新国立劇場バレエ団「竜宮 りゅうぐう」撮影:鹿摩隆司
2020年7月24日(金・祝)、新国立劇場バレエ団の「時」が5ヵ月ぶりに動き出した。
演目は「『竜宮 りゅうぐう』〜亀の姫と季(とき)の庭〜」。日本の御伽草子「浦島太郎」をモチーフにした、全2幕の新作バレエだ。演出・振付・美術・衣裳を手がけるのはダンサー・振付家の森山開次。ミュージカルの舞台でも活躍し、近年はコンテンポラリー・ダンスを主軸に活動してきた森山が初めて創る「バレエ作品」ということでも話題を呼んでいる。
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本年2月26日に政府がスポーツ・文化イベントの開催自粛要請を示したその日、折しもバレエ『マノン』を上演中だった同劇場は、以降のすべての主催公演・イベントを中止すると即日発表。これは国内のバレエ・ダンス界において、最も早い動きのひとつだった。
そして今回の上演再開もまた、この規模のバレエ公演としては、国内で最も早い動き出しと言える。
新国立劇場バレエ団は、日本のバレエシーンを牽引するカンパニーのひとつだ。
今回の上演は、ウィズ・コロナ時代にバレエのような劇場公演を実施していくには何が必要か、どのような感染拡大予防策をとれば再び劇場の扉を閉ざさずに済むのかを示す、重要な先行事例となるだろう。
それはバレエ・舞台芸術に課せられた新たな挑戦への、大きな一歩でもある。
『竜宮 りゅうぐう』開幕前日の7月23日、新国立劇場オペラパレスにて、初日キャストによるゲネプロが報道公開された。そのもようと併せて、同劇場がどのような感染拡大防止策に取り組んでいるのかを取材した。
※ゲネプロのもようは本ページの後半に掲載しています
劇場はどう感染予防・拡大防止に取り組んでいるか
2月末以降の全公演・イベント中止期間を経たのち、新国立劇場が今回の公演の実施を正式に発表したのは開幕のちょうど1ヵ月前、2020年6月24日のことだった。
もちろんすでにチケットは発売されており、購入済みの観客もいたなかで、同劇場は上演スケジュールを見直し、座席も前後左右を空けた配置に変更。そのため6月24日までの販売済みのチケットについてはすべていったん無効とし、全席を払い戻し対象に。そのうえで鑑賞希望者にはあらためてチケットを購入するよう協力を求めた。
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ゲネプロ当日、新国立劇場の正面エントランスを入り、オペラパレスの座席に座るまで。
端的に言って、「これ以上の対策はもう講じようがない」と思わされるほど、徹底的な感染拡大予防対策がとられていた。
クロークは「来場者カード」記入台に
まずは劇場の正面エントランスを入って正面左手に見えてくるエリア。通常時はクロークであるカウンターが、今回は「来場者カード」の記入台として活用されている。
「来場者カード」はもちろん、万が一新型コロナウイルスに感染した人が観劇していた場合、保健所に速やかに報告するためのもの。この記入のために観客が混雑して「密」にならないよう、観客には事前にカードをダウンロード&記入して劇場に持参することが推奨されている。
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そしてもちろん、来場者は必ず入場前に体温を測定され、手指の消毒を行う。
スタッフは全員がマスク&フェイスシールドを着用
チケットもいつものように改札係がもぎるのではなく、自分で切って箱の中へ
天井が高く、広々としたホワイエ。休憩スペースからは飲食用のテーブルが撤去され、代わりにすべて一方方向に向けられた椅子が、前後左右に空間を空けて置かれている。
感染予防・拡大防止のための注意事項を呼びかけ続ける大型モニター
その他、観客にはもちろん、
- 来場前の検温
- こまめな手洗いとアルコール消毒
- マスク着用と咳エチケット
- 客席やホワイエ等での歓談、公演中の来場者同士の接触を控えること
- 座席の移動の禁止
- 出演者への「ブラボー」など声援の禁止
- 楽屋口や駅構内、公共の場を含め、入り待ち・出待ちの禁止
- 整列の際には1m以上の間隔を空ける
といった協力のほか、1階席と2・3階席で入場時間を設定した分散来場も呼びかけられている。
