜と土曜以外はオンラインレッスンで稽古を続けていて、一応各グループとも週に1回はスタジオで稽古できるように時間割を作り対応しています。なので水曜と土曜はスタジオで結構長い時間レッスンを見て動くことになるので時間的にみると大変なのですが、実際にはそこまでの疲労感はなく、逆に1日1回のオンラインレッスンのほうが体への疲れをとても感じるのです。それはきっとレッスンが夕方18時以降からなので、それまで1日をどう過ごしているかにもよるのですが、家のこととか雑用を片付けて大概疲れ切っています(笑)。それなので毎回かなり気合を入れて取り組む感じです。日本にいた時は鍼治療とか定期的に行っていたから身体への疲れを溜めずに済んでいましたが、ここだとそうも行かないわけです(保険が効かなくて高いから)。まあそうですね、最近だと3ヵ月に1度くらいの割合で近所の中国鍼の治療院へ行ったりしています。
さて、そうなんです、ヴァカンス中のレッスンをどうするのか? なのですが、フランスはとりあえず国内の移動制限はないのでヴァカンスでどこか遊びに行く家庭もあると思うのです。ですが、18時以降の外出禁止とレストランも営業していないので、僕が思うにみんな結局はどこにも行かず地元で待機しているのではないか? と。なのでヴァカンス中もレッスンを続行し、なおかつ水曜・土曜以外の曜日に18時前にスタジオへ来てレッスンができないか!? と、すべての生徒さんたちの家庭に聞いてみようと思っているところです。本当にできるかどうかはわかりませんが、一応スタジオの発表会は2021年6月5日となっているので、そこへ向けて作品の稽古をしなければならず、現状のようにスタジオでの稽古が週1回だけでは追いつかないので大変です。
そういえばローザンヌ国際バレエコンクールをやっていましたね! 今年は異例のビデオ審査&ネットライブ中継ということで、僕もちょっと覗いたんですけどね、しっかりオーガナイズされていましたね。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、現在ローザンヌ国際バレエコンクールの芸術監督は、元ベジャール・バレエのキャサリン・ブラッドニーさんで、もちろん彼女とは一緒に踊ったこともあります。ボーリュ劇場がバレエ団の建物のすぐ横なので、ツアーがなければ劇場にコンクールの様子を見に行ったりもしていたんです、現役当時。
「リア王」より。奥(写真右)がキャサリン・ブラッドニーで、中央がオリヴィエ・シャニュ。いちばん手前に写っているのが僕です
1999年の12月はパリのシャトレ座で1ヵ月間ベジャール版『くるみ割り人形』の公演がありました(もちろんベジャール・バレエなのでベジャール版なのですが、『くるみ割り人形』って聞くとクラシック・バレエを思い浮かべる方が多いと思われ……)。全22公演とかだったかな? 最終日は12月31日で、終演後はそのままシャトレ座で2000年への年越しパーティーがあったりしました。なので、その年の年末年始は帰国せずパリからローザンヌへ戻ったわけですが、同じ頃イギリスでは長年続いていたロイヤル・オペラハウスの内装工事が終了し、リニューアル・オープンということで、複数のプログラムが用意された柿落とし公演が行われていました。その中で「A Celebration of International Choreography」という名のガラ公演が期間を開けて数回あったのですが、これはロイヤル・バレエのソリストとプリンシパル、そして少数のゲストだけが出演するプログラムで、世界の振付家の作品を上演するというものでした。その中で本当ならばシルヴィ・ギエムさんがベジャールさんの作品を踊る予定だったらしいのですが変更になり、代わりにベジャール・バレエにいたオクタヴィオ・スタンリーというダンサーが彼に振付けられた『牧神の午後』を踊ることになったのです。
彼が何回踊ったのか? 知らないんですけど、あと2公演を残したところで足首を捻挫しまして、ベジャールさんから「十市が代わりに踊ってきてくれ」と。それを言われたのがいつでどのタイミングだったか忘れましたが、代わりに行って何を踊るのか? ベジャールさんはこう提案してきました。「『M』の金閣寺のソロと、『ザ・カブキ』の由良之助のソロをくっつけて、ひとつのソロにしよう!」。そして手渡されたのが『ザ・カブキ』初演のビデオカセットテープ!!「とりあえずビデオを見て覚えて」と……。知らない作品だったし、由良之助役のエリック・ヴアンの踊りがかなりクセが強く、何のパなのか分からない箇所があり(笑)。またビデオをそのまま見るかたちだと振付を左右逆にしながら踊らなくてはいけないので、しまいにはテレビ画面を鏡に向けて、それを鏡越しに見ながら覚えるっていうことまでして、なが~い由良之助のソロを覚えたわけです。
