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小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」【第11回】嬉しいお知らせ。

小林 十市

ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスターダンサーとして世界中の舞台で活躍。
現在はBBL時代の同僚であった奥様のクリスティーヌ・ブランさんと一緒に、
フランスの街でバレエ教室を営んでいる小林十市さん。

バレエを教わりに通ってくる子どもたちや大人たちと日々接しながら感じること。
舞台上での人生と少し距離をおいたいま、その目に映るバレエとダンスの世界のこと。
そしていまも色褪せることのない、モーリス・ベジャールとの思い出とその作品のこと−−。

南仏オランジュの街から、十市さんご本人が言葉と写真で綴るエッセイを月1回お届けします。

***

6月後半

約8ヵ月ぶりにローザンヌへ行ってきた。ジルに話すことがあったからなのだけど。

フランスースイス間の入国制限措置も緩和され、クリスティーヌが運転する車での移動も快調だった。いつも来て思う「会って話せて良かった」と。メールや電話では伝わらないことがあるし、たまに来て元気そうなジルやキーラの姿を見るとやはりホッとするし嬉しい。ベジャール・バレエも他のバレエ団同様コロナの影響でツアー延期・中止と大変だったようで、次のシーズンからの予定もあるけれどそれが実現するかも分からない先の見えない状態に辟易していた。7月にあるはずだったツアーもすべて無くなりダンサーたちには1ヵ月早めに夏休みを与え、僕らが着いた前日が今シーズンの最終日だった。

さて、いろいろと話をしていき何となくそのタイミングが来たので、カバンからある物を出してジルに手渡した……それは、

先月この連載で告白した27年前にベジャールさんに借りて返すのを忘れていたビデオカセット!(笑)
思い立ったら即行動!(笑)

『LA MUETTE』……ベジャールさんから『M』のためにと渡された経緯を話し、白黒ビデオで見にくいけれど一体どんな作品だったのか? を聞いてみた。

ジルも20世紀バレエ団に入ったばかりの頃で、作品的には当時のベルギーの政治風刺的なものであり「MUET」=フランス語で「口がきけない」という、そういう役のダンサーが作品全体を通してのキーパーソンでもあった。そして、この作品のために生まれたのがあの『アダージェット』で、ドンさんはステッキを持ち黒いスーツに帽子、盲目という設定で自分の過去をテレビ画面上で振り返っているという演出から踊り始めた、と。たぶんこういう初演の話を知っているファンの人はそういないのでは? と思うのですが、『未来のためのミサ』とか、あの時代のベジャールさんやダンサー達の話を聞けるのは僕としてはとても興味深いわけです。

ベジャール作品を踊る上で必要なことって「ベジャールさんの演出、作品を信じること!」だと思っていて、信じて疑わない強さとその上で各自が各々のこだわりを盛り込んだりするのがある種のスパイス的なアクセントを作品に付ける気がしている。僕が大好きな作品『ディオニソス』とかまさにそうで、そういうダンサーが20世紀バレエ団時代には多かったと思う。そういうのが個人的にはとても憧れで好きで、当時のダンサー達の名前を挙げると、いろいろなダンサー事情を知っているジルは「滑稽だよね」と言う。もちろんジルだってそうやって踊ってきた1人だと僕は思っている(悪い意味ではなくて)けれど、逆に今はそういう個性的なーー言ってしまうと「とくに意味がなく効果的でもない」ダンサー個人のこだわりは極力盛り込ませないようにしているのかな? と思った。ジルと話しながら、踊る作品やダンサーの生活様式も変わりこれも時代の流れなんだろうなということを、少し寂しい気持ちも覚えつつ実感した。

写真のビデオカセットを持っているのはジルの手で、『LA MUETTE』の横にもうひとつビデオカセットがあるのが分かると思うのですが、じつは……もうひとつベジャールさんに返し損ねていたビデオがあったのです!!

時を遡ること26年(笑)クリスティーヌと僕が初めて出場することになった「第7回世界バレエフェスティバル」(1994年)そのためにベジャールさんがジルとクリスティーヌと僕に創作した『ドン・ジョバンニ』のパ・ド・トロワ。19931994年のシーズンはツアーが多かった。なのでベジャールさんはツアー中にこのパ・ド・トロワを振付け、例えば僕のソロはドイツ・ツアー中に振付けられたりと結構なハイスピードで創られた作品なのでした。そしてシーズン最後のツアー先のワイマールで『パ・ド・ドゥの芸術』という作品を上演していた時に「作品の出来上がりが観たい」とベジャールさんがプログラムを変更し、衣裳さんも大慌てで衣裳を作りそのパ・ド・トロワを踊ることになった。それを録画したのが、もうひとつのビデオカセットだったのです。

