新国立劇場バレエ団「くるみ割り人形」撮影:鹿摩隆司
2020年12月12日(土)〜20日(日)に上演される新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』。
同バレエ団が上演するウエイン・イーグリング版は、展開のスピード感や高度なテクニックが詰まった振付、カラフルでスタイリッシュな衣裳などがとても現代的。
欧文タイトルに“The Nutcracker and the Mouse King”とある通り、ねずみの王様が一般的な演出版以上に大活躍(?!)したり、クララが気球に乗って夢の旅に出かけたり……他バージョンでは見られない個性がたくさんあるなかでも、男性主役が〈ドロッセルマイヤーの甥〉〈くるみ割り人形〉〈王子〉の一人三役を演じるのはこのイーグリング版の大きな特徴のひとつです。
今回の上演でこの“一人三役”の主役を演じる男性プリンシパルのうち、井澤駿さん、奥村康祐さん、渡邊峻郁さんの3人にお話を聞きました。
左から:井澤駿、奥村康祐、渡邊峻郁 ©︎Ballet Channel
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- 今回みなさんが演じる『くるみ割り人形』の王子とは、どのような役柄ですか?
- 渡邊 このバージョンの『くるみ割り人形』の王子様は、クララの思い描く理想の男性というか、憧れの存在が像(かたち)になったものだと思います。最初にクララに出会うのは〈ドロッセルマイヤーの甥〉としてですが、彼女にとっては初めて会った年上の男性であり、その時に抱いた気持ちが〈王子〉という存在になって夢の世界に飛び出してきたもの。言わば“少女の憧れそのもの”という役どころであるように感じます。
- 奥村 僕もほぼ同じイメージを持っています。ドラマティックな夢の世界で、クララの「人形を愛する気持ち」と「男性を愛する気持ち」が混ざり合う。子どもの時は人形が好きだけど、大人になるともう人形ではなくて男性が好きになるーーそのちょうど狭間にいるような、ほんのひとときだけ大人になりかけたのが、この『くるみ』が描いている一瞬の夢の世界なのだと思います。だからその夢が終わると、クララはまた人形が好きな子どもに戻ります。彼女はまだ少女でありながら、大人になるんです。そのふっと大人になる一瞬を、例えば僕が人形から王子に変わる瞬間などに映し出せたらと思います。
- 井澤 この『くるみ割り人形』が他のバージョンと違うところは、ドロッセルマイヤーの甥が王子になるというところです。クララの憧れである甥が王子として夢に出てくるという話なので、クララの理想の甥、つまり理想の王子を演じないといけない。その「理想の王子」になるにはどうしたらいいか? そこが難しいなと思います。
第1幕、パーティの場面。男性主役はまず〈ドロッセルマイヤーの甥〉(写真左)として登場する 撮影:鹿摩隆司
- 例えば『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』といった他の古典作品にも王子が出てきますが、それらの王子との違いは?
- 渡邊 ウエイン・イーグリング版は、古典の型やポジションの中だけで振付けられたバレエではなくて、『ロメオとジュリエット』のようなドラマティック・バレエの要素を取り入れているところがあります。古典の『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』だと女性がきちんと軸脚の上に立って踊るのに対して、マクミラン版『ロメオとジュリエット』などはバランスをオフにすることでスリル感を出すような表現がありますよね。この『くるみ割り人形』でも、例えば雪の場面の直前に踊るパ・ド・ドゥや第2幕のグラン・パ・ド・ドゥで、女性がオフ・バランスに倒れていくところを僕たちが受け止めるような振りがあります。あるいは床を滑っていくような動きで空間の広がりを見せたりと、通常の古典バレエでは使わないスタイルが取り入れられています。
木村優里(こんぺい糖の精)、渡邊峻郁(王子) 撮影:鹿摩隆司
- “一人三役”を踊るのは非常にハードだと思いますが、とくに難度の高い“勝負どころ”はどの場面ですか?
