
パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。
「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」
そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。
- 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
- 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
- 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…
……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!
イラスト:丸山裕子
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バレエに関わる研究をしていると、同じような興味関心を持つ他の研究者と、学会や研究会を通じて知り合う機会が増えます。こうした研究者の方々は、大変興味深い(かつマニアックな)テーマを追いかけており、「バレエって、ダンスって、豊かな視野を広げてくれるなあ」と好奇心を刺激されるもの。しかし、研究の世界の外には、研究者の魅力やその研究の面白さが、なかなか伝わりづらいのでは?と思うこともあります。
そこで今回は、「パリ・オペラ座ヒストリー」で歴史的観点からバレエを探る私とはまったく異なる視点の、運動科学の研究領域でダンスを深掘りされている、お茶の水女子大学文教育学部芸術・表現学科教授の水村(久埜)真由美先生に、お話を伺いました。じつはバレエダンサーとして舞台でバリバリ踊っていたご経験も持つ水村先生。人間の「運動」としてダンスを見ることには、どういった視点があるのでしょうか?

水村(久埜)真由美[みずむら(くの)まゆみ]:6歳よりバレエを始める。川副恵躬子、笹本公江 、谷桃子らに師事。お茶の水女子大学卒業、東京大学大学院修了。東京大学助教、クイーンズランド大学客員研究員、ストラスブール大学客員教授を経て、現在お茶の水女子大学教授。
踊って踊って、大学へ
永井 まずは先生の、これまでの歩みから教えていただけますでしょうか。
水村 名古屋で産まれましたが、ほぼ東京育ちです。6歳でバレエを始めて、小学校の時に2年間住んでいた福岡では、下村由理恵さんがいらしたバレエ教室に通っていました。川副恵躬子先生というとても厳しい方に、バレエは全身全霊で学ぶものだ、というのを叩き込まれましたね。そのあと東京に戻って、ローザンヌ国際バレエコンクールで日本人初の審査員をなさった笹本公江先生に習いました。その笹本先生から、14歳の時に「あなた、ABTのスクールに1ヵ月行ってらっしゃい」と言われて。
永井 えっ、いきなりですか。
水村 先生に言われたらノーという選択肢はなくて(笑)、たった一人で1ヵ月のサマースクールに行きました。ニューヨークへの直行便はなく、アンカレッジで給油のために降機するような時代です。他の参加者も全米から集まってきたような子たちで、アジア系の子なんか、他に一人もいないんですよ。でも、それが刺激になって、帰る飛行機の窓から「もっとバレエを上手になって、絶対にここに戻ってきたい!」と強く思いました。
永井 今でこそ、中学生のサマースクールやワークショップへの参加は珍しくないですが、その当時に14歳で、しかも単身で海外バレエ団のスクールに乗り込まれる勢いに圧倒されます。
水村 スヌーピーのぬいぐるみを抱えてね(笑)。その後、高校受験でバレエを一度お休みしたのですが、踊りたいのは変わらなかったので、高校の沿線にあるバレエ教室を探しました。電話帳で「バレエ」の項目を探して、条件に合っていたのが谷桃子バレエ団研究所。尾本安代先生や高橋佳子先生、鈴木和子先生、ロイ・トバイアス先生、そして一番長く谷桃子先生に教わりました。谷先生のクラスでは(現谷桃子バレエ団芸術監督の)髙部尚子さんの隣でレッスンしていたんですよ。そこまではもう踊ることだけ、バレエダンサーになることだけしか考えていませんでした。
永井 そこから大学進学を視野に入れられたのは、どういった経緯だったのですか?
