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【インタビュー】バレエダンサー 益子倭 〜舞台、振付、YouTube… 僕は自由に、やりたいことをやっていく

阿部さや子 Sayako ABE

それは、あまりにも突然の退団だった。
彼は誰よりも熊川哲也に憧れて、誰よりもストイックに身体を作り、踊りを磨いていた。
憧れの人のシンボルとも言える『海賊』アリや、『アルルの女』フレデリなど、大役も任された。
これからまだまだたくさんの作品に出会い、さまざまな役を演じ、身体と精神の成熟がどのような薫りを醸していくのか、楽しみなダンサーだった。

彼はなぜ、退団を選んだのか。
なぜ「現役ダンサーとしては一線を引く」と言ったのか。

バレエダンサー、益子倭(ましこ・やまと)。
2019年7月にKバレエカンパニーを退団し、現在フリーランスとして舞台に立ちながらYouTubeの海にも漕ぎ出した彼に、じっくりと話を聞いた。

退団の理由

益子さん、お久しぶりです。
益子 本当に久しぶりですね。よろしくお願いします。
やはりまず伺いたいのは、なぜ、あれほど情熱を持って踊っていらしたKバレエカンパニーを辞めようと思ったのか、ということです。いつ頃から辞めることを考えていたのですか?
益子 昨年(2019年)の2月頭に『アルルの女』のフレデリを踊らせていただいて、翌3月に『カルメン』があったのですが、その時期くらいから考え始めていました。そして5月の『シンデレラ』公演の時には、もう退団を決めていましたね。
その理由は?
益子 理由はひとつではないし、何か決定的なことがあったというわけでもありません。ただ、そのタイミングでいろいろなことが重なった結果なんですよ。ひとつには、ずっと夢だった『アルルの女』のフレデリを踊れたこと。憧れていた『海賊』のアリも数年前に踊らせていただきましたし、ダンサーとして、次の新しい刺激が欲しくなったんです。またそのタイミングでカンパニーの準団員たちに作品を振付ける機会をいただき、自分が踊る以外の方法で表現することの面白さや、後輩や若手を育てていくことの喜びに気づいたことも、ひとつのきっかけになりました。さらには外部からお仕事の依頼をいただくことも増えてきて、人とのつながりもどんどん広がって……プライベートでも動きがあったりして、とにかくいろいろな理由が重なったわけです。
確かに、そのように細かな一つひとつが重なって、だんだん背中を押されていく……というのはわかる気がします。それにしても、フレデリにしてもアリにしても、1回踊っただけで満足できたのでしょうか? むしろ、もっと何度も踊って役を深めたいと思ったりしたことは?
益子 もちろん、また踊りたいという気持ちは今でもあります。でも、その1回に懸けていた思いが大きすぎて、「やりきった」と思ってしまったんです。僕はもっと欲のあるタイプだと思っていたので、自分でも意外でした。