そしてロンドンへ行く前に一度だけベジャールさんが稽古を見てくれることになり、まず『ザ・カブキ』のソロから、次に『M』のソロだったかな? 逆かな? とにかく『ザ・カブキ』に関しては初演から14年くらい経っているのでベジャールさんも細かいとこまで覚えていなかったと思うんです。けれど「何か違う」っていうのはすぐ分かり、あーしろこーしろと指示があったのは覚えています。そして「じゃあ『M』のソロから始めて、刀のシーンが終わったら下手のほうに歩いて行きなさい、そこで黒子に……」と言われたところで、僕は「黒子!?! 誰がやるの?」って思ったんですけど、そこでは何も言わず(笑)。黒子が刀を奪い、両者見合いながら下がる、十市は舞台中央へ、それから『ザ・カブキ』のソロに入ろう、と。
ロンドンに向かう前、ベジャール・バレエのスタジオでの稽古風景
そんな演出をつけてくれて、稽古後に「向こうにも日本人ダンサーはいるだろう? 黒子の役を頼んでやってもらいなさい」と。しかし、そんなことをまさか「熊川哲也氏」にお願いできるわけがない(笑)。しかも彼は当時ロイヤル・バレエを退団したばかりの頃? そんななか、当時ロイヤルに在団していたのが、佐々木陽平くんと、蔵健太くんの2人でした。そして結果、蔵健太くんが黒子を引き受けてくれました!(拍手)
本番3日前、いや2日前に着いたんだったかなあ? オペラハウスの中はまだ廊下とか工事中!? って感じで散らかっていました。ソリストとプリンシパルだけですから、レッスンもすごいわけです。廊下に面した、細長い窓があるスタジオでレッスンを受けさせてもらいました(思い返すとそんなイメージです)。そこでSAB(スクール・オブ・アメリカン・バレエ)の同級生のイーサン・スティーフェルに会ったんです! 彼に会うのは卒業以来約10年ぶりでした。イーサンはスーザン・ジャフィーとトワイラ・サープの作品を踊るために来ていました。こういう時に話ができる人がいると非常に助かります。しかも楽屋が一緒だったので心強かったです。
イーサンは映画「センターステージ」を撮り終えた頃で、自信に満ちあふれていました。
僕はというと、レッスン中にカルロス・アコスタとかいて超ビビっていました(笑)。
レッスン中はいろんな人々が廊下に集まってきて、スタジオ内を覗いていました。その中にモニカ・メイソンさんがいて、僕のほうを指さして誰かと話していました。5番を意識したり、ふだんの何倍も気を遣うレッスンでしたね(汗)。
だってホームのベジャール・バレエではテクニックあるほうって見られていても、ロイヤルだととても下手っぽくなっちゃうんだもん……と思いつつも、やることはやらねばならないわけです。「モーリス・ベジャール」という看板を背負っている身でしたからね(おっす!)。
リハーサルに割り当てられたスタジオは天窓がある大きなスタジオでした(思い返すとそんなイメージです)。食堂が同じ階にあったかな? そこで1人で練習し、スタッフさんに音出しのきっかけや蔵健太くんに黒子の説明もしたのでした。
迎えた本番、緊張しましたよー(笑)。何がいちばん緊張したかっていうと、そのプログラムに出ているダンサーたちが袖にきて見ているんですよ! イーサンも! あとでイーサンに聞いたところ、どうもオクタヴィオのソロが微妙だったようで、代わりに誰が来て何を踊るのか? っていうことでちょっとみなさん興味があったみたいなんです。
それにしてもRADをやってきた少年が大人になり、夢の英国ロイヤル・オペラハウスで踊ることになるとは……それでもそんなことを思う余裕なぞこれっぽっちもないわけです(笑)。必死、ひたすら必死……。
後日、舞台評を見たんですけど、振付に関してはよく書かれていなくて、ただ「ジュウイチ・コバヤシはマグニフィセント・ムーバー(magnificent mover:素晴らしく動く人)だ!」って。ムーバー? って思ったんです。ダンサーじゃないんだ、って(汗)。
そんなことがあった後にローザンヌへ戻ると、第28回ローザンヌ国際バレエコンクールが開催されている訳です!