水村 たまたま高校の先輩がお茶の水女子大学に進学していて、大学の公演(現在も舞踊教育学コースが行なっているダンスパフォーマンス公演)のチケットを、高校の体育の先生宛に送ってきたんです。
その舞台で、ある創作ダンスの作品に強烈な印象を受けたんですね。ソロの作品で、青森の伝統芸能をモチーフにしたものだったのですが、ほとんど踊らなくて、立ってポーズが変わるだけ、みたいな。それまでの私は、いかに素晴らしい技をして観客を感動させるか、という価値観で踊っていたのですが、その作品は、脚も上げないし回ってもいないのに、一番印象に残った。好きとか嫌いとかではなく、「この世界は何だろう」と。それで、高校3年生の5月くらいに突然、「お茶大に行く」と両親に言いました。
永井 大学進学対策にはギリギリの時期ですね(笑)。
水村 そこまでバレエに打ち込んでいて、レッスンのない日は女子高生としての青春を謳歌していたから(笑)。でも、谷バレエ団かお茶大か、という2択しか、自分の中になかったですね。一浪して、それも予備校には行かず在宅浪人で、幸い2回目の挑戦で合格しました。
入学したお茶大の舞踊教育学コースは、それまでとはまったく別世界。先輩方が「バレエを一生懸命やっている子が入ってきた」と言って、いろいろな実験の被験者をやったんです。電極を貼って、《眠れる森の美女》のオーロラ姫のヴァリエーションを踊って、「はい、この椅子に3分座って!」みたいな。
永井 電極を貼ったオーロラ姫ですか(笑)。
水村 でも、もともと好奇心旺盛なタイプだったので、「面白いからどんどんやりたいです」といったら、名前も知らない大学院生に、じゃあ今度はこっちの実験!と連れて行かれてね。大学院の先輩方だけでなく、研究指導の先生も面白がってくださって、とても新鮮でした。そこで、「バレエを知っている人が研究したら、もっと面白いんじゃない?」と漠然と思ったんですよ。それが、研究の道に進んだきっかけですね。
あと、その当時バレエを観に来る人は今よりももっと少なくて、踊っている人が知り合いの舞台に行くくらい。ですので、他の分野の人が興味を持つためには、踊っていた人が他の分野に行かないとダメだと思いました。女子大生生活も楽しまなきゃ!と思ってテニスサークルに入ったんですけれど、そこで一度もバレエを見たことがない人たちに、公演の案内をしたんですよ。公演に一緒に行って、解説もして、「こんなすごい技がある」とか、「これはトップアスリートがやるようなことと変わりない」とか言いながら。
永井 私も同じような感じでバレエ史の講義をしていて、最終的にはプロのダンサーさんに話を聞く機会を作ったり、観劇に連れて行くのですが、最初は「バレエは見たこともない」と言っていた学生さんが、意外とハマったりします。
水村 そうなんですよね。私、ダンス研究の話をするときに、最初に「ダンスを生で見たことがありますか」って質問することにしているんです。そこで「見に行ったことがない」と言われると、多分、私のスイッチが入っちゃうのね、「ここはダンスファンを増やす機会だ」っていう(笑)。運動として巧みで、アスリートみたいな体力が必要なことをやっていて、毎日地道にレッスンをしてリハーサルをする上で成り立っている芸術だから、もっといろんな人に見てほしかったんです。
運動としてダンスを考える
永井 先生は、大学での現在のご所属は文系の学部ですが、ご専門はスポーツ科学で、理系の視点からダンスを考察する、という学問スタイルですよね。
水村 ええ、私以外は全員、歴史や哲学のなどの観点から舞踊を研究する先生方ですね。スポーツ科学では、量的に舞踊のさまざまな要素を評価するほか、記録や高さといった、数値化される物事を扱います。
永井 運動科学の観点から注目されているダンサーさんはいらっしゃいますか?
