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【新連載第2回】小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」

小林 十市

ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスターダンサーとして世界中の舞台で活躍。
現在はBBL時代の同僚であった奥様のクリスティーヌ・ブランさんと一緒に、
フランスの街でバレエ教室を営んでいる小林十市さん。

バレエを教わりに通ってくる子どもたちや大人たちと日々接しながら感じること。
舞台上での人生と少し距離をおいたいま、その目に映るバレエとダンスの世界のこと。
そしていまも色褪せることのない、モーリス・ベジャールとの思い出とその作品のこと−−。

南仏オランジュの街から、十市さんご本人が言葉と写真で綴るエッセイを月1回お届けします。

***

僕が初めてクラスを教えたのは、ベジャールバレエ団に入団して2年目の頃だった。

何故? どういうきっかけで教えることになったのかは覚えていないけど、入団した当時、バレエ団のクラスを教えていたのは、現在ハンブルク・バレエのバレエマスターをしているケヴィン・ヘイゲンだった。彼はSAB(スクール・オブ・アメリカン・バレエ)の卒業生で、よくケヴィンから「ジュウジュウビー(彼は僕をそう呼んだ)、スタンリー《*編集部注1》のエクササイズ何かない?」と聞かれたりしていて、その度に「こんなエクササイズがあった」とかいろいろ思い出してはケヴィンに教えてあげていた。日本では小林紀子先生の所で学び、RAD(ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス)のメソッドで学んで来た年数が多い自分だけど、何故か教える時のエクササイズはSABで学んだ事が基盤になっているエクササイズがほとんど。僕はクラスを教える事が特に好きなわけではないけれど、頼まれればNOとは言わずにやっていた。

アテネ公演中にカンパニーレッスンを受け持ち自分も一緒に動く

自分で書いたエクササイズの紙が挟んであるのが見える

僕がフランスで教えるきっかけになったのはDiplômes d’État(DE)というバレエ教師国家資格認定証が取れたからなんだけど、別に400時間の研修を経て取得した訳ではない。《*編集部注2》

僕の場合、クリスティーヌが勝手に僕の履歴書&経歴書を送りそれが通ったということで(パリ・オペラ座のエトワールと同じ待遇!)それはそれでありがたいけれど、実際バレエ教師として教えをするには不便で、試験を受けて資格を取得した人とは給料にも差があり、舞台経験がなくてもバレエの歴史や解剖学、音楽の事を学び資格を取った人が結構人気教師として仕事があったりするケースもある(らしい)《*編集部注2参照》。コンセルヴァトワールとかだと、元プロでちゃんと資格を取得した人だけでなく、僕みたいな経歴で資格を取った人が安い給料で済むから?選ばれたりすることもあると聞いた。それで僕も再び給料のある生活に戻りたくて、一応フランスに着いた時にフランス全土ほぼ全てのコンセルヴァトワールへ自分の履歴書を送っていくつかは良い返事が来たけれど、空きがないということで結局ダメだった。

コンセルヴァトワールの先生にはなれなかったけど「振付をしてくれないか?」というオファーがモンペリエのコンセルヴァトワールからあり、振付もそれほど得意なほうではないけれど、いい機会だと思い引き受けてみた。

モンペリエのコンセルヴァトワールの生徒たち

ここのコンセルヴァトワールでは、モンペリエ国立オペラ座の劇場内にあるスタジオと中心地から少し離れたスポーツをする施設内にあるスタジオの2ヵ所を使っていて、もちろん劇場内で稽古する方が気持ちは高揚するわけで、この振付け期間中は劇場通いも悪くないなあと思っていた。

このイタリア様式のオペラ劇場はフランス国内にいくつかある

パリのオペラ座よりもこじんまりとしているけれど、アヴィニョンのオペラ座よりは大きい

クラスを教えながら「どんな作品を作るか?」を考え、まあフランスに来てからのフランスでの記念すべき最初の仕事だったので、その年”2014年”という数字を取ってベートーヴェンの交響曲第2番から第三楽章と交響曲第1番から第三楽章と交響曲第4番から第四楽章を使い、”0”にあたる部分はお芝居で構成した作品にし、タイトルも「2014」にした。最初のグループが交響曲2番で次に1番を持って来て0番を構成上三つ目に。コンセルヴァトワール高学年クラスの唯一の男性を使い「僕のソロは交響曲第0番で踊るんだ!」というセリフに他の女子たちが「何言ってるの!? 交響曲0番なんて無いから!」と突っ込みを入れて始まる劇(笑)、最後は全員で交響曲4番でフィナーレ。本番ではお芝居の部分がうけてホッとした。