- 渡邊 第2幕の最初にドロッセルマイヤーとクララと3人で踊るパ・ド・トロワがあるのですが、そこでくるみ割り人形は呪いが半分解けて、一瞬王子になったり、また人形に戻ったりしながら踊るんですね。人形のマスクを取ったり付けたりしながら、そして表現としても演じ分けをしながら踊りきらなくてはいけない。そこが僕らにとってはすごく難しい部分で、体力的にもとてもつらいところです。それに、くるみ割り人形はマスクだけでなく帽子も被っているので、着脱するたびに髪が乱れるのを整えながら踊るのも、じつは大変で。僕らは王子役の他に別日にはねずみの王様役も演じているのですが、ねずみの時には「ああ、王子はこんなに大変なことをやっているんだな」と感じながら踊っています……。
- 奥村 一般的なバージョンの『くるみ割り人形』だと、王子役の出番はあまり多くありません。それはそれで、舞台に出ていきなりグラン・パ・ド・ドゥを踊らなくてはいけないという緊張感があるのですが、この版はまったく逆。グラン・パ・ド・ドゥを迎える時にはもうすでにひとつ本番を終えた後くらいの感覚があります(笑)。グラン・パ・ド・ドゥに対して、緊張ではなく「何とか乗り切らなくては」と、他版とはまたちょっと違う意気込みで臨まないといけないのがこのイーグリング版ですね。
- 井澤 パ・ド・トロワのところもそうですし、ねずみとの戦いからパ・ド・ドゥに続くところなども……この役は出番や踊る量が多いだけでなく早替えも多いので、舞台裏でもずっと動いていて息つく間もないんです。
井澤駿(王子) 撮影:鹿摩隆司
- そのハードな役を踊りきるために、何か特別なトレーニングや体のケアをしていますか?
- 奥村 この『くるみ』の練習が始まると、自然に体力がついてきます。
渡邊 今回はさらにコロナ対策のためにマスクも着けていて、その上からさらに衣裳のマスクも着けるので、いつも以上に体力がつくのではと思います。この新国立劇場のバージョンは、本当に独特なんです。例えばイングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)も同じようにウエイン・イーグリング版を上演しているのですが、ENBでくるみ割り人形役を踊ったことのある友人に聞いたところ、人形と王子は別々のダンサーが踊るのだそうです。僕が「新国立劇場バレエ団では人形と王子の両方を踊るんだよ」と言ったら、絶句していました(笑)。ひとりで両役を踊るのは、本当に新国立劇場ならではだと思います。
池田理沙子(クララ)、奥村康祐(王子) 撮影:鹿摩隆司
- 先ほどのお話にもありましたが、みなさんは別日にはねずみの王様も演じますね。ねずみの王様役を演じるにあたって、イーグリングさんに言われたことや、演じ分けで工夫していることを教えてください。
- 奥村 イーグリングさんにねずみの王様を振付けしていただいた時は、そんなに怖いイメージで演じる感じではありませんでした。「こういうふうにやってみて」と見本を見せてくださるイーグリングさん自身が、すごく楽しそうに、ニコニコとエンジョイしながらやっていました。子どもたちにとってはあのねずみのコスチュームだけで充分に怖いので、それ以上は怖くしなくていいということなのかもしれません。求められた表現もどちらかというと可愛い感じでした。
- 渡邊 ねずみの王様は、見た目に反しておちゃめなイメージがあります。
- 奥村 くるみ割り人形と戦う時も、ちょっとドジを踏んだり、敵をうっかり見失ったり、そういうところが多いですしね。
コワモテだけど案外おちゃめなねずみの王様(写真は井澤駿) 撮影:鹿摩隆司
- ねずみの王様が愉快な感じでさりげなくダンスをしている場面がありますが、その動きが演じているダンサーによって違うように見えます。あそこはアドリブなのでしょうか。
- 奥村 はい、イーグリングさんに「ここで何かちょっと踊ってて」とだけ言われて。イーグリングさん自身もおもしろい動きをして見せてくれました。
- 渡邊 完全にダンサーの自由に任されています。
- ねずみの王様に関して、他にも何かエピソードがあれば聞かせてください。
- 井澤 王子役の時ですが、戦いの場面でねずみの王様の振付と間違えたことがありました……。
奥村 戦争の場面は王子もねずみの王様も出たり入ったりを繰り返すので、わからなくなってくるんです。
井澤 戦争のところはとくに忙しいので、本当に時々わからなくなります。しかも王子とねずみの王様は同じ振りを左右対象でやるので、剣で戦うところも、どちらが上を切ってどちらが下を切るのか間違えそうになったり。
井澤駿(王子)、渡邊峻郁(ねずみの王様) 撮影:鹿摩隆司
- 奥村 あと、ねずみの王様のマスクは、とても軽い作りにはしてくださっているのですが、やっぱり重いんです。それを着けた状態でピルエットを回ったり体を反らせたりする動きがたくさんあるので、どうしても首が痛くなってしまいます。踊っているうちに、だんだん慣れてはくるのですが。