「海賊」アリは益子にとって夢の役のひとつだった

益子さんは10歳の時に熊川哲也さんの舞台を見てバレエを始め、熊川さんが学んだ地で研鑽を積みたいと15歳で英国に留学し、熊川さんのもとで踊るためにKバレエカンパニーに入団されました。本当に、益子さんほど情熱的に熊川さんの背中を追い続け、ストイックに「Kバレエのダンサー」であろうとした人はいない……というのが私の印象だったので、突然の退団には心底驚きました。
益子 僕にとって熊川さんは、いまでもとても大きな存在です。ふとした時にいつも「熊川さんならどうするだろう?」と考えます。本当にずっと憧れていましたし、数え切れないほどのことを教わりました。そのすべてがいまでも僕の基盤です。
こうしてお話を聞いていると、退団は、夢の存在を追いかけるだけだった益子さんが、真に自分の足で、自分の人生を歩きだしたということだったのかな……という気がしてきました。
益子 まさにその通りです。そしてもうひとつ正直に言うと、カンパニーのダンサーとして、自分にもうこれ以上の可能性を感じなかった、というのもあります。僕は、例えばチャイコフスキー三大バレエの主役をこのカンパニーで踊るとか、プリンシパルになるとか、そういうタイプではないな、と。そこに関しては、結構早い段階で諦めていました。
そうなのですか!
益子 だから、ダンサーとして熊川さんを追いかけてはいるけれども、絶対に同じようにはなれないし、同じことをしても仕方がない。だから何か違う道で……とも考えました。
「自分にこれ以上の可能性を感じない」と自己評価するに至った出来事やきっかけなどはあったのでしょうか?
益子 それはいろいろなタイミングで思っていました。例えば自分と同世代やもっと若いダンサーが王子役を任されているのを見て、「ああ、やっぱり敵(かな)わないな。自分には無理だ」と思ったり。もちろん、やりたいという気持ちはありましたよ。とくに入団して3〜4年ほどは「絶対にやってやる!」と思っていました。でもプロになって5年くらい経った頃にはもう、心のどこかで、そこに対する諦めはついていたんですよね。『海賊』のアリとか『アルル』のフレデリのように、「自分にもできる! できそう! っていうか、やりたい!」と思う役については、もうしつこいくらい貪欲でしたけど(笑)。
だから「諦めた」といっても、ネガティヴな感覚ではないんです。王子役はできなくても、自分にしかできないこともあると知っていたので。むしろそこはスパッと潔く切り替えた、という感じでしたね。
ひとつの道を極めていくというのは、別の言い方をすれば、その他のことを諦めていくということでもありますからね。
益子 そうですね。それに、踊る役の向き不向き等だけでなく、例えばブログなどファンの方々に向けての発信なども僕はコツコツできるタイプで、それは他の人よりも長けた自分の強みだと思っていました。だから自分にできるのは踊ることだけではないと思えたし、それがいまのYouTubeでの活動にもつながっています。
今後、どこかのバレエ団に入って踊りたいという思いはありますか?
益子 まったくありません。よく聞かれるんですよ。「どこか他のバレエ団に入らないのですか?」とか、「海外のバレエ団を目指すのですか?」とか。でも、僕にはまったくそういう気持ちはありません。本当に、カンパニーの“芸術面”に不満があって辞めたわけではないし、踊る作品としても、Kバレエのレパートリーがやっぱりいちばん好きですし。だから、他のバレエ団に移籍したいとか、他の作品を踊りたいとか、そういうふうに考えたことは一度もありません。

自由に、やりたいことをやっていく

今回このインタビューが実現するきっかけになったのは、益子さんが私にくださった1通のメールでした。そこには、「僕は、現役ダンサーとしてはもう一線を引いたつもりです」と書いてありました。カンパニーを退団された時が26歳。ダンサーとしてはまさに“踊り盛り“であるのに、そのようにおっしゃった言葉の意味を、もう少し詳しく聞かせていただけますか。
益子 文字通りの意味で、僕は現役ダンサーとして一線を退く覚悟でカンパニーを辞めました。オーチャードホールのような素晴らしい劇場で、あれだけの規模のプロダクションを踊ることは、もう決してないだろうと思ったので。「決断」という言葉は「決めて」「断つ」と書きますよね。まさに僕は、それまでやってきたことを断ち切って、これから自分がやりたいことをやっていくと決めたんです。……でもこれ、いちおう誤解されないように言葉を足しておきたいのですが、本当にありがたいことに、いま舞台出演のお話も次々といただいています。覚悟して辞めたけど、素晴らしいご縁が広がって舞台に立たせていただいたり、作品を作る機会もいただいています。本当に感謝です。
しかし、それだけ大好きだったカンパニーを去ってまで益子さんがやりたいと思ったことは、いったい何でしょうか?!
益子 例えば何かカンパニーを立ち上げたいとか、全幕作品を作りたいとか、そういうことではないんです。ただ、とにかく自由に動き回りたい。自分にどこまでできるのか試してみたい。そういう直感的な思いだけで、具体的な計画は何も持たずに辞めました。今やっているYouTubeチャンネル「やまちゃん」も、ある日突然インスタグラムで「やります!」と宣言したのですが、じつはその時点では何の準備もしていませんでした(笑)。動画も撮っていなかったし、チャンネルも作っていなかったし、機材もないし、本当に何ひとつ準備できてない段階。でもとにかく、やると言ったらやるよ、みたいな(笑)。それまで、YouTubeをやってみたいなんて考えてもいなかったのですが。とにかく僕は、自由に、いろんなことをやってみたい。
自由に。
益子 だから今、結果として踊らせてもいただいてますし、振付もさせていただいてますし、YouTubeもやっていますし。どれかひとつではなく、どれも楽しくやらせていただいている。そしてそれぞれが膨らんでいって、人とのつながりがさらに広がったり、新たな企画が生まれたりもしています。「やまちゃん」にお呼びしたみなさんで、いつか何か公演ができたら楽しいね、とか。本当にいま、何の縛りもなくて、自由です。それがすごく楽しいですね。

