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小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」【第17回】謹賀新年!“勝手にQ&A”やります。

小林 十市

ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスターダンサーとして世界中の舞台で活躍。
現在はBBL時代の同僚であった奥様のクリスティーヌ・ブランさんと一緒に、
フランスの街でバレエ教室を営んでいる小林十市さん。

バレエを教わりに通ってくる子どもたちや大人たちと日々接しながら感じること。
舞台上での人生と少し距離をおいたいま、その目に映るバレエとダンスの世界のこと。
そしていまも色褪せることのない、モーリス・ベジャールとの思い出とその作品のこと−−。

南仏オランジュの街から、十市さんご本人が言葉と写真で綴るエッセイを月1回お届けします。

***

   みなさん、2021年明けましておめでとうございます!(ぎりぎり松の内?)
本年もよろしくお願い申し上げます!

と、上の二行を書いてから数時間が経ちました……。(ただ「書こう!」という意思と集中力がないだけか?)

昨夜は寝ながら今回の連載の内容、書き出しをどうしようと考えていて、脳内文章もスラスラっと出てきた時もあったのですが、起きたらすべて忘れていました……。

年明けからありがたいことに、毎日新聞さんの「私の記念碑」というコーナーに登場させていただいています。第1回目が1月5日でした、そして第2回目12日。毎週火曜日の夕刊に掲載されるそうで、全部で5回あるので来月2日まで続きます、よろしければご一読ください。

なんと言いますか、自分の半生を振り返るのって不思議ですね。自分なんだけど客観視すると自分じゃないような感じもするし、ひとつの「時代」を生きてきて今は別者という感じもします。それはやはり師であるベジャールさんや演劇でお世話になった青井陽治さんなど、関わってきた人々が皆亡くなっているということもあるのかもしれないと。あとは僕自身が南仏の田舎にいて、第一線で活躍しているわけでもないということも。そんなことをふと感じ、それでも培ってきたものは確実に今の自分を形成しているわけで「小林十市」という人物の人生もまだもう少し続きそうです。

変な言い方ですけど「いずれ死ぬ」というのは僕の中に常にあるテーマというか、頻繁に考えることです。「死んだら目覚める」とか……。だからこそ、この現世で肉体を持ち存在することは特別で、しかも今世「踊る」ということを選んだわけですからダンサーなら踊らなきゃ! っていう、ね(笑)。このご時世、舞台に立つことが普通ではなくなってきているじゃないですか。日本ではぎりぎりまだ公演が行われているようですが、ここフランスではスタジオに来て踊ることすらできない状況なので、SNSでダンサーたちが「踊れることに感謝!」とかって言っているのを見ると、嬉しいしそうだろうなあと共感できますね。自分の教室の生徒たちにも舞台で踊れる喜びを味わってもらいたいなと切に思います。

2021年1月1日の夕陽。

さて、今回書くことに困った僕は、突然「インスタグラムで質問を募集してみよう!」と思い立ち、いくつかを採用させていただきその回答を原稿にする……という卑怯な(?!)行動に出ました(笑)。

ではさっそく、勝手にQAスタート!

Q1 ベジャールさんに教わったことの中でいちばん心に残っているものは?

直接、個人的に何か言われたこと、こうしなさいと教わったことってないんですけど、ベジャールさんがバレエ団員に言っていたのは「自分が踊る曲は、鼻歌でもいいから歌えたほうがいい」。音楽への理解が振りの理解にも繋がるということでしょうか。

あとは、歴代ベジャールダンサーを見ていて、ベジャールさんももちろんそうなんですけど、舞台に立った時の存在の仕方が、なんでしょう? オーラ? 立っているだけで成立しているのはなぜ? それってどこから来るのか? と思っていました。

直接言葉で「こうしなさい」と言われるよりも、見て、盗んで、学ぶことが多かったと思います。

Q2 一緒に仕事をしてみたかった人や、踊ってみたかった作品は?