バックがご覧の通りフランス国旗なのだが、最初は青の部分だけで残りは黒幕で隠し、次が赤だけでお芝居部分が真ん中の白で、フィナーレで左右に開けて行くとフランス国旗というようにした。

この公演の数ヵ月後にモンペリエの個人でやってるスタジオから講習会の依頼があり2日間教えました。

結構順調なスタートをした感じでしょう? でもどうも僕のクラスは難しいみたいで(汗)

教え慣れしていなかった僕には「バレエってこうでしょう」的な、あまり受講者のことを考えてあげているようでいない、という感じだったと後で気がつくのだけど、この時はまだ経験不足でそれまでプロのダンサーたちに教えたり、日本での学生相手の講習会だったりと割とレベルの高い人たちを教えていたので、「南仏バレエ事情」がまったく分かっていなかった僕には仕事をつなげて行くことが出来なかった。

来月Angers(アンジェ)にあるCNDC(Centre National de Danse Contemporaine)というコンテンポラリーのダンスセンターへ、ベジャールさんの「Le Jerk」という作品を教えに行くのだけど、この仕事は4年前にもしていて、元20世紀バレエ団のドミニク・ジュヌヴォワさんと一緒に仕事をしたのだった。最初にドミニクさんが行って作品の説明やダンサーの配置を決め、僕がベジャールさんのスタイルチェックで仕上げをするという感じで行われたのだけど、今回も同じようにドミニクさんは既に現地で今シーズンのCNDCの様子を見て来たところで、今回の生徒たちについて色々と教えてくれた。

4年前のアンジェにて。朝のバレエレッスンをして、午後からベジャール作品指導

当時の CNDCの生徒たち。いまはみんな別々のところで活動している

ドミニクさんは、ずっとリヨンのCNSMD(Conservatoire National Supérieur Musique et Danse de Lyon)で教えていて、去年引退したばかり。

僕は自分が気になっていた「ちゃんと講習受けて資格を取ったほうがいいのか?」ということを聞いてみた。

Dispense du Diplômes d’État (ディスパーンス・ディプロム)っていうのは、あなたの経歴が認められ講習を免除された特別許可証なので、それでいいのだ、と。十市はベジャールバレエ団で15年間ソリストで踊っていたという紛れも無い事実があるのだから、それは勉強して資格を取った人よりも優れているのよ、と。

講習を受ける人にはプロ経験や踊りの経験がない人もいて、ドミニクさんは今月リールで受講者の技術試験の審査員するそうで、なかにはパ・ド・ブーレすら出来ない人もいるのだと言っていた。最近は前よりも厳しくなって、踊れない人には許可が下りないらしい。

ふーん、と思ったけど、書類だけで許可を得た資格だと、やっぱり違うんだよな……と複雑な気持ちだった。

2019年10月15日 小林十市

 

*編集部注1:スタンリー・ウィリアムズ。ジョージ・バランシンに招かれSABの指導者として活躍した、世界的に知られる名バレエ教師。

*編集部注2:フランスでクラシック・バレエ、コンテンポラリー・ダンス、ジャズ・ダンスを教えるためにはこのDiplômes d’État (DE) という国家資格が必要(それ以外のダンスには必要なし)。これを取得するには、プロのダンサーと認められた者であればダンスの実技やダンスの歴史、解剖学、ダンスのための音楽の単位が免除され、ダンス教育学を400時間受講することが求められる。プロのダンサーとして踊った経験がない者(またはプロとは認められない者)は、教育学を学ぶ前に音楽100時間、ダンスの歴史50時間、解剖学50時間、つまり全部で600時間の座学の受講と、プラスして実技試験の合格が必要。しかし十市さんのようにプロフェッショナルのバレエ団でソリスト以上を務めた人は、DEの取得を免除される。つまり講習を受けてDEを取得しなくても、ダンスの教師として働くことができるということ。

 

★次回更新は2019年11月15日(金)の予定です

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

元ベジャール・バレエ・ローザンヌ、Orange Ballet School 主宰、振付家、俳優。 10歳より小林紀子バレエシアターにてバレエを始める。17歳で渡米し、スクール・オブ・アメリカン・バレエに3年間留学。20歳でスイス・ローザンヌのベジャール・バレエ・ローザンヌに入団。以後、数々の作品で主役をはじめ主要な役を踊る。2003年に腰椎椎間板変性症のため退団。以後、世界各国のバレエ団でベジャール作品の指導を行うほか、日本バレエ協会、宝塚雪組などにも振付を行う。また舞台やテレビ、映画への出演も多数。 現在はフランスのオランジュにて Orange Ballet Schoolを主宰。

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