逆に言うと、益子さんにとっては何がいちばん“不自由”なことだったのでしょうか?
益子 それはもう、どんな仕事でも同じだと思いますが、やはり「どこかに所属している・雇われている」ということは、当然その組織の制約を受けるということですよね。組織に所属しているからこそできることもたくさんあるけれど、守らなくてはいけないことや、制限されることもたくさんある。
でも、「自由」になるって、同時に怖くはなかったですか?
益子 まったく怖くなかったですよ!
きっぱり(笑)。
益子 自分でも不思議なくらい、不安はなかったですね。もちろん多少は「本当に何も仕事がなくなったらどうしよう」と思わなくもなかったのですが、僕は本当に人に恵まれているんです。いつも手助けをしてくださったり、いざという時に手を差し伸べてくれる方々が周りにたくさんいるので、そうしたつながりを信じて、感謝してやっていけば、きっとどうにかなると。とにかく、すべては自分次第。自分で決めたことなのだから、怖いとか不安だとか思う余裕がないくらい行動しまくろう! と考えました。

バレエがすべて。だけど、すべてじゃない

ご活躍の場が、本当に多岐にわたっているのですね。今はどのお仕事が主な収入源になっているのですか?
益子 もちろん「踊り」です! YouTubeの収益ではまだぜんぜん生活していけませんし、教えの仕事もさせていただいてはいますけど、基本的にはやはり舞台の出演料が主な収入源になっています。
では、生活の中でいちばん長い時間を占めているお仕事は?
益子 時間的な割合ということになると、YouTubeの編集作業がいちばんですね……。
やはり……。私たちバレエチャンネルも動画コンテンツを作っているので、動画編集がいかに時間を要するか、身にしみています。
益子 もちろん、基本的には毎日踊っています。とくに夏場は1日のうちに複数のリハーサルを掛け持ちするような状態ですし。動画編集に充てられる時間は、リハからリハへの移動中と、帰宅後だけ。夜、仕事から帰って食事をして、少しお酒を飲んでから編集作業を始めるというのが平均的なパターンで、そのまま朝まで続けることも多いですね。
大変ですね!
益子 でも不思議なことに、大変だけど苦にはならないんです。いや、眠いですよ(笑)。でもストレスはないし、楽しいし、すごく元気です。ダンサーなので、体のことを考えると「ちょっと、これは良くないな」とは思うのですが。
編集がとてもお上手で、いつも「凄い!」と思いながら拝見しています。
益子 ありがとうございます。もちろん徐々に向上してきているとは思うのですが、まだ全然未熟です。
「やまちゃん」がコンセプトにしていることや、絶対に守りたいこだわりなどはありますか?
益子 やはり僕はバレエが大好きなので、絶対的に「バレエ」を届けたい。もちろん、本格的な紹介は〈バレエチャンネル〉さんのようなプロのメディアにお任せして、僕はもっと違った角度から、バレエの面白さやさまざまなダンサーたちの魅力・個性を伝えていきたいと思っています。そうして人々のバレエに対する見方が、どんどん広がっていけばいいなと。
益子さんにとって「バレエの面白さや魅力」とは、どんなところにありますか?
益子 “言葉がない”というところは、やはり魅力的です。だからこそ「これが正解」というものがなくて、人それぞれどんなふうに感じてもOKという自由さがありますよね。そして僕自身は映画やドラマも観るし、サッカーなどのスポーツも観ます。だけどやっぱり、バレエの、生の舞台を観た時の、あの魂が震えるような感覚には及ばない。それがなぜなのかはわからないけれど、あらためて「僕はバレエがこんなにも好きなんだ」と思いますね。
いっぽうで現在のバレエ界について問題を感じること、未来に向けて望むことなどはありますか?
益子 やはり、団体の垣根を超えて活動することが難しかったり、ダンサーもスタッフも組織という“殻”に閉じこもりがちだったり、という部分はあると思います。でも、それもいまは少しずつ良くなってきているのではないでしょうか。例えばコロナ禍をきっかけに、たくさんのダンサーがオンラインで自分から何かを発信することを始めました。全体的にすごくオープンになってきて、ちゃんと時代に合った方向に向かっていると思います。
いまの益子さんにとって「バレエ」とは?
益子 「バレエがすべてだけど、すべてじゃない」。 “バレエを踊る”という意味では、僕はもう踊るだけではない人生を選んだので、それが自分のすべてだとは言えません。だけど、YouTubeにしろ、その他の活動にしろ、バレエがなければ僕は何をやっていいかわからなくなる。だからやっぱり、自分にとってはバレエがすべてなんです。