僕はベジャールさんの作品では、20世紀バレエ団時代の作品が好きで、当時のフィリップ・リゾンとかマルコ・ベリエルとか、ジョルジュ・ドンさんもそうですけど、まあドンさんとはギリギリ同じ舞台で共演させてもらいましたけど(で、僕がとちって怒られましたけど)、『マルロー』という作品と『ディオニソス』という作品が踊ってみたかったです!

思い出したけど『薔薇の精』とか……バレエ始めて最初に聴いた曲かもしれない? って。あとは、NYCB(ニューヨーク・シティ・バレエ)で同級生たちとバランシンを踊りたかったかなあ……(遠い目)。

Q3 十市さんは幼児期からバレエと同時に剣道を学んでいたと聞きました。バレエという西洋の舞台芸術で活動している十市さんの中で、剣道や剣術からの学びや「道」(残心)はどのように生かされているのでしょうか? あるいはまったく違った分野のものだとお考えですか?

武道における「残心」って、ベジャールさんの作品を踊るにあたってある意味すごく必要な要素かなと思います。余韻を残す的な、何かそんな空気感を綺麗に力強く残すダンサーたちが歴代ベジャールダンサーにはいましたね。

芸術、芸事、武芸、すべてはその「人」にある。「芸は人なり」と、その言葉のままのような気がします。祖父も言っていましたけど、「芸は人なり、生まれてから今日までの人生のすべてが芸に出る、心の卑しい人は芸に卑しさが出る。気品、風格、艶、粋、すべてがその人が体験した人生そのものの反映である。だから怖い。いくら落語を勉強しても、薄っぺらな人生を歩いた人の落語は面白くない。結局は芸は人間の大きさや優しさ、その人の人間性・人格そのものである」と!

バレエも同じではないでしょうか?

刀を持ってますが、これは「バロッコ・ベルカント」の稽古中のひとコマです。

Q4 「好きなことを仕事にする」ということをどう思いますか?

この質問者の方はピアノをなさっているらしいのですが、ピアノが大好きだから良し悪しが分かり、自分の出来なさに落ち込むし、半端ない努力をするので休みがない、それなのにギャラは安いと……。

ギャラ、安いですよね(笑)。ダンサーは芸人ではないですからね、芸術だと一部の天才と言われる人たち以外はきっと厳しいでしょうね? はっきりとわからないですけど……。僕は確かにベジャール・バレエに就職しお給料をもらって踊っていましたけど、「仕事」って思ったことは多分ないと思います。

「多分」っていうのは、僕がいた時代はツアーも公演も多く、肉体的に過酷と言っていいほどきつい時もありました。そんな時に冗談っぽく「仕事だしな、やるべ!」的に仲間内で話すことはありました。でも「踊ること」を仕事と捉えたことはないですし、自分で自分の「良し悪し」も分かり、コンプレックスもあるから日々練習、日々修行。でもやはり好きなんですね、踊りが。だからそれを追求できて、お給料をもらえるなんて最高に幸せなことだと思います僕は。逆に好きなことを置いておいて、そこまで好きでもない(?)仕事をするほうがつらいです。ギャラに差があったとしても。

Q5 日本でまたお芝居をすることを考えていますか?

そうですね、喋る、舞台上で喋る、台詞、お芝居、またそういう機会がいただけるなら挑戦してみたいという気持ちはあります! 楽しい感じのがいいなあ……。

Q6 ベジャールさんの振付でいちばん感動したことは?

1996年の来日公演でも踊った『シェへラザード』という作品がありまして、そのフィナーレの振付の最中のことでした。
作品の後半はリムスキー=コルサコフ作曲の「シェヘラザード」を使用していて、フィナーレはまさにその第四楽章で激しいわけですが、僕は踊りながら体力的につらいのが大好きなんです(笑)。それでベジャールさんが“これでもか! これでもか!”的にいろいろ振りにぶち込んでくるわけなんですが、それに応えちゃうんですね僕は! もう楽しくて、つらくて、幸せで!! それで、その日の稽古はベジャールさんが「今日はもういいんじゃないかな?」って先に折れまして……僕は何を言ったかというと「ええ!? あともう少し!」って(笑)。
そんなことがありました。