カーテンコールより 奥村康祐(ねずみの王様) 撮影:鹿摩隆司
- 今回は劇場だけでなく、オンラインでも配信されますね。そうした幅広い観客のみなさんに向けて、あらためて『くるみ割り人形』の魅力を聞かせてください。
- 渡邊 僕はかつてヨーロッパのバレエ団で踊っていたのですが、あちらの子どもたちは毎年一大イベントとして、クリスマスマーケットに行くんですね。そこにはクリスマスの出し物やおもちゃ、クリスマスシーズンだけの特別なお菓子、大人たちのための美味しいお酒やソーセージなどが並んでいて、それらを楽しんでから劇場に足を運んで『くるみ割り人形』を観る。そんな伝統があります。あの空気感は、本当に特別なんですよ。子どもたちが本当にワクワクしていて、走り回ったり、美味しそうなお菓子を親にねだったり、クリスマスという年に一度のイベントを全力で楽しんでいるのが伝わってくる。だから当時は僕自身も、本番の日にはまず劇場前に軒を連ねたクリスマスマーケットを見て、「ああ、この子たちはこの後きっと僕らの『くるみ』を見に来てくれるんだな」と自分もワクワクしながら舞台に立っていた思い出があります。
そういう習慣が日本にはそれほどないけれど、バレエ『くるみ割り人形』を見ることで、そういうワクワク感やその時にしか味わえない気分を楽しんでもらえたらいいなと思います。子どもたちにとって、クリスマスは本来そういうイベントだと思うので。『くるみ』は夢の世界のお話でもありますし、やはり子どもたちに見てほしいです。
渡邊峻郁 ©︎Ballet Channel
- 井澤 このバージョンの『くるみ割り人形』は、舞台セットといい、プロジェクションマッピングといい、とても豪華。立体感があって、リアルにその世界を感じられるのが素晴らしいところだと思います。衣裳もゴージャスで、踊っていても楽しいですし。ダンサーとしても新国立劇場でしか味わえないリアリティがすごくあるので、そういったところも見ていただきたいです。
- 奥村 以前に比べると毎年『くるみ割り人形』を見に来てくださるお客様も増えてきていて、少しずつではありますが文化として根付いてきているのかな、と感じます。今回はとくにオンライン配信がありますので、このバレエがより多くの人にとって身近になったらいいなと。『くるみ』の音楽はよく街中でも流れていますので、「音楽だけは知っている」という方も多いと思うんですね。でも、やはりこれはバレエ音楽であり、“バレエあっての音楽”なので、ぜひバレエと一緒に味わっていただきたいなと思います。
奥村康祐 ©︎Ballet Channel
- 今年は本当にいろんなことがあった1年だったと思いますが、とくに新国立劇場バレエ団は芸術監督が変わりました。吉田都芸術監督になって変化などを感じていることがあれば聞かせてください。
- 井澤 吉田監督は基礎をすごく大事にされるので、基本からあらためて考えさせられました。先日の『眠れる森の美女』札幌公演の時、僕たちができていないところはそれぞれたくさんあったと思うのですが、それらを細かく注意するというよりも、ダンサーとしてどうあるべきか、ダンスール・ノーブルというのはどういうものかということを、定義から詳しく説明してくださいました。ダンスール・ノーブルとは、すべてが完璧でなくてはいけない。回転などの技術がすべて揃っていて、真実味のある存在であらねばならないということ。やはり僕たちダンサーはそこを目標にして踊っているので、初心からやり直さなければいけないと強く感じました。
井澤駿 ©︎Ballet Channel
- 奥村 吉田監督は基礎的なこともたくさん注意してくださいますが、それだけで終わらずに、モチベーションを上げてくださいます。ダンサー一人ひとりをしっかりと見て、注意すべきことは注意して、伸ばすべきところや良いところは良いと、はっきり言ってくださる。コロナ禍においても「みんなで頑張っていこう」と団員たちの気持ちをひとつにしてくださったことも素晴らしいと思っています。
- 渡邊 吉田監督は、僕らの体調をズバリ見抜きます。本当に、ダンサー一人ひとりをよく見てくださっている。先日少しだけ身体のある部位の調子が悪かったのですが、踊り終わった後に「今日ちょっとここが痛かったんじゃない? 大丈夫?」と、まさにその部分を指摘されて驚きました。僕らの体のケアについてもすごく考えてくださっているところが、とてもありがたいです。
- 奥村 やはり最近までトップダンサーとして活躍していらっしゃった方なので、ダンサー目線で率いてくださっているなと感じますね。
執筆協力:清水思都子
公演情報
新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』