【男性ダンサーに聞いてみたかった! 3つのQ】

「今日は正直な気持ちをすべてお話ししよう、聞かれたことは何でも答えようと思ってきました」と、どんな質問にも真っ直ぐ向き合って答えてくれた益子倭さん。
約2時間にわたったインタビューの最後に、「いつか男性ダンサーに聞ける機会があったら聞いてみたい」と思っていた小さな質問をしてみました。

Q1 リボルタードや540(ファイブフォーティ)など、空中で身体が斜めになるようなジャンプは、落下しそうで怖くないですか?

怖くないですよ! 僕はアッサンブレ・トゥールみたいに真っ直ぐ跳ぶほうがずっと難しいし、怖いです。もちろん、人それぞれだと思いますが。

Q2 パ・ド・ドゥでも、男性は女性を支えたりリフトしたりとさまざまなことをしていますが、いちばん難しいテクニックというと?

女性をいかに楽に踊らせてあげるか、ということでしょうか。女性は、例えば5番で真っ直ぐ立っているだけでも、その重心が左足にあるのか右足にあるのかで体力の消耗具合がまったく変わるんですって。しかもそれは人それぞれで違うので、僕ら男性が繊細に察知して、サポートしてあげる必要があるんです。

Q3 美しいチュチュなど、衣裳はバレエを踊る喜びのひとつだと思いますが、男性のみなさんも衣裳を着るのは嬉しいですか?

正直、“物による”というところはありますが(笑)、いちばん大事なのはサイズ感。自分の身体にきちんとフィットして似合うものであれば嬉しいし、僕は衣裳を着ることが大好きです。いちばん好きなのは『海賊』のアリの衣裳です。
益子 倭 Yamato Mashiko
埼玉県生まれ。志村昌宏・有子バレエスタジオで学び、2008年Kバレエスクールに入学。英国エルムハースト・スクールに留学。2010年第38回ローザンヌ国際バレエコンクールに出場、セミファイナリスト。2012年Kバレエカンパニー入団。ソリストとして数々の主要な役を踊り、2019年7月、同カンパニー退団。以後フリーランスとしてダンス活動を行いながら、2020年6月YouTubeチャンネル「YAMATO’s Ballet Channel/やまちゃん」を開設。

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