あとよく感動していたのは、既存の作品を再演する際に、その時踊るダンサーに合わせてぱっぱと振りを変えていったりするところです。もちろんベジャールさんの作品をベジャールさんが変えるわけなので不思議でも何でもないのですが。

例えば、とあるガラ公演で僕が東京バレエ団のレパートリーである『ザ・カブキ』の由良之助のソロを踊ることになったんです。その際、まずは『M』の金閣寺のソロを踊り、刀の抜刀から納刀シーンのあとに由良之助のソロを踊るように構成して、僕に無理がないよう工夫してくれました。

それから、同じ動き、振りのものを、まったく別の音楽を持ってきて成立させてしまうセンスの良さ。そういうところにもいつも感動していました。

18年前の1月29日、僕が腰を故障して辞める前のツアーにて。モンペリエに着いてホテルへ行くバスを待っている時に、ベジャールさんと撮った1枚です。

Q7 バレエ団で踊ってきた時の自分とその後の自分、どう変わりましたか?

ダンサーって、もちろん先生に教わっていろいろ学んでいって、必ずしもひとりの力でっていうわけではないですよね、サポートしてくれる家族がいてお教室の先生がいて、と。それでもやはり自分の体を駆使して日々鍛錬して、自分が覚悟を決めて踊り、上達し、大人になっていくっていう流れですよね。これは個人差があると思いますけど、僕は割と生意気なほうで、“自分が努力した=結果だから”的に思っていました。事実、留学中から多い時で1日4クラス受けたりしていたし、ベジャール・バレエに入ってからも群舞は最前列でソリストのパートも踊らせてもらえたし、レッスン中もできるテクニックは全開でやってと、まずは「自分が踊れてなんぼ」。そうでないとこの世界では生き残れないし、仲間と仲良くしていても、やはり自分よりもその人が良い役を与えられていると嫉妬したし、「己よければすべて良し」という自我と自己保存欲が心を支配していたと言ってもいいくらい。

そんな自己中ダンサーが怪我で引退を余儀なくされ、右も左も分からない演劇界で一から学ばされ、「台詞、会話劇というのはあなたひとりでは成立しません」ということを思い知らされるわけです。自分のやるべきこととは? 台詞はあっという間に覚えることができた、けれど役の解釈や、なぜその台詞、言葉が発せられるのか? この登場人物にはどんな背景があるのか?まずはそこからなのに……。バレエ界では少し名が知れていた自分は演劇素人で、それでも仕事があり取材され公演ができた。自分は生かされている、ひとりでは何もできない自分を支えてくれている多くの人がいる! それが理解できた時に、踊っていた頃には欠落していた「感謝をする」ということを学んだと思っています。「ダンサー時代にこれがわかっていればなあ」と後悔しましたが、逆に30代で気づけて良かったと思いました(遅い?)。

Q8 ダンサー時代と現在とで、食生活や身体のケアの方法に変化はありますか?

食事制限的なことはやったことがないんですけど、踊りを辞めたあと、悪かった腰の状態も落ち着いて演劇の現場に通うようになってからは、柔軟とバー・エクササイズをしていました。踊りを辞めた時って、それまで61キロだったのが65キロになったんです。

でもお芝居で舞台に立つようになってからは、緊張感からまた身体が絞れてきた感じがあったので、食事も食べたいものを普通に食べていました。

今、70キロあるんです自分! いやあびっくり(笑)。

ある時期、夕飯時に炭水化物を摂らないっていうのをやっていましたけど、今はそこまで気をつけていません。柔軟は教え前に必ずやっています。自分で気持ち悪いと思うのが「汗をかけなくなった」ということで、運動量が減った=代謝が落ちた? なのでコロナ禍の前はスポーツジムに通って走ったりしていましたが、いまそれができずちょっとこのままだとダメなんじゃないか? って思っています。「脱・小麦よ!」と母に言われているのですが実践できていないです。あとは頑張って腹筋をすることでしょうか?(汗)

Q9 作品作りのプロセスを教えてください! テーマ・音楽・ 動き、どれから始まりますか?