そのほか、新国立劇場のウェブサイトや各種SNSで「来場のお客様へのお願い」を繰り返し発信。劇場内に配置されているスタッフの人数も多く、これだけの努力と真摯な取り組みを目の当たりにすると、われわれ観客の側もしっかりと協力しなければと身が引き締まる。
「竜宮 りゅうぐう」ゲネプロ鑑賞レポート
いまがこんな状況でなかったらーー全国の子どもたちやバレエファンに「ぜひ観にきて!」と大きな声で呼びかけたい。
『竜宮 りゅうぐう』は、そんな作品だ。
第1幕、竜宮城のようす。向かって左に控えているのはマンボウ、右は……たい焼きくん?! ©︎Ballet Channel
日本の懐かしい昔話だけれど、美術や衣裳はちゃんと「いま」を呼吸していてスタイリッシュ。
突然はじまる「ウサギとカメの大競走」や「イカす3兄弟のイカタンゴ」などは「えっ?!(笑)」と吹き出すほど愉快だけれど、浦島太郎と亀の姫の心のこもったパ・ド・ドゥには切なくてホロリとくる。
子どもたちが目をまるくしたり、声をあげて笑ったりする姿が想像できる。
でも、少しも「子ども騙し」じゃない。
大人には大人のためのツボが、しっかりと散りばめられている。
浦島太郎と亀の姫(井澤駿、米沢唯)。プリンセスが座ると、円形のチュチュがまさに亀の美しい甲羅のように見える 撮影:鹿摩隆司
これがウワサの(?!)イカタンゴ(原健太、小柴富久修、趙載範) ©︎Ballet Channel
魚たちのもてなしを受ける浦島太郎。タコの頭のような丸いものはもしかして…… ©︎Ballet Channel
舞台美術にも、心躍る工夫がたくさん凝らされている。
例えば浦島太郎と亀が出会う浜辺の場面では、寄せては返す波まで照明や映像で見事に表現。
また、新たなキャラクターが登場したり時が変化したりすると、それを示す言葉が舞台上にポン!と現れる。この工夫は理解を助けてくれるだけでなく、物語展開に楽しいリズムを加える効果もある。
バレエファン的には、とてもユニークなディヴェルティスマンの場面が2度も用意されているのが嬉しい。
第1幕では竜宮城で太郎がおもてなしを受ける場面、第2幕では太郎が「季(とき)の部屋」を覗く場面。
バレエを知る人であればあるほど、おなじみのステップやテクニックの新鮮な(?!)使われ方にわくわくするだろうし、衣裳やヘアメイクがとにかく目に楽しい。
今回は劇場でオペラグラスが借りられないので、ぜひとも“マイ・オペラ”を持参することをおすすめする。
タイ女将(寺田亜沙子) ©︎Ballet Channel
金魚舞妓 ©︎Ballet Channel
亀の姫の六角舞(米沢唯)©︎Ballet Channel
竜宮城での最後のひとときに、太郎とプリンセスは美しいパ・ド・ドゥを踊る。
やはりこのコロナ禍のなかにあるためか、ふだん観る男女のデュエットに比べると、触れ合ったり寄り添ったりする動きは少し控えめに振付けられているようにも見える。
しかしそれがかえって“昔話”のなかの奥ゆかしい愛の語らいに感じられ、静かに心を揺らす場面となっている。
浦島太郎と亀の姫(井澤駿、米沢唯)撮影:鹿摩隆司
この舞台の幕を上げるために、振付・演出の森山開次や新国立劇場バレエ団のダンサーたちや関わったすべてのスタッフが、どれだけの困難と苦労を経たことだろう。
さあこれから本格的にリハーサルだという矢先の、緊急事態宣言発出。長い自粛期間を経て稽古場にようやく戻っても、少人数ずつに分けながらでないとクラスができず、リハーサルの時間を捻出するのも難しかったに違いない。
しかも今回は新作バレエの世界初演だ。
限られた時間、制限された環境のなかで、これだけこだわり抜いた作品を創り上げたのかーー愉快なシーンに笑いながら、涙が出た。
故郷に帰るという浦島太郎に、「あなたへの愛の証を閉じ込めました。でも決して開けないで」と亀の姫が手渡す玉手箱。
浜辺に戻った太郎はもちろん、その蓋を開ける。
その瞬間、封じ込められていた「時」が、命が、動き出す。
劇場で観るバレエ、生身のダンサーたちの踊りは、やっぱり最高だ。
森山開次が「自作した」といって見せてくれた亀の模型が、舞台にはあまりにも可愛い姿で登場する。公演をご覧になる方はぜひお楽しみに!
公演情報
新国立劇場バレエ団『竜宮 りゅうぐう』〜亀の姫と季(とき)の庭〜