……なぜ僕が持っていたのか? それはベジャールさんが「もし東京で何かあったときに見て思い出しに使えばいい」と渡してくれたのでした(使わなかったけど)。そんな話をしながら『ドン・ジョバンニ』パ・ド・トロワを思い出し「あれはいい作品だった」とジル。僕らはベジャールさんが観たワイマールでの1回と世界バレエフェスティバルで踊った4回、計5回しか踊っていない。そんな26年間も封印されていた作品をなんと! このコロナ自粛中にジルが選んだダンサー3人に覚えさせているのだと言うではないか! 何なのだろうこのタイミング(笑)恐ろしくなるほどシンクロニシティではないか!?! このビデオカセットも帰るタイミングを知っていたかのように現れたのでした。

翌日、改装工事を終えたベジャール・バレエの建物へ行ったみたけど、もちろん夏休み中なので閉まっていた。残念、どんな感じになったのか見てみたかったのに。

レマン湖のほとりで朝食を済ませ、レマン湖を背景に軽く跳び、リヨン経由でオランジュに戻りました。

7月前半

もう許可があればベラベラとすべてしゃべってしまいたい!
けれど、まだ少し先のことなので詳細はお伝えできませんが「踊ります!!」

僕のツイッターや、この連載を読んでくださっている方ならば「ようやく自主練の日々が実を結ぶわけだ」と思ってくれることでしょう(笑)。

とあるプロジェクトのため、ここフランスで振付家を探しソロを作ってもらう。
このためにたくさんの方々が動いてくださっています。本当にただただ感謝です。

ということで、南フランスのオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域はアルデーシュ県の北にあるAnnonay。もうカタカナだと「アノネー」あのねー、アノネーです。
そのアノネーで、Studio Chorégraphique Chapell SaintMarieという古いチャペルを改装しカンパニーLa Barakaを主催しているAbou Lagraa(アブー・ラグラ)さんにお会いしてきました。

ここではフランスの田舎の街の使われなくなったお城やチャペルなどのスペースを利用して数日間から数週間の滞在で作品を集中的に制作する「レジデンス」という制度も取り入れているようで、アブーさんのカンパニーがツアーでいない時とかは他のグループが使ったりすることもできる場所らしいです。
写真をご覧いただけるとわかりますが、入った瞬間に「うわお♪」と思わず声が出ます(笑)。

この日はお互い初対面でしたので、いろいろお話ししながら柔軟し、少しアブーさんの動きをトライする形で、僕は頭も体もフル回転で挑みました。

時間にして約3時間くらいでしたでしょうか? 終わって数時間後にかなりの筋肉痛でしたが非常に満たされた感じでした。今後どう進展していくのかがとても楽しみです。
まあ、次回お会いするのがかなり先なので、まだまだ自主練は続きますけど……。

なので、皆様には楽しみに待っていてもらいたいです。よろしくお願いします!

そんなことがあり、

あとは、加治屋百合子さんが立ち上げたHeart for Artists〉プロジェクトでの加治屋百合子さんと山本康介くんとの三者鼎談
2時間もしゃべってるとは思いませんでした。僕は百合子さんとは初めてでしたので、ABT(アメリカン・バレエ・シアター)時代のこととかお聞きするのが楽しみでした。
トークは日本時間は夜8時から、つまりヒューストン時間の朝6時から!! その日は睡眠2時間だけだったという百合子さん……連日お忙しいのに大変だと思いました。

確かにこのコロナ禍で横の繋がりは濃くなったように思います。今後の社会状況が安定し皆さんが安全に劇場へ行けるように、それとこの期間に繋がったアーティスト達と様々なプロジェクトを発信できるようになることを切に願います。

2020年7月15日 小林十市

★次回更新は2020年8月15日(土)の予定です

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

元ベジャール・バレエ・ローザンヌ、Orange Ballet School 主宰、振付家、俳優。 10歳より小林紀子バレエシアターにてバレエを始める。17歳で渡米し、スクール・オブ・アメリカン・バレエに3年間留学。20歳でスイス・ローザンヌのベジャール・バレエ・ローザンヌに入団。以後、数々の作品で主役をはじめ主要な役を踊る。2003年に腰椎椎間板変性症のため退団。以後、世界各国のバレエ団でベジャール作品の指導を行うほか、日本バレエ協会、宝塚雪組などにも振付を行う。また舞台やテレビ、映画への出演も多数。 現在はフランスのオランジュにて Orange Ballet Schoolを主宰。

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