水村 ハンブルク・バレエ プリンシパルの菅井円加さんです。彼女は私の著書にも写真をご提供いただいていて、本当に素晴らしいと思う。彼女がホームシアターで踊っていらっしゃるところをぜひ観たいと思っているのですが、菅井さんの身体には余裕があるよね。
永井 なるほど、身体の余裕。
水村 身体の余裕は絶対に必要で、その余裕があるから、さまざまなダンスのジャンルに適応できるとか、怪我をしない、というのもありますね。ギリギリいっぱいの状態だと、目の前にあることにしか対応できないから。海外の人たちの中で踊っていても、プリンシパルになるようなダンサーは揺るがない身体がありますね。
永井 身体的かつ精神的な存在感がある、ということなんでしょうか。運動科学の観点からそうしたことを考察するのはとても興味深いです。
水村 アメリカのバレエ団とかを見ていると、コール・ド・バレエの風圧が見えそうなときがありますよ(笑)。欧米では、ダンサーもアスリート並みに鍛えたり、コンディション管理をしてフィジカルを整えていますね。でも、そういう中でも揺るがない存在感がある方はいますよね。バーミンガム・ロイヤル・バレエの平田桃子さんも、小柄な方なのに、舞台に出ると圧倒的な存在感がありますし。あれはどうやって、なぜそういう存在感が出るのか、秘訣を知りたいです。科学したいです。
永井 運動科学の分野って、いかに高く飛ぶかとか、速く走るにはどうしたらいいか、とか、技術面の改良に関わることを研究するイメージあったのですが、ダンサーの存在感や身体的な余裕、という着眼点があるのが意外でした。観客側の受け取り方の問題かと思っていたのですけれど、それだけではないんですね。
生きていく原動力とダンス
永井 先生が今後、取り組んでいきたい活動や、目指されていることを教えていただけますか?
水村 トップダンサーたちの技術がどうなっているか、とか、そのためにフィジカルにどういうものが必要、こんな動作になると怪我になりやすいから、それは直しつつ体も鍛えましょう、という、ダンスをテーマにしたスポーツ科学の研究と同時に、大学をベースにしたコミュニティアートの活動をやりたいと思っています。じつはこの1年ほど、障害者の方やパーキンソン病の患者さん、ダウン症の方がダンスをする場面にご縁があって。去年の10月にも、ニューヨークのマーク・モリス・ダンス・グループというモダンダンスのカンパニーがやっている、パーキンソン病患者のためのダンス指導のトレーニングに参加してきました。
永井 イギリスのロイヤル・バレエでも、視覚障害を持つ方を対象としたクラス・レッスンがあったそうですが、ダンスに関わる人間がそうしたアウトリーチの活動をするのは、大切なことですね。
水村 パーキンソン病は、歩くとか、物を食べるといった、病気ではない人にとっては自動化されている運動が出来なくなっていく。いっぽうで、認知機能は落ちてないから、患者さんにとっては、自分が人間でなくなるような感じに陥ってしまうそうなんです。でも、ある患者さんが、「ダンスをしている間は、自分の名前に戻れる」と伝えてくださって。これって、一人の人間としてすごいなって思ったんですよ。
パーキンソン病は高齢になるとかかりやすい病気ですから、高齢化社会の日本では、これから圧倒的に増えることが予想される病気です。ですが、根本的な治療法が今のところないし、早期に発見することも難しい。患者さんがダンスによって気持ちが安定するなら、ご本人だけでなく周りのご家族にとっても良いことですから、もっと研究が増えて、エビデンスとして出していけるといいと思います。大学の教員なので、そういう研究者の育成も取り組んでいきたいし、そうしたことを大学で学んだ人が、さまざまな業界で活躍することもとても大切なことですね。
永井 先生のお話を伺っていると、日々のご活動すべての根底にダンスがあるように感じました。
水村 生きていく原動力が、全部踊りに関連しているのよね。疲れると劇場に行くし、自分でも踊ったり。ダンスに出会えたことで私の人生が豊かになっているから、誰かの人生も豊かにしたいな、と思いますね。
【NEWS】永井玉藻さんの新著が好評発売中!
「バレエ伴奏者の歴史〜19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々」

バレエにおいて、ダンスと音楽という別々の芸術形態をつなぐために極めて重要な役割を果たしている存在、それがバレエ伴奏者。その職業が成立しはじめた19世紀パリ・オペラ座のバレエ伴奏者たちの活動や役割を明らかにしながら、華やかな舞台の“影の立役者”の歴史をたどります。
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