その年の審査員に先輩の堀内元さんがいらして、元さんにお会いするのもSAB卒業以来でした。また、イーサン・スティーフェルがなんとその年の決選終了後のガラで踊ることになっていて、彼とも再びローザンヌで会うことができました。そしてその時は全然気が付きませんでしたが、清水健太くん、加治屋百合子さん、木田真理子さん、大貫真幹くんとか出ていた回だったんですね。山本康介くんも出場していましたが、決選には進出しなかったそうです。
康介くんに関しては、このあいだ本人から聞いた話によると、なんとその時僕らはボーリュ劇場で会っていて、会話もしていたそうなんです。いやあ、まったく覚えていないのですが、僕は「自分も準決選までだったけど、大丈夫だよ」と言って康介くんを励ましたらしいです。励ましになったのかは分からないけど……。ちなみに山本康介くんは、本当は上手過ぎて決選まで進めなかったのです。これはすごく良い話なので、僕がここで書くよりも、いつか彼が世の中に公表すると良いのに!! と思っています。このローザンヌ賞から彼がバーミンガム・ロイヤル・バレエに就職するまでの話は、一冊の本にできるくらいです!
さて、その2000年は、英国ロイヤル・オペラハウスで踊ったところからの素晴らしい年明けだ! と思っていたし、世界バレエフェスティバルに出ることも決まっていたし、良い年になるな……と思っていたら、ヴェルサイユの劇場で右足小指骨折したんですよね。人生わからないわ~本当に。
いま思い出したのですが、その時ロンドンで踊ったソロの名前は『M』でした。
ロイヤル・オペラハウスのガラで、オクタヴィオに代わって踊った際に急遽刷られたプログラム
ロンドンへ行く前の稽古を断片的に撮ったビデオがあるのですが、それを東京バレエ団で由良之助役を踊っていた高岸直樹さんに見せたところ、まったく別物だと言ってました。まあ結局はベジャールさんが振付けて僕用に演出したベジャール作品なのです。
東京バレエ団が去年上演した『M』で令和2年度の文化庁芸術祭賞舞踊部門の優秀賞を受賞した記念に、このソロを復活させたらどうだろう? って何となく思いました。日本のファンのみなさんなら『ザ・カブキ』と『M』の両方を知っているわけだから、それをベジャールさんがどうミックスしたのか? ご覧になりたくないですか? 衣裳は「シ=死」と同じでした。池本祥真くんに踊ってもらえたら嬉しいなあ。
もしかしたらそんな日が来るかもです(わからないけれど)。
ということでいろいろ経ていまがある自分ですが、最近読んだ山本周五郎さんの本からこの言葉を引用させていただきます。
「刀法には免許ということがある、学問にも卒業というものがある、しかし武士の道には免許も卒業もない、御奉公はじめはあるが終わりはないのだ。日々時々、身命を捧げて生きるということは、しかし口で云うほど容易な事ではない、容易ならぬことを終生揺るぎなく持続する根本はなにか、それは生き方だ、その日その日、時々刻々の生き方にある。垢の付かぬ着物が大事ではない、炭のつぎ方が大事ではない、拭き掃除も、所属品の整理も、その一つ一つは決して大事ではない、けれどもそれらを総合したところにその人間の「生き方」が顕れるのだ、とるに足らぬとみえる日常瑣末なことが、実はもっとも大切なのだ」
今月もお読みいただきありがとうございます。
2021年2月15日 小林十市
★次回更新は2021年3月15日(月)の予定です