僕は自分のことを振付家とは思っていなくて、前もどこかで言ったんですけど、僕がやっているのは「フラワーアレンジメント」ならぬ「振付アレンジメント」だと思っています。要するに自分が現役時代に踊っていた動きをベースにそこからアレンジしたりする作業であり、ゼロから何か生み出す感じではありません。でも作品の内容的なものは、その時そこにいるダンサーたちを見て決めることが多いです。

あとは外から依頼される仕事ーー例えば宝塚歌劇団のように、作品の軸に沿ってその役の性質が生きるような振付が求められる場合には、ひたすら曲を聴いて考えます。音楽からインスパイアされる部分は大きいですね。あと3年前だったか? 東京バレエ学校の公演に『We Play Beethoven』という作品を提供したんですけど、これはフランスの自分の教室の中高生に振付けたのが最初で、「10代後半の自我が芽生えて何となく素直になれない的な女子たちをそのまま表現できたら? 」とテーマから入ってそのあと曲を探した、という順序でした。動きは音楽が決定してからですね、すべてにおいて。

Q10 「振付」「教え」「舞台で踊る」、どれがいちばん好きですか? それぞれで“スイッチ”は違いますか?

そりゃーもちろん「自分が踊ること」がいちばんです!(笑)

スイッチ、違いますね。振付だとやはり“脳内フル活動スイッチ”で、教えだと“もっと広い視野スイッチ”で、自分が踊る時は“身体から見えない気まで遣うフルスイッチ”

Q11 このコロナ禍における芸術の役割についてどう思いますか?

そんな質問がくる頃なか……(親父ギャグで返す不届き者)。

指揮者のリッカルド・ムーティさんもおしゃっていましたけど、「我々はただ美しい音楽を届けるだけではないのです、我々は希望をお届けしたいのです」。

音楽が伝える“心への影響”って大きいですよね。バレエは音楽をより立体化したものですから、人々に与える「希望」も音楽に劣らないと思います。ダンサーだけではなくあらゆる分野の芸術家たちがSNSを通してつながり合い、この状況を打破すべくできる限りの活動を継続し、人々へ届けるメッセージに心の平穏を見出した方も多いと思います。

さて、表現者が表現する場を奪われたなら!? それは死活問題なわけです。
我々はこの世に生まれ、この道を選び歩み始めたわけですから。そしてプロになるまでのプロセスは容易ではないのです。その選ばれしダンサーたちの生きる道が無くなる? ……かと思いきや、土から芽を出す若葉のように、各国のアーティストたちが様々な方法で自ずと動き出したのは、文化やテクノロジーが進化した21世紀の賜物だと思いましたね。

そういうわけですから、このコロナ禍とは関係なく、地球上に芸術はなくてはならない存在なのではないでしょうか? 「心」の状態を安定させることができるもの、それが「芸術」なのではないかと……。ではその芸術を生み出す側の人たちの「心」はどう安定させるのか? それは「活動できる現場」を設けることです。

今年は企画していることがいくつかあるので、自分的には是非実現させたいと思っています。そしてそんな自分を通して人々に何か心に残るものを伝えることができるなら、舞台人としてこんなに嬉しいことはありません!!

2021年1月15日 小林十市

★次回更新は2021年2月15日(月)の予定です

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元ベジャール・バレエ・ローザンヌ、Orange Ballet School 主宰、振付家、俳優。 10歳より小林紀子バレエシアターにてバレエを始める。17歳で渡米し、スクール・オブ・アメリカン・バレエに3年間留学。20歳でスイス・ローザンヌのベジャール・バレエ・ローザンヌに入団。以後、数々の作品で主役をはじめ主要な役を踊る。2003年に腰椎椎間板変性症のため退団。以後、世界各国のバレエ団でベジャール作品の指導を行うほか、日本バレエ協会、宝塚雪組などにも振付を行う。また舞台やテレビ、映画への出演も多数。 現在はフランスのオランジュにて Orange Ballet Schoolを主宰。

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